はてなキーワード: ビレバンとは
毎年何か新しいことをしようと思って、2013年は瞑想をはじめた。
いわゆる、ジョギングとか筋トレとかと同じ系列で瞑想をはじめたが、
瞑想の仕方とか、コツとかはいろんな書籍やサイトがあるのでそれを参照。
使った道具は安いヨガマットと、iPhone音楽アプリ(リラックス系の音楽をタイマーで流せる)程度。
半年くらいしてから、お香も使い出した。ビレバンとか無印で売っている程度のいわゆる普通のお香。
一回当たりの瞑想時間は15分。慣れるまでは2日に1回はしていたけど、最近は仕事とかも
忙しいので休みの日にするくらい。始めた当初は15分瞑想する事自体が困難だったが、
三ヶ月くらいで楽に瞑想できるようになった気がする。
■良かったこと
・腹式呼吸が辛くなくなった。呼吸が深くなった。
始めた当初は「深くすって深くはく」がとても大変で、瞑想に集中できなかった。
呼吸が深くなったことで、人と話すときとかの息切れ感も少なくなったし、
少しは落ち着いた様な気がする。
瞑想をするときは、「空腹」で「体調が良い」時にするのが良いと自分は考えた。
15分何も考えないで、微動だにしないって結構コンディションが良くないときつい。
したいときに瞑想ができるように、体の調子を気遣うようになった。
瞑想しようとしてもできない状態は、つまりコンディションが良くない時なので、
早く寝たり無理しないようにした。瞑想できるかできないかで体調を管理できるように
なったとも思う。
■変わらなかったこと
・何か閃いたりすることはなかった。
もっとこう「なんか変わる!」感がいつかは出るだろうと1年経過してが、余り変わった
気がしない。そこまで熱心にしているわけではないからかもしれないけど。
今は「なんとなく良さそうだし確かに気分も良くなった気がする」から続けられている。
だけど、習熟していくうちに、今はわからない「何か」があるのかもなーと言う気には
https://twitter.com/hbkr/status/332574456813846528
人に嫌われないか常に不安で、と言う子に会った。人は他人に好かれたがったり理解されたがるけど、そこに過剰に期待するから不安になるし、理想通りに行かない時に絶望するんだよ。大事なのは相手がどう思うかじゃなく、自分がどういう態度を示すか。相手が嫌ってても自分が好きならそれを伝えたらいい
https://twitter.com/hbkr/status/332578252713504769
親や教師や友人や上司や彼氏に好かれようと思うから窮屈になる。相手に合わせて自分を殺してしまう。他人はどこまで行っても他人、分かり合えるはずなんて無いんだから、相手がどう思うか、なんて考えるだけ時間の無駄。相手に合わせて動くんじゃなく、自分の態度を示して相手の心を動かせばいい。
なんかこう最近、イケダハヤ師とかさ、30代半ばとかで3万~5万前後フォロワーの人たちが
高橋歩(自由になれ)とあいだみつを(そのままでいい)を足してビートたけし/岡本太郎(毒を持て)のエッセイで
割ったようなビレバン的な人生論を、わりと断言口調で語るシーンをよく見るけど、こういう現象はやっぱtwitter以来だよね?
別にこれくさすつもりはないんだけど、
「どこで物件見つけてるのこれ」って驚いてる人が多いけど、
つまりhomesとかでも探せば探せる。
不動産の共有データベースは東京だけでも3系統くらいあるんだけど、
最近はだいたいどこも似たりよったり。要はどう物件をフィルタリングするか。
更新が遅いし、最近は元付け一本てところも少ないからたいていはhomesとかsuumoにものる。
この辺の特殊系ばかり集めたネット不動産がある。
自分が見て思ったのは、逆に不動産サイトとしては特に新しいことはなくて、
ビレバン的に今後どう展開していくんだろうと。
少なくとも今のままじゃR不動産やそのフォロワーに対して勝ってる部分はすくない。
説明文なんかでどれだけ惹き付けられるかだけど、いまのところR不動産よりキレが良いとも思わない。
強いて言えば、物件写真のクオリティが他の不動産サイトのクズみたいなコンデジ写真より
いくらかマシなので、そこが多少強みになるのかなあ、と。
おハロー。
聖おにいさんはオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。
http://anond.hatelabo.jp/20081210172325
とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。
http://anond.hatelabo.jp/20091216230059
「このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!
