はてなキーワード: キラキラ感とは
ヘイヘイ!
先日さ、
ファミレスに寄ったのね。
散らかったメモをまとめておこうかなって。
まあそれはさておき、
夜だしデナーとでもいきましょうか、と
ちょっと食べるつもりのね。
しばらくしてパスタが出てきたんだけど、
フォークで刺して持ち上げたら
食品サンプルの宙に浮いてるナポリタンスパゲッティーパスタフォーク状態を
持ち上げたそのままの状態で固まっちゃうんじゃないのってくらいなのよ。
何分前に出来たのよって言うくらい、
作りたての美味しそうな
乾燥パセリがより、使う前より不思議となぜかさらに乾燥していて、
でも致し方なく頂いたのね、
そしたらびっくり
畳の味を醸し出していたの!
なかなか出せない味よね。
もうすでにファクトリーオートメーション化の一途をたどってもいいと思っていたのに、
だから
安定し予想できるファミリー層に絶大の支持を得ているそれらの味は
なによ、
畳かじった味って!
予想をはるかに上回りすぎて、
思わず何か書き留めちゃったわ。
パスタが畳の味って。
パスタが畳の味なのよ!
すごい業界の闇を感じたわ。
でも笑っちゃった。
うふふ。
金額行ってないのに、
私はくじ引きがしたいからサンドイッチを買ってるわけじゃないのよ。
しかも当たるまで引かせてくれるとか!
私そんなにくじ引き好きではないのよね。
こまったわ。
一期一会と言うことで買っちゃったわ。
そういうのもありだと思うわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
結局yamlはデータ構造を現すもので、プログラミング的な繰り返しとかIF文は無理やり過ぎて違和感しかない
RubyのDSLって普通にダメだねこりゃ。実行順序も分からんし、普通にRubyで書いた方が良い気さえする
独自のSyntax覚えるのかったるすぎる。大して便利じゃない
何でもやろうとすると結局、プログラミング言語みたくなってどんどん可読性が落ちる
結局最後はbashで良いんじゃねーかなってなる。シンプルにできるなら一番筋が良いのはansibleだけど微妙に書き方変わったりして追従がかったるい
俺の知ってる会社でchefで全自動だぜ!とか言ってキラキラ感だしてる会社あったんだが今は全然回ってないらしいww
一時はもてはやされたけどDockerとか出てきた昨今こんなの今頑張らなくてもいいのかもな
そう、それが叶いそうだからみんな騒いでる。
「Eclectic」の頃は、同窓会で旧友が「昔の俺っちどうかしてたわーw」的なことを言い出す寂しさがあったと思うよ。
あの「ブギーバック」をわざわざ歌詞を書き直したりダウナーなアレンジに直したりして再録して、
極めつけに「刹那」というタイトルでベスト盤出しちゃうんだから。
もうチャーリーブラウンばりの渋い顔で、
いくら呼んでも帰っては来ないんだ。
と言わんばかりのニヒリズムよ。
そりゃ911後の、冷や水かけられたようなアメリカのムード肌で感じてるわけだから
閉塞感満開になっちゃったかもしれないけどさ。
でも結局みんなが小沢健二に求めてたのは「とにかく明るいオザケン」なんだよね。
家柄とか学歴とかちょっと至らない歌唱力とか色々魅力はあるんだけど
第一に求められたのはその明るさだったんだろう。
しかし大衆に求められたそのポジティブさが本人の資質によるものでなかったために
彼は海の向こうへ逃げてしまったのだろう。
僕は「Eclectic」が暗い作風だったから不評だったというようなことをいうつもりじゃなかった。
「Eclectic」の前後に「LIFE」期との決別を示唆するような言動が多々見られたことが
幾分かファンにとってショックだったのでは?ということがいいたかった。
この頃の小沢健二を見てもう決別を通り越してあの時期を忌み嫌っているのではとすら思う人もいたのでは?
それは「Eclectic」リリース時が半ば休止状態だったことも関係するだろう。
「天使たちのシーン」や「ある光」もノスタルジーや切迫感に溢れたものだったが
「LIFE」とグラデーションのように継ぎ目なく繋がっているような連続性があった。
(無論「LIFE」の曲から「ある光」の間には「大人になれば」「Buddy」「指さえも」といった作品が連なっている。)
「Eclectic」からライブツアー「ひふみよ」までの期間はそれらのキャリアからは断裂しているように見える。
どうしても「ある光」から「Eclectic」を線で繋いだイメージを持つことは難しいし、
「Eclectic」以後はある程度一貫した思想を強く打ち出した活動を続けてきたので、
「流動体について」発表までは「Eclectic」以前・以後で分けて考える人も多かったと思うんだよ。
「『Eclectic』はその本意をうやむやにしたままフェードアウトしていった小沢健二が
それまでのポップスシンガーとしての活動に区切りをつけるために一時的にカムバックした作品。」
リリース当時はそんな風にみなされても仕方なかったように思うんだよね。
なんというか、「動物は子孫を残すために生きている」という本能プログラムを発動している気がして、本能的な満足感のようなものを感じる。
子供が嫌いって思ってた人(私の妻)も、なんだかんだ育て始めたら可愛くてしかたなくないとずっと言っている。
子育てが大変だし嫌だかな〜って思ってた人(私の妻)も、(実際大変だけども)満足感のある暮らしが出来ると話している。
そんなことを思いながら、自分の大学時代の女友達を見渡すと、まだ結婚していない人がとても多い。
