「権力者」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 権力者とは

2024-08-23

トラウデンさんの件

権力者男性ばかりであることに対する皮肉に何の力も持たないおじさん達が勝手に怒っていてよくわからない

anond:20240823100340

日本人は今、280万人の子供が貧困らしいからな。

貧しい時代にはふくよかな権力者が好まれ

2024-08-22

anond:20240822192643

埼玉県での議論はなんかもやっとしたまま幕引きそうだし、謎の権力者か何かが阻んでるのかなって勘ぐっちゃう

兵庫県民は主権放棄しているのか

兵庫県知事のあれやこれやが報道されているけどリコールの動きがないのが不思議

国政だと国民の一番簡単主権行使投票で、その後はなかなか主権行使しづらい。

地方自治体の長に対してはリコールができるので、当選後も不適切言動があれば主権行使ができる。

兵庫県の一番の権力者兵庫県知事ではなくて兵庫県民。

どうしてかというと主権在民だから

一番の権力者が、権力行使をしないということは、現在の状況を認めているとみなさざるを得ないのでは。

政治は誰かがやってくれるもの」として主権放棄をしているように見える。

リコール手続きが大変過ぎるのもあるだろうけど、動きすらないのが気になる。

2024-08-18

煮詰まる」はいかにして「結論が出る」という意味になったか

それでは夏休み自由研究を発表したいと思います

最初

現在のところ「煮詰まる」という言葉は、「議論交渉がまとまって結論が出る」という用法が正しいとされ、「議論が進まなくなって行き詰まる」という用法誤用であるとされている。「煮詰まる」という言葉がどのように用いられてきたのかに興味を持ったので、その変遷を辿っていこうと思う。ソースはだいたい国会図書館デジタルコレクションである

注意として、ここでは「煮詰まる」と「煮詰める」を区別して、「煮詰まる」の用例のみを追っていくこととする。現在においても「煮詰める」のほうには「行き詰まる」という用法はなさそうだからである

白樺派の例

調べてまず気付くのは武者小路実篤が「煮詰まる」を多用していたこである。そして同じく白樺派有島武郎長与善郎、その影響を受けたという岸田劉生木村荘八なども「煮詰まる」を用いている。まるで実篤から伝染したようである。それらは概ね「無駄な修飾を排して凝縮されている」あるいは「態度が一つに決まっていく」というような用法であり、いずれもポジティブ意味で使っているところが共通している。いくつかの例を挙げる。

大正10年 武者小路実篤自分脚本に就て』

僕は脚本はどうしても人間精神のあらわれである上に、煮つまったものであることを要求します。


大正10年 有島武郎『筆頭語』

心が二元的である間は、即ち或る機縁によって煮つまって一元的にならない間は、どこまでも二元なり多元なりの生活を押し通して行くがいいと思う。


大正11年 木村荘八『泰西名画家伝』

長官デリニのあやが「うまく」かかるもかからぬもなく、競技――即(すなわち)対抗の空気は忽ち煮つまるばかりであった。


大正13年 長与善郎『書斎より』

牛のよだれのようにだらだらした書きぶりがいかんのは問題にもならぬ事であるが、さればと云って何でも只無暗に簡潔に端折って書きさえすればいいと云う事を一つおぼえて、まるで電報文句のような言葉さえつかえば煮つまったいい文章だ、と思っている人の文章は又不自然な、とらわれた感じのするものである


昭和5年 岸田劉生演劇美論』

全体として、一つの美しさを出すけれど、旧劇の如く煮つまった味はなく、その美は甘く、低級である


白樺派以外の例

もちろん白樺派以外の用例も同時期にあった。意味的にはさまざまだが、ネガティブ用法も多かったようだ。

明治40年イヴィッド・パーリー『くらげ』

この説明には余程可笑しな点がある、で、僕は云った。

『じゃ、この国では、宗教煮詰まって了ったのですネ。』

もとは『The Scarlet Empire』というタイトルアメリカ小説である。原文は「It looks as if religion may correctly be said to have gone to seed, in this country.」となっており、「gone to seed」は「盛りを過ぎて衰える」という意味なので、つまりそういった意味で「煮詰まる」が使われていると考えられる。「加熱しすぎて水分が飛んでしまった」ようなイメージだろうか。

