はてなキーワード: ハーブとは
翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。
彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである。
村上的ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツをアイロンがけしている、など)が
突然非日常(不思議な電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。
言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、
たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。
村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界のあいだで翻訳をしている。
言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ。
村上の車の後部座席に戻ろう。
多くの企業の本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。
およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。
木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。
靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。
自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。
同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。
(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)
オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。
山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。
室内のもう一つの棚には村上の人生と作品にまつわる思い出の品々がある。
彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニー・ウォーカーを描いたマグカップ。
はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真(1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。
壁にはレイモンド・カーヴァーの写真、グレン・グードのポスター、ジャズの巨匠の肖像がいくつか。
村上がもっとも好きなミュージシャン、テノールサキソフォンのスタン・ゲッツの写真もある。
私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。
『1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である。
それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。
同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。
村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。
「オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」
彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。
「シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから、日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」
「シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。
彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。
「The Many Sides of Gene Pitney」。
カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカのクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。
村上は13歳の時、このレコードを神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。
針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初のヒット曲「Town Without Pity」。
劇的な、ホルンの即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。
「若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」
終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。
『1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。
彼は読み直したといい、それは退屈だったという。
(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)
「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマック・マッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間が人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」
『1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」
「オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。
「ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分は政治好きな人間だと思うけれど、政治的メッセージを誰かに向けることはない。」
とはいえ村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治的メッセージを大々的に言明している。
2009年、批判のなか彼はイスラエルでエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルとパレスチナについて語った。
この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本の原子力行政を批判した。
一度目はまったくの被害者としてだったが。
バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。
「市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」
演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。
人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。
「これは日本にとって転機になると、日本人のほとんどが考えていると思う」
「悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格と目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」
その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国をモデルケースとして見ているのか、と尋ねた。
「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」
地下鉄サリン事件、阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。
地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。
彼は深さのメタファーを多用することで知られる。
登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。
(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。
毎日机に向かい、集中力に満たされたトランス状態の中で、村上は村上的キャラクターになる。
それは、自らの無意識の洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である。
「僕は東京に住んでいる。ニューヨークやロサンジェルスやロンドンやパリのように文明的といっていい世界だ。
魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。
魔法的リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。
書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」
執筆しないとき、自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。
彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。
彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。
人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。
実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。
1995年サリンガス事件があったとき、村上は被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、
その結果を分厚い2冊組の本として出版した。
のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語に翻訳された。
この会話が終わったとき、村上はランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日のランニングを通して学んだ」と彼は書いている)
身軽で、安定していて、実践的だ。
たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上は自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。
それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。
そんな言い方をした理由はすぐに分かった。
というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。
もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、
地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。
道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。
そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。
上へ、上へ、上へ。
しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。
海ははるか下に見えた。
それは秘められた巨大な水世界、日本とアメリカのあいだの、人が住まない世界だ。
その日見たかぎり、水面は静かだった。
そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。
大通りのサーフショップ、漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。
空気は湿っていて塩のにおいがした。
私たちは並んで浜まで走った。
村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。
セミについても話をした。
何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。
走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂のエアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。
最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。
が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。
飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。
最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。
見たことがないほど変な蝶だった。
浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、
私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。
それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。
蝶が去ってまもなく、村上は階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。
見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分のボトルから水を飲み、私を見上げて言った。
「日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」
風俗嬢を見下している客はばかみたいだし、客を見下している風俗嬢もばかみたい。
五十歩百歩だよ。どっちも卑しいよ。どうして自分はセーフだと思ってるの?
性をお金で買うことは冒涜的だし、逆に性をお金で売ることも愚か。
この商売は必要悪として存在し続けただけであって、風俗を利用してますとか、風俗で働いていますといったことは、
まともな神経をしていたら、恥ずかしくて言えないことだと思う。
最近、はてブで風俗関係のまとめ記事がばんばん上位に来るのが信じられない。
風俗利用していることをあけすけにひけらかすようなブコメもあって正直気持ちが悪い。
ここはBBSPINKじゃないのに。
そういうと、「潔癖すぎる」とか、「正論だけで世の中渡っていけないんだよ」なんていわれるだろうね。
正論がなくなったら、世の中めちゃくちゃだよ。
いじめたいからいじめました。浮気したいから浮気しました。女買いたいから買いました。
賭けたいから賭けました。飲みたいから飲みました。合法ハーブやりたいからやりました。
欲望のままやりたいだけやって、恥も外聞もなく開き直る。
性欲を持つことの何が悪い?色々な女とやって何が悪い?嫁を裏切ってソープ行って何が悪い?
嫁に性病うつしても同じことが言えるのかな?子供に産道感染しても同じことが言えるのかな?
嫁が不倫してても同じことが言えるのかな?嫁が出張ホスト読んでても同じことが言えるのかな?
適度に制御してこその欲望でしょう。金まいて好きなだけ女買うのがあるがままの自分?くだらない。
恥を、知ってください。
風俗嬢になったのは、親の借金が原因?子供には返済義務ないでしょう?
