はてなキーワード: 百害あって一利なしとは
Vチューバーの県警動画削除、フェミニスト議連に殺害予告「戸締まり気をつけろよ」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/135699
これは「恒心教徒」と呼ばれる人たちが送り付けているようだ。
数日前にフェミニスト議連の対抗勢力(Vtuber側)であるおぎの稔氏に対して恒心教徒から殺害予告や爆破予告が行われたが、今度は逆にフェミニスト議連に殺害予告や爆破予告が行われている。
なんでそんなことが分かるかと言うと、その恒心教徒が集まる掲示板(通称「コロケー」など複数)に、予告を送り付けたという報告が多数書き込まれているのだ。
フェミニスト議連への予告の中には、おぎの稔氏の名義で送られたものも多くある。
恒心教徒による殺害予告や爆破予告はほとんど捕まらないことが特徴の1つ。Torなどの匿名化ソフトを駆使してるからだ。年に1人くらいは捕まる人が居るが、そういうのは爆破予告を送り付ける手前の段階(例えば、区役所の問い合わせフォームを検索して初回接続した時)で非匿名化の環境(要は普通のネット環境)を使っていたために足がついた・・・などの初歩的なミスをやらかしているケースであり、こういう類は「バカ」扱いされている。
そういう「捕まらずに世間を騒がせる悪戯をするプロ」である恒心教徒が、フェミニスト議連と全面戦争をする。傍から見る分には最高に面白いコンテンツだ。一部の建物や直接関係がないイベントに影響が出るかもしれないが、しばらくは我慢するしかないだろう。
恒心教徒、フェミニスト議連ともに百害あって一利なしの連中なので、これを機に対消滅して欲しい。
コロケーによると、おぎの氏への殺害予告が恒心教を思わせる内容(3時34分の件)であり、かつそれが騒ぎになったため、恒心教に政治色があるとみなされるのを避けるために無差別爆撃をせざるを得なくなったという書き込みがあった。
おそらくこれが実態なのだろう。政治的意図は一切ないと言っているが、増田も今回の件は政治的意図は端から無いと見ているので(だから「悪戯」と書いている)その点は一緒だ。
つまり、フェミニスト議連への殺害予告や爆破予告は、おぎの氏が過剰に騒いだことが招いた事象であるということだ。おぎの氏は殺害予告があったことを報告するなとは言わないが、少なくとも内容は非公開にすべきだった。それが余計だった。
また、今後おぎの氏がこの件で騒げば騒ぐほど恒心教徒による悪戯はエスカレートしていく事にもなる。そのうち「贈り物」(攻撃対象の家や職場に代引きで高価な物品やアダルトグッズなどを送り付ける行為)も出てくるのだろう。
まあ、全員消えていなくなってくれればそれで良いよ。
そいつは一つの国語表現に固執するあまり、不特定多数に自説を吹聴して回り、
あまつさえ特定の国語学者のアンチまで務めるという壊れっぷりであった。
流石に目に余るのでそいつのプロフィールを見たところ「発達障害」という文字列が入っていた、
ああそういうことね、と冷たくレスを返してみると、案の定相手がいきり立ったものである。
ひたすら自説の正当性と大義名分を主張しヒートアップしていく一方、
私はそれを見て、かわいそうなやつだなと思った一方、
「なんのためにこいつは発達障害を自称しているのか」と思ったものである。
自分も素人なので詳しいことは知らんが、ネットでちょっと調べた限りでは、
「発達障害はどうでもいいことに固執する傾向がある」というような話があった。
(下手に曲解するといけないので、そういうふわふわした理解にとどめておく。)
その性質を自覚しているなら、そうなっていると指摘された時に、
「すまんな」「ええんやで」とならなくては意味がないのではないか。
逆に言えば、それができないのが発達障害なのかもしれんが。
いずれにしろ、彼が発達障害と診断された意味が微塵も感じられなかったのである。