大正9年 ドストエフスキー白夜

私が余りに余計なことを喋舌り、私の心の中で長い間煮つまっていたことを必要もないのに述べ立てたことを、而もそれに就いては私は書いたものから読むように話すことが出来たのだ

こちらも翻訳書。英文は「I had unnecessarily described what had long been simmering in my heart」。「心の中でくすぶり続けていた」とか「ずっと感情が渦巻いていた」といったイメージか。

大正10年 岡本一平へぼ胡瓜』

何処かに法華宗があると見え、この熱気の世界の中へ煮詰まった声でお題目をいきみ出してる。

真夏暑い日に遠く法華宗お題目が聞こえてくる…という場面で、この「煮詰まった声」は「重苦しく絞り出している」ような印象を受ける。もの煮詰まったあとのドロドロとしたイメージだろうか。

大正12年 佐々木味津三『呪はしき生存

単にそれを考えるだけでも、彼は天地が煮つまるように感じていたたまらないような震撼を覚えた。

「居た堪らない」というので、世界が煮られて、そこにいられなくなるような感じだろうか。ぎゅっと狭窄するような感覚もあるかもしれない。

昭和2年歌舞伎 第三年第十三号』

森金之丞は正直にこれに答えるが、だんだん議場(公議所)の空気が煮つまって行き怒声、罵声騒然たる裡に第一場は閉じて行く。

議論が悪い方向に盛り上がってヒートアップしているという描写結論が出そうにないという点では現在の「誤用」のほうに近いか

昭和6年 大高巌『近代支那文学史上の先駆者

かるが故に自己生活を安泰ならせんが為には儼然として己れが階級城壁を固守しなくてはならない。科挙制度がそれだ。かかる試験制度採用することは一に権力者に反抗する意志学問の為に煮つまらせ、又一には士大夫階級思想擁護有為なる人材を作ることになる。

こちらは「集中させる」「浪費させる」ようなニュアンスか。

昭和9年 式場隆三郎バーナード・リーチ

高村光太郎は余り外に出ない。併し仕事は煮つまってきていると思う。暫らく作品を見ない。

この式場隆三郎白樺派との交流があったらしいが、「作品を見ない」ということは、ここでの用法は「行き詰まる」に近いのではないか

昭和10年 丸山幹治『黒頭巾を脱ぐ』

勿論コチコ官僚型で煮つまって、倒さにふっても水っ気もないような人ではなく、時代に対する感受性は強く、好んで人の長所認識する感服癖さえある。

こちらは「頭が固い」というような用法

昭和10年 ギュスターヴ・フローベールジョルジュ・サンドへの書簡

では左様なら。もう遅いのです。頭がまるで煮詰まりそうです。

翻訳書。英文は「Adieu, it is late, I have an aching head.」なので、普通に頭痛がすることを言っているのか、それとも「悩んで行き詰まっている」的な意味なのかはわからない。

戦後の例

戦前武者小路実篤を中心に、小説詩歌戯曲などの文学的文脈で使われることが多かった「煮詰まる」だが、戦後になると現在のような「議論交渉煮詰まる=結論が出る」といった用法が登場し、やがて支配的になっていったようだ。

それに関してわかりやすいのは「国会会議検索」で、戦前の「帝国議会会議検索」では「煮詰まる」はほとんどヒットしないが、国会会議録では1950年代あたりから見られるようになる。さらに用例を確認していくと1960年代から爆発的に増えていったようだ。労使交渉文脈が多いように思われるので、そのあたりをきっかけに流行りはじめたのかもしれない。

