はてなキーワード: 不安障害とは
そんな感じの内容をさっき書いた増田だよ。
なんか自分が書いた事で他人に嫌な気持ちさせるなんて思わなかった。申し訳ない。
自分が親とかきょうだいに『自分が何もしてあげられなかった』とか思ったりするのは、それなりの恩を感じてたり、大学まで出してもらったり、してもらった事への気持ちが強いからなのかも。幸せな記憶もちゃんとあるしね。
そうやって自分の事自分で自然と守れる増田うらやましいよ。自分を責めて周りの誰も得してないし、むしろ鬱とか不安障害で迷惑しか掛けてないと思うから。
そんなんなるくらいなら、親とかに『近寄らないで、俺は平和でいたいから』とか、多少ドライでも自分の人生自分で守ってる人の方が大人だなって思う。
子供の頃親が自殺未遂した、きょうだいが病気で死にかけた、それらのストレスで片親が胃潰瘍になって入院した。
だけど大人になってから鬱病になったし休職したし、不安障害持ち。
家族がいつ病気になるんじゃないかって結婚した今も実家、配偶者関わらず不安で不安に囚われると眠れなくなるし、お金に困ってないはずなのにいつ貧困になるんじゃないかってお金を使えない。
子供の頃自殺未遂の影響で両親が一時期仕事辞めたら私たち路頭に迷うの?みたいな空気出してた時があってすごく恐怖だった、多分その影響で貧困妄想が続いてるんだと思う。
きょうだいはいまごく普通に暮らしてて、両親もなんだかんだ今は健康に老後をのんびり暮らしてる。
今一番ハードモードにはいっちゃってるのは、小さい時辛さの本人じゃなかった自分。体験してもいないのに恐怖感だけが抜けずトラウマになってるかんじ。
当人じゃないから誰かに相談するにも回りくどく説明が難しいし、わかってもらえるとも思えない。お前当人じゃないじゃん、辛い思いしてないじゃん、て正直自分が自分で情けない。
子供の頃、ずっとお気に入りのタオルを手放せなかった。不安な時にはすぐタオルの端を握ったり擦ったりしていた。親には大きくなるにつれて親な顔をされていた。
大人になって今、再びタオルを触ることにハマっているが、これは手汗のせいだと気づいた。
不安になったりストレスがかかると手汗が出る。タオルを指の股に通して手汗を吸収させる。タオルの素材が冷たい物であれば尚気持ちが良い。
多汗症や不安障害の毛があるお子さんはもしかして無意識にタオルで手汗を拭っているのかも。
自分は大人になってこの理屈に初めて気づいたし、子供の頃説明も出来なかったと思う。
もしお子さんに同様の癖があったら、タオルを取り上げないで欲しいし、多汗症や不安、ストレスのケアが必要ないかみてあげてほしい。
最近気づいた自分の欠点が「人の不幸と自分の不幸を比べ『自分の方が恵まれていない、不幸せだ、あなたの方が恵まれている』と相手に主張し知らしめたくなる」という面だ。
自分の中で「自分は不幸なんだ、だけど努力してここまで頑張ってきたんだ」と思い込んでいるせいで、表面的に幸せそうなのに不幸だと主張する人を見ると、「私のように努力していないのに幸せそうなのはおかしい!不幸であるわけがない!」という気持ちが湧き上がるせいで相手の不幸を認められない。
これを痛感したのは、最近できた彼氏が所謂毒親育ちということが判明した出来事がきっかけだった。
彼氏はとても社交的で明るく、愛嬌もあってとても穏やかで優しい性格で、初対面の印象だけであれば「人生苦労してなさそう」であった。
あるとき私が過去にあった母親との確執を、話し合いの場を自分で設け解決したというエピソードを話したときに、「そういう話をきちんと向き合ってくれるお母さんが素敵だね」と、捉え方によっては親を擁護する発言を彼氏がした。その時「勇気を出して娘から母親に意見を出したのは私なのに。私がどれだけ苦しい思いをしてきたか分からないくせに、私はとても不幸だったのに!」ととても苛立ちを覚えた。
しかし、その後彼氏がポロポロと自分の家庭の話をし始め、実は過去に親が原因で不安障害になり学校に行けなくなったこと、話し合いの場も自ら設けたが相手にもされず孤独を感じたことなど、不幸の度合いを比べたら彼氏の方が圧倒的に上であることが判明した。
私は彼氏のことを心の底から心配したし、それと同時に自分の思慮の浅さ、思いやりの気持ちが無かったことなどを実感しとても反省した。
その人にはその人の地獄があって、自分と比べる必要なんてないのに、なんて浅はかな言動をしてしまったんだろうととても後悔している。
自分より幸せそうな人を妬んだり、自分より不幸せそうな人を否定するのではなく、自分の幸せと不幸せだけに真剣に向き合いたい。