そういえばもう一つ、「病気の診断」に関して思うことがあった。
一昔前に「新型うつ」という概念が流行ったころ、それを否定する風潮が強かった。
お茶の間にとって「うつ」とは「常に気分が落ち込んでいるべきもの」という偏見があった時代で、
(あるいは今もそう変わってはいないのかもしれないが、少なくともメディアの扱い方は違う気もする)
「やるべきことに直面すると落ち込む、解放されると嘘みたいに明るくなる」という新型うつを見て、
「甘え」や「仮病」の二文字が頭に浮かぶ人は少なくなかったであろうと思われる。
その様子を見ていた自分は当時まだ子供であったが、子供なりにその風潮を憂えたものであった。
いざ自身が大人になってみると、うつ病の人が周囲にちらほら出てくるようになる。
私の交友関係はだいぶ狭いほうだが、それでもあんな人やこんな人がカウンセリングを受けている。
仕事で心を破壊された気の毒な人もいれば、体育大学に通いながら精神を病んでしまった人もいる。
健全な精神は健全な肉体に宿れかし。そう思わずにはいられない。
無知の知ではないが、うつ病とはわからぬものだなという事だけがわかってくる一方、
彼らが日々己の心身と闘っている様子が切実に見えてくるものである。
しかしながら、うつ病患者だからといって100%同情されるわけでもない。
知人のとあるうつ病患者は、日々の体調管理すら苦労している様子が見て取れる一方、
もともと愚痴が多いうえに「かわいそうな自分」に酔うタイプであった。
それを日々聞かされる周囲の人はだんだんと耐えられなくなり、距離を置くようになってしまっていた。
うつ病であることそのものではなく、自分に酔うことを苦々しく見られていたのである。
子供のころから見ていた自分は「こいつ病気なんじゃね」と思っていた。
私が大人になるにつれて傾向は見えてくるようになり、
どうやら忙しいだとか面倒なことが控えると機嫌が悪くなり、
思うようにならないことがあると、それをしばらく引きずる形でまた機嫌が悪くなるようであった。
頼れるものに頼ろうとしても結局文句ばかりで一向に楽になろうとせず、
そうして忙しくなるとまた機嫌が悪くなるというマッチポンプばかりをしていた。
ネットを通して「そういう人もいる」という知見を得て、そういう人なら仕方ないなと思っていた矢先、
本人からうつ病であると打ち明けられたのである。診断書を見せられるでもなく。
そのとき私が抱いた感情は「かわいそう」とか「お気の毒」ではなく、
申し訳ないが「それ見たことか」「何を今更」「で?これからどうする?」という気持ちであり、
正直言って同情は一切わかなかったものであった。
なぜなら自らを病に落とし込んでいるようにしか見えなかったからである。
近年は様々な病気、あるいはナントカ症というものが多数生まれてきている。
先日某ラジオでも取り上げられていたが、とくに恐怖症になると枚挙にいとまがない。
「お酒恐怖症でーす!なぜなら目の前にあったら飲んじゃうから!違うかw」という投稿には個人的にムカついたが、
ほとんどは「落ち着きをなくす」「立っていられなくなる」のような割と切実な訴えであったし、
自身の友人知人からもそういう話は聞いたり、あるいは付き合ってきたものである。
そうした新たな病気やらなにやらというものの周知が試みられているのもまた現代であるが、
じゃあすべて見て聞いて覚えられるかと言えば、そんな余裕は多忙な一個人にはないし、
公の場で突然異変を起こした人を「あ!これネットで見たやつだ!」と100%適切に助けられる自信もない。
ましてや「病気」認定が差別的なものになりうることは過去も現代も同じであり、
無垢なマイノリティの方々が切実な訴えをなさっては、様々な人間が入り乱れて大騒ぎになるところである。
では「病気」という診断は何のために存在するのか?百害あって一利なしなのか?
