はてなキーワード: 教養とは
DOMMUNEみたいに大手企業がスポンサーについているのも含めて。
カメラが3台以上ありそうなら製作費はそれなりにかかっていると見てよさそう。
かりにおばあさんが75歳だとしたら、45年前は1970年代で、カセットテープ・レコード真っ盛りの時代。
「テープに録音して、音楽を贈る」という行為が非常にシャレていた時代だ。
おばあさんの感覚もわかる。
それに対する主の「?」もわかる。
...を4年前に書き出したリスト(122項目)があるんだけど、やり終わってしまった。
この4年間で結婚もしたし、食べたいと思っていたものも全部食べたし、今はコロナ禍でアレだけど、行きたかったところにも全部なんとか行けた。
そんなことある?と思うかもしれないけど、どうやらあるらしい。
かといって https://anond.hatelabo.jp/20220122134108 の人みたいに、別に最後はジョーカーになりたいわけでもない。自殺したいわけでもない。
なんかアイデアがほしい。「知ったらやりたいと思うかもしれないリスト」が欲しい。
こういうところで教養のなさ?文化レベルの低さ?が出るのかもしれない、と思っていろいろ小説やSFも読んだけど、それももう飽きてきた。
「夏目漱石は「月が綺麗ですね」となんか訳していない」という話から、「初出であるとされる70年代以前がどうだったのか知りたい」という話が出ていたので、Googleブックスを検索していたのだが、1962年刊行の『日本人の知恵』にこのような話があるらしい。
「私はあなたを愛しています(I love you)」
などとはけっしていわない。
「いいお月さんですね」
そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。
この『日本人の知恵』という本は、
ということらしいので、つまり1961年に朝日新聞に掲載されたのだろう。
それならば世間に広く知られたとしてもおかしくないと思われる。
もうひとつ、さらに遡って戦前の1935年刊行、笠間杲雄『沙漠の国 ペルシア アラビア トルコ遍歴』にもよく似た表現があるようだ。
第一、欧米人にとつては一生の浮沈を定める宿命的な宣言『アイ・ラヴ・ユウ』の同意語すら、日本語には無い。(中略)斯ういう意味を外国人に答へると、然らばあなた方日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉で意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いい月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の翻訳になるのだと。
こちらは「いい月ですね」と「海が静かですね」が並列されており、あくまで「無数の表現のうちの2例」といった趣きではある。
さらに「I love youは日本語にうまく訳せない」という話に限っては、
「漱石文庫」に残された漱石のメモ書きの中に、ジョージ・メレディスというイギリスの小説家の作品を取り上げて、
"I love you,Signora Laura."―Vittoria p.113.
此 I love you ハ日本ニナキformulaナリ
と記した一節がある
これは漱石の英国留学時代のメモ書きだそうなので、1901〜1902年ごろに書かれたものか。
同様の主張が1922年に刊行されて当時のベストセラーになったという厨川白村『近代の恋愛観』に書かれている。
日本語には英語の『ラヴ』に相當する言葉が全く無い。『戀』とか『愛』とか云ふ字では感じがひどくちがう。" I love you "や" Je t'aime "に至つては、何としても之を日本語に譯すことが出來ない。
この厨川白村は夏目漱石の教え子で、漱石とは恋愛観について議論を交わしていたというから、これは夏目漱石の受け売りだった可能性が高い。
というわけでグルグルまわっているうちに夏目漱石に戻ってきてしまった。
夏目漱石が「I love youは日本語に訳せない」と言う
→その話が厨川白村を通じてよく知られるようになる
→「いい月ですね」とか「海が静かですね」とかそういうことを言うんじゃね?
→日本人は「愛しています」とは言わず「いい月ですね」と言うんだ!