そうなんだよね。メンタルクリニックの診療費も薬もすごく高い。なにか目の前で処置してくれるわけでも、すぐに効き目がある治療が受けられるわけでもない。自分で効いてる自覚がないから余計高く感じる…
実生活で困ってるのは事実だけど、あんまり合わないなと思う薬もプラセボ効果に期待してお守りぐらいの気持ちで飲んでる…飲まないと不安障害が出るし…
朝起きてどうしても動けなくて、メンタルクリニックにキャンセルの電話する時は自分がこの世で1番惨めに感じたりするよね…
ベッドの上or床で転がって身体は動かないし心も重いし「なんで自分はこんななんだろう」と意味のないことばかり考えてしまう…相変わらず行動はできない…
気休めだけど、私はメンタルクリニックの予約を美容院やマツパと一緒に予約して、外からも内からも自分のコンディションを整える日にしてる(カウンセリングがあんまり意味ないなと思ってもね)
治ることは無いのかもだけど、いつか病院に行かなくても良くなって、薬も飲まなくていいようになりたい…
なんとか少しでも楽しく生きられるように工夫して頑張りすぎずにがんばろうね。
振り返り。忘備録
0~2歳 赤子
中流家庭に次男として生まれる。よく泣き、興味をいろんなものに抱き大声で喚く活発な子供だったらしい。ベビーカーが嫌いだった
3~6歳 幼稚園
幼稚園では人見知りの一方、見知ると良く大声で騒ぎ活発に遊ぶ子供だった。先生が変わった事で親が幼稚園を変えさせる。
そこでも活発で、自分より足が速く喧嘩も強い子といつもつるんでいた。喧嘩もよくしていた。
同時に絵が少し上手く、傷つきやすい繊細な子でもあった。運動やレゴ、一人遊びも好き。目立つのも嫌いじゃなかった。
7~9歳 小学校前半
活発で成績も悪くなく、よく騒いでいた。親が厳しい事に不満を持っていた。このころから少し不安障害的傾向もあったが隠せていた。忘れ物も多くした。
鬼ごっこをしたり折り紙が好きだった。ゲームが殆ど出来ない家庭で、漫画も禁止だった。友達ともあまり遊べなかった。
初恋をし、その子の事が大好きだった。完全に諦めるまで10年かかる。勉強はクラスで一番できていたが、親が黙っていたらしい。
ゲーム、漫画は禁止、外遊びも制限されていて、そのせいで友達から恨み言を言われる事もあった。
活発で友達とはポケモンの話をしたりしていた。12歳ごろから勉強が苦手に感じ始める。
強迫性障害になる。勉強も落ちぶれる。部活も上手く行かなかった。初恋の子に彼氏が出来る。
2chにハマったり猟奇殺人犯について調べたり、同時にたまに明るい子になったり暗くなったり。
勉強をしてもゲームが出来るわけでもないので、ずっと不満が溜まっていた。このころからこっそりゲームをしたり、友達とカラオケに行ったり、親を裏切る事を学び自由になる。
15歳ころから絵を描き始め、特に娯楽があったわけでもないのでハマる。
勉強は落ちぶれたままだがそこそこの高校に行く。強迫性障害で苦しみつつ、部活は上手く行き無くなっていた自信を取り戻し始める。
後輩で経験者が入ってきて自信を少し失う。小説をポチポチ書いたりする。
当時はあまりメジャーでなかったスマホFPSにハマったりする。絵を描き続け、2chのコミュニティで崇拝する人に出会う。
勉強と言うより、自分一人の時間に没頭する。幸せな時間でもあった。自分で色々思索を巡らしたりする。結局志望大学には受からなかった。
1年目に昔の初恋の子に遭ったり、久しぶりに恋をしたりしてフラれ、2年目に一発発起してサークルに入る。ケガや挫折も経験しつつ、荒波に揉まれ2年間努力した後そのまま退場。
自分を好いてくれる人も居たが結局付き合わなかった。
就活の時期はイラストかゲーム関係に就職したいと思い、予備校に入ったりするが、やる気も無く上手く行かず。結局ずるずるとニートに入る。美大に入りなおそうか考える
初めの2年間は家庭内のごたごたの対処。23歳で居酒屋のバイトを辞め、実家に寄生しつつ24歳の中盤にイラストのバイトを始め月1万を稼ぐ。実質ニート。
友達と月一でキャンプに行ったり飲み行ったり、運動をしたりしていた。ここらあたりでFPSにハマりはじめる。自宅で密造酒を作りはじめる。
残りの二年、コロナ初め頃の25歳で初彼女ができるがすぐフラれ、マッチングアプリで会いまくり一年で6人に経験人数が増える。挿入まで行かなかったは3人なので男女関係になったのは9人。
イラストのバイトで仲介先に文句を言って切られ、26歳の最後の半年は本物のニートになる。その間にプログラミング・ゲームエンジンの勉強をする。生活習慣が乱れ、振り返ると病んでいた。