http://anond.hatelabo.jp/20111224192828
を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。
「かわいそうだね?」
って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞のネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。
はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大の自分を直視できないのかねえ。
「格好をつけないことで、格好をつけている」
「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」
やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。
ぼくはきみたちの断末魔の叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートはエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。
ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。
これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。
きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかにカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね。東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。
では、いきますよー。
「ボンクラ」なんていう安っぽい価値観で連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスターの宇多丸や町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。
「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。
中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。
自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚のフンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。
彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸のラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。
そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画のポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。
この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフルで宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画、町山智浩がキラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画をネタにしているのを見たことあるよ」でも可。
「人生で大切なことは、すべて伊集院光のラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。
映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャーを必死に否定してくる。「最近のアニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。
自分が中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画やアニメは伊集院が褒めるものだけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。
映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットのMP3音源を違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴や職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメな自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。
もうなんでもあり。
こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛な自己肯定は。
「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽな自分を必死にデコレートしようと頑張っている。ビレバンに下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分がビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。
こういう奴がセンスいいと思われたい一心でカルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画が悲惨な犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。
なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍なマリオネットたち。
こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。
さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローをリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。
もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。
そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆
はてブやツイッターなどの安全圏からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。
文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ。
大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後に勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。
このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報をいかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。
以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者4タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性が大事」という間違った教育と、「作品の解釈は受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。
確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。
ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督の紀里谷和明か、小説家の岩崎夏海くらいか。
特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代のクリエイターズ・バイブルだね、この本は。
みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽな自分を直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスもプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。
財務省さんによると国の債務残高が年度末ごろには1000兆円になるらしい。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110126-OYT1T00900.htm
フェイスブックが独自通貨を発行したらEUに迫る経済規模になるんじゃないかとか、チニジアの件やエジプトや、ロシアでの件や、そして新潟市と新潟県の合併の件とか、ぼくのお小遣いとポケットの中のビスケットを勘案して1000兆円ぐらいつくるにはどうしたらいいんだろうとお風呂につかりながら考えたような気がしたが、髪を洗ったらわすれてしまった。たぶんどうでもいいことだったのだと思う。
今日はビレッジバンガードで万札っぽい1000000円札をみたきがした。通貨偽造罪というある意味で殺人よりも思い刑罰があるものに数百円の利益とネタのために無邪気に挑むビレバンに拍手をおくりたい。お札はカラーコピーしたり、模したと判断されただけでアウトにできる。もし目をつけられたら逃げられないおっとろしいものなのだ。だからどれだけ似てないか、オリジナルを模さずそれっぽくするかという、つまらないところで人生をかけられるアイテムなのだ。
して。1000兆円ともなると稼ぐのは無理さね。世間に出回ってるお金をかき集めてもその額になりゃしませんがな。日銀さんの2010/12現在のマネタリーベースは1,040,238億円だって。
http://www.boj.or.jp/type/stat/boj_stat/mb/base1012.htm
ひー、ふーみ・・・
そうかマネタリーベースもとうとう1000兆を突破したのか!ということは、不可能ではないのだね。だれかが1000兆稼ぐと日本円が世間から消えてなくなるけど。うん、まあそうしたら国債と相殺して、綺麗になってまた新しいお金でも発行すればいいじゃない。
ふがふがふが。ぷーぴー
もうぜんぶリセットしちゃいなよ。バチカン市国よろしく千代田市国でも立てたらいいじゃない。それでもって日本中別通貨にして、農業に投資したいところはすればいいし、道路つくりたいところはつくればいいいじゃない。公務員法とか改正してストを認めるかわりに、いらないところバンバン切っていって、暴動とかおきて、赤いTシャツと黄色いTシャツで成田空港でも閉鎖して気勢でもあげてればいいじゃない。いつかどこかで揉めるだったら、いま職とかがなくなっても物理的には食いぶちがある、いまのうちのほうがまだ深刻な事態にならないんじゃないかともうよ。先行き不安とか閉塞感を抱えながら制度疲労につぎはぎ補正をするよりは先にすすめるきがするだわよ。人間のおもな関心事項は喰いぶちだから。そこさえしっかりフォローすれば、将来おなかをす
何をいいたいのかわからないけど、髪もかわかさずにこんなのかいてたらすっかり冷たくなっちゃったよ。どうしてくれるのさ!エンターおしたらwindowsが再起動わめくのでこれにて終幕!
