やまもといちろうみたいなもんだろ
ああえっとね、ディープラーニングは手法であって、AIに学習させるのに知らなきゃならないやつ。
他のやり方もあるんだけど。
ディープラーニングモデル自体はジェフリーヒントンさんっていうコンピュータ科学と認知心理学に詳しい学者さんとかが考えたやつで、AIに学ばせる時に、人間の脳みたいにニューロンネットワークの形式を使こたら具合いいんちゃうん。みたいなことかなー。
ディープラーニング勉強したいって言う人は、それ自体の研究をしたい人は少ないんじゃないかな…それなら認知心理学のほうからやらないとならないし、ディープラーニングからは入らないと思う。
ディープラーニング勉強したい人は多分大体はAIエンジニアになりたい人だと思うよ。
そんでさっきのリンクの1番下の方には、そういう小難しいことそんなによくわかんなくてもAI学習させられるフレームワーク作ったでーみたいなことも書いてある。
どんどん便利になっていくのなー
思った以上の反応を頂いて驚いてます。
コメントへの返信など、追記しようかと思ったのですが、長くなったので別記事にしました。
興味あったら見てください。
https://anond.hatelabo.jp/20200102201209
釣りっぽく書いたけどほんと。
結構色んな意味で読書や知識というものに関する意識が変わったので、なんかアウトプットしたくなった
なお、名著そのものを知ったことに関する感銘とかは今更私が言うまでもないので省きます。
書きたいのは100分de名著シリーズを対象にした読書を集中して実施したことに関するメタ効果に関して。
スペシャル版とか、ブックス版はもう少し厚いけど。どれも約120ページで、読書慣れしてる人なら2-3時間で読める量だと思う。
いやそれじゃ読んだことにならないだろ原典あたれよ、って思うよね。私もそう思っていた。
だから最初の20冊くらいは解説本を読んで、原典にあたって、と繰り返していたけど、以下の2つのことに気づいて一気に解説本を読む方向に転換した。
勉強とか、何でもそうだと思うんだけど、繰り返し出てくるものって記憶に定着しやすくなる。
さらに、その要素が「影響を与えられた」ものの解説として出てきたり「影響を与えた」ものの解説として出てきたりする。
何でもそうだと思うんだけど、流れというか構造の中にある知識って単発の知識より遥かに定着しやすくなる。
なので、バックナンバーの中で関連のありそうな同時代、同地域、同分野の本をグループ化して間開けずに読んでいくのが効果的に思えた。
まぁ要するに、それを読むだけで半年とかかかりそうなものがチラホラあったということ。
そこに突っかかっているうちに飽きて来ることを懸念した。
実に20年ぶりくらいに読書にエンジンがかかっていることを実感していたので、これに水を指したくなかった。
よく「文系は作者の気持ちでも考えてろ」と言われるけど、「本気で作者の気持ちを考える」ってのは実に尊い活動だと考えられるようになったこと。
今みたいにリアルタイムに意見のやり取りが出来るわけでもないのに、驚くほど人間の考えや意識ってのは「繋がって」いることがわかった。
ある偉い人がいいことを言うに至った過程を忘れてしまうのは人類の損失だなと。というか、理系と一緒なんだよね。
アインシュタインの相対性理論だって、洞窟で暮らしていたアインシュタインがある日突然思いついたわけじゃない。
それに、曖昧さを嫌い、論理にはもととなる論理が明確に存在する理系学問「ですら」そうなんだけれど、
現時点の主流見解は現時点の正解ですらなくて、考え直しが迫られるのはよくある。
そういうとき、どこから間違っていたかどこから考え直すためにも、歴史的な思考の経緯は絶対に失わせてはいけない。
文系の学問の究極の目的は、新しい思考を生み出すことと思っているけど、新しいものを生み出すために今までの流れを知ることも必要だ。
果実を生み出すのがポンと生まれてきた天才的な作家や哲学者だけれど、
天才の誕生を待つ間その過程を丁寧に残すのがむしろ普通の文学者の役割で、
アカデミズムとしての文系学問の真髄はそちらにあるのかもしれないと思った。
これ、理系のブレイクスルーを起こす天才待ちと同じ構図だよね。
(天才、と呼ばれる人間も自身の業績についてちょっと違う視点で物事を捉えただけ、とかちょっと違う組み合わせを思いついただけ、と語るのはよくあることだ。)
「かなりいい勉強になった」
「大学生の頃にこういうことをやっておくべきだった」
「あ、でもこんな事やってたらそれだけで四年間終わっちゃうか?」と。
そこで計算した。
100分deというくらいなので上記解説本一冊は、約100分の映像となる(補足説明踏めると1-2割、解説本のほうが情報量多い気がするけど)。
以下、とても雑な計算だけれど。
100冊なら、約11単位。計算してみて驚いたが、たったそれだけ。
一般的な大学生は1年に20-30単位取得するだろうし、卒業には120単位程度必要だ。
定義上サボり気味の大学生の半期分程度の勉強しかしていないことになる。
嘘でしょ?
