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2015-12-25

アニメ魔法少女 平塚ハル サンダーバード編』第2期の感想

全体として

まぁ楽しめた。全26話の内、8話までで戦国編が終わったのが評価できた。これをかたらないとなぜハル魔法少女になったか充分に語り得ず、かといって原作があれだけの分量を費やした戦国であるバランスをどう取るか気がかりだったが、ここは制作指揮を執った田町ボラギノール監督の『ぱらりんぴっく!』以来の豊富経験が十二分に活かされた結果と言えるだろう。ただし、平塚為広と大谷刑部との絡みは安直に過ぎると思う。田町ボラギノール監督がかつて制作した『都立尾久の原公園のたたかい!』のキャラパシフィック種村」と「パラリンピック吉岡」との情愛の構造トレースであり、なんらの新規性がないにも拘わらず、人気を得るための安直な策と思しい。この構造は為広と刑部との間に何らの検討も経ずトレースされた。これらはもう受け手が嘗められているとしか思えない。「お前らはこれで楽しいんだろ? え? ほれほれ」という馬立コーラック監督意図がすけすけである。ここは助監督木村氏にも頑張ってほしかったが、最近岐阜県揖斐川郡にある自分農場管理が忙しいらしい。

9話から最終話にかけてが原作通称大正SF編」に該当する。アニメ第1期で語られた明治41年の初デート。これがハル魔法少女として目覚めさせる直接の経験になったわけだが、そもそも成美女英語学校時代の勉学や課外授業と言った、争乱に巻き込まれる以前の牧歌的な部分こそがアニメ第一期の醍醐味かつ要旨であった。「大正SF編」では田町監督が好むスチームパンクの要領を原作に累加し、ハルの激動たる活動を描いた。これが本作。もうおわかりかと思うが私は「第1部のノリが良かった! なにこのノリ! 付いていけないよ!」という意見に真っ向から反対したい。第1期が文学への淡い目覚めであり、その後当然闘争への情熱が生まれてくるのは原作を読んでいれば自明なわけで、1期のノリが変わるのは当然だ。作品ハルの生涯を見渡せばこれは当然のはず。昨今のアニメのノリにたまたま第1期がたまたまたまたまである合致したに過ぎない。最近アニメに絆されてるんじゃねえよ。ばーか

大正SF」編では後述するが声優田端エリザベスの演技が相俟って、独特のケミカルさを醸成していた。一般に「大正ロマン」+「スチームパンク」はかなり親和性がありSF界でも常套手段とも言える組み合わせである。ここに長い歴史を持つ魔法少女モノを組み込もうとしたとき田町ボラギノール氏にとっては、師匠である大谷江戸仕草氏の影響を受けたことが役に立ったと私はにらんでいる。60年代の草創期に活躍した大谷江戸仕草氏の功績は今更贅言する必要性も(とくにこの増田界隈では)なかろうが、特に「ハル」の一連の成果には、氏のアニメにおける第三作目「モリソン号じけん!」がかなり直接に関係しているように思える。あまり界隈でもこの指摘はなされていないと思うので、まあ皆さんには自明と思いますが一応・・・。

声優について

さっきも書いたけど上中里マリアンヌの演技最高ー! もう大好き。主人公ハルの魅力を充分に発揮しているうえに、かわいい陰獣の「ウンゲツィーファー」も彼女がやってるんだぜ。もうたまらんうー。せーの! 「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」

恋人役「燕尾服仮面」こと奥村声優西荻窪松庵の演技もまた良かった。松庵思想上の師である都立家政ドトール1932年ベルリンでの演技を彷彿とさせるシーンがあった。おわかりかと思うけど19話の例のシーンね。

友人の市川房枝役の声優保谷ビアンキも妖艶な演技が光った。市川房枝って公式でも眼鏡がずれているんだけれど(wikipediaでも見てほしい)、それをアニメでも反映させていて、保谷はその眼鏡がずれているという演技をしているところが印象に残りました。最近揖斐川郡でハウス栽培やっているそうです。岐阜の。っていうか俺あん声優詳しくねーや。

