何も考えなくていいよ。楽しいこと考えよう
さらに「肌は白いほど良い」「美=白」とも間接的に表現しているよね。
もちろん、花王としては黒人差別をしたところでメリットが一つもないのだし、これが黒人差別の意図をもって表現していないことは明らかなのだろうが。
まよいまくる
一方で、ポピュリズムと結びついて過激な解決策に走らないことを切に願います。
この層がポピュリズムと親和性が高いのは、アメリカで立証されてしまったので。
国会議事堂に暴動で存在感を示すんではなくて、議論で戦ってほしいものです。
自民党のような従来の保守は、それこそ支配者層・既得権益の代表なので、振り向いてもらえないんじゃないかな。
このエントリの主旨は、「学歴はれっきとした差別なのに、この話題については革新派が保守的だ、それっておかしい」ということだと思う。
しがみつくにせよ、転職するにせよ、生きていくために会社から最大限の報酬を引き出さないといけない。
定年まで仕事の保証は無いからサビ残とかパワハラとかを受け入れてはいけない。
そんな世の中にしたのは紛れもなく会社側。
白饅頭氏が、かつての関心は労働問題が中心だったという指摘があって、興味深い。日本のジェンダー規範の中で、安定した職も家族もない男性の居場所のなさや生きづらさという問題を追求しているうちに、フェミニストがそうした問題に冷淡で関心がない(ように見えること)へのルサンチマンが昂進していったのだろうと理解できる。
事実、フェミニストが男性弱者の問題に関心がない、むしろ冷淡で冷徹な傾向があることは、10数年前から赤木智弘氏が指摘していたが、今でもそんなに変わっているようには見えない。ジェンダー差別の問題は労働問題と一緒に論じないとかえって差別を悪化させる、というのが過去のフェミニズムの失敗から得られた教訓のはずだが、相変わらず意識や言葉の問題ばかりに焦点が当たっている。フェミニストの基本的な問題意識は、「心ない言葉で傷付けられた私たち女性の怒りや悲しみにまずは共感して欲しい」というのがあるので、それを飛び越えて経済や労働という社会構造の問題に(とくに男から上から目線で)されると疎外された気分になるのだろう(それはそれでよくわかる)。
そしてアンチフェミの人たちも、労働問題への関心を完全に失ってしまっている。事実、「女性も被害者ぶる前に男性のように重い負担を背負え」と、ネオリベブラック企業家のような論理をふりかざすようになっている。フェミニストもアンチフェミも、女性差別や男性の生きづらさの根っこにある、非正規低賃金労働に依存して成長しているコンビニやスーパーなどの大企業を批判することは決してない。本田由紀先生のように労働問題に軸足を置いていたはずの人も、最近の発言には労働の問題への言及は少ない。
呉座先生もおそらく、若手研究者の時に将来への強烈な不安があり、その不安感を共有してくれたのが不幸にも白饅頭氏のようなアンチフェミで、逆に「女性」のみを支援の対象とするフェミニストからは否定・疎外されたように感じたのだと推測される。
(追記)
ブコメで「労働問題に言及しないフェミニストはいない」という批判があった。たぶん勉強している人なのだろうと思う。専門研究の世界ではかなりの程度その通りだから。しかし、ここは増田ということもあり、あくまでテレビやネット上の言論や論壇についてのみ問題にしている。その上で、SNSやテレビで「炎上」している問題について、労働問題が後景に引いてしまっていることは明らかだろうと思う。医学部入試問題も、主題となるべきは普通の女性には耐えられない病院勤務医の働き方や、診療報酬削減に伴う人員抑制のはずだが、残念ながら差別への非難や糾弾の前に扱いが小さくなってしまった。
付言すれば、フェミニストが労働問題に言及する際の、「女性に差別的な雇用慣行」などの言い方にも違和感がある。本当は、経営や経済上の合理性に基づく雇用システムそのものをジェンダーからいったん切り離して把握した上で、それが女性差別とどう関連しているのかを分析した方が説得力が増すというか、女性差別の解消に役に立つ議論になると思う。濱口桂一郎『働く女子の運命』は必読。
