はてなキーワード: 怠惰とは
一言で言うと…
世の中の変化についていけなくなったが古い頭を持ち続けたい人たちによる世の中への怨嗟が集まる吹き溜まり
…だったんだね!
親切に今の事情や、その複雑さ、多様な視点を教えてあげる人もたまにいる。
でも、古い頭で居続けたいような人だけあって根本的に色んな認識が足りてない、俯瞰的に見聞きして素直に消化しようとしないから、悪意的な視座を脱することができない。
そのせいで自分の頭の中の××像を変えられる可能性がなく、まったく会話に意味がないんだ!
世の中は駄々に構ってくれず着々と進んでいくのに、増田は構ってくれる人がいるから、ある意味その優しさに甘えていられる場とも言える。
彼らは世の中が間違ってるという風に言うことで自分の頭を正当化するけど、僕に言わせると、世の中の変化に正しいも悪いもない。
ただ、過去からより前に進みやすくなるための適応、選好の積み重ねがあるだけなんだよ。歩行学習ロボットのジンギスみたいなのと同じと考えたらいい。
ある価値観が人々に選ばれなくなったことには、それだけの思いの積み重ねがあったんだ。
そういうのを馬鹿にしちゃいけないと思うね。
俺は増田を評価する。ただ職業としては個人でやるとなんやかんや言われるかもしれない。会社を立ち上げて法人としてトレードすると若干は払拭されるかもしれない。
それはいいとして、俺は日銀が許せない。増田は日銀のETFお買い上げに関連する歪みを利用するような手法と書いているが、俺はこの日銀のETFお買い上げが許せないのだ。
株式と等価交換しているのだからお金をばらまいているわけではないのだが、実質的には富裕層にお金をばらまいているのと同義である。
富裕層はお金使わないし、企業もお金使わないから、市中にお金が出回らない。つまり、貧乏人である俺のところまでお金が回ってこない。
何がしたいんだろう、日銀。ねぇ、何がしたいの。
と、そういう日銀への恨みもトレーダーに向けられているのではないだろうか。
俺は確かに努力至上主義な価値観の持ち主だが、努力が足りないかどうかは俺が判断することじゃないな。
結局はどこまで試行回数を増やすかは個々の判断によるし、それを他者が強要するのは良くないだろう。
怠惰であるのは個人の自由だが、怠惰であると自覚しておきながら努力せず、何も変わらないと嘆くのはメタボ腹の中年と何にも変わらんと思うぞ。
俺は大人でございますみてぇな達観してますみてぇな態度取りつつ、国がどうの政治家がどうの他人がどうのと文句だけには心を込めやがって、自分が努力しなきゃいけなくなれば達観を装いつつ逃げやがって
大人になれば天井が見えるとかいうやつも、何で天井が見えたら昇るのやめんだよ、天井へ触れられるまで努力すりゃ良いじゃねぇか、お前の成長限界まで突き進めば良いじゃねぇか、何で成長限界を目指さねぇんだよ、天井に触れて、それが本当にお前の限界なのか確認しろや
実力も運のうち、確かにそうだよ、金持ちのボンボンと俺達を比較すりゃスタートラインが違うだろうよ、そんなものは当たり前なんだよ
だがそれがお前が頑張らなくて良い理由にならねぇだろうが、妬み辛み怒り悲しみ、自分のクソみたいな感情を推進力にして頑張っていくしかねぇんだよ
アイツら自分を救わねぇと達観しつつ、誰か救って下さいと懇願するお前は何なんだよ、お前のその矛盾した感情論でお前の何かが変わるのかよ?
お前を救えるのはお前自身だと達観するのならば、お前自身がすぐに動いてお前を救ってやれよ
金があればお前の性根が変わると思うのか?ずっと他人と比較することしかしてこなかったお前の性根が変わると思っているのか?
立場があればお前の承認欲求が無くなると思ってるのか?ずっと他人と比較することしかしてこなかったお前の承認欲求が無くなると思っているのか?