となると次に気になるのは「議論煮詰まる」=「行き詰まる」という用法がいつごろ確立されたのかということである。どうやって調べればよいか。たとえば「煮詰まってしまった」みたいな形だとネガティブ文脈で使われていそうだ。ということで検索してみよう。

昭和34年週刊現代

しか日本側は表面上は「朝鮮総連相手にせず」とその抗議を重視せず、裏では字句は修正せずとも運用面に幅をもたせるという妥協の動きに期待を寄せていた。それが、日赤相手にせざるをえない北朝鮮赤十字から真向に攻撃を受けたのだから問題は煮詰ってしまった。


昭和44年『先見経済

やはり人間災害にあってみないとなかなかわからないもので、そういったことで安堵感を持っている。しかしジワジワと危機に瀕してきているわけで、そのとき判断をあやまると、残念ながら煮詰まってしまう。


昭和47年ミュージックライフ

ハイスクールからジュニアカレッジヘと進んだアリス達は2年間のカレッジライフ煮詰まってしまい、カリフォルニアに向かったのである


昭和50年キネマ旬報

その後の二本は結局むしかえしのドラマをやるしかなくて、無残な作品になってしまった

あれも、会社方針企画貧困の為せる業で、プロデューサー監督も完全に煮詰まってしまったんですよ


昭和51年レコード芸術

あい自由さが背景にあってのこの音楽じゃなくて、すごい煮詰まっちゃってて、つらいだろうなというところで出て来る音なんですね。


昭和53年スイングジャーナル

でも、いつか自分のやりたいことをやらないと苦しくなるというか煮詰まちゃうわけだよね。


昭和54年ジャズ批評

昔は、自分が何をやっていいかからなかった。やり過ぎると煮詰まってしまうし。


昭和56年週刊読売

「でも、仕事ばっかりしていると煮詰まちゃう」「煮詰まちゃうってのは、息詰まる、退屈する、スランプに陥るって意味なんです。」


昭和60年 毛利子来岡島治夫・末永蒼生『「体」発、宇宙へ』

たとえば原稿書いてて、もう煮詰まっちゃって、しょうがない、寝よう、横になると、ア、と思いついちゃう


昭和60年 チャールズ・シェフィールド放浪惑星

その問題ととっくんでいるうちにわたしの頭は煮詰まってしまい、あとをマッカンドリューにゆだねた。


昭和60年 松浦理英子いちばん長い午後』

実はそれは性的遊戯の一環ではなく、二人の交際煮詰まってしまったあげくのもがき合いであった。


結論が出る」用法と比べれば圧倒的に少ない。とはいえ1970年代くらいからは、日常語として「行き詰まる」的な用法もわりと広まっていそうな感じはする。というか「結論が出る」用法議論交渉文脈しか使えず、それ以外のときは「行き詰まる」用法になることが多かった、という感じではないか

ちなみに、この「行き詰まる」用法誤用として問題視されるようになったのは2000年ごろらしい。実際、Google Booksで「煮詰ま誤用」などと検索すると2000年以降の書籍しか引っかからない。

まとめ

といったところか。

煮詰まる」のコアイメージは「熱されることで水分がなくなっていき固形分だけが残る」というようなものであろう。

それをポジティブに捉えると「余分なものが削ぎ落とされて本質がはっきりする」といった意味合いになり、ネガティブに捉えると「瑞々しいものが失われて停滞する」といった意味合いになる。たとえば「議論」にポジティブイメージ適用すると「論点が整理されて結論がはっきりする」になり、「思考」にネガティブイメージ適用すると「新しいアイディアが生まれなくなり行き詰まる」になるわけだ。

もともとの料理としては「美味しくするために煮詰める」ことも「熱しすぎて煮詰まってしまう」こともあるわけで、どちらのイメージで使うのも自然感覚である。当初から煮詰まる」は多義的比喩表現だったのだから、「これが唯一正しい用法なのだ」などとはあまり気にしなくていいのではないだろうか。

