はてなキーワード: 扇動政治家とは
相対主義は「人それぞれが真理を持つ」という考えのこと。
プラグマティズムも、物事の実用的側面を見つければそれが真理であると言っており、実用的側面をどう見つけるかは人それぞれなので相対主義に属する。
一見すると聞こえはいいだろう。「人それぞれ」という言葉から多様性が存在すると一見思ってしまう。
ところが相対主義は実のところ「他者を理解する行為を放棄する」ことに等しい。
「他人は別なんだから、理解することはできない」といって、別の考えを持つ人を区別するようになる。
これは多様性の逆を行っている。
「絶対的な道徳はない」という人に「殺人が良いと言える道徳観が存在するか」と聞くとNOという。NOとはっきり言えるなら、絶対が存在するということだ。
「人それぞれで、絶対的な真理なんかないんだから、そんなもの目指さなくてもいい」となって、真理の追求を馬鹿げているとみなしてしまう。思考停止のことである。
政治でも経済でも道徳でも「正しさ」の追求を無視はできない。「国民が幸福であるためにこうすべき」「犯罪をこう定義すべき」等。
相対主義によって堕落してしまうと「絶対なんてないんだし、適当でいいんじゃなーい?」と無知を開陳し、考えることを放棄するのである。
民主主義では投票が重視されるわけだが、これが働くためには、事前に人それぞれの正しさをぶつけあって議論し尽くしている必要がある。
相対主義の形態の社会構築主義が蔓延すれば「説得力だけの扇動政治家」だけが支持される。
つまり相対主義や社会構築主義下での民主主義は、その場のノリで物事が決まる衆愚政治へと成り下がる。
そもそも、相対主義者は「人それぞれ」を絶対としているのである。「絶対なんてないと言っていて、相対主義を絶対と言うのはおかしい」と指摘されても、相対主義者は言い返せないだろう。
国の金使って、元の場所に住む…ための土木工事にドロのようにお金を突っ込んで…本当に無駄。誰も住まない…だだ、死を迎えるだけの未来無い老人のためだけに、あんな金突っ込んで。
国土強靭化の前に津波や地震でも大丈夫な地盤を持つ場所に移転すべきだし、どうせ若い人はいなくなるんだから、変に戸建てじゃなく老人のためにサ高住作るべき。
何より教育に金を落とさないから、地元に残る人は全てマイルドヤンキー、よくて口達者なバカを量産。
で、この前問題になった議員みたいな、マイルドヤンキー上がりの議員が運営する自治体は、食い止められるような人間は皆無。
マスコミなんてそもそも無いから、やりたい放題。コネ、賄賂、なんでも有りの「地域密着経済」
新産業も出ず、ただただグローバル化に飲まれるだけ、工場などの働く場がどんどん失われ、地域経済が崩壊中。