驚いたついでにもっと攻めた想定をしてみる。
こんなことを意識している大学生はほとんどいないと思うけど、15時間の講義には、30時間の事前学習と30時間の事後学習が想定されているらしい。
http://www.ohshiro.tuis.ac.jp/~ohshiro/univlaw.html
原典には上記したとおり全16巻あるものもあれば、100ページもないものもあるから、慣らすとだいたいそれで読めてしまうとする。
「最も頭の冴えた4年間に」「専門家が選んだ良質なテキストを」「専門家の解説付きで、必要なら質問し放題の環境で」「1200-1300冊読んで理解する」
場所だ、ということだ。
ああ、確かにそれをこなせば立派な「学士様」になれたろうと思う。
私は修士を持っているが、この10分の1も学士になれた気はしない。俺はなぜあんな無駄な時間を、、、
可能なら、放送大学なりでもう一度大学生をやってみたいと思う。
なんというか、これから実施していきたい諸種のおもーい本を含む読書に挑む筋トレというかジョギングと言うか、基礎体力を作ってくれた感ある。
活字を追う体力、意味を捉え続ける体力みたいなのがないと、ほんとうの意味で読書を趣味にすることは出来ないと思った。
ていうか、楽しむ余裕がない。
スポーツと一緒で、やる気と勢いだけでやっても続かないと言うか。
この1年やってきたことは運動部の1年生が実施するような、練習をするための練習。これがまず必要だったとろこで、その役割を果たしてくれたと思う。
練習のための練習として、この「解説書読破」が有用だったと思う理由は以下の2つ
週末、朝と夕方に一時間読む気でいればその日のうちに「また1冊読めた」と思って寝れる。
平日でも、風呂に入ってる30分で読めば25%終わり、はっきりと進んだ位置にしおりを挟んで寝ることが出来る。
進捗が目に見え、さらにすぐ終わりが見えるというのは精神的に楽だ。
価値が保証されている書物を、その書物についての深い理解があることが保証されている著者が解説する本であるということは、
読んでいた時間が無駄になることはない(たとえ激烈につまらなくても3時間で終わるし、つまらなければ原典を読む必要はないという判断ができるということだ。)
という確信を持って取り組めるということだから、これも精神的に楽だった。
つらいだけのうさぎ跳びとかしたくないのよ。
いろいろな本の中で語られていたことだが、
日々「モヤッと」してることはたいてい昔の人も同じこと感じていることがわかった。
下手の考え休むに似たりではないが、自分程度が疑問に思ったことはきっと昔の頭の良い人が一生かけて考え抜いているので
自分の中で結論出そうとするより同じ疑問を持っているであろう偉人の著書にあたったほうが
考えを前進させる上でコスパが遥かに良いことが芯から理解できた。
実はこれが一番の収穫だと思っている。
というわけで、これから年末にかけていよいよ原典にあたっていこうと思う。
の前に
解説本読破の中で出てきたいろいろな付随知識、これがまとまりそうで纏まらなかった。
これをまとめてからの方が、今後の知識吸収速度が格段に上がりそうな気がすると思って、適切な本を暫く求めていたが結論はまさかの高校教科書だった。
今読むととんでもなく面白い本だ。まさに私の求めていたものだった。無論完璧じゃないが、知識の統合がすすむすすむ。
なぜ俺はあんな無駄な時間を、、、と思うけど、おそらく解説本読破と順番が逆じゃだめだったろう、OKOK。
さて、年末に山川をやっつけたあと、原典の中で特に気になっていたものを30冊ほど買った。解説本で実施した筋トレ効果で読むスピードが上がっているが、
途中で気になった関連書籍とかその年気になった本とかをはさみつつ、100冊(巻数でいうと200近い)読み終わるのは3年後くらいの想定だ。
来年もシリーズは続いていくので、積ん読もどんどん増えるだろう。
