はてなキーワード: 連立方程式とは
高校で行列の計算方法を習ってない事が、その後の数学の学習でデメリットになると思うか?線形独立、線形従属の概念を学んで行列式が求まること、求まらない事の幾何的な意味を知り、代数法則を知り多次元行列と部分空間の価値を理解した上でのアフィン変換行列があっての三次元CGでのアフィン変換がある。概念を理解しないで単に行列の計算が出来る程度の教育なんて無価値なんだからなくなって正解なんだよ。必要な人間は大学で線形代数をやるときに、法則と同時に演算方法の原理原則を理解すればいいし、逆行列の計算方法を覚えればいいんだよ。固有値、固有ベクトルの意味が理解できない半端なプログラマが増えてるのって、高校での機械的な教育のせいだろうとすら思ってる。行列使って連立方程式が解けることを知ってる事が、どれだけ意味あるんだろうね?
ブクマカは機械学習がーとかAIがーとか言うけど、必要なのは線形代数II以降の話で、高校でちょろっと計算方法知ったところで無価値なんだよ。逆に線形代数をやるときに変な思い込みが負債になるくらいだから無くしていいものとすら教えていて思う。教育としては線形代数で統合的にやれば良いというのは間違いじゃないから、削除は改善ですらある。畳み込みのタの字すら知らんアホが機械学習を語るなって。お前らの心配なんか無駄無駄、
“単に行列の計算が出来る程度の教育なんて無価値” ARの実装したときに行列の計算が必要になった。結局ネットで調べながらやったんだけど、過去に触れたことがあるという思いから心理的な障壁は少なかった気がする。
結局、このレベルの話になっちゃうよね。こんな程度なら「ゲームプログラミングのための3Dグラフィックス数学」みたいなラノベ(入門書)を1日読めば済む話でしかないだろう。AIを研究する人たちがどうとか言う話は情報工学科で、将来的に情報幾何が必要になった時にキャッチアップできる程度の数学教育をどこまでするのか?って話で、全然次元が違う話。情報工学科を選択する子供を増やすためにプログラミング教育を拡充していく過程で、3DCGの触りをやらせたいとしても、道具として座標変換程度のことをやるのに複雑な知識なんぞは一切要らないからな。だいたいライブラリから関数呼び出すだけで使える。
話は変わるが、数学のラノベなら「ゼロから学ぶ線形代数」がおススメ。あれなら誰でも理解できて、授業でやる計算方法の練習より手軽に線形代数の面白さを味わえる。
やる気になっている本人には言えない。
数学に関してはサボってきた娘なので、証明問題がそう簡単にできるようになるはずがない。
そもそも、中1の図形問題でひどい点数を取った後、数学をあきらめ、
何となくなら偏差値50以上の大学でないと学費は出さないぞと。
偏差値50以上の大学にいくには、この地域の高校なら偏差値57、58ぐらいの高校に行かないとつらくなる。
が、今のままでは、高校入試で数学が20、30点しか取れないかもしれない。
ということで、入試時に50点は取れるように、
まずは中2の2学期末テストに向け、毎日10分程度の数学の課題を出すことに。
10月中はひたすら計算問題をやらせ、連立方程式まではスラスラできるように。
11月からは1次関数を始め、毎日方眼紙にグラフを書かせ、グラフを見ても抵抗感が無いところまでは持っていけた。
結果、2学期末テストは、平均点以上の点数をとることが出来たわけです。
そして、12月。今でも10分程度の課題はやってもらっているのですが、
どうしても学校の授業に沿った問題がやりたいらしく、証明の問題にしてくれと言うのです。
聞くと、中学の数学はちょっとした少人数制をとっているらしく、期末テストの結果から少し上のクラスになって、
本人は嬉しいのだけれど、ついていくのが大変だと。
しかし、1年生の時の図形を捨てた娘が、そう簡単に証明問題が解けるはずが無いのです。
三角形の内角の和が、180°だということも、スっぽ抜けてしまうレベルなのだから。
さらに、文章問題が苦手。国語はできるので読解力が無いわけではないのですが、とにかく問題文をテキトーに読む。