お前らはいつも口々に言うじゃねぇか、個人個人の価値を大事にしろと。お前の価値の基準は他人なのかよ、お前が自分の価値を他人と比較してお前の価値を貶めているのはお前自身じゃねぇか。
お前は知ってるよな?知りながらそれを実行していないよな?
創作活動でも何でも良い、お前がその手で何かを作れば、何かを成せばお前の価値が証明されることをお前は知っているよな?
それを知っていながら実行しないのは何故だ?他人か?また他人のせいか?他人が居るからお前はプログラミングしたり日曜大工したり自転車で走ったりアクセサリー作ったり動画作ってYoutuberになったり出来ねぇのか?
違うよな?????お前が怠惰で卑屈で他人に厳しく自分に甘いからだよな??????
物事を極めるには長期の努力が必要だと知っていて、それを面倒に思って実行していないのはお前自身だよな?
お前が実行に移さないのは金持ちが存在するからか?スタートラインが違うボンボンが存在するからか?
インターネットへアクセスできる性能を持つデジタルデバイスが目の前にあり、そのデジタルデバイスはスタートラインに立てる道具であるのに活用してないのはお前自身のせいだよな?
今回はそういった所について改めて整理していきたい。
・上下関係
・ローテーション
・コスト
・フェイズ
昨今は風潮として「同じコストのカードなのにレア度で性能が大きく違うのはゲームバランスが壊れている」という考え方が広がっています。
しかしMTGでは実際に同一性能でコストが全く違う・同一コストで性能が全く違うカードが複数あるわけです。
・ローテーション毎のバランス調整
・拝金主義
まず、ローテーション毎にバランスは大きく変わるということです。
これは単にインフレのみを意味せず、強力なカード群のスタン落ちに伴うデフレ等が実際に存在しています。
またローテ毎に特定の傾向が持たされており、その結果として過去に出たカードの上位互換・下位互換が多数生まれます。
次に、MTGでは他のTCGでおまけとして扱われがちなリミテッドが盛んであり、むしろ誰でも強いデッキをコピペすればいい構築戦よりリミテこそがメインのモードだとも言われています。
リミテッドにおいてはレア度ごとにカードの数が決まっているため構築のような「同じコストで性能が違うならレア度が高いほうだけ入れればいいじゃん」といったことが起こりにくくなります。
この「レア度が高いカードは性能が高い」といった部分が「それぞれが数枚だけ切り札のようなカードを持って試合に望む」といったゲーム性を生み出すことがリミテの売りとも言えます。
リミテのバランス調整が極端に働くと「このカードが何枚もデッキに入るようになるとリミテッドのバランスが崩れるのでレア度を上げる。が、同時に似たような性能のカードがこの色において少なすぎても駄目なので下位互換を低レアに入れる」といったことが起き、その場合は同じパックの中でほぼ完全な上位互換・下位互換の関係となるカードが出ることもあります。
最後に拝金主義ですが、これはもうMTGが商売で作られているのでレアカードめっちゃ強くしてめっちゃ売りたいという話ですが、まあこれはもう商売なんで……はい……。
これについて「2年でカードが使えなくなるからクソ」という意見もありますが、心配ありません。
スタン以外にも下環境と呼ばれる2年以上前のカードも使える環境がございます。
ただしこちらの環境では過去に出た数多くの凶悪カードが猛威を振るうバランスのぶっ壊れた世界となっております。
逆に言えば、そういった凶悪カードの跳梁跋扈を食い止めるために2年毎の制限で邪悪な組み合わせが制限されているのです。
MTGプレイヤーからすれば一度出たカードがずっと使え、同じデッキだけが勝ち続けるのを防ぐのはインフレのみという環境のほうが世紀末に思えます。
MTGの土地システムはいまや古典的なコストシステムとされており一部プレイヤーからは敬遠されています。
確かに、あと1枚分の打点で勝てそうな試合が土地を連続で5枚引いて負けるとガックリ来ますし、土地がずっと1枚2枚のままで試合が終わるとキレそうになります。
