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2021-08-08

赤田祐一声明

こりゃ、一生叩かれても仕方ないな

2021-07-20

初期Quick Japanって、大泉実成など、弱者に寄り添う感じもあったのに、イジメ紀行みたいな醜悪なやつもあって、なんだったんだろうね。赤田祐一弱者に近いと勝手に思ってたから、あの感じはなんか意外だった。

小山田圭吾過去の精算の余波で、久しぶりに赤田祐一でてきたらいいのにな。いまこそロングインタビューだと思うけど。読みたい。

あと、赤田祐一後のQuick Japanといえば、いろいろ面白いことやってたにもかかわらず、大塚幸代イメージけがつよい。本当にキモかった。でも、あのキモさは、小山田圭吾インタビューキモさに通じる。後に、ああいキモライターの箱になったことを思うと、小山田圭吾記事みたいなのがでた風土QJらしさだったのかな。

まあ、当時から、「消えたマンガ家」だけ立ち読みして、あとは特集によってたまに買う、というくらいにしかハマれなかった程度の自分感想です。当初は、自分達の世代&サブカルチャー代表する雑誌にならないかなと期待してたけど、期待ハズレでした。

2008-12-23

自分語り(補)

ブクマ

どんどん語って文字にせよ


とあったので、↓これの続き(補足)を。

自分語り

http://anond.hatelabo.jp/20081223011009

1. <「ネクラ」「マニア」「おたく」「オタク」的な人>の定義とその変遷

「所属する共同体コミュニケーションに関心を持たないほど没頭している趣味を持つ人」

こんな感じでどうでしょうか。

異論反論もあるでしょうが、まずはちょっとアイデンティティ(Identity)についてお話させてくださいな。

自分は、アイデンティティーには2つの種類があると考えています。

ひとつは「能動的アイデンティティー」。もうひとつは「受動的アイデンティティー」です。

「能動的アイデンティティー」は、自らが<何か>に属していると自発的に感じるアイデンティティーです。

アメリカに長期滞在し味噌汁が飲みたくなった時に「あ、俺も日本人なんだな」と感じる。

これが能動的アイデンティティー

「受動的アイデンティティー」は、他人が自分に対しカテゴライズする/タグをつけることにより意識されるアイデンティティーです。

道を歩いていて「hey jap!」と侮蔑されたときに感じる「あ、自分日本人なんだな」と感じたときのアイデンティティーです。

・「味噌汁が好きな俺ってばやっぱ日本人」(能動的アイデンティティー

・「外人にジャップって言われたから俺は日本人」(受動的アイデンティティー


ここで注意しなければいけないのは、一般的には能動的アイデンティティーは<想像されたもの>でしかないということです。

イヨンスープを飲みたくなればフランス人なのかというわけではないし、「就職結婚、同僚は家族みたいなもの」と口で言いつつも、

会社人間」という自己言及がフィクショナルな物だというのを多くの人は理解できると思います。

ふぅ、ここでやっと「おたく」の話。

本来、「おたく」という言葉で表現されるような人々は「呼ばれる」ことで

受動的にアイデンティファイされてきたわけです。

こんな感じで

・「あー、君の事もっとネクラな人かと思っていたよ」(「暗い奴」という蔑視)

・「すごく詳しいね。○○マニアだね」(「詳しい人」という尊敬・排除)

・「それっておたくが読むものだよね?」(イミフなものは全部「おたく」と呼んで排除)

・外で遊ばないで家でなんかやってる人→ネクラ

マイナーなことにとっても詳しい人→マニア

コンパとかマスが認めるカルチャーに興味がなくて、漫画とか変な本とか読んでる人→おたく

なので、「ネクラ」と言われると「そうかなぁ?」と疑問に思い、「マニア」と言われるとちょっと喜んで、

おたく」と言われると意味がわからなくて「???」となるわけですよ。

(なぜこの「ネクラ」「マニア」「おたく」の中で「マニア」と呼ばれることだけが喜びにつながったのかと言うと、

マニア」だけは特定ジャンルですごい人・コレクター収集家意味を持って使われていたからです)

