はてなキーワード: サステイナブルとは
嬢とワイが立てた戦略は単純なもので、食事は本能のままに、ジョギングでカロリー消費をすることになった。王道らしい。嬢の前で全裸でノートを取ってるワイは王道ではなかったが。
「消費カロリーを摂取カロリーより多くする」である。摂取カロリーと消費カロリーはお互いに関係しており、身体は同じ量にしようとするシーソーのようなものらしい。デフォルトの脂肪量からずれた場合、身体はシーソーの傾きを変えてデフォルトの脂肪量に戻そうとする。それを手助けするイメージ。デフォルトから外れようとするダイエット(標準→痩せ)は基礎理論は同じだが、全く違う方法論になるらしい。デブの場合だけ。
身体はデフォルトの脂肪の値に持っていきたいので、自動的に食欲が減るらしい。そのために、自分の欲しい物を食べるようにとだけ言われた。本来身体が欲していなくても「時間になったから」「同僚と食べているから」「クーポンで安いから」「残すともったいないから」と理由をつけて食べてしまうことをやめるということだそうだ。実際、焼き肉もラーメンも制限はしていなかったのだが特に食べたくなくなったから面白い。
その後、カロリーは何度か計算してみたことがあるが、だいたい1800キロカロリー程度はとっていたようだ。栄養のこと、アミノ酸、炭水化物、脂質の話をいっぱい教えてもらった。
食事は分解されてエネルギーになる。身体はこのエネルギーを使うが、枯渇してくると脂肪を分解してエネルギーを取り出す。これが痩せる仕組みなのだそうだ。ところが摂取カロリーを減らすと、筋肉を分解してエネルギーを取り出すらしく筋トレと併用しないと筋肉がなくなってしまう。デブが筋肉がないと動けなくなるのでだめとのこと。また、エネルギーは糖や脂肪から取り出されるが、脳は脂肪のエネルギーを使えないらしく炭水化物と糖がないと動かなくなる。なので低炭水化物はあまり意識しないようにとのこと。(ワイには)
運動については、有酸素運動の王道ジョギングを1時間ほどすることになった。無酸素運動と有酸素運動の違い、脂肪を燃焼させるタイミングなどいろんなことを教わった。有酸素運動でエネルギーを消費する時に筋肉を分解してエネルギーを取り出すらしい。そこで筋肉量がへるのでそれを補うために無酸素運動=筋トレを少々することになった。無酸素運動メインでもいいらしいのだが、ワイはデブなので身体の負担が大きすぎるとのこと、標準になってからねと釘を刺された。実際は運動も大変だったが、それ以上に運動する時間が大変だった。ワイは本業の他に副業もしてるので、そもそもあまり時間が無い。だが、普通になりたいので寝る時間を削って運動することにした。1日5時間くらいの睡眠になるが、増田の子育てママの日記にある辛さに比べれば楽なもんだと思い込むことにした。ママがんばれ。
どれくらい痩せたいかと聞かれたので、脂肪を10キロ減らしたいと答えた。その時点で82キロ。脂肪10キロだと70000キロカロリー消費しなければならない。なので、1日700キロカロリーの運動を100日続けることを目標とした。最初に嬢にあった次の日から10000歩は歩くようにしていたが、そこからさらにだいたい10キロ走るくらいである。食事を減らさない理由はここにもあり、減らすと続かなくなるらしい。ダイエットのサステイナブルなわけやなと知ったかぶりをしておいた。もちろんサステイナブルが言いたいだけであり意味はわかっていない。
脂肪を減らすのが目的なので、体重をあまり見ない、そして意識しないようにと何度も言われた。実はこの前に次回はベルトをもってくるように言われており、持ってきたベルトを締めてマジックで印を付けた。かわりにこのベルトを意識するようにと。あと、丸裸で写真を撮り待ち受けにさせられた。これはなかなか…
ワイのモチベとして定期的に指名をするので頑張ってるのを褒めるプレイをしてくれと頼んだ。これを了承してもらいモチベにすることにした。KKOでも褒められたい。罵倒も悪くないのだが。
---
食事のタイミングについては聞いた事があって、「昼間に何回にもわけて食べるのがベスト」だそうだ。食事は食べたあと分解されてエネルギーになるのだが、しばらく使われないと余剰と判断されて脂肪に蓄積される。このとき、脂肪に蓄積されやすい条件があって、それが空腹と夜。つまり、回数を減らして空腹感を高めて、夜にガッツリ食べるというのは、脂肪に蓄えられやすいということになるらしい。
アニマルウェルフェアをサステイナブルなものにするために、環境エンリッチメントにフォーカスし、ダイバーシティとインクルーシブをサムズアップしよう。
見出しはレトリックで、「あっちにも反対しろ」ではなく「どっちにも反対しないだろ?」という趣旨です。
ヴィーガンの主張は主に二つ、「畜産業における劣悪な飼育環境をなんとかしよう」と「畜産業が環境に与える悪影響をなんとかしよう」です。
「菜食主義者」よりも「反畜産主義者」のほうが正確なのでは、という気もしてきます。
前者はエシカル・ヴィーガン、後者はエンバイロメンタル・ヴィーガンと呼ばれ、微妙に立場が異なります。まあ両方を兼務している人も多いのでしょうが。
たとえばエシカル・ヴィーガンの立場では「まともな環境で飼育された家畜の肉は食べてもよい」というヴィーガンすら存在しています。
一方で、エンバイロメンタル・ヴィーガンは、環境保護の観点から畜産業の問題に着目しているので、動物実験を用いた医薬品や化粧品の問題には関心が薄いでしょう。
現代の食肉生産の多くは、環境負荷の高いいわゆる 工場畜産 (factory farming) に頼っています。そして私たちは実に多くの家畜動物を消費しています。鶏が580億匹、豚が14億匹、牛が3億匹など。これは1年の数です。想像できますか?