作画について

正直残念だったのが魔法詠唱シーンの作画だ。ハルが本を開いて中空に浮かせて詠唱するというお決まりのシーン。ここに全く気合いが入っていない。ハル水晶槍の呪文パージしてマテリアルタスク化するロマネスク技を出したシーンあっただろ。12話だったか? あそこで監督や、あるいは原作者十返舎一九も多分想定していたことだと思うが、あそこのモチーフは一般にイメージされるフェミニズム観点からだけでは捉えられない。このアニメを見る際には岩波の『日本フェミニズム』全編を通読してからにしたほうが望ましいと半分冗談wikiに書かれているけれど、これは実際マジだとおもう。あのシーンではむしろ参政権の獲得と戦争との関係クローズアップされているのであって、フェミニズムへの外的要因(ここでは太平洋戦争・・・というか総力戦体制というべきか。この辺りは突っ込むと難しいからこれ以上は無理だー誰か解説してくれ。)が問題なわけだ。で、あの作画である作画誰かは知らないけれどそういう文脈が必ずしも現場に伝わらなかったのではないか。25話のハルが友人の奥むめおの101才の誕生日タイムワープして祝うシーン。これも輻輳するフェミニズムイメージ作画が全くついて行っていない印象を受ける。ここも、参政権から出発し、翼賛体制との関わりからさら高度経済成長を経てバブルという消費社会経験しか男女雇用機会均等法が出たあと、というハルの至らなかった(生きられなかった時代の)地平を魔法で見に行く、というのが大魔法の骨子になっていたと思う。これにたいしてあの70年代初期を思わせる「リブ」で作画されちゃあ適わねえ。ハルまだいきてんじゃねーか。

第3期へ向けて

結局ハル原作では婚約者からもらった指輪マレーシアのビナツボ火山に捨てに行ったわけだ。いわゆる夫婦別姓という現代問題魔法でどう解決するのかが楽しみです。文句も沢山書きましたが、基本的にこのシリーズには期待しています制作会社の「オベリスク護国寺」の益々のご発展を祈っています

結局のところ

夫婦同姓は「現状は合憲。別姓OKにしたければ立法府文句言え」が司法の回答だったわけだ

まり夫婦別姓を実現したければ、そういう政党与党に据えて、優先的に取り組んでもらわなければならんわけだ

要するに「実質的不可能」ってことだよな

http://anond.hatelabo.jp/20151224225211

この感覚的な話が通るならわりと話が早い。

そうしなくても良い人が別姓を選ぶわけだから議論すべきはあくま他人をどう認識するかってことじゃないのかな。

子供は?望んでその機能を捨てたわけではないのに、使えないの?

というのと、単純に夫婦別姓は、何かとのバーターではなくアイデンティファイできる機能もつ呼称が失われるだけなのだから

失わなくて済むのならそのほうがいいでしょ。という話に戻る。

統一的な名前がつけられた家族」が無いとその下の個人が認識しづらくて困るんじゃないか、という意見にはかなり飛躍を感じてしまうのだ。

個人?個人の話はしてないぞ?

個人は夫婦別姓だろうが同姓だろうが単一戸籍名があるんだから、どうあれ認識できるに決まってる。

認識しづらくなるのは、家族という集団のものだ。

なんか主客が伝わってない感じがする。

簡単にまとめると

「人は、集団名前があったほうがその集団認識やすい」

日本人は、(自分自身を含め)人を特定集団の中の立場として認識する傾向があるため、家族という集団においても統一的な名称があったほうが都合がいい」

夫婦別姓には、系譜を示すタイプのものでない限り特段の機能はないので、同一姓の機能価値をどう評価するかは主観に依るが、少なくとも無いよりはある方がいい、という単純な理屈で、夫婦別姓よりも同姓のほうが有効である

ということなんだが。

結婚を「しない」のか、「したくない」のかわからない

割と長くつきあってて、10年以上一緒に住んでいる人が居るんだけど、お互い名字を変えたくないから結婚していない。

お互い子供もほしくない。

表向きは、ちょっと話題になっている「選択制夫婦別姓」を望んでいるんだけど

実際の所、そのおかげで結婚しないですんでいるとちょっと安心している自分も居る。

でも、相手のことを大事に思っていないわけではない。とても大事な人。一晩離れるだけでさみしくなる。

いったいどうすれば良いんだ。。。

http://anond.hatelabo.jp/20151225003826

仕事上では不便だから夫婦別姓を選択してるけど、プライベートでは配偶者ファミリーネームで呼ばれても気にしない、って人、

まり「実利的な理由で別姓の人」は、戸籍夫婦同姓で、通称として旧姓を使い続けてる人が多い、という印象

自分苗字に強いこだわりがある人や、改姓するのがほとんど女性であることに違和感を感じる人、

まり「改姓そのもの忌避してる人」は、事実婚を選択する場合が多い、という印象

夫婦同姓に賛同してる人にはこの2つのタイプがいると思う

2015-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20151224214431

なんでたった1回でも呼び間違えたら失格!人間関係破壊!みたいな考えになるのかわかんない。

考えてない(笑)