発表は以上となります。ご清聴ありがとうございました。

2024-08-17

男がsexしなきゃいいだけの話多すぎ問題

梅毒蔓延もそうだし、望まぬ妊娠も、有名人女性問題もみんな「女のせいになってるけど男がやらなきゃいいだけの話」が多い。

世の中の性に関する話、性犯罪すら「女のせい」になる風潮。「やられる原因を持ってるほうが悪い」ってそれはっきりイジメだよね。性の都合の悪い事は女のせい。良い面は男のもの

避妊すらちゃんとできないのにやりたがり、結果に関してはスッ…と透明になるのマジでクソなんだよなあ。買春して性病撒き散らしてセクハラして痴漢してる同性を諌めない。男の性欲だけは男同士で「仕方ないよねー、ねー」って肯定しあってて狂ってる。しなくていいだけのに「本能本能!」←本当に本能なら場所相手問わないはずなのにそれは我慢できちゃうんだなこれが笑

コントロールできないなら、男に性欲抑制剤のませとけやマジで結構問題解決するよそれで。男の不妊薬もあるんだが、「ピルくらいの副作用があるからボクちん達には怖いヨォ」って未だ不認可。…馬鹿か?

ちゃんとした紳士男性ももちろんいます!そういうまともな人から権力者犯罪者なんかのオラオラ男性に、もっとやめろって言って欲しい

2024-08-16

インサイド・ヘッド2』みたいに実際には白人だらけのスポーツで敢えてコーチや有力選手黒人を設定し

白人主人公彼女等を打ち負かすストーリーにするのって

実際にはありもしない「女尊男卑」の世界観を設定してその中で男性主人公女性権力者を打ち倒す作品に近いと思うんだけど

後者ミソジニーを感じる人達が何故か前者に対してはレイシズムを感じるどころかポリコレだとして持ち上げるのが本当に不思議

anond:20240816030334

端的に、政治権力者の男女比を見て、男女の賃金格差をみれば、

まともな知能がある人間ならば、男尊女卑女性差別のクソゴミ国家だとすぐに分かりますね。

社会ゴミ化した責任はほぼ男性にある。

2024-08-15

anond:20240815212653

この物語は、現代社会消費社会マスメディアの影響を寓話的に表現していると言えるでしょう。

各要素の象徴

物語が描きたかたこ

深読み現代社会への投影

この物語は、現代社会において、SNS広告いかに人々の心を操り、消費を煽っているのかを暗示しています。また、情報過多の時代において、真の情報を見つけることの難しさを表現しているとも考えられます

この物語から得られる教訓は、

など、現代社会を生きる私たちにとって重要メッセージです。

異なる視点から解釈

この物語は、多角的解釈することができます。例えば、

あなた解釈

この物語について、あなたはどう思いましたか?どのような視点からこの物語を読み解くことができますか?ぜひ、あなたの考えを聞かせてください。

創作のヒント

この物語ベースに、あなた自身オリジナルストーリー創作することもできます。例えば、

など、様々なバリエーションが考えられます

創作の際に役立つ質問:

ぜひ、あなた創造性を活かして、物語世界を広げてみてください。

2024-08-12

anond:20240811204233

 こういうことで弱者男性叩きとかしたがるのは、むしろ新潮カス右翼だったりするけどね。

 荘野頼子みたいな最低最悪な弱者男性差別の糞フェミババアを暴れさせてたのが新潮

 水晶なんたらとかいう、男尊女卑に抗議してるとかいういつもの体で、ホームレス問題とか自殺者は男性の方が多いこととか、生きづらいのも弱い立場の男の方が酷いってことも無視して、逆にしたら都合が良い部分だけ逆にしてワガママ描いただけの小説とか本当に酷いよ。