私はそうは思わない、というか、「病気」だけが特別である必要がないと思う。
彼はかなり前に、声帯ポリープが発見されたことがあったらしい。
声を出すお仕事の人にとっては特に厄介な病気であり、切除をしてしばらくお休みをいただくのが常である。
しかし彼は「付き合っていけば味になる」と割り切り、手術をしなかったというのである。
そのせいもあってか度々喉の不調で活動休止ということもあったようなのだが、
2011年の時には「プロとして情けない」とツイートした履歴もある。
身体と心の不調では話が違う、と言われるかもしれない。
しかしながら私が言いたいのは、彼はある種の病を「個性」として受け入れたということである。
病気とまでは言われないものや、単なる性格に過ぎないものも細分化されつつあるように感じる。
「あなたはこだわり屋さんです」とか「あなたはネガティブです」とか言われても、
それは正式な病気や障碍ではないし、なんらかの公的な援助が受けられるわけでもない。
あるいは病気や障碍とまでは言い切れない「グレーゾーン」なるものも存在するようである。
そういう「個性」が明らかになったときに、自分はどうするのか?
自分がその個性とどう「付き合ってい」くか考えていくべきなのではないか?
もちろん病気や障碍には「どうにもならない」「仕方がない」部分はあるし、それに伴う人並み以上の苦労もある。
自身の身体をコントロールできない病なら、どんなに偉そうにして厚かましい要求をしてもいいのか?
自身の精神をコントロールできない病なら、コントロールを諦めて好き勝手罵詈雑言を吐いてもいいのか?
一般人にとっては、大義名分があるから批判することは難しい。でも人として嫌な思いはする。
そうして直言を受けることなく、一部の優しい人に甘やかされ続け、他の人からは疎まれ、
傍若無人にしてある種の孤独なモンスター、言い換えれば「裸の王様」が生まれる。
とくにマイノリティにおける過激派は、どいつもこいつもこうなってはいまいか?
大学の授業に通えていない現状を憂えてのことであったと思われる。
当時の自分は「怠けているだけなのに病院に行かせてくださいだなんて…」と、
今思うと「たとえ病気でなくても」医者にかかったほうがよかったのではないかと思っている。
結局二度と機会は訪れなかった私であるが、
大学生時代におけるリアルとネットの交流を通じて多くのことを学び、
時には大きなトラブルを起こして教訓を肝に銘じ、
また時には友人からの諫言も受けつつ自分を自分なりに成長させることができた。
かつては絵に描いたような「メンヘラ」だった私も、
今では精神疾患を冷静に分析し、自身を客観的に見られるようになり始めた、と思う。
そうか?と思われるかもしれないが、少なくとも昔よりはマシである。
なぜなら今思い返すと「昔の自分」が恥ずかしくて仕方ないからである。
未だに昔の自分に同情する部分もないわけではないが、
一方で人の振り見て我が振り直すことも多くなった。
それだけ人の、自身の「醜さ」というものをより理解できるようになったのである。
自身の気分の落ち込みも「これは見苦しいな」「こうすればおさまる」と自己分析し、
専門家によらないセルフコントロールを自分なりに築き上げてきた。
そんな自分から見ると、コントロールそのものを放棄している人が理解できないのである。
現代は科学と西洋医学の時代であり、「病気を治す」ことに邁進しているものと思う。
しかし一方で、「付き合っていく病気」というものは決して無くなるものではない。
今のコロナ禍においてもワクチン接種が進む一方で感染は防げない!と言われたり、
新たな生活習慣においては鳴りを潜めたことで、日々の感染対策の重要性が浮き彫りになった。
ワクチン打てばかからない!でもなければ、タミフル飲めば大丈夫!でもなく、
自分ができることをして病気と付き合っていくことこそが大事であると改めて示されたものと思っている。
以前ネット上で「自分の機嫌は自分で取る」という言い回しが話題になった時には、