本当は「カーペンター京子さん」なのに「山田さん」とは呼びたくないじゃん

間違えて違う名前で呼ぶ方もイヤだし、間違えて呼ばれる方もイヤだろうなーって思うじゃん

別姓になったらなったで、別に山田さん」でも「山田さんの奥さん」でも好きに呼んでそこで相手から「いえ、私カーペンターなんです」って訂正してもらえばいいじゃん。

いやだから

山田さん」って呼んだら「いえ、私カーペンターなんです」って訂正されるわけじゃん

山田さんの奥さん」なら「はいなんですか」ってなるでしょ

から名前を知らない場合は「山田さんの奥さん」って言うのがデフォになるんだろーなーって話

そう思うのは夫婦別姓を家制度崩壊だと思ってるから混乱するのであって、子供はどちらかの「家」の子供じゃなくて山田さんの子供でもカーペンターさんの子供でもあるって思えば別に困るポイントがないと思うんだけど。

いや違うでしょ

それは「山田太郎・カーペンター京子夫妻は夫婦別姓ですよ」ってことを知ってからの話でしょ

「カーペンターさん」っていう苗字も知ってる設定になっちゃってるじゃん

そういうことを知らない場合の話をしてるわけじゃん

http://anond.hatelabo.jp/20151224214001

なんでたった1回でも呼び間違えたら失格!人間関係破壊!みたいな考えになるのかわかんない。

別姓になったらなったで、別に山田さん」でも「山田さんの奥さん」でも好きに呼んでそこで相手から「いえ、私カーペンターなんです」って訂正してもらえばいいじゃん。

それで一回で覚えられなくて何回か訂正させても「すみません、覚えが悪くて」ですむもんだいでしょ?

ていうかそもそも議論にしてもつっこむところがずれずれで話にならないんだけどね。

そう思うのは夫婦別姓を家制度崩壊だと思ってるから混乱するのであって、子供はどちらかの「家」の子供じゃなくて山田さんの子供でもカーペンターさんの子供でもあるって思えば別に困るポイントがないと思うんだけど。

http://anond.hatelabo.jp/20151224205406

え?

山田・カーペンター・京子」って名前を知ってる人は「山田さん」か「カーペンターさん」か「京子さん」かどれかで呼ぶよね

どれで呼んでもマチガイじゃないよね もちろん

さっき言ったのは、

山田さんの奥さん」とか「山田くんのお母さん」とかいうふうに、「家族の誰かを起点」でしか知らない場合の話ね

山田さんの奥さん」てことは知ってるけど「山田・カーペンター・京子」っていう名前を知らない場合は、

夫婦同姓がデフォの今は「山田さん」って呼べるけど、

夫婦別姓が増えてくると、間違えないように気を使うから山田さん」とは呼べなくなって、

山田さんの奥さん」って呼ぶようにしないといけないよね、って話

http://anond.hatelabo.jp/20151224205024

ところが夫婦別姓場合、「山田さんの奥さん」を「山田さん」と呼んだらマチガイじゃん

「いえ、山田じゃないです、鈴木です」って言われちゃうでしょ

堅く考えすぎ。

日常的なコンテキストで、よく事情を知らない近所の人や山田太郎さんの知り合いが鈴木花子さんを「山田さん」と呼んだって全然構わないし、本人だって軽く流すだろ。より親しくなってきたら「別姓なので本名鈴木なんですよ」って言ってくれるだろうから、ああそうですかって思えばいい。

なんか余分な心配ばかりしてるように俺には感じられるんだけど、根拠がある(具体的に困った体験がある)心配なのかなあ。具体的なエピソードがあるなら俺も知りたいんだよ。

俺のまわりでは別姓で困ってるケースを見たことがないからさ。

http://anond.hatelabo.jp/20151224183019

横だけど

山田さんの奥さん」のことは「山田さん」と呼ぶでしょ

夫婦同姓の場合、「山田さんの奥さん」が通称として旧姓の「鈴木花子」を使ってたとしても、

山田さん」であることも間違いないわけだから、呼びかける方は気を使う必要がないよね

ところが夫婦別姓場合、「山田さんの奥さん」を「山田さん」と呼んだらマチガイじゃん

「いえ、山田じゃないです、鈴木です」って言われちゃうでしょ

てことは、その夫婦が同姓か別姓か分からない場合は、間違って違う名前で呼んじゃわないように、

山田さんの奥さん」とか「山田くんのお母さん」とか、

いちいち「家族の誰かを起点にした呼称」を使わなきゃいけないわけでしょ

面倒くさくない?