なので、1年生の文章問題、図形問題をさきにやり、3学期末テストの証明問題に向けてじっくり進めたいのですが、
数学の授業中の小テストが出来るようになりたいが先行しまっている状態。
ここ数日、証明問題を出しては見ましたが、全く解答が進まない。見かねて、解答を穴埋め形式にしましたが、それでも無理。
これが、抵抗感なく出来るようにならないと、証明問題は無理なんじゃないかな。
「追記」
子供の能力、特に「国語はできる」に引っかかっている人が多いのですが、その通りです。
文法的なものは、全然だめ。社会や理科の暗記は得意なのだが、文法のように構造を理解するのが苦手なようで。(地図の読めない典型的な女性なので・・・。)
それと、出来なさ加減の脚色が強すぎましたね。明らかにやる気出ねーってときのを、さもベースであるかのように書いてしまいました。すみません。
なので、本心で「捨てろ」なんて思っていませんよ。
それと、大学進学の話にもにょる人も多いようですが、私の考えは、なりたいものが無なら大学なんてどこでもいいと思うし、得意な科目で入れるところに入ればいいと。なりたいものがあるのなら行かなくてもいいとも思っている。まだ何になりたいとか決めてはいないようなので、(中2の思春期娘がクソ親父に話はずもないが)とりあえず、偏差値50以上の大学という目標を設定しているだけです。(親としては国立や慶応早稲田に行ってたら嬉しいですよ。)
なので、勉強なんてやりたいと思ってからやればいいと思うし、子供も良い点数は取りたいのだから基本は言わないでも頑張っていますよ。
ただ、中学のうちに超不得意な科目は作らないほうがいいと思うのです。偏差値30〜40みたいな状態になってからでは、ちょっとのやる気じゃ復活は難しい。それこそ、なりたいものがあるとか、行きたい学校があるとかではないと難しいでしょう。
なので、偏差値50を下回りだした数学を少し引き上げておくという考えで、家庭学習にちょっと課題をプラスしているだけです。
というか、ガッツリ勉強教える時間はないし、思春期娘が従うはずもない。それこそ、塾や家庭教師のほうが楽なのですが、まだ行きたくないそうです。
という状況で、まだしばらくは数学を見ようと思っていたので、塾の方のアドバイスは大変ありがたいです。自分のなかで、中2と中3の証明問題の違いをちゃんと把握していないく、ちょっと挫けていたことに反省しました。
●×●=256が解ける子解けない子の差
http://president.jp/articles/-/23368
Q:AD=CD、BC=10cm、四角形ABCDの面積が64平方cmのとき、辺ABの長さは何cmですか。
辺ABをx(cm)とおく。
この四角形は∠ABCと∠CDAの対角の和が180°なので、円に内接する。この円の中心点をO、半径をrとする。
また、ACに対角線を引いておく。
∠CDAは、弧ACに対する円周角で90°なので、ACは円の直径になり、中心点OはAC上にある。
二等辺三角形DACの頂角Dから底辺ACに垂線を下すと、垂線は底辺ACと直角に交わり、底辺ACを二等分する。
S1 = 1/2 × 2r × r
S1 = r2
S2 = 5x
四角形ABCDの面積は
r2 + 5x = 64
r2 = 64 - 5x ...(1)
(2r)2 = x2 + 102
4r2 = x2 + 100 ...(2)
(1)と(2)の連立方程式を解く。
(2)に(1)を代入
4(64 - 5x) = x2 + 100
256 - 20x = x2 + 100
x2 + 20x - 156 = 0
(x + 26)(x - 6) = 0
x > 0より x = 6
よって、6 cm
僕はずっと「プログラミングはむしろ文系なんじゃね?」と思っていた
プログラマーに必要な才能は一般的な文系理系のイメージからすると、むしろ文系だと思う
前者は読解力であり、後者はボキャブラリーとか処理能力とかサービス精神が大事だと思う
プログラミングにおいては、前者は理解する力であり、後者は実装をどれだけ分かりやすく簡潔にするかって事になると思う 職業プログラマーにはどちらも大事な能力だ