エサとなる穀物の生産や放牧のために貴重なアマゾンの森林が広く伐採され、土地や河川は汚染され、温室効果ガスを膨大に排出しています。
世界の 飢餓人口 は8億人。そのようななか、家畜に与えられている飼料の総量は40億人以上もの食事に相当すると言われます。
牛肉100グラムを作るためには穀物が1600グラム必要とされているため、穀物をそのまま食べた場合に比べてかなりの無駄が発生しています。飢餓問題は基本インフラ、教育水準、失業率、社会構造など複雑な問題が絡みますが、それでも菜食のメリットは極めて大きいものです。
肉食は水も土地もエネルギーも浪費します。世界人口が2050年に100億人に到達するとも言われているなかで、サステイナブルな食糧体制の確保は急務です。
日本エシカルヴィーガン教会とかいうところのサイトから引用しました。
(エシカル・ヴィーガンを名乗っていますが)こういったものがエンバイロメンタル・ヴィーガンの基本的な主張だと思います。
「クリーンミート」が「再生可能エネルギー」や「電気自動車」などに相当するでしょうか。
二酸化炭素の排出量を削減しようと唱える人に「俺たちに息をするなと言いたいのか?」などと絡む人が(私の観測範囲では)いなかったことを考えると、ヴィーガンに対して「おまえたちは生きているだけで虫や微生物を殺しているのだが?」などと批判することが、かなりズレていることがわかると思います。
あるいはヴィーガン側の主張としても「畜産はコストが高いので減らしていきませんか? そのためにはまず肉食を減らしませんか?」といったものであれば、納得する人は多いのではないでしょうか。
実際、大半のヴィーガンは、いきなり全人類の肉食を禁止しようだなんて思っていないでしょう。
「できることからやればいい」のです。
ここであなたの脳裏には肉屋を襲撃するヴィーガンのことがよぎったでしょうが、穏健派ヴィーガンに賛同すれば過激派ヴィーガンにも賛同することになるという論法はスリッピースロープにすぎません。
つまり「なるべく自動車ではなく公共機関を使おう」と同程度には「なるべく牛肉ではなく野菜を食べよう」という主張は成り立つと思うのですが、いかがでしょうか。
ちなみに私はヴィーガンではないので「おまえらヴィーガンは…」と一括りにするようなレッテルはご勘弁ください。よろしくお願いします。
私の体験談です。
ベンチャー、イノベーション、町おこし、若者支援・・・・素人参加型プロジェクトはニュースを眺めていると毎日一つか二つかは報道されていると思う。クラウドファンディングには彼らのプロジェクトでいっぱいだ。
ただ、誰もどうなったのか報道しない。美辞麗句を並べたプロジェクトの結果がどうなったのか誰も気にしない。いつのまにか人々の記憶から忘れ去られていく。
プロジェクトはどうなったのか?無作為に集められた人々は各々好き勝手なことを言う。そして、アニメのように醜く罵り合うようになる。建設的な議論は何ヶ月かけてもできない。もちろんばかばかしいと思った人から順に辞めていくが、もちろんアニメと違って、現実社会で死人が出ることは稀だろう。ただ、精神的におかしくなり心療内科に行く者も現れる。どんどん脱落していく様相はまるでデス・ゲームだ。主催者が美辞麗句を並べてマスコミに発表していたのが嘘の様に思えてくる。気付いたときには何もできないまま1年間が過ぎている。一方で主催者は別のプロジェクトを始めるための準備で忙しかった。そう。それはプロジェクトの宣伝効果で知り合った別の人間とはじめるプロジェクトだった。そして、主催者はだんだんと元のプロジェクトから引いていき、参加者も徐々にフェイドアウトしていった。風の噂によると次にはじめたプロジェクトも成果はほとんど出ておらず、マスコミに喧伝している成果は無名の会社にアウトソーシングされたもので、参加者たちの独力ではなかった。ようするにハリボテのような存在だ。もちろんそのプロジェクトも未完のまま、主催者は次のプロジェクトを開始している。まるで焼畑農業である。彼の足元には多くの屍体が蠢いている。