ブクマに
どんどん語って文字にせよ
とあったので、↓これの続き(補足)を。
http://anond.hatelabo.jp/20081223011009
1. <「ネクラ」「マニア」「おたく」「オタク」的な人>の定義とその変遷
こんな感じでどうでしょうか。
異論反論もあるでしょうが、まずはちょっとアイデンティティ(Identity)についてお話させてくださいな。
自分は、アイデンティティーには2つの種類があると考えています。
ひとつは「能動的アイデンティティー」。もうひとつは「受動的アイデンティティー」です。
「能動的アイデンティティー」は、自らが<何か>に属していると自発的に感じるアイデンティティーです。
アメリカに長期滞在し味噌汁が飲みたくなった時に「あ、俺も日本人なんだな」と感じる。
これが能動的アイデンティティー。
「受動的アイデンティティー」は、他人が自分に対しカテゴライズする/タグをつけることにより意識されるアイデンティティーです。
道を歩いていて「hey jap!」と侮蔑されたときに感じる「あ、自分は日本人なんだな」と感じたときのアイデンティティーです。
ここで注意しなければいけないのは、一般的には能動的アイデンティティーは<想像されたもの>でしかないということです。
ブイヨンスープを飲みたくなればフランス人なのかというわけではないし、「就職は結婚、同僚は家族みたいなもの」と口で言いつつも、
「会社人間」という自己言及がフィクショナルな物だというのを多くの人は理解できると思います。
ふぅ、ここでやっと「おたく」の話。
本来、「おたく」という言葉で表現されるような人々は「呼ばれる」ことで
受動的にアイデンティファイされてきたわけです。
こんな感じで
・「あー、君の事もっとネクラな人かと思っていたよ」(「暗い奴」という蔑視)
・「すごく詳しいね。○○マニアだね」(「詳しい人」という尊敬・排除)
・「それっておたくが読むものだよね?」(イミフなものは全部「おたく」と呼んで排除)
・外で遊ばないで家でなんかやってる人→ネクラ
・コンパとかマスが認めるカルチャーに興味がなくて、漫画とか変な本とか読んでる人→おたく
なので、「ネクラ」と言われると「そうかなぁ?」と疑問に思い、「マニア」と言われるとちょっと喜んで、
「おたく」と言われると意味がわからなくて「???」となるわけですよ。
(なぜこの「ネクラ」「マニア」「おたく」の中で「マニア」と呼ばれることだけが喜びにつながったのかと言うと、
「マニア」だけは特定ジャンルですごい人・コレクター・収集家の意味を持って使われていたからです)
んで、時は過ぎ去り例の事件後、岡田さんが「おたく」な人たちのことを「オタク」と言い換えて、流通に乗せたわけです。
(大塚英志氏などは、「おたく」から「オタク」に移行したときに宮崎勤的な「何か」が抜け落ちたと批判している)
(「おたく」から「オタク」と言い換えられたとき、マンガ・アニメ・ゲーム文化が「なぜか」中心となった)
それまでは「店頭に飾ってもらえるくらいにプラモデル作りがうまくなりたくて毎日プラ屋に通う少年」とか、
「マンガ絵が好きでファンロードに投稿する少女」とか「鉄道が大好きで教室でマイ路線の時刻表書いてる奴」とか、
「家にあるゲームをやりつくし、怪しげなソフト屋に通うマイコン少年」とかが一律「おたく」であったのに、
なぜかいつの間にか「美少女とかアニメ絵が多用されているマンガ・アニメ・ゲームを消費する人」が
「オタク」のメインであるかのような「幻想」が流通してしまったのが現在なのです。
我ながらなげぇと思うけど続き