でそっから色々調べるようになり、つまり文系も理系もクソもないな、という事になって、結局その境って、思考をどこまで略するのか、そんな事にしか過ぎないなと思った
理系は苦手なので…っていうのは、事象を略しすぎている表現に拒否反応が生まれるからだろう
つるかめ算と言われると、理解しようという気が起きるが、連立方程式と言われると、知らんがなとなる
最近Twitterで話題の、重力波をわかりやすく解説してみたみたいなのを見ていて、まぁ、よく分かんなかったんだけど、でもそれがコードの中に出てきたら僕はまだ分かる努力を最大限にするような気がする
実際、小学校のときとか校長室に呼び出されて「君はわが校はじまって以来の神童だよ」って言われてたし、自分でもそう思ってた。
小一のときの絵は県で入賞したし、祖父が何かのついでに教えてくれた連立方程式の解き方で算数の問題解いてたし、周りが誰も英語なんかやってないころに辞書引きながら英語の本読んで先生びっくりさせてたし、このままいけば東大余裕だろって言われてた。
あと、よく世の母親がやるらしいんだけど赤ちゃんのころに「生まれてくる前はどうしてた?」って聞くのがあって、だいたい共通して「お母さんを選んできた」って言うんだとさ。で、俺が母親から聞いたところじゃそういう話以外に英語とか数字を答えたつって近所でも神童騒ぎになったっぽい。中学になってからそのときのビデオ見せてもらったら確かに「142857…」って言っててこれ数学じゃ有名な数字だから俺自身びっくりしたしな。
で中学入ってからも適当に学校いってたら天才から秀才くらいにレベル落ちた。普通にトップ3にはいたけど、県内トップの私立高校に進んで10位以内とかカッコわるいから県内2位の高校に進んでトップとろうと思ってた。でも高校も適当にやってたら進学クラスから外されて、結局地方の私立大学で今に至るってわけだ。
そういう意味では自業自得かもしれないけど、やっぱこんな腐った時代じゃ地方の大学出てまともな就職なんてできないってのがふざけた話だよ。たかだか20年、勉強の手を抜いただけで残りの50~60年苦しみながら過ごすの確定してるとか完全にキツい。もうそんなキツい思いするのわかってたらいっそ死んで新たな人生やり直したいって思うじゃん?
俺はそう思うよ?
だからこうして自殺したわけだけど、なんか死ぬって結構変な感じですこしずつ感覚が切り離されていくのな。最初は全身が痛いだけだったんだけど、あ、死んだなって思ったと同時に痛みが消える。最初は視覚、つぎに触覚、嗅覚と切れていって聴覚だけが残る。どこからか大音量で音楽が鳴ってて、あぁクラシックの宗教音楽ってこの死ぬときの音楽からまるパクリしたんだなってのがわかる。
マンション下でつぶれてる自分を見下ろしながらぐんぐん空をのぼっていく感じがして、光の雲にのみ込まれる。
そこじゃ神がめんどくさそうな顔で俺を見てまたおまえかって言う。
(3)(2)やれている時点で単原子イオンはわかるはずなので多原子イオンは暗記。
(4)反応式の右と左を合わせるのはできるでしょう。これができないとジャガイモ100個と肉500gとかでカレーつくろうとするようになると思う。
(5)1mol=ともかくどんなものでも6.0×10(23)個=(原子量、分子量、式量)にgをつけた値の質量=標準状態で22.4リットルの体積を理解。
(6)比例計算できるようにしてすべて(4)に当てはめて計算。
(8)酸・塩基も基本の化学式、電離しての式を暗記、あとは中和滴定の過程を体感して覚える。
(9)酸化還元では酸化数をだせるようにする。半反応式からの式完成は難易度高いのでできるようになったら自信をつけること。
(10)無機は暗記。クラスの女の子1人1人のいいところ、セクシーなところをノートつけるように1冊ノート作ってるころには暗記できる。しかし(1)ができていれば横軸ができてなんだこの元素と思っても大体の性質がこのころにはあたりがつく。
(11)有機は名前。名前が世界を支配する呪文の世界と思う。あと暗記。ちょっとやれば一番楽なちょろい範囲。