結局ラクして大金稼ぎたい、それだけ。恥知らずな金の亡者。人間の尊厳売り払って生きてる。
非倫理的でもヤリたいからヤる!とか、非倫理的でも金欲しいから身体売る!っていうのは、
弱さですが、度が過ぎていて、度が過ぎた弱さっていうのは悪だと思います。
本当に、恥を、知ってください。
A Sister’s Eulogy for Steve Jobs
貧しかったので、そして父はシリアからの移民だと教えられていたので、
父については、オマル・シャリフのような人ではないかと想像していました。
裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。
のちに面会したとき、私は、父は理想に燃える革命家で、アラブの新世界を導く人だったのだと、
だから転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。
私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。
二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。
25歳になってその人に出会いました。
それが兄でした。
他の作家志望者3人と一緒に、クローゼット並の大きさの事務所で小さな雑誌の仕事をしていました。
その弁護士は、上司に健康保険をねだるような、カリフォルニアの中流階級の娘である私に、
「裕福で、著名で、あなたのお兄さんである人物の代理人だ」と名乗りました。
同僚編集者たちは騒然となりました。
それでも私は大好きなディケンズの小説の筋書きに放り込まれたようでした。
弁護士は兄の名を伝えるのを拒み、同僚たちは賭けを始めました。
一番人気の候補は、ジョン・トラボルタ。
私が密かに期待していたのはヘンリー・ジェイムズの後継者、
何の苦もなく優れた作品を生み出す、自分より才能のある作家でした。
初めて会ったとき、スティーブは私と同じ年格好で、ジーンズを履いていました。
オマル・シャリフよりもハンサムな、アラブかユダヤの顔立ちでした。
偶然にも二人ともそうするのが好きでした。
何を話したのかはあまり覚えていませんが、
とにかく友達にしようと思えるような人だと感じたのは覚えています。
私はまだオリヴェッティのタイプライターを使っていましたから。
コンピュータを一台、初めて買おうかと思っているとスティーブに言いました。
Cromemcoという名前でした。
彼は、恐ろしく美しいものを作ろうとしていると言いました。
これから、スティーブから学んだことをいくつかお伝えしたいと思います。
彼の充実した人生。
彼の病気。
彼の死。
彼は頑張って働きました。
毎日働きました。
彼は散漫の対極のような人でした。
彼は、たとえ失敗に終わるとしても、頑張ることを恥とはしませんでした。
スティーブのように聡明な人が挑戦を恥じないのであれば、私も恥じる必要はないのかもしれません。
彼はシリコンバレーの指導者500人が現職大統領を迎えるディナーのことを話してくれました。
彼は傷つきましたが、 NeXT に行って働きました。毎日働きました。
スティーブにとって最高の価値は、新規性ではなく、美しさでした。
彼は流行や小道具を好みませんでした。
自分と同世代の人が好きでした。
「ファッションとは、美しく見えるがのちに醜くなるもの。芸術とは、最初醜く見えるがのちに美しくなるもの」
スティーブはいつも、のちに美しくなるようにしようとしていました。
彼は誤解を受けるのを恐れませんでした。
パーティに招かれなかった彼は、三台目か四台目の同じ黒いスポーツカーで NeXT に通い、
あるプラットフォームを、チームとともに静かに作っていました。
それは、ティム・バーナーズ・リーがのちに、
ワールドワイドウェブを動かすプログラムのために使われることになるものでした。
愛について話す時間の長さにかけては、スティーブは女の子並でした。
愛は彼にとってこの上ない美徳であり、最高の神でした。
「独身なのか? うちの妹とディナーはどうだい?」と声をかけました。
彼がローリンと出会った日にかけてきた電話を、今でも思い出します。
「こんなに美しくて、頭がよくて、こんな犬を飼っている人なんだけど、結婚するつもりだよ」
リードが生まれて以来、彼は止まることなく家族に愛情を注ぎ続けました。
彼はどの子にとっても実の父親でした。
リサの彼氏と、エリンの旅行と、スカートの長さと、イヴの愛馬についてやきもきしていました。
リードの卒業パーティに出席した人はみな、リードとスティーブのゆっくりとしたダンスを忘れられないでしょう。
ローリンに対する変わることのない愛が彼を生き延びさせました。
私は今も、そのことを学ぼうとしています。
彼はそのことで孤独を感じていました。
私が知るかぎり、彼の選択のほとんどは自分のまわりに巡らされた壁を壊すためのものでした。
ロスアルトスから来た中流の男が、ニュージャージーから来た中流の女に恋をする。
二人にとって、リサとリードとエリンとイヴを普通の子供として育てることは重要でした。
スティーブとローリンが一緒になったことが分かってから何年間ものあいだ、
夕食は芝生で食べていましたし、食事が野菜一種類だけだったこともありました。
一種類の野菜をたくさん。
一種類だけです。
旬の野菜。
簡単な調理。
若き億万長者でありながら、スティーブはいつも私を迎えに空港まで来てくれました。
ジーンズを履いて待っていてくれました。
「お父さんは会議中ですが、お呼びしたほうがいいですか?」と答えてくれました。
リードが毎年ハロウィンに魔女のかっこうをしたがったときには、
何年もかかりました。
同じころ建設されていた Pixar のビルはその半分の時間で完成しました。
パロアルトの家の中はどこもそんなかんじでした。
ただし、これが重要なところなのですが、その家は最初の時点ですばらしい家でした。
彼が成功を満喫しなかったというわけではありません。
何桁分か控えめではありましたが、十分満喫していていました。
その店で最高の自転車が買えるんだと自覚するのが大好きだと話していました。
そして実際、買いました。
スティーブは学びつづけるのが好きでした。
彼はある日、育ち方が違っていれば自分は数学者になっていたかもしれない、と言いました。
彼は大学について尊敬を込めて語り、スタンフォードのキャンパスを歩くのが好きでした。
最後の数年間、彼はマーク・ロスコの絵画の本を研究していました。
未来のAppleのキャンパスの壁に何があれば皆を刺激できるだろうと考えていました。
スティーブは物好きなところがありました。
イギリスと中国のバラの栽培の歴史を知り、デビッド・オースティンにお気に入りのバラがあるCEOが他にいるでしょうか?
彼はいくつものポケットにいっぱいのサプライズを持っていました。
たとえ二十年間人並み外れて近しく寄り添ったあとであっても、
きっとローリンにはこれから発見するものがあるだろうと思います。
彼が愛した歌、彼が切り抜いたポエム。
彼とは一日おきくらいに話をしていたのですが、
ニューヨークタイムズを開いて会社の特許の特集をみたとき、
