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murlock よくわからんけど任天堂に学んだら良いんじゃないの?
atsuououo 任天堂の異常なクオリティをどう捉えるかにもよると思った
skel 任天堂は「新しい仕組みを作ること」が日々の業務と同じぐらいの比率を占めてる。こういう組織は他にはなかなか無い。
exciteB 日本のやりかた(部活、学祭、内輪ノリ)が通用したのはバブルまで。ゲーム業界もそう。/いまだにまともなゲームを作ってるのは任天堂だが、任天堂の組織はこうじゃないだろう。
maroh 日本のCSソフト市場は「任天堂とそれ以外」になってしまった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.4gamer.net/games/999/G999905/20210826081/
これに関しては近年むしろ海外大手スタジオのほうが過酷労働(クランチ)が問題になっていて、かつて泊まりきりでゲーム開発を続けるのが常態化していた日本の大手はすでにそこから脱しているので現在のゲーム業界に対する指摘としてあまり適当ではない
sushi-K 深夜だけでなく残業時間もでっかく追加手当が必要になったら会社は残業が非推奨に傾くかなあ。1人雇うより高いぐらいのやつ。
この手のガチャゲー、スマホゲー害悪論については、そもそも記事でハンサリ氏が好ましい例として挙げてる『原神』がそれにあたるということを知らないのではないか。また、ハンサリ氏率いるWizcorp社がHTML5エンジンでスマートフォン用ゲームの開発に携わっていることを知らないのではないか
koishi ガチャの登場によって日本のゲーム業界は変わったんじゃないだろうか。面白いゲームを作る目的が変わった。直接ではないにしてもコンシューマーにも影響はあるんじゃないかと思うんだが。
wakwak_koba ソシャゲー規制したほうがゲームの品質が上がると思うのだが。いかにして重課金させるか、というところに力点を置きすぎていて・・・買い切り一発勝負の頃のほうが良かった。
hata687 スマホの暇つぶしゲームで一部の物好きがガチャに金を落とし、その金がウェブやアプリの広告費に回っていく。国内産のゲームはもうその程度でええんや。15年遅い。とっくに手遅れや。
n_231 まぁ、ソシャゲに人/金が流れてるというのもあると思う
これはそう。そもそもはてなーは世界で最も有名なゲームの賞であるThe Game Awardsでスクエニ、コエテク、アトラス、バンナム、フロム、プラチナ、カプコンなどのゲームが受賞したりノミネートされていたことを忘れている
もちろん90年代と比較すると相対的に国際競争力は落ちているが、アメリカがエンタメのトップに立つのは当然と思えるし、分相応なポジションに落ち着いただけだろう
それに日本、アメリカ、イギリスくらいにしか目立ったゲームデベロッパーがなかった90年代以前と異なり、現代ではフランス、カナダ、ポーランド、オランダ、ウクライナ、韓国、中国など世界中に国際的なゲームスタジオがある
preciar ご指摘ごもっともだけど、日本のゲーム業界は普通に世界的競争力高いので何をかいわんや/任天堂が例外なだけとか言ってる奴は、そもそも任天堂くらいしか知らないだけでしょ?
これに関しては→ https://www.famitsu.com/news/201805/11157127.html
kazoo_keeper2 PS3 の世代あたりからゲーム開発がハリウッド映画以上の「巨大プロジェクト」になってきて、開発規模の拡大と反比例するように、世界における日本のゲームのプレゼンスが縮小していった印象がある。
tester4 きちんとプロトタイピングをしないことが、独創的なゲーム作りに繋がってるってところもあるだろう。海外のAAAタイトル全部それなりに面白いけど、一生覚えてるみたいな尖ったヤツは日本のゲームの方が多くない?
