はてなキーワード: 戦争犯罪人とは
20年前、まだ彼女達が赤ん坊だった頃、彼女達の親は独立戦争の指揮をとっていた。
その結果は敗北、彼女達の親は戦争犯罪人として処刑されてしまう。
小国は再び、大国の支配下におかれることとなるが、再起を狙う独立派は、赤ん坊の姫を次の旗頭に据え、潜伏を続ける。
その際に、姉は独立派と共にゲリラと共に、妹は大国の支配下に置かれた国の中枢で生きて行く事になる。
大国の国としてのあり方を根底から覆すマクガフィン的な物の位置を発見した独立派は、それを手に入れるため再び戦いを仕掛ける。
しかし、双子姫の姉は幼き頃から続いていた戦いの日々を辞めさせるため、マクガフィン的なものを奪い逃げ出してしまう。
そして、逃げ込んだ先で偶然、双子は再開する。
戦いを辞めさせたい姉と、大国に苦しめられ息も出来ない国民を救うために戦いを続けたい妹と、2人の意見はすり合わない。
2人は争いながらも、自分たちを慕い、何より今苦しんでいる民のために何が出来るのか苦悩する。
自分たちは国民を、国を、ひいては自分たちを支配する大国を、何よりそうしてしまった世界を、俯瞰で見ていることを、あたかも自分たちだけが特別な外側にいるような考えでいることを。
あたかも、時の流れ全てを知って、自分たちだけが正解を知っており、それ以外の全員が間違っているのだと、思い込んでいた事に気付く。
改めて、自分たちが何をすべきなのか、ではなく何をしたいのかを2人で話し合う、
離ればなれだった20年間を埋めるように、2人は話し続ける。
人類の革新、ニュータイプと呼ばれ宇宙に適応し、オールドタイプではなし得ない、超常の感覚によるコミュニケーションを可能とする2人であっても、たった2人っきりの姉妹の家族の合意すら得られない。
人類史における進化の速度の例から見ても、そんなことは当然のことなのかもしれない。
ジオン、デラーズフリート、ティターンズ、ネオジオン、シャアの逆襲。
幾多の戦争を経験してもなお、連邦の”高官”という地位は守られ、そしてそれは次の戦争の火種になっていく。
そう、木星の総督に”高官”の娘をあてがうことが発端になる争いには、人類の革新もコロニーの独立などのお題目とは関係ない、ただの「差別された」ことへの不快感しかなかった。
その不快感が、ドゥガチを、カリスト兄弟を、ギゾを、凶行に走らせる。
とどのつまり、人が人を支配することは、今この瞬間の平和を生む事はできても、10年、20年先の、100年続く平和を生む事はできない。
だけれども、その先に待つのは何だろう?
結局、ミネバ・ザビとミネバ・ザビになれなかった者は、そんな答えのでない議論を朝まで続け、気付くと眠っていた。
国に残った妹は川澄綾子さんに決定です!
みなさんのキャスティングをお待ちしておりまーす!
当時の大日本帝国国民の多くは、戦争のために多大な犠牲を強いられた。
もちらん日本だけではない、敵対国にも、周辺諸国にも多大な犠牲があった。
もちろん当時の人たちそれぞれに言い分はあるだろう。
が、結果は変わらない。多大な犠牲を強いられた多くの人がいて、日本は戦争に負けた。
そして戦争の責任者として多くの指導者や上層部、戦争犯罪人達が戦勝国によって裁かれた。
だがそれはすでに過去のことだ。
先の大戦による多くの犠牲に対して、今の日本の多くの国民にはなんら責任は無いと言えるだろう。
今の日本国民が当時の人たちの犠牲に謝罪する必要は全くない。教訓にはするべきだが。
強制性がどうとか、謝罪が足りないとか、保証がどうとか過去のことは、
はてブでポツダム宣言の現代語訳が話題になっていた。だが、外務省による文語訳が、現代語訳者により「この文章を理解できる日本人が何人いるか?」と揶揄されていたり、ブコメでも「いい加減なカタカナ混じりの変な訳」などとDISられていたりして気になった。そこで、文語訳の仮名遣い、送り仮名、句読法、一部の漢字を現代風に改めてみた。文法はそのままだが、普通に読んで理解できる文章になったと思う。
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html
米、英、支、三国宣言
1、我ら合衆国大統領、中華民国政府主席および「グレート・ブリテン」国総理大臣は、我らの数億の国民を代表し、協議の上、日本国に対し、今次の戦争を終結するの機会を与うることに意見一致せり。