御神籤をひいた。いつもの100円の他に200円のものが置いてあった。
妻は100円で良いと言ったが私は200円を選んだ。
大吉だった。
調子に乗らなければ運気は良いと書いてあった。
200円の御神籤を選んだことは調子に乗ったに入るのだろうか。
そのあと、newスーパーマリオブラザーズUデラックスを遊んだ。
2人プレイはもどかしい。結構ぶつかることが多い。個人的には敵で死なないトッテンより、キノピコが好きだ。
その後星のカービィスーパーデラックスを一緒に遊んだ。友達の家だけでやってたものをちゃんと初めて遊ぶ。
調子に乗った。
ぼくたちは令和元年の正月を祝うことができなかった。
令和元年1月1日はロストニューイヤーズデイだ。
だから「令和元年の正月生まれ」と名乗る人物がいたら嘘を言っているかこの世界の住人じゃないことがわかる。
逆にこれを利用して、物語が架空の出来事であることを強調するために、物語の主人公の誕生日に「令和元年1月1日生まれ」を設定することも考えられる。
foorin team Eが出てきて結構ガッカリしたんだよな
日本語版のパプリカがレコード大賞をとったらしいけれど、普通に考えると時間が経てば売り上げは頭おちになってくるはず。
そんな時にteam Eを投入すればシリーズ物の続編を出したようなもので、前作のファンが何もしないでも買ってくれる。
「応援ソング」だとか言って公共放送で宣伝し放題やってきて、それでそこそこ売ったら続編を出す。
なんかそういう商業主義的なものが鼻について一気に嫌になってしまった。
今年この曲を聞いても米津さん儲けられてよかったねーと思うだけで、全く応援する気持ちにはなれないと思う。
一歩下がって、英語バージョンを出すことで世界の人に親しんでもらうというのだとしたら、なんでオリジナルのメンバーを多国籍にしなかったんだろうって思うんだよね。
とくに宗教とか信じてなさそうな人が美空ひばりAI化を見て「自分はこれイヤ」とか「私は絶対死後AI化されるのを阻止する」みたいなことを言ってるのをツイッターでよく見る
死んでんだから痛くも痒くもないだろ 死後の名声なんてクソどうでもいいよ と個人的には思うんだけど、みんな案外そのへん気にするんだなあ
なんでなんだろ だって何も感じないんだぜ どうなったって一緒だろ
ポピュリズム政党が現実を度外視してラディカルな改革を主張し、既成政党が部分的にその意見を取り入れるという現象がしばしば起こる。
そのポピュリズム政党は牙を抜かれてしまうわけだが、シングルイシューの政策が主流派政党に採用されること自体は成功とも考えられる。
そこで、残業禁止や週休3日制等のみを主張する、労働左派ポピュリズム政党を作るというのはどうだろうか。
一定の支持を集められれば、主流派政党も無視はできないだろう。
既存の左翼政党や労働組合のような旧態依然とした組織よりも、現代のポピュリズムを利用して労働環境を改善できるのではないだろうか。
貰っといてアレだが、わかりやすい魚介が巻かれていない太巻きは好きじゃないんだな〜
紅生姜が苦手で本当に参る
そのほかの、きゅうりと、薄緑色みたいなグニッとする食感の何かと、となりのトトロでさつきが弁当の米にまぶしていたピンクの粉の部分だけはかろうじて食べられる
ので、切り分けられた太巻きの一口目は紅生姜の部分を食べることにして、残りのまだ食えるマシな部分を食べてなんとかやり過ごしてる
しかし、毎回紅生姜を経てから食べ進めなければならないこの作業のことを思いめちゃくちゃ気が滅入ってしまう
なんというか、自分は結構生きて小学生時代くらいからのの好き嫌いも克服してきて
食を楽しめる人間になれてきたなと思えてきた頃に思わぬ落とし穴にハマってしまった気分だわい
みんなも嫌いなんだろ、でなきゃこんなに余らないだろ、具沢山の太巻きなんて
一人でわいわいすればいいじゃないか
おとなはひとのせいにしないひとのこと