ですが土地というシステムが生み出すギャンブル性こそがプレイヤーに状況に合わせて動きを変える柔軟性を問うのだと私は思っています。
今、多くのTCGにおいて「ネットから持ってきたデッキで、同じような動きをするやつだらけになっている」ことが問題視されています。
MTGの土地システムは多くの事故を生み出すことでこのような状況に対してプレイヤーに様々な負荷をかけ真のプレイングを問うていると思います。
また、土地という足枷があるからこそ複数の色を組み合わせた混色デッキがゲーム的に成立するのも事実です。
ハッキリ言って、「デッキの色(クラス)毎に入れられるカードが決まっています」というタイプのTCGはバランス調整とデッキ構築性の間にある難問を全て投げ出した怠惰なゲームのように思えます。
『フェイズはフェイズでしか表現できない効果だからフェイズなのです』
もういっそ理解を諦めてコンピューターゲーム版だけで遊びましょう。
あらゆる状況をコンピューターのジャッジに丸投げしてしまえば楽ちんです。
ブクマカもそれから高市も「良い教材をタダで配れ(そうすれば教育格差は縮まる)」みたいなこと言ってるんだけど、本当にしょうもねえと思うんだよな
まずそんなん内心どこの誰も信じちゃいねえじゃん
「機会に恵まれないけどやる気と才能はある」ってなあ、そんな理想的な弱者がゴロゴロしてるわけねえだろ
貧乏な奴は怠惰で、周りもだいたい怠惰だから、そんなものあったところでどうせまともに使ったりしないって、知ってるだろお前ら
その辺の中高生にタブレット配ったってどうせソシャゲに使うだけって、何もかもちゃんとわかってるだろお前ら
それでいて都合のいい時だけは「昭和の苦学生」みたいなカビの生えた、文字通り貧困なイメージ持ち出してきてさ
あれやってて空しくならねえのかな?
コロナ禍以降、安倍も菅も左派クラスタからは「無能」「やる気がない」「ちゃんと話せ」という批判の大合唱だったけど、「有能」「やる気がある」「ちゃんと話している」感がある人基準で言うと、総裁選候補者の評価は以下のようになってしまう。
高市>>>>河野>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>野田>>岸田
一見して悪夢としか言いようがない。そこまで有能でなくてもやる気がなくてもいいから、法律や専門家を普通に尊重し、医療と社会保障を重視し、竹中平蔵や高橋洋一のような政商や詐欺師を寄せ付けないような、当たり前の人が総理になってほしい。「無能」「やる気がない」「ちゃんと話せ」なんていう批判はいい加減やめてほしい。
(追記)
「現首相は無能でやる気もない。ちゃんと話すべきだ」が「次期首相は有能でやる気があってちゃんと話しさえすればどんな思想信条の持ち主でもかまわない」に脳内翻訳される人ってどんな文章を読んできたんだろうか
https://b.hatena.ne.jp/entry/4707979859292663874/comment/B2igwzEE
左派がそういうことを言っているわけじゃない、ということはわかっている。言いたいのは次のこと。つまり、左派が現政権の指導者が「無能」「怠惰」であるというイメージを世論に広めるのに成功して、政権支持率が下がって崩壊したとして、その次の民意が求めるのは当然ながら「有能な」「やる気がある」人になる。そうなると、次の選挙で政治家が何に頑張るかと言えば、自らの「有能さ」「やる気」を演出するパフォーマンスの競争になってしまう。すると今の総裁選候補者では、相対的には極右高市かネオリベ河野になってしまう。少なくともイデオロギーに無関心な大多数の国民にとってはそうだ。
そもそも菅首相が何がダメかと言えば、法律や憲法すらちゃんと守らない、国民への説明が下手という以上にする姿勢がない、学者や専門家を露骨に軽視する一方で怪しげな政商や論壇ゴロからアドバイスをもらう、といったことのはずであって、こうしたことを決してしないのであれば、そこまで有能じゃなくても全く構わない。そもそも「有能な」「やる気がある」人などどこにもいない、という前提で政治を考えるべきだろう。有能な首相よりも、常識のある当たり前の政治のほうが圧倒的に重要。