自分史的には、ぬるとかガチとかって対立構造が存在した記憶がない。
そもそも「おたく」な人は
なわけだし、お金と環境(部屋の広さとか)と時間が許す限り(程度差はあれ)没頭するのが「普通」だったので。
マイノリティ同士だから基本互助的だし、濃い人つまり金持ちは単純にスゲェとしか思わなかった。
新参が来ても友達少ないから、むしろ逃げられないように大切に扱ったしw
(ヌル鉄とがガチ鉄なんていない。全員「アツイ」から、濃淡は金・環境・時間の差でしかなかった。
金もつとプラ好き少年はジオラマ、マンガ絵少女は同人、鉄は全国旅行、マイコン少年は新機種と「相場」が決まっていた)
だいたい、自分たちのことを「おたく/オタク」とは思ってなかったしね。
受動的にアイデンティファイされただけだから、自分たちのことは
マンガ好き、軍事マニア(ミリタリー好き)、鉄道ファン(鉄)とか思ってた。
仲間内で受動的アイデンティティーの確認なんてもちろんやらない。
日本人が日本人に「あなたは日本人ですね」と言っても意味がないように、
ネトウヨが朝鮮系日本人のことを「チョン」と言うように、「外部」の人が「おたく/オタク」って言及してた。
一昔前は呼ばれてはじめて「ああ、おれって『おたく』って呼ばれる存在なんだなぁ」って気が付くもんだった。
仲間内で(濃淡じゃない)興味の「深い浅い」がヒエラルキー化したのって、たぶんネットの影響で「連帯」できるようになってからじゃないかなと思う。
「ぬるヲタ」とか「ガチヲタ」とかって、昔は問題になんかならなかったしね。
(まぁ、今ほど情報・作品があふれてなかったってのもあるけど)
(淡から濃に行かない奴は、そもそも「おたく」と呼ばれていない)
(言及するために「発見」された?)
(周囲の雰囲気変わったなぁと思った時期は、「スレイヤーズ」「天地無用」「ときメモ」「サクラ大戦」
「エヴァ」「ブギーポップ」「ビバップ」「ハルヒ」らへん。倍倍ゲームで「オタク」が増えた印象)
自分としては、岡田さんが"Yes,we are niggers.What's wrong with that?","Black is beautiful "的な意味合いで
「オタクで何が悪いの?マンガ面白いでしょ?」って開き直ったという歴史を知らない若い子が増えたんだと理解してる。
それ自体はいい/悪いではないけど、意味もわからずファックミーTシャツを着ている人を見ちゃうような気まずさはあるよね。
を書こうと思ったけど、長すぎるから割愛。
リブロ-ABC-ビレバンに対する中野タコシェ-新宿模索舎的なカウンターを担っていたような気がする。
聖おにいさんはオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。
「これ消費したらセンスありますよ?」的なのがむかつくし、
買う奴は「私はこういう一癖あるのが好きなんだよねー」って
センスあるアピールで購入して、自分がどこにでもいる型にはまりまくった
中身は案の定、サブカル的な切り口を薄めに薄めて女子どもにでもわかるようにしたレベル低い作品。
聖☆兄を好きな奴は高確率でDMCも本棚に入っていてダヴィンチも購入している。
そんで音楽ライブとかにも行って「私はキモいオタクとは違う」って思っている。
そんなところがむかつくんだよね。ホント、今回並べられてる漫画って全部そんな感じ。
サブカル女が他の奴らとはセンスが違うと自尊心を満たすためのアイテムばかり。
選者も「私(俺かも)ってセンスあるぅー」って自己陶酔しながら記入してた。
そんな慰撫されるためのアイテムが良いもののはずがない。