はてなキーワード: 元ネタとは
なるはず。
「恋愛」とは大昔は「親や権力から勝手に配偶者を決定される被抑圧者」が解放される、
だが現代は違う。
―――しかしそこで起こった悲劇とは「恋愛文化の抑圧化」である。
「恋愛がスタンダード」なものになることにより、どんどん抑圧となってしまったのである(ナ、ナンダッテー!?
前述した「自ら望んだ愛した人間と添い遂げるためのメソッド」が
むしろ「お前自ら望んだ愛した人間と添い遂げられる能力も無いの?プッw」
というマウンティングに有用なメソッドと化してしまったのである。
「恋愛できない人間は人としてどこかおかしい」みたいな輩まで出やがる始末である。
だから「恋愛抑圧」から勝ち抜くために、世に書籍やネット記事で数多ある恋愛教材求められるようになった。
彼彼女らは果たして心の奥底から「愛する人と添い遂げたい!」と思っているのだろうか?
実は「世間的に恋愛できてないとおかしいと思われちゃうから恋愛できるようになりたい…」
というのが本心なのではなかろうか?
恋愛至上主義者は「恋愛は抑圧から自由になるためのリベラルメソッドである」
もうそんな時代とーーーーっくのとうに終わっとるちゅーねん。ええ加減にせいやホンマ。
「恋愛は被抑圧側」
もうこれら古くっせぇ価値観であるんですよ。いい加減アップデートしてくださいよ。
「恋愛は抑圧側」
ミーハーだけど、羽生結弦がGPシリーズでやっている「ニジンスキーに捧ぐ」の元ネタが見たくて、プルシェンコのDVDを買った。
いやーすごいの何のって。完璧な演技とはこういうのを言うんだろう。羽生結弦じゃなくてもフィギュアスケートやってる人ならみんな憧れると思う。もはやプルシェンコ本人ですら再現不能ではないかと思われる若き日の超絶技巧の数々。そしてこの頃は20代前半ぐらいだったのか、若くて肌も美しい。(見るとこはそこじゃないか(^-^;)
あと、エドウィン・マートン(元は英語なので読み方が正しいかは不明)というヴァイオリニストと共演しているんだけど、音楽もやたらとカッコいい。プルシェンコ以外の人の演技も収録されているんだけど、アクロバティックな演技の数々を音楽がさらに盛り上げている感じ。
私はあまり動画が好きじゃなくて、たとえ気に入っても一回見て終わりにしがちなんだけど、これはプルシェンコの演技だけ選んでリピートして見たよ。アマゾンで売ってるので、フィギュアスケートが好きな人にはお勧め。
自分語りをする。
宇宙戦艦ヤマト2199がTV放送された時、誰もが名前を知っている名作の宇宙戦艦ヤマトだし、とりあえず見てみるか、と思って見始めたのが俺が初めて見たヤマトだった。
衝撃を受けた。リメイクされているとは言え、自分が生まれるはるか前、40年以上前のアニメが元ネタになっていてこんなにおもしろいとは。
たった一隻で孤軍奮闘し、知恵と勇気と、禁断の兵器波動砲で様々な難所を切り抜けていく爽快感は、どこかテンプレート的でありつつも(逆を言うとヤマトが今まで私の見てきた作品に影響を与えたのかもしれない)洗練された面白さがあった。
それを彩る数々の素晴らしい音楽、日本の今の実力が高い声優を一同に集めたかのようなハイクオリティな声の演技。
旧作ヤマトファンからすると色々不満点があったようだが、自分からすれば心の底から見てよかったと言えるアニメだった。
勿論面白かったが、やはり平成生まれの自分としては、設定も作画も2199が合ってるな、って思った。
星巡る方舟でガトランティスも出てきたし、続編やってほしいな、と心の底から願った。
だからこそ、2202が発表されたときは、某任天堂のゲームが発表された時の外国人の様に歓喜した。
心の底から劇場公開を楽しみにした。指折り数えてカウントダウンもした。
いままで公開された6章、テクニックが要求されるような見ごたえのある戦闘シーンは数えるほどしかない。
2199で登場した新キャラクターが、地球、ガミラス問わずほとんどが終盤になるまで登場しない。
ヤマトがほとんど活躍しないどころか、最新の章ではあの洗練されたヤマトのフォルムに改造が加えられる。
旧作にあった空間騎兵隊と古代や航空科との対立からの和解もなければ、何よりあれだけ面白かった木星での前衛艦隊との対決も波動砲と破滅ミサイルを打ち合うだけの戦いになってしまっている。
挙句の果て、削った尺は上から目線の愛についての説教じみた話が続く。
シリーズ構成の福井のクソ野郎曰く「ヤマト世代には響く」話らしいが、どうも俺のように2199からヤマトの魅力を知った人間は対象外だったらしい。ふざけんな。
アニメに教訓じみた話をいれるのは嫌いじゃないし、むしろ良いと思うが、それは最低限その作品がやるべきエンターテインメントを完遂した上でなされるべきじゃないのか。
本業であるエンターテインメントを放棄し、愛とはなんぞやという自分語りみたいなことばかり繰り返す本作はもはやアニメですらない。
何よりこれが、俺がこよなく愛した2199の続編だということが死ぬほど憎らしい。
これから先、宇宙戦艦ヤマトシリーズの続編はまた作られるかもしれないが、宇宙戦艦ヤマト2199の続編が作られることは決してないだろう。
(2199時空のシリーズが続いたとしても、それはこの駄作の続編でしかない)
ただでさえ旧作ヤマト2はカミカゼととられかねない要素を中心に様々な誤解を生みかねない要素がある。
だからこそ、ヤマトだけは左右関わらず政治思想要素に最も気をつかわなければいけない作品のはずだ。
そのトップに近いスタッフ陣がTwitterで延々と右翼発言を繰り返す、こんなことが平成も終わろうかという時代に許されているのが不思議で仕方ない。
らしい人が「はてな」に多いのは何故なんでしょうな?
