はてなキーワード: 質量保存の法則とは
シュレディンガーの猫=観測するまで確定されない=観測するまでは可能性だけの存在で構わない=観測していない宇宙の大半は可能性の存在でしかない=可能性同士は隣り合って互いに干渉する=干渉した結果が生み出されるまでに時間差が発生する=それが宇宙のレンダリング速度であり光速の限界
お互いが光速に近い速さで近づこうとしても、レンダリング速度に限界があるために処理落ち状態=時間が歪む。
そう考えればドップラー効果も起こらないことになんの矛盾もない。
じつはビッグバンの正体って、それまで確定宇宙だったものが可能性宇宙に変わった瞬間なんじゃないかなって思ってる。
そうしたら質量保存の法則も成り立つ。
だって、質量が実際に増えてるんじゃなくて、可能性だけが増えているだけだから。
観測した瞬間だけ質量があると見せかけているだけで、じつは質量なんてものは存在していない。
実在していなくても観測ができればそれはもう実在と同じなんだよということ。
相対性理論も割と矛盾なく説明できると思うのだけど、どうでしょう。
ちなみに補足すると、レンダリングというか仮想レンダリングにちかい。
出来事の可能例の連鎖だけが起こってて、その伝播速度が光の速度の上限。
その可能性を観測しようとしたときに、実際のレンダリングが起こる。
これってゲームにも応用できると思うのだけどどうなんだろ。
最近見てなかったんだけど、
キッチンの壁に掛けて見れる用で欲しい気持が強まった1日でした。
防水だしお風呂でも使えそうよ。
カタログではジャブジャブキッチンでテレビ水洗いしてる写真まで載せてるから
よっぽどの自信なのね!
リアル店舗って、
これはなかなかネットのお店では味わえないわ。
と言いつつも、
思わず可愛くて美味しそうだった
これは買うでしょ!
載ってたレシピでいきなり日本で手に入らないであろう何かの野菜か葉物の材料が載ってて
1日目からなんか挫折しそうなパスタメニューってところがまたいいわねと思ったわ。
うふふ。
おにぎり二つです。
昼時間が定かではないらしいので、
朝はしっかり目に頂いちゃったわ。
それって作り手の意気込みをグラム数に現さないで欲しいんだけど、
実際にどうよ?って思うわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
記憶をなくすことは簡単で、人間という生物の死だけで考えればそれは実に単純に起こり得ることなのだけど、そういう観点でいえば人間の個なんてものは記憶の連続性がそれを個だと信じさせているだけに過ぎなくて、自分は自分かも知れないと疑うことでしか自分を証明できないことはかなり昔から言われていることなのだから、つまりはそれでしか証明できないという点においては人間なんて存在はすべて共通であり、自分が個だと信じているものは結局記憶の連続性というまやかしでしかないのであれば、そもそも自分が他の存在を観測できることにこそ魂の存在を疑う余地があり、それは記憶とは本来べつの存在なのだからどの生物においても観測できるということこそが個の証明にほかならないと考えれば、それはつまり万物が等しく他を観測できる、それは記憶に残る残らないは別として例えば接触できるということだって認知できると置き換えられる点において、自らがどのような物質に変化しようともその観測≒認知が可能という状態なのであれば個は存続しえると考えたほうが自然だとするならば、人が人として生きる死ぬに一喜一憂する姿こそが滑稽であり、たとえ死を迎えたときにそれが記憶の連続性が失われたことだけを憂いての死だとするなら、それなら過去すでに失われた記憶は等しく死を迎えていることになり、つまりは生物が生物として本能として備えている死を恐れるということだけが人間を活かし続けていることにしかならいのだから、死にたくないと強く考える生物だけが生き残っている結果論でしかないものに進化などという言葉を名付けたことがおごりだと理解できるはずで、生きることも死ぬことも本来意味を持たず、死にたくないと強く願うものだけが死にそこねているという皮肉な運命から逃れるには、本能に刻まれた恐怖の内側に首を突っ込んでみなければ見えてこない世界があるとした上で、ならばここでまた話しを戻すと、観測≒認知をしているのはどの次元の存在なのかという問題につながるのは自明の理である以上、皆が皆自分だけが個だと信じているものの先には観測が行き着く別の次元が存在していて、つまりはそこにこそ本来認めるべき個があると結論にたどり着かざるを得ないとなった時点で、全ては死を迎えると同時に本来の個に帰納することが証明される。君は死ぬことで目覚める。
すごい惜しいとこまで行った気がするんだよな。
ビッグバンっていうのは2つあって、一つは観測、つまり他者認知が生まれた瞬間のこと。
世界というのは観測がなければ成り立たない。だって、存在を証明できるものがないから。
それは生物問わず全てが持っている能力で、生物はそこに記憶を組み合わせて生存を高めているだけ。
量子力学が読み解こうとしている観測するまで事実が認定されないということは、つまり可能性の状態でエネルギーが存在できているということに置き換えられる。
それが可能になるということは、実際のエネルギーがそこになくても可能性だけで宇宙が広がることができるようになったということも意味しているはず。
増加しているのは可能性だけで、観測するまで存在する必要がないからこそ無限に広がり続けているに違いない。
その存在によって、初めて可能性が観測されて事実として存在しているのだから。
あれ?