ほんとこれ
初代ライダーやV3、X、ウルトラマン、セブン、タロウなどは見た記憶があるし、友人との話題にも上がっていた。
この増田自身も雑な先入観が多くて、批判してる「特撮嫌い」と同じことをしてると思う。
庵野だってすべての「和製特撮」を手放しで褒めてるわけじゃないでしょ。むしろ偏ってると思う。
ただ、俺自身もそこまで詳しいわけではないので、あまり増田を批判できないが。
シリーズで言えばウルトラマンは海外での「USA」や「グレート」があったりして、見てはいなくとも話題には上がってブランドを延命していたし、辛うじて「ウルトラマンキッズ」とか「パワード」があって、「ティガ」に繋いでいた。
ソフビを集めてる子とかはそういうのすごい詳しくて、「USAみてー!」とか話してた記憶がある。
玩具とかアニメとか海外展開、あと「ヒーロー戦記」とかのゲームも結構キモだったと思う。
※「パワード」に関しては、庵野と仲いい樋口真嗣(ガメラの特撮)が関わってたんだけど、まあ本人たちがネタにするような出来だったりする。
映画で言えば平成ゴジラなんかはあれでもみんな割と楽しんでてメカキングギドラとかデストロイヤかっこええーってなってたし、忘れてはならない「平成ガメラ」も登場してる。
ただまあ石森系は「真 仮面ライダー」とか「ZO」とかあとなんか「ハカイダー」とか、ビジュアルグロめだったり「大人に向けた内輪向け」感が強い作品だったのが、なんだかなあ感はあった。
でも子供向け漫画雑誌で仮面ライダーのシリーズがあったり、やはり漫画・アニメの役割は大きい。
「ポワトリン」とかもあったな。
そんな中でも一番偉かったのは東映スーパー戦隊とメタルヒーローか。
「女リーダー」「全編ギャグ」といったエポックな「カクレンジャー」や「カーレンジャー」は94年、96年に登場してる。
「特撮」の本道とは少し違うかもしれないが、でもまあ本当に東映はよくやってたよ。
ここからはさらに個人的な偏見だが、昭和50年代かそれ以前の人の方が「本物の特撮」をリアルタイムで体験してる分、その後の特撮(平成ガメラ以外)にケチをつけてる印象がある。
ただこれも仕方ないというか、少年時代に「本物」を見た後には「劣化コピー」が続き、さらには「海外の本物」を同時に見てるんだもんな。
映像的にも「アビス」86年、「ターミネーター2」91年、「ジュラシックパーク」が93年。
「ジュラシックパーク」を見た前後に、じゃあ日本はどうなのかっていえば「REX 恐竜物語」とか「水の旅人 侍KIDS」とか「北京原人 Who are you?」なんだぜ・・・そりゃキツイよ。
で、まあ80~90年代と世の中全体の物差しが「世界基準」になってる中、その世界の映画監督が影響を受けたと公言してて、世界で戦えてたのが「漫画・アニメ」なわけで。
「青少年時代」にそんな体験をすりゃあ「漫画・アニメすごい」ってなるのも当然の成り行きよ。
繰り返すが、「ジュラシックパーク」のあとに「REX 恐竜物語」を見せられる気持ち、想像してみてくれよ・・・
大病院の待合の一角。キッズスペースがある。絵本やおもちゃ、ぬいぐるみなどがおいてある。
子供「ママー、絵本よんでー!」(キッズスペースからすぐそばに座っている母親に話しかける)
母親「ママさあ、いっぱい検査して疲れてんのよ。休ましてくんない?(キレ気味)」
父親「ママもパパもお昼ごはん食べてないの。食べてるの(子供の名前)ちゃんだけ。ちょっと協力しようとか思わない?(キレ気味)」
病院についたとき、自分の主治医は緊急対応中で順番前後すると受付から言われた。緊急対応していたのはこのお母さんだろうという感じだった。夫婦は自分の近くに座ったので、緊急手術について話していたのが聞こえた。
母親「入院のときは最悪アンタ来れなくてもいい。手術のときだけは何が何でも子供と病院に来て、手術中も必ず病院にいてくれって。手術中に死ぬかも。成功しても数ヶ月が限界って……」
お母さん混乱しつつ、涙声だった。お父さんも頭抱えてる感じで。子供がおもちゃのピアノでわけのわからん曲を弾いてて、辛かった。
吉本印天然素材(雨上がり、ナイナイ、FUJIWARA、バッファロー吾郎、チュッパチャプス、へびいちご)と2丁目ワチャチャTV(千原兄弟、トゥナイト、ベーブルース、 ジャリズム、LaLaLa、etc)は、途中からわりときっぱり分かれるけど、最初のころ、爆笑Booing初期の頃などは入り交じってて、ワチャチャにも天素の芸人出てたような…?
4時ですもみてたけど、NSC7~11期くらいは、ダウンタウンよりも身近なスター、って感じだった。
このころ、松竹芸能でも、ますだおかだ、よゐこ、TKO、のイズなど、同じくらいアイドル性のある面白い芸人がいて、関西のキッズは深夜番組に熱狂してた。
ちなみにこの頃は関西小劇場ブームの最中でもあり、お笑いと小劇場のクロスオーバーもちょいちょいあった。
関西ローカルのテレビ局は、新興お笑いと小劇場をよく取り上げてた。テレビとサブカルチャーと若者はまだぴったりつながってた。
テレビだったか雑誌だったか、当時、NSC7期の同期3組が語る、みたいなのやってて、トゥナイト、ベーブルース、雨上がりがしゃべってたの覚えてる。
3組とも解散かと思うと感慨深い。