こんなによくできた階段のスケッチがあったのかと驚きうれしくなりました。
四人の子と、妻と、私たちみなに囲まれて、スティーブは楽しい人生を送りました。
そしてスティーブが病気になり、私たちは彼の人生が狭い場所に圧縮されていくのを見ました。
彼は京都で手打ちそばを見つけました。
もうできませんでした。
最後には、日々の喜び、たとえばおいしい桃ですら、彼を楽しませることはできませんでした。
多くのものが失われてもなお、多くのものが残っているということでした。
兄が椅子を使って、ふたたび歩けるようになるための練習をしていたことを思い出します。
彼は肝臓移植をしたあと、一日一度、椅子の背に手を乗せ、支えにするには細すぎる足を使って立ち上がりました。
メンフィス病院の廊下で、椅子を押してナースステーションまで行って、
そこで座って一休みして、
引き返してまた歩きました。
ローリンはひざまづいて彼の目を覗きました。
彼は目を見開いて、唇を引き締めました。
彼は挑戦しました。
いつもいつも挑戦しました。
その試みの中心には愛がありました。
彼はとても直情的な人でした。
その恐ろしい時節、私は、スティーブが自分のために痛みをこらえていたのではないことを知りました。
家族を連れて世界を回り、退職したときにローリンと乗るために造っていた船の進水式。
病気になっても、彼の好み、彼の決意、彼の判断力はそのままでした。
看護婦67人を試し、優しい心があり全幅の信頼をおけると分かった三人をそばにおきました。
スティーブが慢性の肺炎を悪化させたとき、医師はすべてを、氷をも禁じました。
スティーブは普段割り込んだり自分の名前にものを言わせたりすることを嫌っていましたが、
このときだけは、少し特別な扱いをしてほしいと言いました。
「これが特別治療だよ」と私は伝えました。
彼は私のほうを向いて、「もう少し特別にしてほしい」と言いました。
挿管されて喋ることができなかったとき、彼はメモ帳を頼みました。
そしてiPadを病院のベッドに備え付けるための装置のスケッチを描きました。
妻が部屋に入って来るたび、笑みが戻るのが分かりました。
こちらを見上げて、お願いだから、と。
彼が言いたかったのは、医師の禁を破って氷を持ってきてほしいということでした。
私たちは自分が何年生きられるか知りません。
彼はプロジェクトを立ち上げ、それを完了させるようAppleにいる同僚に約束させました。
オランダの造船業者は、豪華なステンレス製の竜骨を組み、板を張るのを待っていました。
私の結婚式でそうしてくれたように、彼女たちと並んで花道に立ちたかったことでしょう。
物語の途中で。
たくさんの物語の途中で。
ガン宣告のあと何年も生きた人についてこう言うのは正しくないかもしれませんが、
スティーブの死は私たちにとって突然でした。
二人の兄弟の死から私が学んだのは、決め手はその人のあり方だということでした。
どんな生き方をしたかが、どんな死に方をするかを決めるのです。
火曜日の朝、彼はパロアルトに早く来てほしいと電話をかけてきました。
声には熱と愛情がこもっていました。
同時に、それは動き出した乗り物に荷物が引っかかってしまったかのようでした。
申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに、
私たちをおいて旅に出つつあるときのようでした。
「待って。行きます。空港にタクシーで行くから。きっと着くから」
「間に合わないかもしれないから、今のうちに言っておきたいんだ」
視線をそらすことができないかのように、子供たちの目を覗き込んでいました。
昼2時まで、彼の妻は彼を支えてAppleの人と話させることができました。
そのあと、彼はもう起きていられないということがはっきりしました。
呼吸が変わりました。
つらそうに、やっとの思いで息をしていました。
彼がまた歩みを数え、より遠くへ進もうとしているのが分かりました。
これが私が学んだことです。
死がスティーブに訪れたのではありません。
彼が死を成し遂げたのです。
彼はさよならを言い、すまないと言いました。
約束したように一緒に年をとることができなくて、本当にすまない、と。
そして、もっと良い場所へ行くんだと言いました。
フィッシャー医師はその夜を越せるかどうかは五分五分だと言いました。
彼はその夜を越しました。
ローリンはベッドの横に寄り添って、息が長く途切れるたびに彼を引き寄せました。
彼女と私が互いに目を交わすと、彼は深く吐き、息が戻りました。
やらなければならないことでした。
その呼吸は困難な旅路、急峻な山道を思わせました。
山を登っているようでした。
その意志、その使命感、その強さと同時に、
美術家として理想を信じ、のちの美しさを信じる心がありました。
その数時間前に出た言葉が、スティーブの最期の言葉になりました。
船出の前、
彼は妹のパティを見て、
そして皆の肩の向こうを見ました。
先輩に久しぶりに会った。
学生時代には体重0.1トンだった先輩が、すらっとスマートになっていて、誰だかわからないくらいだった。
先輩に夕食に誘われたので、話に乗った。
奥さんも知りあいなので、本当に行っていいのか確認と、お土産の希望を聞いたり、いつ行くか打ち合わせをした。
「腕をふるうから楽しみにしててね♪」と言われたので、そのつもりでいた。
当日、デパ地下のケーキをお土産に持っていくと、幼稚園児のお子さんが狂喜乱舞。
泡吹くんじゃないかと思うほどの喜びっぷりにうれしくなる。
ダイニングテーブルに並ぶ、おされな食器におされな料理。料理にはハーブを飾ってカフェ風か。
……でもこのにおいはなんだ?
夏場に生ゴミを半月放置したような腐敗臭。公園の公衆トイレのようなアンモニア臭。
ほかにもにおいがしていたのかもしれないが強烈でわからない。
奥さんは自信満々ですすめてくる。
さっきまではしゃいでいたお子さんが、一転してお通夜のよう。先輩も心なしか言葉少な。
きっとそういうにおいの料理なんだ。くさやとかチーズとか、におうけどおいしいじゃないか。
結果、2口で白旗あげた。(そのうち一口は白ごはんと思われる何か)
奥さんの怒りの嵐が巻き起こる。まあね、自信作を2口食べて無理って言われたらね。
先輩は「だから言っただろ!俺だけが食えないんじゃないって!」と高笑い。お子さん涙目。
リトマス試験紙役なのね……
ムカムカしてヤバくなってきたので、ケーキも食べずに帰宅。帰り着くまでにカナリヤバイに進化した。
アクエリアス2Lが5本ほど消費されたころ、ようやくトイレから離れられた。
36時間の戦いでございました。
お子さんの将来の夢は、給食の先生かファミレスのコックさん。泣ける。
追記:
すでに忘れたい料理の数々。(かっこの中は奥さんの言葉:実際の状態)
★ローストポーク(豚を塩漬けにするとうまみが凝縮されるのよ:3ヶ月前から塩漬冷蔵していた豚肉を塩抜きなしで調理)
★サメの洋風煮付け香草風味(実家から送ってきた新鮮なサメなの:ただし1週間前に到着)
★アサリとキャベツの蒸し物(見た目地味だけどいい仕事してるから:蒸しあがってもアサリが開かなかったので手開き)