もしかして君?
質量保存の法則から言って、有限のエネルギーの中で宇宙が膨張し続けているのは矛盾している。
なぜそんなことが起こりえるのだろうか。
この問題を解決するにあたって、シュレディンガーの猫がヒントをとうの昔にヒントをくれていたのだ。
ガスの充満した箱の中にいる猫は生きていながらに死んでいる。
では猫の質量はどうか。
当然箱のまま重さを測ればその重さを知ることができる。
しかし、誰にも触れられないままでそこにある箱は本当に質量があるのだろうか。
言い換えれば、箱のなかの猫は、生きていながらに死んでいるように質量がありながらないと言えるのではないだろうか。
もしそうだとすれば、宇宙が膨張するためにはエネルギーが必要ないということになる。
乱暴な話をすれば、今観測されているものだけさえにエネルギーがあれば、宇宙はいくらでも膨張できるということになる。
言い換えれば、宇宙が膨張し続けられるのはそこにエネルギーがあるからではなく、可能性のまま膨張できるからこそ膨張を続けていると言えるのではないだろうか。
光の速さが一定であるように、宇宙で観測できる質量は常に一定である。
もし宇宙全体の質量に匹敵するような質量の存在を宇宙で観測しようとすれば、光が空間や時間を歪めるように、質量は空間や次元を歪めることだろう。
そうして観測不能な空間が作り出されることで、宇宙は質量を一定にしたまま膨張を続けられるのだ。
何なんだ一体!?
まるで理解できない
それが本当なら宇宙誕生前は時間も空間もない混沌であったという
なんだそれは!?
それを信じるなら混沌の中からこれが生まれてきたということになる
それでは何らかの存在がこの宇宙を必要としたということじゃないか
混沌の世界から物理法則、質量保存の法則を持つこの宇宙が誕生した?
おかしいじゃないか!
何のために?
もう訳が分からない
でも少なくとも誰かが自分を自分たちを全てのものを見ている気がする
俺の外の外の外の外のどこかにそいつがいる
そいつが神なのか?
途方もなく遠いところにいるやつに会うことはできるのか?
訳が分からない!!
なんで俺がいる?
なんで俺がいることを必要とした?
自然現象とかそんな知ったような科学的な意見を聞きたいんじゃない!
事実として今俺がいるということはこの宇宙が望んでいるということだろうが!
紙に火をつければ燃えるように結果として俺がこの宇宙から許されて存在しているだろうが!
もし必要としないであればこの宇宙そのものが存在する理由もなく法則そのものが存在しない!
何が言いたいのか分からない
とにかくなんな何だ
おかしいだろう
誰が決めてるんだ
おかしいだろう
法則がある存在するということが必要性を逆に導き出してるということに何で気づかない
法則がなければめちゃくちゃルールがなければめちゃくちゃな世界になってる
これが必要でなくてなんだ?
もしこの宇宙にない法則Xというものがあってそれがこの宇宙に無いと困るというのなら
それが無かったときのことを考えてみろよ
何も起こらねえ
何も
自然としてもないと困るわこんなん
アベノミクス批判してる人の中には、しっかりした傾聴すべき意見も勿論多いが、一方であまりにも経済というものを理解してないものも散見されるような気がする。
理系の高学歴の人であっても、そういうのは学ぶ機会が無いからなあ…
例えば、
「誰かが得をしてるということは、誰かが損をしてるということなのです」
という言葉をよく聞く。
質量保存の法則のように、社会の富(価値)は一定であり、所詮は経済なんてゼロサムゲームである筈だ、という前提による世界観なんだけど、基本的にこれは正しくない。
なぜなら、(人間にとっての)「価値あるもの」は人間の活動(労働)によって作り出すことが可能だからだ。
そして、人間による価値創造活動を促すのが、経済(お金)の役割であり、経済活動がうまく回れば、社会全体が持つ全体価値は増えていくのだ。
「景気が良い」というのは、基本的に、全ての人間が得をする状態なのである。
それでも「それは日本国内(円経済圏)だけが得をするという意味だろう?」と考えて「日本の好況は世界の迷惑」だと思いこんでるような左翼も稀にいるようだがそれも違う。
何度も言うが全体としては、経済をエンジンに人類が労働によって価値あるものを生み出していくのだから、いずれその価値は国から湧き出でて、世界に恩恵をもたらすのである。
他には、「こんなのはバブルに過ぎない」と否定する向きもある。
バブルというのは、実体経済とマネーゲームによる経済が乖離した状態を指す。
これは確かに警戒せねばならない。マネーゲームは生産活動を促さない。まさに資本主義の罠である(必要悪なんだけど)。
そこで、市場に余ったカネがマネーゲームに流れすぎないようにするにはどうすればいいか。
実体(実労働)を要求する「仕事」を作り上げることで、そこに重要を引き起こし、「実体経済にお金が必要」な状況を作り出してやるのである。
そのためには、その「仕事」は、大量の材料・労働力・技術革新を要求し、さらに続く需要への連鎖性が高いものでなければならない。
よって経済対策を目的とした財政出動の対象は、そういった需要の連鎖性"だけ"を選定基準にするべきである。