 その男尊女卑で得をしてるのは権力者の男だけなのに、その権力者男は叩かず、むしろ新潮みたいな最悪なところに媚びへつらってるくせに、弱い立場の男ばっか叩く。

 それが三島由紀夫大好きな新潮かい右翼と、実はそいつらに裏で手を組んで操られてる糞フェミババアもの本性なんだよ。

anond:20240811125329

多様性・少数派を尊重すべきだと言うてるのではない

例外を設けてはならないと言うてる

弁識能力を欠いた知的障害者は正しい投票ができないのだから選挙権剥奪しよう

では

弁識能力が無ければ選挙権不要

正しい投票ができない人も不要

ロジックが進む、

正しい投票とはなんぞや

多数決で正解を当てっこするのが選挙(と勘違いしてる人が多いが)

では当選者に投票しなかった人は不正解投票をしたのだからから選挙権剥奪

こーゆー話になってしま

あるいは知能テスト

あるいは所得

んなアホな、どこかで気づいて振り戻しが起きる

そこまで極端な事は起きない

平和ボケ日本人は思うだろうが

権力者暴走たらこんなもんあっという間に成立しちゃう

実例ナチス

彼らは法的にはきっちり正しいプロセス適用させてあそこまでやったんだよ

 

ナチスだけではなく小さな例外をこじ開ける権力者暴走枚挙にいとまがない

から民主主義の根幹の選挙制度で例外設定はご法度

anond:20240812025456

インフルエンサー権力者は間違いを訂正してくれる人がおらんし間違いを間違いのまま進められる環境にある。

とは限らないでしょ。独裁者じゃないんだから

これ

anond:20240812023941

権力者であれば頭がおかしくなりうる環境にある」という説を否定しきたので

反証として一例を示したつもりだったが。

お話通じてる?

anond:20240812020509

インフルエンサー権力者は間違いを訂正してくれる人がおらんし間違いを間違いのまま進められる環境にある。

もう少し一般化して言うと潜在的な異常性癖や異常思考を行動に移せる環境にあるということ。

anond:20240221222237

2024-08-10

避難所リーダーに女はもなれ

避難所での性犯罪は非常に多い

自営だけでは限界があり、避難所ルール自体を変えていく必要がある

そのためには女側が避難所権力者になる必要がある

己のため、己の娘のため、リーダーにならなければならないときが来ている

また、避難所性犯罪を見たら厳しく糾弾しなくてはならない 

ツイッターツイートしてるだけじゃダメ 行動しろ

2024-08-09

君はコーラ・ディ・リエンツォを知っているか

コーラ・ディ・リエンツォについて

コーラ・ディ・リエンツォ は、中世ローマ政治家であり、ローマ共和国の復興を夢見て活躍した人物です。彼の生涯と業績は、中世ヨーロッパの歴史において非常に興味深い物語となっています

    

ローマ共和国の復興を夢見て

古代ローマへの憧憬: リエンツォは、古代ローマ栄光を強く意識し、その復興を強く願っていました。

民衆の支持: 民衆の不満やローマ貴族への反感を利用し、民衆の支持を集めました。

独裁官就任: ローマ独裁官就任し、市政改革に着手しました。この改革は「コーラ革命」と呼ばれています

  

コーラ革命とその後

市政改革: 税制改革貴族特権削減など、民衆に有利な改革を進めました。

独裁的な傾向: 徐々に独裁的な傾向を強め、周囲から警戒されるようになります

失脚と死: 最終的にはローマ市民に追放され、国外暗殺されました。

  

コーラ・ディ・リエンツォが歴史に与えた影響

中世ローマ政治: 中世ローマ政治に大きな影響を与え、共和制復活の動きを活発化させました。

  

芸術: リヒャルト・ワーグナーオペラ『リエンツィ』の題材となり、芸術作品としても後世に名を残しています

   