昨日は、巧妙にフェミニストをバッシングするタイトルのエントリがホットにあって、
トップのブコメが、お前、フェミニストにチ○コでも切られたか、と聞きたくなるようなものばかり。
最近のトップブコメはあてにならないので、ブクマが100を超えているものは最新のブコメを先に読むようにしている。
そのほうが意見が「まとも」なことが多い。
こと、フェミニスト関連だとその傾向が強い気がするけど、何でここまで恨み憎んでますかね?
世界にそこまでフェミニストっていませんよ、私は少なくとも、私以外で周囲にいないわ、わたしも別に名乗ってはないけど。
昨日のエントリもひどくて、まず「日本男性は暴力しないとわかってフェミニストが涙目~!」みたいな煽り記事で、
その元になった記事を読むと、暴力を受けたという意識がまだまだ日本では浸透していないから数にはでにくいのではないか、
の、割と普通の論文と言うか、そんなにフェミニストがガツガツ反論してます!ってなモノではなかったのだよね。
まともな人間は元ネタを必ずあたるんで結局フェミ・バッシングをする人間てこういう連中なのね、と思うだけだけどね。
フェミたたきが怖いのは、自分の気に入らない女性に彼女がさほどフェミ的な意見を持っているわけでもなくても
「こいつはフェミだー!」と大声で叫べば、わらわらとある種の暴力性を持った男たちがわいてくる。
「フェミならば何をしてもかまわない!」と、パソコンか、スマホかの画面の前で醜い笑いを浮かべているのが見えるようだ。
たぶん、この手の「○○ならば何をしてもかまわない」の意識が、大きくなると「民族浄化」の虐殺に至るんだろう。
私は常に自分が少数派であると自認しているので、たぶん殺される側に属するだろうとわかるんで危機感を覚えるんだけど、
フェミたたきをしている人は、「俺たちは正義を行っている!」と信じて疑わないものなんですかね?
若い二人の娘を持つ私にとって、世界は必ずしも若い女の子に親切に出来ていない、としみじみわかるし、
フェミニズムは私が若いころからどうしようもなく非力なままで、それは今後も変わることがないだろう。
それでもそれをたたくのがそんなに「正義」ですかね?
いじめの対象者を何か悪いことをしでかしたかのように仕立て上げ「俺たちがやっていることはいじめではない!」とする。
世界から、いじめも、差別も、もっと言えば、男性が女性にする集団強姦事件も、なくなることはないだろう。
この、弱いもの、叩きやすいものを、徹底的に叩くことが「遊び」のようになってしまっているのでは。
発端が何であったとしても、フェミニストを叩け!とやっている今の状況は異様で異常、
学術界でのごく一般的なやり取りすら、歪んだ捉え方で煽りに使う、
そのやり方は、人として低劣であることにためらいがない、
ここまで人間性が腐っているのを平気で晒せるその羞恥心のなさだけは感心してやって良いか。
何でフェミたたきをいつまでもやってる連中って、こんなに歪んでますかね?
その漫画は、3~4話で一つのエピソードになっていて、単行本には大体2~3エピソードが入っている。
最新巻には3エピソード入っていたが、最初のエピソードが微妙。
元々この漫画にはメタネタ、パロディは従来からあって、それは十分面白かった。
特にエピソードの登場人物に「この話面白いですか?」と言わせたネタには
最新巻2番目、3番目のエピソードは、今までと同じように面白かった。
「まあ、作者も調子が悪いこともあるよね」と思いつつ、後書きを見た。
雑誌による「どんな話が読みたいか読者アンケート結果」によるものらしい。
元々作者としては、元ネタとこの漫画のコンセプトに合わないと考えていたらしく、
漫画化する予定はなかったようだが、
読者の声としてやらざるを得なかった様子。
読者は気楽に、自分のお気に入りのネタを読みたいとアンケートに書くだけだが、
作者は漫画の作風などと組み合わせてうまく作品に仕上げなければいけない。
これで作品が面白くなればいいのだが、どうしても合わない組み合わせというものは世の中に存在する。
齢40にして驚いたババア増田。そういうことやってんのは水商売とか適性ありそうな1割くらいと思ってた。
結婚適齢期には打算でもうちょっと増えると思うけど、生涯の大部分は全く関係なく過ごしてる女が大多数でしょ。
むしろいかにブロックするか、職場や学校で対象になると面倒くさいことになるから、いかに対象外になるかに注意を払ってるんだと思ってた。
だって関係持てる相手って生涯で(多くても)数人だけど、会う異性は星の数ほどいるから、殆どの時間はブロックモードだよね。
いや、上司や上層部に媚とか、取引先に気に入られる努力くらいはするよ?(元ネタは小さい子だから、気前のいい親戚のオジちゃんに媚か)でもそれって、男同士だってやる程度のことじゃん?