★コシヒカリの白ごはん(一味違うよ:カキ(加熱用)の入っていたパッケージの水を混入して炊飯)
奥さんから「あなた(先輩)の舌がおかしい」と決め付けられて、
同僚をつれてきて反応を見せるも「あなたに遠慮して同じ反応するのよ」と言われて、
フルタイムの一人暮らし会社員だけど毎日弁当持っていくし朝ごはんも晩ごはんも作って食べるし、整理整頓も好きだし床はワックスがかかってピカピカで、ベランダではハーブ類がわさわさ。ということを3食コンビニ飯な女友達が知ると、「えー!よく続くねえすごい! 私も誰かのためにならできるんだけど…」などとよく言われる。
私からすると、他ならぬ自分のためだからこそ手間も暇もかけられるわけで、誰かのためならできるってそっちの方がよっぽどすごいなと思うんだけど、男性陣からするとそういう結論には至らないらしく、私にばかり「家庭的だよね」「いい奥さんになりそう」とかニヤニヤ言ってくる。いや全然家庭的じゃないから。家族にだんご三兄弟の次男にそっくりと言われてるし。3食コンビニ飯な女友達タイプのほうがよっぽど家庭的だと思うけどな、資質的に。
量を間違ったのか、変に緊張してたのか知らないけど、BADに入ったんだろうなあということは想像つく。
そもそも普通に使っても歩いたりするのは難しい状態になるので、店で焚くとかありえない。(耐性つきまくってるジャンキーならともかくな)
後悔にまみれたその記憶を自分の手で書き表すことで、私は二度とこうしたものに手を出さないことを自分自身で確認しようと思う。
独身の頃からそういうものに興味はあり、海外で日本では禁じられている薬物に手を出したこともあった。
ただ、同行者はそれを吸ってとても楽しそうにしていたが、私には一向に効き目がなく、その体験はただ、
私に「あちらの世界」への憧れをかきたてるだけのものだった。
それには依存性はほとんどなく、何年もの間、それを欲しいと思ったこともなかったし、
一生必要ないと思っていた。ただ、「あちらの世界」への好奇心だけは私の心に根深く残ったままだった。
私はたまたま合法ハーブという語をインターネットで見つけ、好奇心からそれを調べた。
現在に日本では禁じられていない成分のみを用い、幻覚作用や覚醒作用をもたらすものということだった。
建前としてはお香としての使用を前提にしており、その煙を吸引することは推奨していない。
もちろん、それはただの建前であり、それらのサイトや関連Wikiにはその吸引体験が
多く綴られていた。
私は甘く見ていたのだ。
過去にそれに類するものを服用してまったく効果があらわれなかったこと。
そして、アルコール程度の影響で終わるのではという根拠のない自信。
夜22時30分。私は近くの街にあるその店の門を開いた。
暗い照明。ガラスケースに収まり怪しい光をはなつ「合法ドラッグ」のパッケージ。
「なんにしますか」カウンターの奥にいたのは、Tシャツにキャップをかぶった
私は「あまり強くないものを」と頼み、Wikiである程度名前が知られていて評判のよいものを
選び、それを買った。喫煙具と合わせて5700円。高いけれど、もちろん無理な価格ではない。
店の奥にはソファとテーブルがあり、その場で吸えるようにもなっている。
どうしてその場で吸おうと思ったかは分からない。家よりも安全だと思ったのだろう。
大きな間違いだった。
慣れない手つきで買ったばかりのふわふわした葉(かすみ草の花のようなものもふくまれていた)を
紙に巻き、火をつけた。要領は海外でやったときに知っていた。深く煙を吸い込み、
30秒ほど息を止めてゆっくりと吐き出す。
もう一度同じように吸った。何度も、何度も。ジョイント一本分、草が燃え尽きるまで全て吸った。
好奇心がわき、それからの身体的な変化を記録しようと思い、iPhoneを取り出した。
文字をフリックで打つが、まず指にしびれを感じだし、すぐに視覚がおかしくなってきた。
指を動かすが、目に映る像がワンテンポ遅れている。徐々に体中にジーンという
しびれが広がり、耳に聞こえる音が暴力的なまでに大きくなってきた。
10:35
電気がくるかんじ。
パルスが短くなっていく。
ビーン
という音
目がよわくなっていく。
あ
電気のビーンという音が
してると思ったら。
ここの照明の響く音でした。
耳が良くなるって本当だったんだね。
音がすごい立体感を帯びてきた。
十分すぎる時間はあったが、私は怖くなった。
このままでは帰れなくなるほどに、自分の状態は
悪くなるのではないだろうか。
後悔。後悔。
私は光のあふれかえる街に飛び出した。
うるさい音を発しながら私の横を通り過ぎていく。
見知った道はまるで違う道のようで、私は駅に行くために
駅へと急いだ。
足が思うように動かず、気づくと外界からシャットアウトされるほどの
思考の大波が私を襲う。今ものをなくしても分からないぞ、やばいな、と
私は頭の片隅で思った。
今の私を外から見ると、とてもまともには見えないだろう。
妻にだってわかるに違いない。
電車に乗った。
電車の中は混んでいて、においがとてもひどかった。
ドアの脇に立っていたが、どうにも足がふらついてカクカクする。
そして、すぐに思考の大波。
乗り過ごしたら万が一にも帰ることはできないだろう。
自分の体が電気の粒に分解されて、寄りかかっている壁に吸い込まれるような感覚。
心細い、あまりにも心細い。何も支えるものがない。
もう涙があふれ出そうだった。
なんてことをしたんだろう。愚かだ。あまりにも愚かだ。
警察に保護されるようなことになったら妻はなんて顔をするだろう。
ずっとずっと妻のことだけを考え、かろうじて残った正常な感覚を
かきあつめるようにして、私は電車に揺られていた。
時間の感覚が遅い。ずっとずっと考え事をしていたように思ったが、
着かない。着かない。私は焦った。
鞄の中に吐いた。周囲の目が突き刺さるのを感じたが、
その時扉が開き、私は転げるように電車を出た。
帰らなければ。妻と子どものいる家に帰らなくては。
あと10分、私の足よ動いてくれ。私の脳よ導いてくれ。
引き出し、ゴミ箱に捨てた。こんなもの、二度とやるものか。
一歩、一歩、改札を出るのもやっとこさ、私は家への道を
ふらふらしながら歩いた。
家の手前でまた嘔吐感に襲われ、また吐いた。
そして。
妻は私を出迎えてくれた。ほっとした顔を覚えている。
私は謝った。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
妻の顔が凍りついた。
妻は驚き、悲しみ、倒れている僕の横でワンワン泣いた。
「そんなに私と別れたかったのか」そういって泣いた。
なにも妻は悪くなかった。日常に不満もなかった。
ただ、好奇心だけでわたしはしてはいけないことをしてしまったのだ。
感じた。涙が出た。止まらなかった。
そのまま気を失うように眠った。
翌朝、私の思考は元に戻っていた。
少し頭が重いが、普通の状態だ。
寝室では妻と子どもが眠っていた。
私はこっそりと二人の横に身を横たえ、もう一度眠った。
それから、妻は長らく口をきかず、私はただただ、謝りつづけた。
もう二度とこのような愚かなことをしないこと、何度も何度も謝った。
妻は言った。「しかしこのことを許したわけではありません。絶対に許しません」