物理ほど理論理論じゃなくて生物ほど暗記暗記じゃない中途半端な学問でなおかつ大学いって勉強すればだいたい実はこういうことでねって勉強内容否定されるけどまあがんばろう。
(1)~(7)くらいできてれば今からでも80は超えられると思うんでがんばってください。
「勉強ができることは頭の良さとは関係ない」という主張をよく見かける。この系統の主張を見るにつけ不愉快に感じる。それはその手の主張が過去の偉人の業績を否定しているからだ。勉強とは知識を吸収し、自分のものとすることである。知識とは現在正しいと認められている過去の偉人たちの思考の結果である。その知識を学び吸収するということは、過去の偉人と同じ水準の認識レベル・思考レベルになることと同じである。従って勉強ができることは頭の良さと関係があるのである。「頭の良さというのは何か新しいことを考え出す力だ」という反論があるかもしれない。確かにそれは一理ある。私も『頭の良さ』は『知識』と『新しいことを考え出せる力』で構成されると思っている。『頭の良さ』の定義論争にはいると終わりはないので、私の『頭の良さ』の定義についてはおいておき、ここでは仮に『頭の良さ』を『何か新しいことを考え出す力』としておこう。そう定義したとしても、勉強ができることと頭の良さには関係がある。現代では学問の水準が高くなり、知識なしにたいしたことは新たに考え出せないからだ。例えばなんの知識なしに微分積分法、複素解析、フーリエ変換などを考え出せるひとがいるだろうか?よくあるジョークに貧乏で学校に通えない子供が自分で連立方程式を考え出すというものがある。連立方程式程度ならともかくも、現在最低限必要とされる微分や積分、フーリエ変換などはいくら天才でも知識なしには一生かかっても考え出せないだろう。まして「なにかあたらしいことを考え出す」ことなどできないだろう。現在では過去の偉人たちの積み重ねによって学問の水準が高くなったために、『何か新しいことを考え出す』ために『知識』が必要不可欠なのだ。それにもかかわらず、勉強すなわち知識を得ることと頭の良さを無関係とするのは過去の偉人の業績を否定することに等しい。「勉強ができることは頭の良さとは関係ない」というのは「オイラーやニュートン、アインシュタインが考え出せたことは、誰でも予備知識なしに考え出せる」といっているに他ならない。
フルメタル・パニックのテレサ・テスタロッサ。16歳で大佐で天才少女。6歳でアインシュタインの十元連立非線形偏微分方程式の厳密解を解いたという設定。
で、「アインシュタインの十元連立非線形偏微分方程式の厳密解」って本当にあるんかいな?と、思ったのだが・・・ちゃんとあるんですね。普通は、10元連立非線形方程式、なんて長ったらしくは言わず、単に「アインシュタイン方程式」というらしいが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/一般相対性理論#.E4.B8.80.E8.88.AC.E7.9B.B8.E5.AF.BE.E6.80.A7.E7.90.86.E8.AB.96.E3.81.AE.E5.86.85.E5.AE.B9
で、「10元連立」って書いてあるぐらいだから、10本式があるのかと思ったら、テンソル表記で1つしか書いてない。「4次元空間を考えれば、テンソルは対称なので、アインシュタイン方程式は、10本の方程式からなる。」とのことですが・・・このテンソル表記の式が10元連立方程式であることを納得するので10分くらい考えてしまった。物理専門じゃないので、テンソルはちょろっとかじった程度なんだけど、次のような理解でOKなのかな?
要するに、テンソルが対称ということは、添え字μ,νを入れ替えても同じ式ということだよね。4次元空間とあるが、要するにμ, νには、(t,x,y,z)の4種類のうち、どれかが入る。というわけで、添え字の入れ替えを区別せずに列挙すると:
(t,t), (x,x), (y,y), (z,z)
(t,x), (t,y), (t,z)
(x,y), (x,z), (y,z)
の10通り。式で書くなら、4C2+4=6+4=10。で、10通り。
返済額の内訳が元金<利子って、いくら借りてるんだ?