義父母が夫婦別姓をやってる

義父は80歳ぐらい、義母は75歳ぐらい。

てっきり通称外国姓を名乗っているのかと思っていた。

最近ニュースになったんで義父母に聞いてみたら義父は国籍を変えていないので40年以上夫婦をしているがマジモンの夫婦別姓だとのこと。

妻は母親の姓となっている。

つうわけで、どうしても合法的夫婦別姓をやりたい場合配偶者外国籍に変えてから結婚するとよい。

面白いのが、義父母の娘息子である人々が親(父)の出自に関してあまり感心が無い事。

はじめに妻にどうなってんのか聞いたけど、よくわからんとの事で改めて義父母に聞いたら教えてくれた。

独立運動に関わったせいで30年位祖国に帰れない頃があったとかおもしろすぎるのに。。。。

http://anond.hatelabo.jp/20151223224938

それは夫婦別姓問題と切り離して考えられるから通称でいいんじゃね?」と裁判所判断してんでしょ

夫婦別姓にまつわる質問

  1. 家系」はどうなるのか

例えば勅使河原さんの末裔が全員女性で、勅使河原姓のまま嫁入りするケース、相手の姓に苗字を変えるケース、何か変わる?

  1. 「墓」はどうなる?

たぶん現代式だとそういうケースがすでに散見されてるとは思うんだけど、よくわからない。

左右に苗字を並べるとしてどちらが左になる?上下に並べるとして、どちらが上になる?そもそも仏教の習わしからしてそういうのは認められていない?苗字の違いで戒名が変わる?

http://anond.hatelabo.jp/20151223230934

遅くなって悪かった。

まず、「ひとつ家族になるときひとつファミリーネームを共有する」ことのシンプルで強力な理屈があるわな。

これは「ファミリーネームを共有していなければ家族ではない」という命題の裏(対偶ではないが)として、同一姓であることが家族であるということをある程度保証してくれている。

そもそも夫婦別姓には、スペイン人のような系譜を示す機能があるものを除いて、合理的機能がない。

それに対する俺の主張は、「適当呼称は無くならない。複数呼び方が使われるだけ。それは従来の呼称(サザエさん一家の例)と同様の運用」ってこと。

君が代替案として言っているのは、家族の誰かを起点とした家族関係なわけな。「山田さん一家」も「鈴木さん一家」も。

で、失われるのは、家族の誰を起点にするわけでもない、全体としての○○家という概念なの。

旦那さんを起点にした家族を指しているのか、奥さんを起点にした家族を指しているのか、もしくは息子さんなのか。

そういった起点を曖昧にしたまま指示する名詞を失う。

(ちなみにサザエさんフグ田家の人間であり、マスオ借家を追い出されて磯野家に間借りしているだけだと思うが…)

2015-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20151223221846

山田太郎さんと鈴木花子さんの別姓夫婦家族を指す呼称として「山田さん家」も「鈴木さん家」も併用して使えるよって話をしている。家族呼称ひとつでなければならない理由などない。

1.使えるかどうかの話なんかしていない。現状の日本においてそういう呼称をとっていない。

2.今回の判決でもある通り、現在日本において「家族呼称を一つに定める合理性」がある。

3.夫婦別姓をとらなくても、旧姓通称使用の拡大によって、実質的不利益はなくなる。

のであれば、無用な混乱を避けるためにも、「夫婦別姓」か「通称使用」かで考えるならば、「通称使用一択だろうと。

現状スタンダートとして定着したものを変化させること自体コストであり、短期的な不利益だろ。

今あるシステムのもの問題があるわけではなく、そのシステムを変えずに問題が解決するならば、それが最善だ。

http://anond.hatelabo.jp/20151223160747

誰がそんな長期の話をした?

だいたい、長期において「個別家族を指す呼称」がないままなら、むしろそんな概念必要なかったということで、それこそ「夫婦別姓で構わない」という話になるだろうがよ。

それこそ長期的には我々はみな死んでいる。

必要があるならいつか新しい呼称が定着する日はくるだろうが、

それは別に、現状問題なく機能しているシステム代替案もなく放棄していい理由にはならない。


結局、旧姓通称使用なら現状の「家族呼称を一つに定める合理性」を失わなくて済むわけで、

そりゃ当然、夫婦別姓よりも旧姓通称使用のほうが妥当な解決策だろうと。

夫婦別姓言い合い飽きたの?何も得られるもの議論が深まるわけでもなかったストレス解消の罵倒し合いの次のネタはなんだろうなあ楽しみ。

http://anond.hatelabo.jp/20151223155930

無くならないよ。心配しすぎ。別姓ありの国でそんなことで困ってる話聞いたこと無い。

山田太郎さんと鈴木花子さん結婚して別姓名乗ってる場合、「山田さん一家」でも「鈴木さん一家」でもいいし曖昧性が生じるなら「山田太郎さん一家」「鈴木花子さん一家」で十分なんだよ。