妻はつづけた。
「違法か、合法か、そんなことは関係ないの。こういうものは、あなたの何もかも、今まで積みあげてきたいろんなことを、
あなたが善良な人であったことさえも、一度に奪ってしまうかもしれないの。」
子どもが起き、私たちは三人で外に出た。
子どもがその日、はじめて私のことを「パパ」と口に出して呼んでくれた。
また涙が出そうになった。
妻はずっと泣きつづけ、泣きつづけて、
その間私は彼女がしなければと言っていた
家事をやった。戻ってきた私に妻はひとこと
「ありがとう」と言った。
私たちは寝息を立てている息子の横に、
いつもしているように枕を並べて寝そべった。
妻に許可を取り、そっと体を抱き寄せて眠った。
薬物が体を駆け巡り、蝕みだしてからずっと、私は自分が手にした幸せを全て手放してしまうことを恐れた。
そして事実、それは極めてリアリティのある話になってしまった。
実際のところは分からない。しかし私は絶対にもう手を出さない。
妻と子どもと暮らすこと。今の仕事。そして数十年後の、妻とのささやかな夢が、
何よりも大切なのだ。それが、一瞬にして水泡に帰す。そんなものには
二度と手を出さない。私は強く心に決めた。
これまでよりも、よい夫で、よい父でありたい。
私の誇れることだった。
戒めのために、わたしはこの記録を残す。
電車の中で吐き気と、思考の洪水に飲まれながら私が打ったEvernoteへの記録を結びに。
毒
だ。これは
毒だ。
捨てる。
捨てる。駅についたら。
現在の法に照らし合わせて問題はないはずだし、自分が快適に生きられる範囲でやればいいと思います。
私が不慣れで、しかもこういうことをやるのに適した環境にない、それだけのことです。
いくつかご意見をいただきました。セッティング、環境を作れてないのがよろしくない、と。
思えばそうした状況から一時的に逃避したかったのかもしれません。
だから外にしました。もちろん、それがド素人の甘い選択であったことはいうまでもありません。
トんでいる状態で徒歩計20分、電車に乗って10分という帰宅への道のりを辿らなければならない、
その焦り、帰れないのでは・ばれるのでは・様子がおかしくなって警察を呼ばれるのでは、という
ネガティブな思考が悪い方向に私をもっていたことは十分にありえることです。
そもそもバッドトリップだったのかもわかりません。ただ、私は自分の身体の変化がおそろしくなった。
やってくるものに抗い、平静を保とうとした。それが嘔吐感をもたらしたのかもしれません。
それに身を任せていたら楽しかったのかもしれませんね。
妻がそういう考えで、その妻を大切にしたい私にはできないものなのだ。
そういう気持ちでいます。
日本が過去に基準値(370 Bq/kg)を超えたからと税関で止めた食品一覧
H1.1.11 きのこ(くろらっぱたけ) フランス 650 Bq/kg
H1.10.23 きのこ(あんずたけ)フランス 532 Bq/kg
H2.2.28 ハーブ茶(ダンデリオン)スイス 1,167 Bq/kg
H2.10.3 ハーブ茶(セイヨウノコギリ草)アルバニア 814 Bq/kg
H3.2.14 乾燥きのこ(ヤマドリタケ)ユーゴスラビア 556 Bq/kg
H3.3.13 ミックススパイス フランス 1,028 Bq/kg
H6.11.8 燻製トナカイ肉 フィンランド 388 Bq/kg
H10.1.21 乾燥ポルチーニ(ヤマドリダケ) イタリア 731 Bq/kg
H13.11.8 乾燥ポルチーニ(ヤマドリダケ) イタリア 418 Bq/kg
ホメオパシーについての最近の記事を読んで、日本ではカルト療法とまで呼ばれていると知った。
人が死んだり、患者が狂信的だったりで、あまりにもひどい。カルトといわれても仕方ないと思う。
長年イギリスのホメオパシー病院で治療を受けてきて、そういった印象を受けたことがないので、私個人の経験を語ってみようかなと思った次第。あくまでも私の行動範囲内で素人視点です。(子供の頃にイギリスに移住して30年近く。日本語を書く機会があまりないので不適切な表現があったら申し訳ない。言葉が足りないところは指摘して下されば補足します。)
私の通っているのは王立ホメオパシー病院。受診するには地域の受け持ちの医師に紹介状をもらう必要がある。(この国では自分の地域の医者に登録し、 どんな病気でも救急以外はその医者にまず見てもらう。必要であれば専門医のいる病院に紹介される。)ちなみに私は通常医療の専門病院にも通いつづけていて、現在は地元の医師、専門医、ホメオパシー医の3点を行き来している状態。医師同士の連絡もできている。
王立ホメオパシー病院はNHS(National Health Service)の一部なので、他の病院と同じく診察費は無料、処方箋代のみを支払う。この病院のホメオパスは医師免許を持っていて、通常の医師としての勤務経験がある。今までに受け持ってもらった医師達はホメオパシーは通常医療を補助する形で行うもの(Complimentary medicine 日本語で?)で、医療の代わり(Alternative)ではないという立場をとっている。私はホメオパシー病院で血液検査を定期的に受けているし、専門病院で処方される薬も続けている。
私の場合、地元の担当医が紹介してくれたので王立病院にいくことになったが、個人経営のクリニックに自費で通っている人も多くいるはず。個人経営のホメオパシークリニックにはいったことがないので詳しくないが、診察料は安くはない。そして医師免許がなくてもホメオパスの資格があれば開業できると思う。別にクリニックにいかなくても、全国にチェーンのある大衆向けの薬屋でさえ基本のレメディくらいなら揃っているし、自然食品屋でも買える。
ホメオパシー病院で処方されるのはホメオパシーレメディだけではなく、ハーブ系の製品(クリームやオイルなど)、通常医療の薬(抗ヒスタミン剤、消炎剤とか軽いステロイドとか)が出されることもある。病院内には栄養士、マッサージ師がいたり、痛み専門クリニックや、瞑想クラスがあったりもする。
詳しくは書かないが、私の病気は子供の頃に発症し、完治しないとされていて、西洋医学、漢方、民間療法いろいろ試してみたが良くなることはなかった。ホメオパシー病院に通いはじめても数年は何も変わりがなかったし、聞こえはよくても実際に効果のない治療には慣れていたから、大きな期待や失望を抱くこともなかった。専門病院での治療は今まで通り、症状を抑えるため薬を処方されるが、薬に慣れてくると効果がなくなるため、新しい薬を処方されることの繰り返し。
そのうちにホメオパシーの担当医が変わった。完治しない病気だということを受け入れて、この病気と共に生きるにあたって、どうすれば痛み(肉体的、精神的)を少なく、少しでも楽に生活することができるか考えてみようと提案された。それ以来、診察中の会話は私がどのように病気に向き合っているか、に重点がおかれた。
同じ症状でも気丈な時と死んでしまいたい時があったりして、そのムラに合わせてレメディーや薬が処方されたが、医者および医療をあまり信用していなかった私にとって正直に打ち明けることができるまでに随分と時間がかかった。痛みの具合とそれに伴う精神状態などを細かく聞かれる経験は今までになかったし、そういうことに医師が興味を示すこと事態初めてのことだった。そうするうちに少しずつ病気とのつきあい方に変化が出てきた。