トータルの利子の合計が7300円かと思ったら違った。。。
年利15%で50000円の24回払いとかすれば、利払いは1.5万になるな。
毎月1万の支払いの中で、元金約2700円利子7300円となっていた。
ちなみに金利は15%である。
どうやって計算したらいいんだろう???
元本金額:X
支払回数:Y=X/2700...(1)
支払年数:Y/12
X+7300Y=X×1.15×(Y/12)
12X+12*7300Y = 1.15XY
12X= Y(1.15X-12*7300)
Y=12X/(1.15X-12*7300)...(2)
(1)と(2)の連立方程式より
X/2700 = 12X/(1.15X-12*7300)
X/2700*(1.15X-12*7300) = 12X
X/2700*(1.15X-12*7300)/12X = 1
なにかおかしいです!!
X(1.15X-12*7300)/2700*12X=1
1.15X/2700*12 - 7300/2700=1
1.15X - 7300*12 = 2700*12
1.15X = 2700*12 + 7300*12
X = (2700*12 + 7300*12)/1.15
X = 12(2700 + 7300)/1.15
X = 120,000/1.15
・・・!!!
ああああああああ!!!
年利で割り戻すだけだと!!!?
X=104,347
Y=38.6
10万円の商品を38回リボ払いで払うとこういうことになるんですか??
あってる??あってる????
超不安。
これがゆとり脳か。
というより老化現象か!
単利で計算しているから間違いなんだけどね。。。
複利で計算すればもうちょっと違うのかもしれないけど・・・。
でも、きっとそんなところだと思う。
それよりも、この程度の計算で苦悶した自分が情けない。
違う。工学自体が本質はチート。数学における抽象化もチートそのもの。
いや、揚げ足をとってるんじゃない。こういうことが理解されてないから、技術や学問を必要以上に難しいものと考えて、苦手意識におびえたり、逆恨みして衒学趣味だとかなんとか筋違いの批判を浴びせる人が後を絶たないんだよな。
工学ってのは、面倒なことや大変なことを機械的にできるようにしようという営みだし、数学を抽象化するのはまさに「暗記を最小限にしよう」ということなのだ。それを念頭に置いておけば、勉強するときにもツボが見つけやすくなるし、逆に「難しいものをがんばって覚えよう」というような努力ほど本質から遠ざかることというのはない。
余談ながら、このあたりの勘違いが一番ひどいのは工学の中でもITの分野で、ITってのはそもそも「サボる技術」なのに、IT技術者ほど「合理化してサボろう」という精神が身に付いてない人たちって珍しいんじゃないか。そういう人種が「エンジニア」を名乗ってるのを見ると、本当に殴り倒したくなるね。
連立方程式が行列で一般化されて「ハイ簡単に解けますね?」って
いわれても「計算量ぜんぜん減ってないじゃん」っていまいち納得できなかったけど
複素数はマジすげえと思った。
「連立方程式が簡単になる」という説明は非常に悪い説明だと思う。本当は、線型代数(行列とかベクトルとか)のありがたみは「次元を増やす」「座標変換を簡単にする」ことにある。
実はラプラス変換というのもある種の座標変換なのであって、「微分」という演算が簡単に計算できるように座標軸をあわせてやっているのだよ。
連立方程式が行列で一般化されるのは、行列がそういう目的で作られたから。
逆行列を使って解けるのは便利だし、解けない場合が存在するというのも逆行列を
経由すると理解しやすい。
指数や対数も便利。掛け算や割り算が、足し算と引き算になるから。
でも平均する場合は、いったん逆対数変換をしないといけないのが面倒。
複素数の表示に直交座標のガウス平面でなくて、スミスチャートを使うと無限の範囲が
有限に収まるのでこれまた便利。実はよくわかっていないんだけど。
連立方程式が行列で一般化されて「ハイ簡単に解けますね?」って
いわれても「計算量ぜんぜん減ってないじゃん」っていまいち納得できなかったけど
確かに楽にはなってないね。