んで、時は過ぎ去り例の事件後、岡田さんが「おたく」な人たちのことを「オタク」と言い換えて、流通に乗せたわけです。

大塚英志氏などは、「おたく」から「オタク」に移行したときに宮崎勤的な「何か」が抜け落ちたと批判している)

(「おたく」から「オタク」と言い換えられたとき、マンガアニメゲーム文化が「なぜか」中心となった)

それまでは「店頭に飾ってもらえるくらいにプラモデル作りがうまくなりたくて毎日プラ屋に通う少年」とか、

マンガ絵が好きでファンロードに投稿する少女」とか「鉄道が大好きで教室でマイ路線の時刻表書いてる奴」とか、

「家にあるゲームをやりつくし、怪しげなソフト屋に通うマイコン少年」とかが一律「おたく」であったのに、

なぜかいつの間にか「美少女とかアニメ絵が多用されているマンガアニメゲームを消費する人」が

オタク」のメインであるかのような「幻想」が流通してしまったのが現在なのです。

我ながらなげぇと思うけど続き

2. ぬるヲタ vs ガチヲタ

自分史的には、ぬるとかガチとかって対立構造存在した記憶がない。

そもそも「おたく」な人は

「所属する共同体コミュニケーションに関心を持たないほど没頭している趣味を持つ人」

なわけだし、お金環境(部屋の広さとか)と時間が許す限り(程度差はあれ)没頭するのが「普通」だったので。

マイノリティ同士だから基本互助的だし、濃い人つまり金持ちは単純にスゲェとしか思わなかった。

新参が来ても友達少ないから、むしろ逃げられないように大切に扱ったしw

(ヌル鉄とがガチ鉄なんていない。全員「アツイ」から、濃淡は金・環境時間の差でしかなかった。

金もつとプラ好き少年ジオラママンガ少女同人、鉄は全国旅行マイコン少年は新機種と「相場」が決まっていた)

だいたい、自分たちのことを「おたく/オタク」とは思ってなかったしね。

受動的にアイデンティファイされただけだから、自分たちのことは

マンガ好き、軍事マニアミリタリー好き)、鉄道ファン(鉄)とか思ってた。

仲間内で受動的アイデンティティーの確認なんてもちろんやらない。

日本人日本人に「あなたは日本人ですね」と言っても意味がないように、

「あなたは鉄道オタクですね」なんて言ったことない。

ネトウヨ朝鮮日本人のことを「チョン」と言うように、「外部」の人が「おたく/オタク」って言及してた。

一昔前は呼ばれてはじめて「ああ、おれって『おたく』って呼ばれる存在なんだなぁ」って気が付くもんだった。

仲間内で(濃淡じゃない)興味の「深い浅い」がヒエラルキー化したのって、たぶんネットの影響で「連帯」できるようになってからじゃないかなと思う。

「ぬるヲタ」とか「ガチヲタ」とかって、昔は問題になんかならなかったしね。

(まぁ、今ほど情報作品があふれてなかったってのもあるけど)

(淡から濃に行かない奴は、そもそも「おたく」と呼ばれていない)

(言及するために「発見」された?)

(周囲の雰囲気変わったなぁと思った時期は、「スレイヤーズ」「天地無用」「ときメモ」「サクラ大戦

エヴァ」「ブギーポップ」「ビバップ」「ハルヒ」らへん。倍倍ゲームで「オタク」が増えた印象)

自分としては、岡田さんが"Yes,we are niggers.What's wrong with that?","Black is beautiful "的な意味合いで

オタクで何が悪いの?マンガ面白いでしょ?」って開き直ったという歴史を知らない若い子が増えたんだと理解してる。

それ自体はいい/悪いではないけど、意味もわからずファックミーTシャツを着ている人を見ちゃうような気まずさはあるよね。

3. サブカルってなんぞ?個人的にはクイックジャパン的な

を書こうと思ったけど、長すぎるから割愛。

リブロ-ABC-ビレバンに対する中野タコシェ-新宿模索舎的なカウンターを担っていたような気がする。

ボアダムスとかフィッシュマンズとか鶴見済とかアングラ演劇とかウヨサヨをからかうとか族とか風俗とか鬼畜とか

消えた漫画家とかタイとか死体とか爆弾少年その後とかだいたい赤田祐一周辺だった印象

 
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