→その話が朝日新聞を通じてよく知られるようになる
→なんかいろいろ混線して「夏目漱石がI love youを月が綺麗ですねと訳した」という話になる
みたいな流れが朧気ながら見えてくるような見えてこないような。
追記。
国立国会図書館デジタルコレクションで調べてみたところ、1908年の『明治学報』に掲載された上田敏「予の観たる欧米各国」という講演の書き起こしにこういう記述があった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1890371/1/24
日本では「我汝を愛す」と云ふことは言へない、日本では何と云ふかと云ふと、「私アナタに惣れました」と云ふ、それでは「アイ、ラブ、ユー」と云ふことに当らない、「我汝を愛する俯仰天地に愧ず」それはどう云ふたら宜いか、(笑声起る)、所が「私はアナタに惣れました」といふことは日本語ではない、さういふ日本語は昔からないです、だから日本ではそれをパラフレーズするか、或はペリプラスチック、言廻はして、「誠にアナタはよい人だ」とか何とか云ふ工合に云ふより外言ひ方はない、「私はアナタが好です」と云ふと何だか芝居が好きだとか、御鮨が好だとか云ふやうになつて悪いです、
上田敏は高名な英文学者で「山のあなたの空遠く幸住むと人のいふ」や「秋の日のヴィオロンのためいきの」などの詩訳で知られる。夏目漱石よりは年下だが、同時期に東京帝国大学で教鞭をとっていたこともあり、文学論を語り合う仲だったという。夏目漱石か上田敏かいずれが先なのかはさておき、どうも「I love youは日本語に訳せない」というようなことは当時の教養人のあいだで盛んに言われていたようだ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2348792/1/6
西洋デハ人ノ表情ガ露骨デアツテ 例ヘバ恋ヲ囁クニモ 真正面カラ アイラヴユー ト斬込ムガ 日本デハ 良イお月デスネー ト言フ調子デ 後ハ眼ト素振リニ物ヲ言ハス
タイトルで全てなのだけれども最低でも週に一度、多い時は連日これを枕や題材にする創作物などが多くて辟易する。
「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証
https://niguruta.web.fc2.com/kensyo_kirei.html
https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/666799218237923328
まさに都市伝説なのだが、どうしてこんなデマが広まっているのか。個人的にはEM菌や水素水に近いものだと思っている。
「あの有名文豪の夏目漱石はこんな素敵な訳をしたんだぜ」と教養があるように見せかけたいのかもしれないが、滑稽なことこの上ない。
32歳
179cm75kg
(相手への条件)
・顔が好みである
→友人などには「見た目そんな重要じゃないよ」と表面上は言っていたが実際は面食いを自覚している。
・28歳~32歳ぐらい
→一応自分より2つ上くらいまでも見てたけど、
メインターゲットは「20代」のフィルタリングが外されてアプローチの減る30歳~32歳くらいになると思っていた。
・会話がスムーズにできる教養、問題に対するある程度の自己解決力がある
→日常会話において「え?それどういうこと?」「何それ」となるケースは少なくあってほしい。会話のテンポ感とでも言えばいいのだろうか。
同様に何か困った時にすぐ人に聞かずに自分で調べて対応できるものは対応してほしい。
・食の好みが合う
→メイン食材への好き嫌いが多いと自分の食べたいものが食べられなくなるため。
例えば白子が食べれないことは問題ないが、キノコがダメとか生魚がダメとかそういう人はNG。
あと「付き合いではなくお酒が飲める」というのもあった。
最初の一杯は飲むけどあとはお茶、とか梅酒なら、ではなく同じペースで飲んでくれる人。
・金銭感覚が近い
→無駄遣いが嫌いで身の回りのものは基本的に使い倒して買い換える、必要になれば買うという性格なので、
支出に対する考え方が違うとお互いストレスがたまりそうだったので。
歩ける距離でタクシー使ったり、コンビニで日常的な買い物をしたり、そういう人は無理。
・旅行好き
→旅行に癒しや休息を求めるというよりは非日常や体験を求めているのでそういう方向性が嫌じゃないか。
金銭感覚の話ともリンクするが、買い物のために旅行するとか、高級ホテルに泊まってホスピタリティに癒されるとか、そういうのじゃなく
温泉に行くにしても近くのご当地グルメを食べたり、景勝地に行ったりということを満喫したい。
とまぁつらつら書いたけど、大事なのは顔です。顔が好みじゃなければ残りの要素満たしてても無理だし、
見た目だけ良ければ他の要素全部もってなくてもいいかと言われればそれは違うけど、見た目重視だったのは間違いない。
大学行かないで働く、どうせ進学したってやりたい勉強とかないし。
・・・って自分の子供が言いだしたら、それでも一応進学しとけ、って言う or 思うだろ?
具体的なビジョンがあるわけじゃないなら、高卒より大学行った方が後の人生有利になる事が多いし、
大学に行く程度の最低限の教養(とか勉強する経験)を持っていてほしいし、
4年間の生活の中でその後の人生の目的を見つけられるかもしれないし。
一人で生きていく明確な理由がないなら結婚して家庭を持ったほうがいいよ、
っていうのも同じようなものだと思うが。