コーラくんは貴族という階級を徹底的に攻撃して教皇民衆の支持を得て独裁権力者になったが、暴走して失脚した。

欧米では階級闘争を行った自由主義者の側面と扇動政治家の側面を持つ中世の興味深い政治家の一人とされているのだ。

2024-08-06

anond:20240805224617

権力者が変化を嫌うのはわかるんだけど、弱者もこれなんだよな。今より悪くなるのが怖いってことか

2024-08-05

言論の自由表現の自由はリヘラル的価値観に基づく場合のみ許されるという基本原則理解出来ないバカが多過ぎる。

天皇写真を燃やす

ポルノ

2024-08-04

LGBTは前提がズレてるんだよな。もうこの社会には男/女に含まれる仕方で普通に暮らしているトランス男性女性がいるし、同性カップル同性カップルに育てられてる子供もいる。世の中の理解やら法の整備やらがないと存在しないのではなく、むしろ逆で存在してるからその現実に追いついていない世の中の理解や法をアップデートせざるを得ない。そのための訴訟が起きて、段々と現実にあった判決が出始めてるのが今だ。

いくら気持ち悪かろうが怖かろうがそんな主観的気持ち現実は変えられないんだよ。民主的国家では。どうしても気に入らないなら、ロシアみたいに権力者現実強硬否定してくれる地域に行けばいい。そんな地域では女が男と同等の知性や主体性を持つという現実否定されるだろうが。

ドゥボールが主張した「スペクタクル社会」とアート役割はどのよ

ギー・ドゥボール**(Guy Debord)は、フランス哲学者であり、**シチュアシオニストインターナショナルSI)**の創設メンバーです。彼は著書『**スペクタクルの社会La Société du Spectacle)**』で現代社会における「スペクタクル」の概念提唱し、その中でアート役割についても言及しています

以下に、ドゥボールの「スペクタクル社会」とアート役割に関する主張を詳しく説明します。

## スペクタクル社会

### 1. **スペクタクル概念**

### 2. **スペクタクル特性**

### 3. **メディア役割**

## アート役割

### 1. **アートの疎外と商業化**

### 2. **アート潜在的可能性**

### 3. **シチュアシオニズムとアート**

### 4. **アート革命意識**

## ドゥボールの影響と現代への示唆

ドゥボールの「スペクタクル社会」は、現代社会におけるメディア広告支配、消費文化の広がり、そして個人の疎外といった問題を鋭く指摘しています。この考え方は今日においても、情報過多の社会デジタルメディアの影響下での社会問題に対する批判視点提供しています

アート役割についても、商業化が進む現代アートシーンにおいて、再び批判的かつ革新的な力を取り戻すべきだという視点は、アーティストキュレーターにとって重要示唆となるでしょう。

2024-07-31

書店での掲示には適さない内容」

うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

エルフ赤面で失禁、KADOKAWAマンガ販促POPに批判→編集部謝罪 「書店での掲示には適さない内容」で撤去へ: J-CAST ニュース【全文表示】

・・・なんてことだ、また表現の自由が死んだ。

先日表現の自由戦士活動挫折したと書き込んだ元戦士です。

これはマズイと思い、再び正義の剣を握るか迷ったものの、学習性無力感のためか重い腰が上がらず、手をこまねいていたら、案の定最悪の事態に。

書店での掲示に適さない内容」

この件は、かつてセーフとされた、ラノベ表紙イラストや、駅での巨乳広告新聞広告巨乳女子高生比較検討されるでしょう。そして新たなセーフラインが薄っすらと人々の脳内で作られる。

表現の自由前線は後退したのです。

表現の自由戦士ってそこら辺のフェミいちゃもんには執拗に絡むくせに、こういう権力者によるガチ言論弾圧には声を上げないし何の役にも立たないんだよな。無能にもほどがある。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20240726/1721919600

……いいえ、表現の自由戦士は戦う相手を選んでるわけじゃありません。死んだんです。

表現の自由戦士は、もういないんですよ。悔しいけれど。

2024-07-30

anond:20240730131100

頭が悪いから一般労働者みずから権力者経営者迎合して社会奴隷化を進めてるってだけよね

おもてなしというか単に頭がめちゃくちゃ悪いだけ

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