長い経過は省略するが、10年経った今、比較的症状が軽い状態を保つことができるようになっている。およそ30年以上この病気と生きてきた私と家族にとって、想像もつかなかったほど温和な状態であるといえる。私の場合、この医師に出会えたことが大きな転機で、その医師がたまたま王立ホメオパシー病院に勤めていたということなのだと思う。だから私の経験談をもってホメオパシーに効果があるとはいえない。
だが、現在のイギリス医療システムでは医者が患者とじっくり話す時間などない。診察時間約5分のうちに、てきぱきと処方箋を書かなければならない。たとえ素晴らしい医師がいたとしても、有意義な診察時間を持てる可能性は残念ながらないに等しいと思う。
ここまで書いて、このエントリーを見かけてなるほどと思った。
結婚したりして環境が変わったのが原因で、数年前にかなりひどい時期があり、とりあえずいろいろ試してみた。
参考までに書いておく。
・ルミンA
ただ120錠で9500円前後と、値段は高い。
そしてかなり不味い。薬の苦さではなく、しょっぱいような味。
…なので数ヶ月で飲むのはやめてしまった。
・タウロミン
人に勧められて飲んでいたが、値段もルミンAほどは高くない。
試しに飲んでみるのはおすすめ。
・当帰飲子
通っている皮膚科の先生に「実は最近タウロミンを飲んでいるんです」って
話をしたら、ツムラの当帰飲子を処方してくれた。
食前に1袋ずつ飲んでるんだけど、かなり症状は治まったと思う。
・にがり
4,5年前に流行ったけど、お風呂に入れたり、飲み物に数滴混ぜたりしていた。
個人的には効いた気がする。
・塩
市販の粗塩(食卓塩は×)をお風呂に入れる。
・市販のシャンプー・コンディショナーをやめて石けん+クエン酸もしくは酢でリンス
市販の石けんが気になるようだったら、手作りしてみるのも面白い。
今だと手作り石けんの本や、オイルなどもいろいろ売ってる。
酢はそのままだとにおいが気になるので、エッセンシャルオイルを入れたり、
ハーブ(生でなくても、ハーブティー用に売ってるラベンダーやローズマリーなど)を漬け込むといい。
それと、汗をかいて新陳代謝を高める、というのも大事だと思う。
近所にスポーツクラブが出来たんで通い始めたんだけど、
ちょうどその頃からアトピーが悪化して、着替えるのもものすごく辛かった。
けど、エアロビや格闘技系のエクササイズに参加したり、運動を続けていると、
だんだん汗が出やすくなってきて、アトピーもかなり良くなっていった。
(ひどいときは動きながら体掻いたりしてたんだけど)
昔はサウナに入っても全然汗かかなかったのが、今ではエクササイズしたら床に汗が落ちるくらいかくようになった。
運動が辛ければ、ホットヨガや岩盤浴、サウナなんかもいいかもしれない。
いろいろ書いてみたけど、実はまだステロイド薬飲んでいるので、
完全にアトピーが良くなった、とは言えないんだけどね。
最後にひとつ。
あなたは大丈夫。
追記:なんかブックマークしてくれた方がいっぱいいてびっくり。
効果のあるなしは個人差があるし、自分が効いたものが他の人に効くとは限らないと思うので、
とりあえず自己責任で。
あと元増田さんへ。
雨宮処凛の「アトピーの女王」(太田出版)読んでみるといいよ。
アトピーの人なら「あるあるある!そうなんだよ!」と叫びたくなるくらいに
「アトピーでいること」の肉体的・精神的な辛さや悩みなどがリアルに詰めこまれている。
しかし暗くならず、読んでて面白い。
ベビーリーフは、生で食べられる小さい葉っぱのこと。
数種類の葉が混じったものがスーパーでも売られている。
1パック100円くらい。
これは、大きいスーパーのハーブコーナーみたいなところにあると思う。
うちではプランターで栽培している。超簡単。
見た目もかっこいいし、味もよい。
瓶詰め等で、すでにスライスしたのが売っている。
緑色に添えられるアクセント。
きれいに配置するとすげーかっこよくなる。
ほかにもあったら教えてくれ。
スイーツ(笑)な女の子が増えてきたせいか、私もそうだと決めつけられる。
すてきなお店でごちそうになると、決まって、ここのスイーツは有名なんだと連れてきてくれた男の人に言われてしまう。
上司だったり、取引先の人だったり、彼だったり。
お店を選ぶ理由はきまってスイーツ。
有楽町のお店まで来て、私が食べたいものはスイーツだっていうの?
すてきなディナーを楽しむのなら、やっぱりワインぐらい選んでいるお店がいい。
高い必要はないけれど、ちゃんと選んで身の丈にあった、料理に合うワインを出すお店がいい。
席に座ると、メニューが運ばれて来てどこのワインだって書いてある。
「もし、魚料理にするならこちらがいいですね」
うん、それでいい。
前菜だってちょっと気が利いたものが出てくるところがいい。
クスッと笑ってしまうようなかわいい料理だったり、ぽーっとしてしまうようなおしゃれな料理だったり。前菜はディナーコースの一番初めだから、ちょっと気を引く、なんだろうと好奇心を掻き立ててくれるものが出てくると嬉しい。
「これ、なんですか?」
「キノコの一種なんです」
へぇー。
すこしだけ会話がはずむ、ふしぎな料理が出てくると、なにが出てくるんだろうと、会話がはずんでしまう。
パンが出てくると、メインディッシュがはじまる。
ちょっとかわいいパンを選んで、噛んでみる。
胡桃が入ってる。
伝統的なパンなんです、とウェイターがにこやかに笑う。
そんなにうれしそうな顔をされると、こちらまでうれしくなる。
スープにつけてたべる。
いい匂いがすると、シーフード。
ムール貝だ。
「なんか、こういうのが出てくると地中海って感じだよね」
「けっこうスペインってシーフードなんだよ」
「ワインに合うね」
にこってなる。
「最後はパエリアだよ」
「なに?」
「うーん、シーフードの炒めご飯というの?」
そんな料理がでてくるのか。
胡桃のパンを囓る。
メインディッシュは鮭のソテー。
庶民的だけど、空腹は満たされる。
やはり料理人がいいのかな、クリームのソースがおいしくて、ついパンですくってしまう。
夢中になっていて、はしたないかもと、はっとする。
視線を上げるとにこにことされて照れてしまう。
「ここ、イカスミも有名なんだよ。
イカスミだったら、すくっちゃうな」
そうだよね。
そして、真打ち登場、仔羊のスペアリブ。
もう、おぎょうぎなんて気にせずかぶりつく。
おいしい!
こんなお店に連れてくるんだからよっぽど食いしん坊だと思われているはずだ。
だから、もう食いしん坊でなにが悪いって、骨までしゃぶる。
「ガーリックかな?」
それでおいしいのか。
ワインのおかわりがつがれる。
大きなお皿から小皿へよそってたべる。
もう、いっぱいかなあ。
けっこうたべたよ。
ウェイターが、食後のオーダーを聞く。
デザートは何ですか?
大丈夫? たべれる? だって。
大丈夫。
さいごのデザートは女の子にとっては、別腹。
だって、スイーツ、大好きだもん!
こんな、フルコースのあとのデザートはさいこー!