2、合衆国、英帝国および中華民国の、巨大なる陸海空軍は、西方より自国の陸軍および空軍による数倍の増強を受け、日本国に対し、最後的打撃を加うるの態勢を整えたり。右軍事力は、日本国が抵抗を終止するに至るまで、同国に対し、戦争を遂行するの一切の連合国の決意により支持せられ、かつ鼓舞せられ居るものなり。
3、決起せる世界の自由なる人民の力に対する、「ドイツ」国の無益かつ無意義なる抵抗の結果は、日本国国民に対する先例を、極めて明白に示すものなり。現在、日本国に対し集結しつつある力は、抵抗する「ナチス」に対し適用せられたる場合において、全「ドイツ」国人民の土地、産業および生活様式を、必然的に荒廃に帰せしめたる力に比し、計り知れざるほど、さらに強大なるものなり。我らの決意に支持せらるる、我らの軍事力の最高度の使用は、日本国軍隊の不可避かつ完全なる壊滅を意味すべく、また同様、必然的に、日本国本土の完全なる破壊を意味すべし。
4、無分別なる打算により、日本帝国を滅亡の淵に陥れたる、わがままなる軍国主義的助言者により、日本国が引き続き統御せらるべきか、または理性の経路を日本国が踏むべきかを、日本国が決意すべき時期は到来せり。
5、我らの条件は左のごとし
我らは、右条件より離脱することなかるべし。右に代わる条件存在せず。我らは遅延を認むるを得ず。
6、我らは、無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるるに至るまでは、平和、安全および正義の新秩序が、生じ得ざることを主張するものなるをもって、日本国国民を欺瞞し、これをして世界征服の挙に出ずるの過誤を犯さしめたる者の権力および勢力は、永久に除去せられざるべからず。
7、右のごとき新秩序が建設せられ、かつ日本国の戦争遂行力が破砕せられたることの確証あるに至るまでは、連合国の指定すべき日本国領域内の諸地点は、我らの、ここに指示する、基本的目的の達成を確保するため、占領せらるべし。
8、「カイロ」宣言の条項は、履行せらるべく、また日本国の主権は、本州、北海道、九州および四国、ならびに我らの決定する諸小島に局限せらるべし。
9、日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし。
10、我らは日本人を民族として奴隷とせんとし、または国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものにあらざるも、我らの捕虜を虐待せる者を含む、一切の戦争犯罪人に対しては、厳重なる処罰、加えらるべし。日本国政府は、日本国国民の間における、民主主義的傾向の復活強化に対する、一切の障害を除去すべし。言論、宗教および思想の自由、ならびに基本的人権の尊重は、確立せらるべし。
11、日本国は、その経済を支持し、かつ公正なる実物賠償の取り立てを可能ならしむるがごとき産業を、維持することを許さるべし。ただし、日本国をして戦争のため、再軍備をなすことを、得しむるがごとき産業は、この限りにあらず。右目的のため、原料の入手(その支配とは、これを区別す)を許可さるべし。日本国は、将来、世界貿易関係への参加を許さるべし。
12、前記、諸目的が達成せられ、かつ日本国国民の自由に表明せる意志に従い、平和的傾向を有し、かつ責任ある政府が樹立せらるるにおいては、連合国の占領軍は、直ちに日本国より撤収せらるべし。
13、我らは、日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ右行動における同政府の誠意に付き、適当かつ十分なる保証を提供せんことを、同政府に対し要求す。右以外の日本国の選択は、迅速かつ完全なる壊滅あるのみとす。
なぜ戦後ドイツは周辺国との関係を修復できたのに、日本はできていないのか
を説明していた。
ドイツは「ドイツ人自身の手で戦争犯罪人を裁いた」「ドイツは歴史の検証を周辺国と一緒に行い、教科書も一緒に作った」
「ドイツは自国の悪事をきちんと認めた」などによって周辺国と友好関係を築くことができた、との事。
いっぽうで日本は「戦勝国に裁かれはしたが、日本人の手で裁かれたことはない」「悪事を本当に認めているのか疑問」
その上、日本は反省もせず平和憲法を放棄しようとしているので、周辺国からみたら、戦前と同じ状態になるように思われる、との事。
これってどうなの?