特に東京でバリバリ働いている女子の未婚率は恐ろしいものがある。
バリバリ働いているといっても、勝ち気なタイプの女性じゃなくて、言葉は悪いがキラキラ感にややかける、真面目系の女性だ。
うちの大学は、トップクラスの大学で、女子でも地方から来ている人が多い。勉強は出来るし、優しいけど、少し垢抜けない感じがずっと残っている。まぁ、私もそうだけど。。
端的に彼女らを説明すると、「妻として優秀になるだろうが、セクシーさ/可愛さに欠ける」といった感じだ。
見た目や雰囲気がやや劣るくらいで、性格はかなりいいし、賢さもある。一緒に学生時代、学園祭とかイベント運営をやったからよくわかる。
何よりの問題は、彼女らには結婚願望があるし、経済的にも余裕があることだ。
あんなに優秀で真面目で、育ちもよく、結婚願望がある女性が30半ばにもなって独身/子無しというのは、社会的に損失としか思えない。
の二つだと思う。
一方男性は、かわいさ/セクシーさがある女性を求めるから、彼女らにはたどり着きにくい。
婚活サービスに登録しても、もはや、34歳を超える女子は、いくら人間的に優秀でも、20代の女子に市場価値で負けてしまう。そうすると、プライドの高い彼女らがどうにか妥協するしかなくなってくる。けど、できない!みたいな。これってまさに東京タラレバ娘か。
彼女らに(言えないけど)いいたいことは、
くらいかなぁ。。とにかく最終的な幸せを手に入れられればそれでいい。大事なのは、性格の裏の裏の見極めだよ、と強くいいたい。
なんじゃないだろうか。
知らぬ間に、自分自身が人をみる目が変わっていくんだよ、そして年も取るんだよと、今の若者には言っておきたい。
読み返すと、何か見下しているような文章になっちゃったけど、彼女らの方が自分より性格もよいし、賢いし(だいたい現役組)、仕事もできるし、いい会社にもいっている。人間的には格上だ。
ほんと、みなに幸せになって欲しい。
こ、これは凄い。そして面白い。
「少年以外CG」というふれこみを見たときに(その宣伝文句はいかがなもんか)と思ったんだけど……
見終わったあと、その宣伝に納得した。
何故ならそう言ってもらわないと、とてもそうは見えないからだ。
自然も毛並みもなにもかもリアル…動きも本物としか思わない。ジャングルで撮影したのではないのか?嘘だろ?あの川は本物なんだろ!?
むしろリアリティが無いのは主演のモーグリ役の男の子の目のキラキラ感だろう。人間はいつからあの目をしなくなるのか。
今回3Dで見たのだが、それが正解だった。細部までこだわられて作られていて、バルーのモッフモフの毛に奥行が生まれている。
モーグリが走って走って走りまくって、飛んで吹っ飛ばされて、落ち着いている時間はゼロ。
と思えば、愉快に熊と猿が歌いだすのだ。本家ジャングル・ブックをしっかり継承している。流石っすねディズニー。
ド迫力すぎて、蛇と猿には実際に襲われる感覚を感じることができる。ぜひ4Dで見るべきだ。
大蛇にペロペロされる感覚を初めて味わった。思わず3D眼鏡を隠した。
ストーリーもしっかり、安心安定。小動物たちがコミカルで可愛すぎる。
メッセージ性も秘められており、大人から子供まで楽しめる。ここまで全世代で楽しめる作品もなかなか無い。(子供びっくりしちゃうかも。じいちゃん心臓に悪いかも)
一本のアトラクションを楽しんでいる気分になれるぞ。
そしてなによりエンドロール!もうこれだけに1800円払うわ!
「人間になり街を歩いてみたい。もう猿の暮らしには飽き飽きしたのさ」このフレーズにピンとくるひとは、全員映画館へ直行!
もう一度言うがモーグリ可愛すぎるしバルー可愛すぎるし、モッフモフで癒された。
追記
結論を言おう。それは具体的な遊び方のことじゃない。場所のキラキラ感のことなんだよ。言い換えれば、その場所にいる喜び。銀座、吉祥寺、新宿、原宿。どこでも良いけど、東京都心はそこにいるだけで何か楽しい気分にさせてくれる巨大なエンターテイメント装置であり、そして街の細部までどこまでも探求し続けられる奥深さがある。地方都市にはそれがない。表面的にはキラキラしいても底が浅い。すぐに飽きる。また大都市特有の匿名感も魅力だ。たとえば地方都市でちょっと目立つようなこ(たとえばナンパや路上パフォーマンス)とを続けていたら、確実に(悪い意味で)有名人になってしまう。東京ならばそれはない。この懐の深さも遊びをより味わい深いものにしてくれている。
いや、そこは100文字でちゃんとまとめて。
一応見に行っては見たものの行間スカスカでどんだけスクロールさせるつもりですか。
しかも返事はそこそこに結局自分の言いたいこと書いてしまう始末。
100歩譲ってブログに返事書くのをよしとしても、報告はブコメじゃなくてブログコメント使えよ。
ブコメっていうのはスター一つを奪い合う血を血で洗う戦場なわけよ。
それこそたった100文字に行間しっかり詰め込んでなんぼの世界なわけ。
スルーするのも悪いからって作者から社交辞令スターもらっちゃってるの?
しかもその作者律儀にあなたのブログにコメントまでつけちゃってるじゃん。
ブコメに返事書いてあればスターつけて終わるのにどんだけ時間リソース無駄にさせてんだよ。
次やったらコメント欄を「フォカヌポウ」だらけにするからな。気をつけろよ。
追記
薄々予想はしてたけどそうじゃないよ!
それよりもっとゲスの極み乙女ネタとか突っ込めるところあるじゃん!
それは「コポゥ」だろとかさぁ!
もっとこう、、、あるじゃないっ!