2021-09-07

「有能」で「やる気がある」総裁候補

コロナ禍以降、安倍も菅も左派クラスタからは「無能」「やる気がない」「ちゃんと話せ」という批判の大合唱だったけど、「有能」「やる気がある」「ちゃんと話している」感がある人基準で言うと、総裁選候補者評価は以下のようになってしまう。

高市>>>>河野>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>野田>>岸田

一見して悪夢しか言いようがない。そこまで有能でなくてもやる気がなくてもいいから、法律専門家普通に尊重し、医療社会保障を重視し、竹中平蔵高橋洋一のような政商詐欺師を寄せ付けないような、当たり前の人が総理になってほしい。「無能」「やる気がない」「ちゃんと話せ」なんていう批判はいい加減やめてほしい。


追記

「現首相無能でやる気もない。ちゃんと話すべきだ」が「次期首相は有能でやる気があってちゃんと話しさえすればどんな思想信条の持ち主でもかまわない」に脳内翻訳される人ってどんな文章を読んできたんだろうか

https://b.hatena.ne.jp/entry/4707979859292663874/comment/B2igwzEE


左派がそういうことを言っているわけじゃない、ということはわかっている。言いたいのは次のこと。つまり左派が現政権指導者が「無能」「怠惰であるというイメージ世論に広めるのに成功して、政権支持率が下がって崩壊したとして、その次の民意が求めるのは当然ながら「有能な」「やる気がある」人になる。そうなると、次の選挙政治家が何に頑張るかと言えば、自らの「有能さ」「やる気」を演出するパフォーマンス競争になってしまう。すると今の総裁選候補者では、相対的には極右高市ネオリベ河野になってしまう。少なくともイデオロギーに無関心な大多数の国民にとってはそうだ。

そもそも菅首相が何がダメかと言えば、法律憲法すらちゃんと守らない、国民への説明が下手という以上にする姿勢がない、学者専門家露骨に軽視する一方で怪しげな政商や論壇ゴロからアドバイスをもらう、といったことのはずであって、こうしたことを決してしないのであれば、そこまで有能じゃなくても全く構わない。そもそも「有能な」「やる気がある」人などどこにもいない、という前提で政治を考えるべきだろう。有能な首相よりも、常識のある当たり前の政治のほうが圧倒的に重要

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