そのプロジェクトと縁を切って随分経つが、半年前に某県某市役所と仕事で関わることになった。そこには元◯◯(大企業)社員という肩書きだけで仕事を受けている怪しいコンサルタントが町おこしの企画を請け負っていた。美辞麗句を並べた町おこしのニュースはよく見るが、実態について報道しているものはない。サステイナブルな長期的経済効果が理想だが、短期的な経済効果すらも得れていないことがある。私が住む町に捏造された名物料理があるが観光客は誰も食べていない。報道はされているし、ガイドブックにも書かれているが町おこしのために掲げた名物料理を提供している店のほとんどは赤字だ。町おこしの、正確には「地域おこし」と言うそうだが、安倍首相が掲げる「地域創生」のために何百億円も税金が投入されているそうだ。胡散臭いコンサルタント達が税金を食い物にしている。そして、私が最初に関わったプロジェクトの主催者の近況を調べてみたら地域創生に関わっているそうだ。
もちろん、何かを始めれば失敗もするし成功もする。当たり前のことだ。しかし、美辞麗句を並べて始めたプロジェクトの多くが行方知らずだ。失敗したのか成功したのかもわからない。参加者達の多くは主催者の無責任さのために傷ついていく。そして、それらに税金が投入されていることさえあるのだ。
アニメの迷家を見ていたら寒気がして居ても立っても居られなくなって書いてしまいました。過去のプロジェクトで出会った人たちと登場人物を重ねてしまいます。素人同士の議論や主催者の無責任な言動がほんとうにそっくりです。笑えない。
よく、とりあえずセックスの経験だけは済ませた人が未経験の人に向かって上から目線で
「セックスなんてつまらない、大したものではない」などと知ったかぶりをして語るのを目にしますが、
例外なく悪いセックスしか経験してない人の言うことなので、軽蔑すべきです。
悪いセックスしか経験できていない己を恥じ、いいセックスを目指すべきなのです。
愛情も快感もないつまらないセックスはもちろん悪いセックスですが、大きな性的快感や興奮を得たとしても、
自分勝手なセックスや、背徳感に溺れることで興奮を高めるセックスは悪いセックスです。
例を挙げましょう。
風俗で童貞を卒業したつもりになっている人が素人童貞として蔑まれるのは当然です。
また相手が素人であっても、「とりあえず女を抱ければいい」「とりあえず男に求められると安心する」というような理由で
不特定多数の相手とセックスをすることでは、いいセックスにはなり得ません。
夫婦間であっても、「セックスをしないとパートナーの機嫌が悪くなるから」「子供を作りたいから」
というだけの理由で義務的にするセックスはいいセックスにはなりません。
お互いが大きな性的快感を得ていたとしても、社会的に許されない間柄(不倫、浮気、未成年など)であったり、
あえてモラルに反することをしてそのスリルを楽しむというったような背徳感に溺れることで興奮を得るセックスは悪いセックスです。
背徳感は麻薬のようなもので、こういった関係は長続きしません。
それはパートナーがお互いの愛情を確認しあい、高め合うための持続可能なセックスです。
これにはお互いの努力が必要不可欠です。自らの性的魅力を高め、相手の魅力を発見し、欠点を認めあうこと。
容姿の衰えは回避できない問題ですが、照明を暗くしたり目隠しをする、特別な下着などを身につけ
「飽きた」「面倒くさい」といった自分の感情とも戦う必要があります。
自分が魅力的になるとともに、相手の魅力に気付ける自分にならなければならないのです。
自分と相手に深く向き合い、どこに魅力を感じどこに感じないのか、理解しあう必要があります。
そして、お互いに興奮し快感を得られるパターンを探求すること。いったんそのパターンが合致すると、
飽きることなく何年でもパートナーとセックスを続けることが出来ます。
これを持続可能なセックス、サステイナブルセックスと名づけました。
それでは今夜も良いセックスを。
自己レスだけど、子供少ないからって人類の滅亡とか言うつもりはない。
インパクトのある試験ワードとして「サステイナブルな繁栄」とか考えるとあやふやさに気づいてもらえるかも。
ただ、本当にそうしたかったら、サステイナブルな遺伝子をそうでないのより相対的に多く残さなければならないので(社会淘汰抜きで生む人数の戦略ゲームとして考えると)矛盾に陥ってしまいます。
そこでとりあえず、サステイナビリティからの少子化の擁護に関しては置いておくといたしましても、まあ少子化を悪と決めてかかるのも早計だと思っております。少子化に伴う問題は社会システムや技術というような問題環境によって解消されるものも多いですから。
為念。