考え方の違いというか、行列にすると使える定理や公式が増えるってとこにメリットがあった…ような気がする。もう忘れたけど><
チートじゃねーよwwww
でも、考え出した人は凄いね。
また10年後くらいには教育課程も変わってるんだろうなー。
電子工学科に入ったんだ
毎回演習問題をやらされたんだ。
複素数の
とおもったけど
半年ガリガリと計算問題を解いているうちに
虚数単位i(電子工学だと電流と紛らわしいから本当はjを使う)
がルートやπみたいに当たり前になってきた。
2年になったら交流理論を習った。
複素数を使うと
解の公式からsinコサインと加法定理やら三角関数が消えてしまった。
コイルやコンデンサは虚数の抵抗値を持つ抵抗器ってことになた。
3年でラプラス変換を習った。
1,2年であんなに苦労させられた微分方程式がなぜか
連立方程式が行列で一般化されて「ハイ簡単に解けますね?」って
いわれても「計算量ぜんぜん減ってないじゃん」っていまいち納得できなかったけど
複素数はマジすげえと思った。
結局何が言いたかったかというと
わからなきゃ損
(あと指数もな)
やぁ、元増田だ。
どうやら、本当にわかってない人達がいるようだね。
http://www.suzaku-s.net/2007/12/kosei-kyouiku.html
http://anond.hatelabo.jp/20071214154638
円環的時間に子どもを閉じ込める、というのは、どういうことか。個性を育てる教育とか要らないとか、ゆとり乙とか、そういう話じゃない。
http://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/blog/node/1870
ある方からのタレコミ。小4のお子さんが学校で長方形の面積を横×縦で計算したら減点された。学校に問い合わせたら,担任にも教務主任にも縦×横が正解と言われたとのこと。横×縦でも同じになることを自分で見つけたならば褒めるべきところを減点するようでは,創造性を伸ばすなというようなもの。
こういうレベルの話だ。俺は30年くらい前に小学校の作文授業で、「習っていない漢字」を書いたことによって減点された(日本語としては間違っていない。ただ、「まだ教えていない」ことだけを理由に×をつけられて減点された。理由も明記されていた)。「ゆとり」時代にカリキュラムにあったかどうかは知らないが、「つるかめ算」を意図しているであろう設定の問題で、空気を読まずに二元連立方程式でさっくり解くと、×になる。あくまでも、つるかめ算の操作を暗記して再現するのが算数のテストの答え方だという。ちなみに、ちょっと気の利いた学習塾などに行くと、さっくり解いたあとで求められる操作に数字をあてはめておくといいことぐらいは教えてくれる。このほうがまじめに空気を読むよりは速い。でも、答案用紙に連立方程式の痕跡は残しちゃいけない。
学習指導要領をどう弄ろうが、これが日本の公教育のスタンダードだ。
毎年、「あまり代わり映えのしないこと」(これ自体は、初等・中等教育では、ある程度はそういうものだろう)を教えつづける、という円環的時間の中にいる教師が、生徒を育てるのではなく、自分の授業が自己完結し続けるという循環の材料として子どもを使うという構図だ。その中において、教師の授業の「上を行く」子どもの行動は、夾雑物として扱われる。
一見、「創造性を育む」ようなお題目の内容であっても、「どのような流れでどのような形の解答にたどりつくか」ということが、教師の想定範囲に留まることが求められてしまう。そして、これは個々の授業内容に留まらず、どういうカリキュラムを学校として提供するか、という学習指導要領などの作成にも反映されているし、さらに敷衍すると、社会形成の全てにわたり、よくみる若者カルチャー叩きの構図と重なっていく。文化として、別に良くも悪くもない、というか、どうでもいいことが、単に老人の分からないということだけで罪悪視される。
モンスターペアレンツ叩き事例をよくみると、茶髪やピアスといった、それ自体は正直どうでもいいことについての「生活指導」に対する親の異議申立てが混じっていたりするよね。もちろん、それは自身が茶髪であったりピアスをつけていたりする親への叩きにもなっていたりする。