でも、違うの。
このデザートがいいの。
こんなすてきな食事の最後に出てくる、料理にぴったりあった、すてきなデザートが好きなの。一時間も、二時間もすてきな食事をして、その最後に出てくるデザートが好きなの。
とうとうきたかという感じだ。
モンちゃんというのは高校の同級生でもう10年以上の付き合いになる友達なんだが、宗教にはまってしまった。宗教じゃないのかもしれないけどおれにはそうとしか思えない。自己啓発セミナーってやつだ。ベーシックエンカウンターグループとかいうあれ。なんでも1セッション3時間を11セットやるんだそうだ。
そのさあセッションって、あれだろ?大槻ケンヂの小説みたいに一昼夜「私は悪い人間です!!!」って泣き叫びあって、最後には車座でハーブティ飲んで談笑して打ち解けあうとか、なんかそんなようなやつだろ?人間同士の結びつきは秘密の暴露と体験の共有がキモだと思っているおれには、そんな無理やりつり橋渡らせるようなやり口がすごくうさんくさく思えるんだが、モンちゃんはそれを「癒しだ」とか言い出した。
元々モンちゃんは、厄介な女の子――夜中に「これから死ぬから」って電話掛けてきちゃうような、手首にこれ見よがしな包帯巻いているような、飲んでる薬自慢するような、そういう女の子が好きで、好きというか、うっかり関係しては「ほっておけなくなっちゃって」とか言って疲弊しまくっている。
最初の彼女がそんなんでおれたちは本当に心配したけど、二人、三人、とその手の娘とばかり付き合うようになって、ああこれは共依存ですね\(^o^)/と合点がいったので心配するのをやめた、という経緯がある。そうしたくてしていて、かつハッピーなら、外野が口を出すことじゃないから。まあそれでも、思いつめた相手に刺されたりしないだろうかと危なっかしく思ってはいたのだが、「深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗き込む」だっけ?いつのまにかモンちゃん自身も思わせぶりなmixi日記書いたり、批判を攻撃と受け取って排除しだしたり、メンタル系の薬を処方されていることを匂わせたり、「おまえはリア充だから俺の気持ちなんかわかんないよ」とか厭な笑顔で言うようになってしまった。
きっとモンちゃんはそのうち宗教まがいの自己啓発セミナーで知り合った厄介な女の子と付き合ったりするんだろう。そうなったら完全に終わりだ。絶縁覚悟で「いいかげんにしろ」と言うべきなんだろうけど、変わってしまったモンちゃんが悲しくて対峙できない。あんなにいいやつだったのに。もう32なんだからさ、モンちゃんのそれは「厄介な女の子の面倒を見る包容力のある俺カッコイイ」って自己愛なんだって気づいてくれよ。頼むよ。
を並べてみた。(ランクDの場合)
「美容・コスメ・香水」が30店中5店と高い割合になっている。
一番料率が高い「元気にやせる研究所」は41.70%となっており
5,000円の商品を売った場合紹介料として2,085円ももらえることになる。
広告宣伝費としては、結構高いほうではないだろうか?
それでも利益が出るのだからこれらのジャンルの商品は非常に原価率が低いのであろう。
一般的にこの手の業界は広告宣伝費の比率はかなり高いのだろうか?
また「おもちゃ・ホビー・ゲーム」で入っている「おもしろ倶楽部」
はコスプレのお店でした。
| 順位 | 適用料率 | ショップ名 | ジャンル名 |
|---|---|---|---|
| 1 | 41.7% | 元気にやせる研究所 | ダイエット・健康 |
| 2 | 41.5% | 生搾りどくだみ青汁酒の店 食援隊 | 食品 |
| 3 | 35.6% | 乾燥肌の人がつくった化粧品屋さん | 美容・コスメ・香水 |
| 4 | 31.0% | garra楽天市場店 | 美容・コスメ・香水 |
| 5 | 30.0% | サンスターオンラインショップ | ダイエット・健康 |
| 6 | 30.0% | スナップ | バッグ・小物・ブランド雑貨 |
| 7 | 30.0% | すこやネット | ダイエット・健康 |
| 8 | 23.0% | PANS SHOP | キッチン・日用品雑貨・文具 |
| 9 | 22.0% | プエラリアプラザ | ダイエット・健康 |
| 10 | 21.1% | ビューティーマザーリーフ | 美容・コスメ・香水 |
| 11 | 20.2% | 四国剣山森の天水 | 水・ソフトドリンク |
| 12 | 20.1% | モロヘイヤ直売センター | ダイエット・健康 |
| 13 | 20.1% | おから本舗 | ダイエット・健康 |
| 14 | 20.0% | ケイアイプランニング | 花・ガーデン・DIY |
| 15 | 20.0% | Fastener Design Products | レディースファッション・靴 |
| 16 | 20.0% | TOKYO ART FILE | おもちゃ・ホビー・ゲーム |
| 17 | 20.0% | サプリメントショップ マキシ | ダイエット・健康 |
| 18 | 20.0% | ナチュラルサプリ タイ天然ハーブ | ダイエット・健康 |
| 19 | 20.0% | 銀座プラトンエステプラザ | 美容・コスメ・香水 |
| 20 | 20.0% | 自然派化粧品 EcoWhite 楽天市場店 | 美容・コスメ・香水 |
| 21 | 20.0% | HAVILAND | キッチン・日用品雑貨・文具 |
| 22 | 17.2% | カーウォッシュSHIFT | 車用品・バイク用品 |
| 23 | 17.0% | 大地堂ネットショップ | ダイエット・健康 |
| 24 | 16.6% | インナーサイレンサーのSFC | 車用品・バイク用品 |
| 25 | 16.2% | EUROU楽天市場店 | 車用品・バイク用品 |
| 26 | 16.0% | レディースカジュアルアイランド | レディースファッション・靴 |
| 27 | 15.5% | 株式会社神林堂 | ダイエット・健康 |
| 28 | 15.2% | レコードジャケット用額縁の店 | CD・DVD・楽器 |
| 29 | 15.2% | おもしろ倶楽部 | おもちゃ・ホビー・ゲーム |
| 30 | 15.0% | モロッコ・スタイル | バッグ・小物・ブランド雑貨 |
男だが、「男の料理」という言い回しが嫌いだ。炊事に女も男もあるものか。それだけのことである。あと舌の狂ったキッチンドランカーがめちゃめちゃな味付けを行ったり、食後の後片付けを誰かに押し付けたり、これを正当化する際のキーワードとしても用いられる。あと、世の男性の料理長たちは、男以外の何かなのか、という話でもある。
共働きならば、先に帰宅した方が台所に立つのが正しい。家事分担にこだわって、無駄に空腹の時間を過ごすのはアホの典型であるが、あるいは、そもそも分担がうまく機能してない証拠である。もっともこのことは、あらゆる家事に通用する。課題は見つけた方がやっつける。ただ、食後の皿洗いのようにスタートラインが同じ場合は、どちらが行なうか交渉できる。積極的に交渉を持ちかけることができる関係もまた良し。
また独り身でも、経済的栄養学的スキルアップ的に、炊事が有意義であることは言うまでもない。昨今金欠なのは一部を除けばどこも同じと推察するので、安い食材でもってうまいことやるのが、妥当な選択というものだろう。料理は愛情ではない。技術だ。
話はずれたがそろそろメシ時である。今日は何を作るか、などと考えながらレシピサイトを眺め、近所のスーパーに売ってないような食材を選択することは、アホである。もとより冷蔵庫の中身は、おおまかにでも常に把握しておくべきだし、把握を容易にするため、無駄に買い溜めしないことも重要である。それでまず最初に、冷蔵庫には何か残っていたかと、帰り際に考える。