それができるかどうかはさておき、やろうと思わなければ始まらないのである。
不機嫌な自分を正当化するだけでは、だだをこねる子供と変わらないのである。
自分の心をなだめてあげること。
心の不調の原因に向きあうこと。
それをやらずして「病気」に甘んじていては何の意味もないのである。
人はたいてい、何かしらのハンデを抱えている。
病気や障碍を隠して生きるよりかは、カミングアウトできる世の中であってほしいが、
カミングアウトを免罪符と誤解している人間は、その秩序を乱してしまう。
自分に対しては、病気や個性を認め、なるべくコントロールしてみよう。
他人に対しては、病気や個性を認め、なるべく受け入れてあげよう。
それらが並立して初めて、やさしい世界を体現できるのではないか。
元記事はナチス研究者に「KdFも知らないのか」とかなんとかかみつくツイッタラーの話だけど、
相手が内海医師だろうと近藤医師だろうと、医師でも研究者でもないのに「自分の方が物を知ってる」テイでマウント取りに行く奴はふつーにやべーだろ。
そもそも知識がある人はふつう「主張の根拠とされるこの部分は事実誤認」「メタアナリティクス上も信頼が高いとされる既存研究と矛盾」みたいに具体的に問題点を指摘するだろ。
そんで自分みたいに医学書の一冊も読んだことのない人間は、そういう信頼できる人の文章を引くか、自分で判断するにしても「エビデンスないじゃん」「著書読んだら論理が破綻してる」みたいなのが論拠になるのであって、『自分の方が知識がある』なんて思い込みは論破されたときの反転リスクもあるし百害あって一利なしだぜ。
物凄くコスパ悪いだろ。
そういう人の言う「オタクになりたい」って「オタクと呼ばれたい」ってことだろ。
倍速視聴なんてしたら、セリフなんて聞き取れないだろうし、オタク知識マウントに
時間は無駄だし(サブスク等で見るならば)金もかかるし知識も得られない、百害あって一利なしだろ。
「オタクになる」一番最短の道は、『「感想まとめブログ」「考察ブログ」を読み込む。』
これだろ。
そういうブログってのは、ネットで話題になった部分を端的に紹介しているし、
受験向けに作られたわけではない教科書を速読する(倍速視聴する)よりも
受験向けに作られた参考書をじっくり読みこむ方が知識は入りやすい。
さらに参考書と違うのは、そういうブログを読むのは金がかからないからな。
私なんかは見るものは自分の興味のある最小限に絞り込み、そのほかの
オタクの中で今話題になっているが、興味のあまりない作品はそういうブログなどを
読むことでコンテンツを見たふりをしている。普通にばれないしな。
でも、そこまでして「オタク」と呼ばれても、すごくむなしいと思うけどな。
真面目な話、ポケモンGoしている人で歴史的構造物に興味持つことはまずないぞ。
そういう真面目な人が申請や審査をするのは構わないが、大多数のポケGOトレーナーは「とりあえず数さえあればいい」という考えだ。ならば厳しい基準を設けて一部の人が作っている今の制度は大多数のトレーナーには百害あって一利なし
そもそもそんなものがポケストになる理由がないし、歴史的な物とそうでない庭先の花瓶との間に何が違いがあるのか。それに城や面白い造形の銅像というものをポケモンGoというゲームの中では一切活用していない。なら、どんなものがポケストになろうと殆どの人には関係ないし、基準を超えていようが集まっていれば文句は言わない。
僕は実家とは絶縁をしている。実家がどう思っているかはわからないが、とにかく僕の意思で絶縁状態を保っている。
なぜかと言えば妻や子供、ひいては妻の実家等々と本当に性格や考え方等々が合わないからだ。
結婚当初からお陰様で妻とは仲が良い方なのだが、だいたいの喧嘩の原因は僕の実家が絡んでいた。
「子供に○○○なことを言った」だの、「普通は○○○するよねー」だのまぁ普通のことだ。
それに対し少しでも実家を擁護するような内容を含ませる発言をするとまず喧嘩になる。
