「勉強ができることは頭の良さとは関係ない」という主張をよく見かける。この系統の主張を見るにつけ不愉快に感じる。それはその手の主張が過去の偉人の業績を否定しているからだ。勉強とは知識を吸収し、自分のものとすることである。知識とは現在正しいと認められている過去の偉人たちの思考の結果である。その知識を学び吸収するということは、過去の偉人と同じ水準の認識レベル・思考レベルになることと同じである。従って勉強ができることは頭の良さと関係があるのである。「頭の良さというのは何か新しいことを考え出す力だ」という反論があるかもしれない。確かにそれは一理ある。私も『頭の良さ』は『知識』と『新しいことを考え出せる力』で構成されると思っている。『頭の良さ』の定義論争にはいると終わりはないので、私の『頭の良さ』の定義についてはおいておき、ここでは仮に『頭の良さ』を『何か新しいことを考え出す力』としておこう。そう定義したとしても、勉強ができることと頭の良さには関係がある。現代では学問の水準が高くなり、知識なしにたいしたことは新たに考え出せないからだ。例えばなんの知識なしに微分積分法、複素解析、フーリエ変換などを考え出せるひとがいるだろうか?よくあるジョークに貧乏で学校に通えない子供が自分で連立方程式を考え出すというものがある。連立方程式程度ならともかくも、現在最低限必要とされる微分や積分、フーリエ変換などはいくら天才でも知識なしには一生かかっても考え出せないだろう。まして「なにかあたらしいことを考え出す」ことなどできないだろう。現在では過去の偉人たちの積み重ねによって学問の水準が高くなったために、『何か新しいことを考え出す』ために『知識』が必要不可欠なのだ。それにもかかわらず、勉強すなわち知識を得ることと頭の良さを無関係とするのは過去の偉人の業績を否定することに等しい。「勉強ができることは頭の良さとは関係ない」というのは「オイラーやニュートン、アインシュタインが考え出せたことは、誰でも予備知識なしに考え出せる」といっているに他ならない。
そりゃ「勉強によって身に付く知識を沢山持っている&勉強によって身に付く知識を使って新たな事を考え出せる」=「頭が良い」と定義するなら 「勉強が出来るかどうか」と「頭の良...
知識を多く仕入れているより、今ある情報から新しいものを作り出せるほうが、尊敬されるよね。
1:『学校の成績的には頭が良いけど実績を出せない奴』が少なくとも一人いることを根拠として『勉強ができることと頭の良さは関係ない』と結論づける超馬鹿。 2:『学校の成績的には頭...
そもそも「実績を出している」=「頭が良い」としているのが意味不明(っつーか何の「実績」だ?)
志村~鏡!鏡!('A`)
知識をとことん軽視する人がいたら、それはどうかなと私も思うけど。 偉人はそもそも大勢に尊敬されているのだから、一人二人冒涜する人間が現れたからといってほとんど問題になら...