はてなキーワード: 旭日旗とは
一般的な旭日旗の光線が十六条なのは、菊の御紋(十六葉八重表菊)に由来する。
戦後、軍の解体に伴って「軍旗としての旭日旗」の歴史は途切れたが、
1954年、自衛隊が発足するにあたり、帝国軍旗を受け継ぐ形で自衛隊旗として採用された。
近年、「韓国の旭日旗批判は2011年以降に作られた新しいもの」との風説があるが、
韓国や中国の過去のニュースを見ても、それ以前から「日本の軍国主義を思い起こすもの」として、
ただし韓国における「戦犯旗」という蔑称は2012年頃につけられたものである。
鉤十字。
ヒンズー教や仏教など、古くからさまざまな宗教や民間信仰で「幸運の印」などとして用いられてきた。
1900年頃から、「アーリア人」がヨーロッパ人の共通の祖先であるという思想(アーリアン学説)のもと、
ドイツ国内でハーケンクロイツは「最も優秀なアーリア人であるドイツ人の象徴」とみなされるようになり、
1919年に設立されたナチスもそれを踏まえて1920年に党旗をハーケンクロイツとした。
1933年にナチスが政権を掌握するとハーケンクロイツは国旗に準ずるものとされ、
終戦後、ハーケンクロイツはナチズムの象徴とみなされ、ドイツでは公の場での使用を禁止された。
1990年の東西ドイツ統一以降、ネオナチの活動が顕在化するにつれて、
ハーケンクロイツへの警戒も強まっている。
イギリスのヘンリー王子がナチス風の軍服を着ていたという2005年の問題をきっかけに、
ハーケンクロイツの使用をEU全域で禁止する法案が提出されたが、
これはヒンズー教徒の反対などにより阻止されている。
こうして見ると旭日旗とハーケンクロイツに大きな差はないように思われる。
特に「元は平和的な図案だったが悪質な政治に利用された」といった話は双方に共通する。
ただ、ハーケンクロイツが直接的に「(悪である)ナチスのシンボル」とみなされるのに対し、
旭日旗は「(悪である)大日本帝国の軍隊のシンボル」であるため、やや間接的な関係に思われる。
このあたりの印象の差があり、ハーケンクロイツほどには規制されなかったのだろう。
また近年のインターネットの普及によって、各国のナショナリズム的行動が可視化されたことで、
より大きく反発が起きるようになった面もあるのではないかと思われる。
旭日旗について言えば、
明治になってから軍旗として採用され、菊の御紋と重ね合わされる「十六条旭日旗」が、
皇国史観や軍国主義と結び付けて見られるのは仕方ないのではないか。
仮に旭日旗の使用を擁護するならば、「元は平和的な〜」や「奇誠庸が〜」などではなく、
「十六条旭日旗のみ」に問題を限定したり(この場合は海上自衛隊の自衛艦旗は変更することになる)、
「思想的なシンボルではなく軍旗にすぎない」ことを強調する(この場合は自衛艦旗としての利用は擁護するが平和的な場では使用を控える)、
といった点を前面に出したほうが良いのではないかと考える。
まあ彼の国はそうでしょうねw
でもそもそも旭日旗ってそんなにいいもんかね?って思う。背伸びしてるようでカッコわるいじゃん。あの後光はおじさんのカイゼル髭みたいなもんだと思う。
まあ彼の国が「日の丸も掲げるな!」とのたまったら流石にふざけるなとなるが。
韓国がIOCに旭日旗は政治的な旗だかり持ち込むな、と訴えて、IOCは静観の構えという。
そのニュースのコメントで「旭日旗絶対に持っていきます!」なんて鼻息あらいのがあったけど、そもそも旭日旗ってそんなにいいか?
日の丸こそがシンプルで美しい旗で、自分からみたら旭日旗も韓国の国旗も日の丸から意匠を付け足したようにしか見えないんだけど。
なんか戦前のお父さんが家の中で偉そうにするために生やしてたカイゼル髭みたいで下品だ。
絶対に旭日旗を持っていく!って息巻いてる人はその旗が好きで埃を感じてるのではなく、単にそれを見て嫌がる人がいるからやりたいだけだよねw
(シンプルイズベストって意味では、神道の二礼二拍手一礼も仏教の合掌一礼に尾ひれをつけたんじゃないかと思ってる。シンプルな方がおそらく源流なんじゃないかと思う。悔しいけね…)
>はてな民は偉そうだけど、
俺もネットで偉そうにしてる。
ワタミは不味いので行かない。普段飲まない分、飲むときは食事も美味しいまともな店に入るから。
>エスカレーターは右側を歩くし
恥ずかしながらそうだ。クレカ使うのは高額商品買う時だけ。消費者還元に乗っかってキャッシュレスに移行したい。
少なくとも俺が直接使っている部下や下請けにはいない。二次受け、三次受けはいるかも。
タバコ吸わない。
>暇があればパチスロ
パチやらない。
ソシャゲは人権キャラにだけ課金して1万円弱で十分に楽しんだ。そして飽きた。
その状態があることは人として理解できるが、奇誠庸はどうだったか。
問題提起などと言えるような状況ではなく、出まかせの言い訳でしかなかった。
なので、実際には旭日旗がなかった事が知られてくると全く違った言い訳へ二転三転としている。
これはある程度そういう共通認識があることを知っていて、世間の関心を自分への批判から目をそらさせるために利用しただけでしょう。
ちなみに私は奇誠庸以前から韓国で旭日旗を問題視する記事があったのは知ってる。
しかし同時に、大抵の韓国人に相手にされていなかった事も韓国人自身カジュアルに旭日旗を見ていた事も知ってるし、そんな記事が2000年代以降でしか見当たらないのも知ってる。
近年作り上げられた歴史に変わりはないんでしょう。
もともとどういう意味だったとかに関係なく、旭日旗にこだわってる、声のでかいやつが右翼系という状態なせいで、着実に「ウヨ」的意味を帯びていってる。
これはたとえば立憲民主がパリテとかずっと言ってるから、もうパリテって立憲のイメージみたいな状態に似ている。これはちょっとよろしくないなあと思う、あのデザインが純粋に好きだからなんとか使っちゃだめかあと思う民
「観客席の旭日旗を見て涙が出ました。私も選手の前に大韓民国国民です…」
いつもは実際には観客席に旭日旗がなかった嘘が注目されるけど、裏を返せば、奇誠庸はいつかの試合で観客席に旭日旗を見てる事を示してる。もし見たことなかったら、日本人が応援で旭日旗を振るなんて発想は出なかったと思う。たまに振ってた程度だし。でも、そのいつかの過去では奇誠庸は何もしなかったし、韓国では問題にもならなかったんだろう。
もしかしたら、何度か見ていたのかもしれない。
なので、今回もあるだろうと適当な嘘を付いたのかもしれない。
どちらにしてもやっぱり、奇誠庸はそれをなんとも思わず見ていたし、韓国では問題にならなかったと言う、旭日旗を問題とする前とした後の狭間にある象徴的な一言だなと改めて思った。