そこまで言うならいかにBLが「正しくない」ジャンルなのかを説明してあげるね。まあどうせ釣りなんだろうけど。
なんか勘違いしてるかもしんないけど、BLの最大の問題点はエロとかじゃないからね。エロはあくまで付随的な問題。
女性を一方的に鑑賞される側におき、客体として消費することはフェミニズムにおいて長年批判の対象になってきた。女が、男に都合の良い客体である鑑賞物のように扱われることはよくないことである、という主張は強い賛同を集めてきた。とりわけ、女性差別が存在する現状においては。
であれば、同性愛者差別が存在する現状において、ゲイを、女に都合の良い鑑賞物のように扱うこともまた、よくないことだと言わなければならない。これは論理的に当然導かれる帰結だ。
要するに、BLはエロいから問題なのではない。マイノリティを客体化し、都合よく消費しているから問題なのだ。
とはいえ、抽象論だけ言われてもわけがわからないと思うので、具体的にどういう点が問題なのか説明してみよう。
何年か前、人工知能学会をめぐる炎上が起きたことがある。人工知能学会という学会が出している学術誌の表紙に、箒を持っている女性型ロボットのイラストが掲載されたのだ。これはまったくエロではないがフェミニストを中心に猛烈な非難が浴びせられた。
このイラストが批判されたのは、女は男に従属して家事をするものである、という女性に対する偏見やステレオタイプを助長するからだ。もちろん、日本には多くの専業主婦がいる。だが、たとえそれが統計的傾向として事実であっても「女は家事」というのは偏見でありバイアスである。そのようなジェンダーバイアスはけしからん、というのが批判側の主張だった。
NHKによるノーベル賞解説記事で聞き手役としてキズナアイが選ばれたとき、番組の構成や彼女の振る舞いに対して「男が解説し女はふんふん頷くものだというジェンダーバイアス」「女に理数系のことはどうせわからないという偏見」のような批判が浴びせられたのも記憶に新しい。
ところで、現代において、男同士のカップルには「男役と女役がある」あるいは「挿入する側とされる側は固定されている」というステレオタイプがある。実際に固定しているカップルもいるだろう。しかしそういう問題ではない。問題はそれが偏見やバイアスを助長するということなのだ。
つまり、攻めと受けとを固定している時点で、「女キャラは全員家庭に入って家事をしている/することを希望している」並の偏見に満ちた作品であるということになる。あるいはそれを暗示するのと同じことだということになる。
すなわち、CPの左右を固定している腐女子には、「この作品におけるこの描写はジェンダーバイアスなのでは?」などと物申す資格はない。
なるほど女がBLを真似て性犯罪を起こすことは身体の構造上ありえないかもしれない。だが女もゲイへの偏見の流布の加害者になりうる。
これはあくまで一例に過ぎない。他にも「『優しい世界』は差別の透明化なのでは?」「非当事者がマイノリティのセクシュアリティを題材に創作するのは文化の盗用だ」「同性愛かどうかを明示せずに『匂わせ』て視聴者を釣るのはクィア・ベイティングであり搾取だと思う」など、ポリティカル・コレクトネスの観点から見たときにBLは様々な観点から問題視されうる。
繰り返す。エロの問題ではないのだ。女性文化としてのBLは根本的に「正しくない」。
そしてもちろん、「正しくない」ことは「滅ぼすべき」を意味しない。開き直って「正しくない創作でも堂々と存在してよい。それが表現の自由だ」と吼えることもできる。というよりも、そう吼えるしか、BLにとって生き残りの道はもはや存在しない。
論理が正しいor正しくないとか以前に、二次元性愛者、フィクトセクシュアルというセクシュアルマイノリティがまさに差別を受けている時に、言葉遊びでいっちょ噛みすること自体が差別構造に加担しているといい加減理解してくれないかね。