次に帰り道の途中にあるスーパーに入る。このスーパーは、時々どうやって食うのかよくわからないものを仕入れてたり、予告もなしに特定食材の一斉放出をはじめる。少々ネジの外れた店である。よくわからないものを売ってた場合は、新しい調理法を知るチャンスとなり、かつ普通のおばちゃんたちは、よくわからないものは買わないので、自ずと安く出ている。先日は加熱用の牡蠣を大量放出していた。よくわからないものではないが、我が家として珍しいものであることは確かである。馬鹿に安いのが気になるが、ワケあり品を出して人死にでも出ては店が大変なので(ちなみに身内に牡蠣アナフィラキシーがいる)産地を見た上、その可能性を排除した。単に大量に仕入れたということなのだろう。恐らくこの日は、この町内のあらゆる家庭が牡蠣を食した。
またこの時、牡蠣にはトマトだろう、という怪電波を受信。自分の記憶のどこを探してもこの組み合わせを食べた話も作った話もなかったが、恐らく深層に眠っているのだろう、ということで、その場で携帯から「カキ トマト レシピ」などとぐぐる。数多の事例が見つかったので、この組み合わせはアリということだが、この段階では何を作るか留保したまま、とりあえず激安牡蠣と激安トマト缶を買って帰る。ところで、食材の組み合わせにアイディアが欲しいとか、疑問がある場合はここなど参考になるかも知れない。どう料理するかはさておき、理論上の可能な組み合わせが列挙されている。牡蠣にトマトは言うまでもないらしく、言及なし。
帰宅後、再度レシピをぐぐるが、実は帰宅するまでにトマトシチューにするということで肚が決まってしまっていた。残念ながらそのものズバリのレシピは見つからない、というか時間もないし、そのものを作る気も一切なかったので、いくつかのサイトを流して、牡蠣の洗い方やら鍋に投入するタイミング、使用する調味料やハーブなどに関する大まかな傾向を把握する。ハーブはそのものが手持ちにないことも多々あるので、暇なときにwikipediaで共通成分を見たりしておくと代用が効く。
あとは実行しながらその都度工程を考える。鍋に火を入れ、加熱すべきと思われる順に野菜を切って投入すると、少々焦げが出てきたので、少しの酒を入れて焦げ付きを回避、かつ焦げ味を回し、進展が見られなくなったところで牡蠣とトマト缶をぶち込み、味が濃くなりすぎないようあれこれを少しずつ足し、タイマーを数分かけ、その隙に他の事を行い、タイマーが鳴ったら再び様子を見て、さらに手を下したり下さなかったりして、よきところで火を止め、あとはメシ時までフタして放置した。実技は適当なもんであるが、断じて「男の料理」とは言わない。
食べる時は、自分で作ったから自ずとそうなるが、単に美味いか不味いか、というよりは、個々の食材の味がどのように按分されたかを分析してみたりする。例えばこの時は、牡蠣を入れるタイミングがちょっと早かったかもしれない、などと思ったので、これを記憶しておくと、あとで使えるかもしれない。また同じような分析を、外食の際に行うことにも意味がある。料理の種類によってはかなり難しいが、タイ料理なんかでこれをやってみると、かなり色々なことがわかって面白いと思った。
手塚治虫『人間関係が希薄な人は漫画は描けない。漫画とは読者との会話だからだ』
宮崎駿『ロクに人生経験も無いオタクを雇うつもりはない。火を表現するには火に触れないと駄目だ』
庵野秀明『アニメ・漫画に依存するのは止めて外に出て欲しい。あれはただの絵だ』
富野由悠季『オタクは日常会話が出来ない。アニメ作るならアニメ見るな』
藤子・F・不二雄『よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか
「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、
私の持っている漫画観は全く逆です。
人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。
自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。
それを由(よし)とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。
家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様なハーブ類がありますか?
どの家の冷蔵庫も然して変わりません。
「でも、折角あるんだし勿体無い・・・」とそれらの食材で賄おうします。
思い出を引っ張り出して出来上がった料理は大抵がありふれた学校生活を舞台にした料理です。
人生経験自体が希薄で記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。
全てはそこから始まる。
その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。
つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。
上は藤子絶賛コピペですが、手塚宮崎庵野の言葉をオタクへの攻撃としか受け取れないなら生産者側に回るのは絶対に無理です。そのまま消費するオタクにとどまっていて下さい。
藤子が支持したいと言っているのは、あくまで食材収集能力に長けた人であって、かわいそぶって空腹を嘆いている人ではありません。
手塚宮崎庵野の言葉で憤るのは、まさに空腹であるにもかかわらず食材が無いなら他所から仕入れて来ようという発想が出来ないことの証明です。
(・▽・)ノはーいはーい!
ちょっと元増田とは違うみたいだけど
何時も冷蔵庫とにらめっこして、
この材料で何作ろう、アレが足りない、コレで代用…
って頭悩ませたり工夫したりで疲れるから、
ハーブ料理の本眺めて、「よっしゃー!これ作る!」って気合入れて
明治屋とか成城石井とかロフトとかハンズとかあちこち回って材料そろえて
準備万端で挑んで、料理する課程までが大好き!
煮込んでいる時が最高潮かなー。
(キッチンに入ってきた途端、かぎなれない香りに「臭っ!」って反応される事もあるけど;
10中8、9は美味しいって喜ばれるからよしとする)
勿論、何時もやれないから、って事ではあるんだけどね。
本眺めて「こんな材料手に入らんよぅ…」って愚痴るのも嫌いじゃない。
沢山のスパイスは眺めるだけでも好き。
作ること(を想像する)前提だから、材料や作り方の説明が簡単すぎる本は嫌い。
貴方にとって「落ち着くこと/モノ」ってなんだろう? 朝少し早めに起きて、そういう
落ち着けること/モノに助けてもらうといいんじゃないかな。
寝床から離れて、居間とかで暖かくして、好きな音楽を聴きつつ、軽くストレッチ
体操してみたりとか。
自分の場合、寝床でうーうー悩み始めるとしんどいから、起きちゃう。夜中でも。
んで、水飲んだり、ネットしたりして「うーうー」になってるココロを違う方向に向ける。
ネットやりたくないときは、モネとかミュシャとか好きな画集抱えて見たり、好きな
本読むか、音楽聞いてる。ハーブのオイルポット用意したりとかさ。
あと、「うわー、また苦しくなった、やだよー、やだよー」っていう気持。それは
自然な反応だから、そういう風に反応する自分を嫌いにならないでほしなぁって思う。
泣いたり、怒ったりするのも自分の一つの面なんだよーって。弱いとかじゃなくて、
普通なんだよって。
問題が早く解決して、朝の光を浴びてのんびり出来る日が来ることを祈ります。