なので、そのうち同調して批判するようにしていったのだが、そのうち実家の矯正を求めてくるようになった。
そうなってくるとなかなか対応が難しくなる。そういうのすらもうまくやれるのが夫のスペシャリストなのかもしれないが、僕には無理だった。…なのでスッパリ切った。
だからまぁ自分のためなのだ。切ってからもう何年になるだろうか…?10年ぐらいは経っただろうか…なんか忘れちゃったなぁ。
この世のおかしいところは、給料を半分に減らしても、勤務時間が半分にならないところだ。
壮年期になり持病もあり、フルで働くのが体力的にしんどい。早期リタイアできる金はないし、就労意欲はあるので、働く時間を半分にして体を労りたい。
驚いたことに、この世の仕事は、フルタイム正社員(残業付き)か、パートタイム臨時雇用(時給も待遇も不安定)しかない。後者はフルタイムに近いくらい稼働を増やさないと年金やら税金やら払えないし、それならフルタイム正社員の方がずっと待遇がいい。しかしこれでは、仕事を半分にして慎ましくも安定的に暮らす道がない。
もちろん雇用する側にとって、半分しか働かない者を正社員として福利厚生を与え続けるメリットは乏しい。だが社会にとってはどうだろうか。現状のフルタイム正社員はほとんどが過労状態であり、早晩健康を害し、医療費を圧迫し、病気の悪化やうつなどで働けなくなれば障害年金や生活保護を半永久的に支払うことになり、家庭は壊れ、恋人との関係も壊れ、または恋人を作る余裕すらなく、もちろん男女とも育児の余裕もなく、社会は不安定化し少子化は加速する。働きすぎは社会にとって百害あって一利なし。なによりもう疲れた。
本当の意味で何の自慢にもならないが、私は診断済みのADHDである。
仕事でうまくいかず自分に疑問を感じ、精神科を受けてみたところ
調べていく中で理由がわかった。
「自分のだらしなさが病気ではなく、性格とやる気が由来であることを知るのが嫌だから」という理由だそうだ。
この事実を知ったときの心にあふれた感情はおそらく怒りのようなものだったとは思う
理屈をつけようとすると彼らは自分自身の欠陥を根源を知ろうともせず直そうともせず、抗おうともせず。
ただ原因は「病気由来のものであり、私は悪くない」とのたまったのである。
しかもそういう人に限って妙に人に配慮を求める厚かましさまでもっており、
中国にとって台湾を統合したいというのは至上命題というか最重要戦略だとは思う。
だけど、一方で、台湾沖のシーレーンを中国が扼することで日本の海路が阻まれたら
日本は石油をオーストラリア南側回りで輸入するか中国の顔色を窺い続ける必要が出てしまう
石油の輸送費の増大は物価やガソリン代に影響して、深刻な問題になるのは予想できる。
輸出入品は何も石油に限らないし輸出入先はシーレーン上の各国で西アジアだけではない。
だから日本、米国にとっては、台湾沖を敵とみなした国が掌握する事は許せない。
関係諸国は、そういう共通認識を持っているはずだし、中国が台湾を統合したいなら
日本を尖閣諸島問題などで刺激する事は、百害あって一利なしだったと思うんだよな。
むしろ日本を安心させて味方に付けて、中国が台湾沖を握っても被害はないよと安心させて、
出来れば日米離間し日中という枠組みを作るべきだった。
だけど、日米離間どころか、長年にわたって歴史問題や、靖国参拝、尖閣諸島問題で日本を刺激し続けたので
今や日本人の8割以上は中国は敵、アメリカに頼るしかないという認識を持つに至った。
敵にシーレーンを握られれば終わりと恐怖を持たせてしまった。この現状変更には50年はかかるだろう。
日米が組むことになればファイブアイズはもちろん日米側、QUADも日米側、勝ち馬に乗りたがってEUが加われば
ネヨウヨじゃないってだけの意味でわざわざそれ用の呼称を用意する必要はない。
チョッと考えればすぐわかる。
私達は普段
キチガイじゃない人
外を出歩く時に包丁を振り回していない人
ないだろう!
同じことだ。
ネトウヨじゃないというだけで、どうしていちいちそれ用の呼び方を用意しなければならないのか?