それとも増田は、頭の中で想像したんではなく、実際に夫婦別姓の国で暮らして困った経験があるの? そういう経験があったら聞きたいな。

(俺は夫婦別姓ありの国で暮らしてる。困ったことはない。)

http://anond.hatelabo.jp/20151222224655

法律で決める云々というより、夫婦別姓を容認することで、個別家族を指す適当呼称が「無くなる」のが問題

(結局、同一姓を名乗る人たちと、別姓の人たちの取り扱いを変えることは差別につながるので、同一姓を使い続けていく人にも影響が出る)

集団単位名前がなくなる、ということが問題だということは

市町村名前がなくなったり

都道府県名前がなくなったり

国の名前がなくなったりすることを考えれば、ある程度想像がつくのではないかと思う。


これは事務的問題というよりは、集団という実態のないものに対する呼称がないと、その集団認識しづらいという点が厄介なのな。

たとえ行政的な区分が番号などで為されていたとしても、市町村名前がなければ、市町村範囲について認識しづらい。都道府県、国についても同様だ。

個別家族を指す呼称がなければ、家族家族として認識しづらくなる。

http://anond.hatelabo.jp/20151222224655

法律で決めなくても瓦解しないなんてのは婚姻関係や親子関係なんかもそうだろう

でもその法律を全て廃止して個々人に任せろなんて言う奴はいないだろう

何にせよ最高裁も言う通り立法に委ねられる部分なんだから夫婦別姓にしたい奴はそういう議員国会に送って立法させればいい

逆にそうならないなら、別に今のままでいいやと思っている国民多数派ってことだね

それが民主主義というもの

http://anond.hatelabo.jp/20151223104728

現行制度でも、婚姻時に妻の姓を選んだり事実婚だったりしたら子供母親の姓になるから

必然的子供は夫の姓になる」ってことはないのでは?

「大多数の子供は父親由来の姓になる」は真だけど。

それに「選択的夫婦別姓だと子供の姓を妻の姓にする事も出来る」とは言えないのでは?

婚姻時に子供の姓を一方に決めることになる可能性が高いし、

別姓を選択するのが少数派になるのが予想されるのだから

結局「大多数の子供は父親由来の姓になる」という状況はそこまで変わらないかと。

しろ通称利用が進んだ場合のほうが、婚姻時に妻の姓を選びやすくなって、

母親由来の姓になる子供」が選択的夫婦別姓場合より多くなる可能性だって無いとは言い切れない。

http://anond.hatelabo.jp/20151223020523

その方がよっぽどハードル高いだろとブコメで突っ込まれまくってるけど

トラバ見てるとその方がいいつってるのがいるんだな

ひょっとしたらそれだと必然的子供は夫の姓になるから保守にとってはその方が都合良いのかな?

選択的夫婦別姓だと子供の姓を妻の姓にする事も出来るだろうから

反対論見ててもとにかく子供の姓を気にしてる人多いみたいだし

やっぱ子供=夫の家の所有物、と考える保守としては子供は夫の姓でないと駄目なのかなー

本当は妻も夫の家の所有物だから夫の姓にしたいんだろうけど、そこは戸籍だけで実質全然使わない姓になっても諦めるってのが最大限出来る譲歩なんだろう

http://anond.hatelabo.jp/20151223022124

選択的夫婦別姓は「公的な場での名前が、戸籍準拠である必要がある」ってことでいいよね?

じゃあそれが「夫婦別姓」と「通称」の違いでは?

通称」は社会的コストが高いから夫婦別姓」のほうが優れていると主張したいならどうぞ、って思うけど、

同姓強制から見たら五十歩百歩じゃないの?とは思ってしま

http://anond.hatelabo.jp/20151223021428

よく理解できないんだけど、お前が言ってる「通称制度の拡大」って、

とどのつまり公的な場での「通称」の使用だよね?

じゃあその「公的な場での通称使用」は選択しないといけないよね。

それって「夫婦別姓」を選択するのとどう違うと思ってんの?

戸籍を、戸籍筆頭者の苗字にあわせなくて良い」と定めるよりも、

公的な場での名前が、戸籍準拠じゃなくても良い」とするほうが、社会的コストはずっと高いと思うけど。

http://anond.hatelabo.jp/20151223020819

選択的夫婦別姓は別姓を選択しないと「不利益」を被ったまま

通称利用の拡大は皆が選択なしで「不利益」を被らなくできる

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