ドイツでも「あれは侵略戦争ではなく自衛の戦争だった」というような意見も沢山出て来ていたが、国際的には、ドイツが悪いと認めたから
現在周辺国と友好関係を作ることができEUでも中心的な立場を得ることができた、みたいに言われている。
戦争について、学ぶことはなんの意味があるのだろうか。ふとそう思った。そして、それをいくつかの切り口に分けて考えてみた。
私が生まれたのは平成がはじまってすぐのこと、ちょうどソ連が崩壊した時期だ。
もちろん、私にとっての戦争は、まったくもって身近なものではない。
ただ、平和とか戦争について考えているうちに、あえて書いて、いまのところの自分の考えを残してみたくなった。
特にここでは、日本が直接関わった直近の戦争であり、当事者が生存している第二次世界大戦もしくは大東亜戦争について書きたい。
それでも、もう70年も昔のことだ。もう30年過ぎて、あっという間に終戦から100年くらい経ってしまうだろう。
戦地に赴かない限り、また時代を遡らない限り、戦争を経験するというのは不可能である。そこで、戦争とはなんだったのかというアプローチが一番初めにくる。その方法は、博物館に行く、写真をみるなどなど様々である。特に、昭和のひと桁年代に生まれた方々が生きている間は、彼らが直接経験したその記憶から学ぶという方法が可能だ。国民の高揚もしくは虚脱、戦争の残虐性を生の声で聞くことができる。ただ、これはあと10年もしたらほとんど不可能になってしまうかもしれない。
2) なぜ戦争が起こったのかを学ぶ
なぜ人は戦うのか、なぜ領土拡大を目指したのか、なぜ支那事変は起きたのか。戦争という歴史的事実の起点に対して、なんで、と問いかけてみるのは素朴ながら、ものすごく頭の回転を必要とする。当時の国際情勢はどうだったのか、リーダーたちはどのような野望と認識を持っていたのか、国民はそれにどのように反応したのか。様々な要素が重なりなって、奇襲や宣戦布告へと結びつく。今後、自分たちの国を戦争に巻き込まないためにも、なぜ戦争は始められたのかという視点は重要だ。
3) なぜ戦争に負けたのかを学ぶ
戦争は悪だという考えで、考えることそのものを停止するのは簡単だ。負けてしまった戦争の敗因を考えても仕方がない、という声もあるだろう。ただ、同じ過ちを繰り返さないという意味でも、その分析は意味を持つ。たとえば、地図をみながら、その伸びきった補給線に嘆息するのもそうだし、インパール作戦など、個別の作戦の是非を問うてみることもできる。ミッドウェー海戦をひとつの転機とするならば、ガダルカナルなどその後の日本軍の行動をチェックしてみるのもいい。失敗から学ぶ、その絶好の材料がここにあるはずだ。
4) 戦争のあとに何が起こったのかを学ぶ
玉音放送を流したのが8月15日、日本が降伏文書に調印したのは9月2日である。敗戦を迎えた日本はどのような戦後処理を受けたのか。それは戦争によって決められた勝者と敗者の間における、責任と今後の関係性の規定だ。東京裁判はじめ戦争犯罪人の断罪や、大日本帝国憲法の破棄と日本国憲法制定のプロセス、国体及び皇室制度と政治責任に関する議論など、その射程は広い。もちろんサンフランシスコ平和条約も外せない。戦争の前と後でどのような変化があったか。それまでの常識が非常識になり、非常識が常識になったその転換を捉えることは、私たちが生きる時代のはじまりを知ることができる。
5) 戦争の裏で何が起きていたのかを学ぶ
戦争から何十年も立ち、研究も進んだいま、私たちはひとつのできごとをいろんな視点から見ることができる。日本が必死になって戦争していた裏で、連合国はその後の戦後秩序についての議論を重ねていた。その反対側のやりとりを見ることは、面白くもあり、悲しくもある。例えばカイロ会談、テヘラン会談、ポツダム会談では、その後の大国による世界秩序の土台がどのように作られていったのかを知ることができる。往々にして、物事は知らないところで決定されているものだ。
6) その後の人びとは戦争をどのように捉えたのかを学ぶ
最後に、後世に生きる人びとはどのように戦争を捉えたのかを考えることは、非常に重要だ。戦争を知る世代はそれをどう形容したのか。戦後の歴史において、知識人や市民がもがきながらその形容詞を見つけていく過程から、戦争と日本、そして市民との関係を考える際のヒントが眠っている。もちろん、戦争そのものを完璧な見方で統一することは出来ないし、しなくてもいい。だけど、その議論をときに批判的に、ときに肯定的に見つめ直しつつ、あえて自由に考えてみよう。戦争の総括というものが不在だからこそ、自分で考えることが必要になる。
6つ項目をあげて書いてみた。もちろん諸外国からの視点、人道的な視点など、まだまだ様々な切り口がある。
平和な世界を希求する、実現するためにも、そうでなかった時代をもっともっと知っておいたほうがいい。
今まで書いてきたのは、全て日本の話だけ。あらゆるところで紛争は起きているし、その火種はどこにだってある。
このような問題に対して、目をそむけるのは簡単だけど、目を見開いて、向き合っていたい。
たとえばこことか参照。まあ、いろいろあるけど。
http://agata.ciao.jp/blog/archives/000107.html
ここで「裁判を受諾」っていってるのが争点のひとつになってる。裁判の効力に異議は唱えない。よって判決は執行する。
しかし、裁判が示した断罪、犯罪人であるという判断を受け入れたわけではない、というのが、右の全般的な主張。
この主張に基づけば、国際的に、戦犯を政治的に戦争犯罪人扱いにする約束をした訳じゃない、というのも、まあ、いちおうは分かる。
しかし、それは後出しじゃんけんじゃないのか。当時は、そういう約束をしたと受け取られたからこそ、講和条約がなったんじゃないのか、という
こともいえる。