ネトウヨじゃないという本来普通である状態にわざわざ特定の呼称をつけようという動きを受け入れることは、
ネトウヨであることが普通、という流れを作ろうとするネトウヨの企みに乗せられているだけだ。
だから、このような増田の呼びかけには一切応じる必要はないし、そもそもリベラルという呼称自体も不要!百害あって一利なしだ。
デブのいう断食はオグリキャップが昼ご飯を我慢するくらいの意味なんじゃないか説
ガチの害悪でしかないから絶対に他人におススメするな自分で一人で勝手にやれ。
先週のプチ断食で2キロ痩せたのを入れると2週間前に比べて合計5キロ痩せた。
断食中のサウナは塩分取らないと危ないっていうのは前に一度失敗して知ってたけど…。
「いつもより体が温まりづらい分、長くサウナに入ることができ、調子に乗って長く入りすぎると頭痛に陥る」
おかげで痩せたけどね…
「具なし味噌汁はあり!」
というルールにしてる。
・困った時に塩分が取れること、
110kg越えのデブはこの手の荒行をやっても死ににくいというメリットがあるが
80kgくらいしかない人間が同じことやったらガチで生命のリスクあるから絶対にまねするなよ
もっと根本的なことを言うと、お前2年前に断食ダイエットしてるわけだが
https://anond.hatelabo.jp/20210402000349
なにを悩んでんだあほか。
はてなブックマークの人らはこれ勘違いしてるキ*ガイがおおくて怖い。
こんなんどう見てもセクハラだって自分基準でアウト判定出す人間が一番狂ってるけど
キ*ガイは自分の立場だけからしか考えられないのか。「当事者だけだと不満に思っても文句言えないかもしれないから周りの人間が声を上げなければ!」って主張するんだろうけどよく考えろ。
男有利な社会においては周りの人間が全体の力関係に忖度してしまうから泣き寝入りが多かったんだろうが。
これを考えられないキ*ガイのせいでいつまでたっても問題が解決しない。
キ*ガイが口を挟めば挟むほど、カウンターで「キ*ガイは黙ってろ」って反発の方が強くなって結局当事者まで黙らされる結果になる。
Vの人に許可なく作品を取り上げられちゃった腐人についてもキ*ガイが騒いだせいで過剰な反発を招いた結果
本人は「キ*ガイへの反発」のとばっちりで泣き寝入りさせられてる。
にも拘わらずキ*本人は「過剰に擁護する人間にツッコミを入れてるだけ」という他人事感丸出しの態度。頭おかしいよ。
騒ぐだけ騒いで自分は何の責任も取らないしその結果当事者が泣き寝入りしても自分のせいだとは決して認めない。
「よし次回はもっと騒いでやる」みたいに逆方向にブーストかかる。
お前ら外部の人間は黙ってればいいんだよ。
批判するんじゃなくて、外部の人間は口出すなって方向で統一しろ。
自分は口出したいが反対陣営は黙れっていうわがままな態度を取るから炎上になるんだ。
と、オタクは我々に他者の尊重を押し付け、文化相対主義を我々に押し付け、リベラル、つまり自由を押し付けてくる。
オタクキモイといえば差別だレイシストだと市井の人間にポリティカルコレクトな発言を求めてくる。
萌え萌えエロ絵は、公共良俗に違反し、公益性がない、まさに百害あって一利なしのものである。それを、相対化して認めろというのは暴力ではないか。日本には、古くから、それこそアニメなんかよりもずっと前から、挙動不審でおかしなものに執着するいい歳の独身は気色悪いという文化がある。こういった伝統文化を尊重せずに、自らの文化を尊重せよというのは矛盾している。
さらに、家父長制という日本の伝統的な考え方によって考えても、オタクがいくら萌え萌えエロ絵を大事に思っていたとしても、萌え萌えエロ絵好きは卒業するのが本人のためであると言える。妻子を養い家を維持するという伝統義務の邪魔となる萌え萌え絵を愛好すべきでない。間違えないで欲しいのは、これは”あなたのために言ってあげている”言葉である。けして、攻撃しているなどと思い込んで、フェミニストのように反発するのはやめていただきたい。
我々は今、オタクとなのるリベラルの一派による激しい攻撃を受けている。日本の伝統を守るためにもこうした悪とは戦わねばなるまい。