はてなキーワード: テーブルマナーとは
そういう風に理解する、ということに考えさせられた。横入りだけど。
(1)「他人を試みることは失礼だ」
(2)なぜなら「(私の)不信によって相手が傷つくだろうから」
(3)「それは自意識過剰」
この(2)に対する(3)のリアクションについて。
確かに、「自分の為した行為等によって相手が傷つく可能性を考えて行為しない」という行動様式の帰結として、一般的にいって「肥大した自己意識」があり、そのため本来なら行うべきであった社会的に必要な行為すら行えなくなるとしたら、それは確かに病的な「自意識の過剰」であると言える可能性は否定しない。ちまたで見かける自意識の過剰を羅列すれば、
「みんながオレのこと監視して笑ってるような気がしてむかつく」
「頭の悪いオレが一票を投じても間違ってる可能性が高いから投票しない」
「すれ違うたびに気持ち悪がられてるだろうからもう外出しない」
とか、まあそういう感じ。
確かに、どんな「行為とそれに対する他者のリアクション」の場面においても、他者の心の内でどのような感情が渦巻いているかは外からしか見ることができない。そのため、その反応を基に、自己意識の外延としてしか他者の心を思いはかることはができないため、あらゆる「配慮」は原則的に自意識の産物足らざるを得ないし、そればかりでなく、常にそれが他者からみて(それが健全な社会関係を阻害するレベルに至るか否かは別として)不足であったり過剰であったりする可能性は免れ得ない。つまり、どんな「配慮」行為においても「自意識過剰」という批判は常に投げかけ得るマジックワードとなる、ということだ。
ただ、健全な社会性を保つためには、この「配慮」が過剰であっても、そして過『少』であっても、よろしくないことは理解されると思う。そこで、配慮を一定の規範とする考えが登場する。マナー、作法あるいは「礼」というのがそれである。ただ、これらのマナーや作法や礼というのは、決して「形式的にそれを満たしておれば、誰からも問題とされない」という許可を与える法律のようなものではなく、それらのマナーや作法や礼が要請するところの「基の感情」で内面が満たされていることが他者から見ても分かることが、社会的に必要な要件とされることが多い。
頭を下げるのは「礼」だが、ニヤニヤしながら頭を下げていれば不真面目だと言われる。テーブルマナーを形式的に身につけることは大事だが、頑なにそこから逸脱しないことが重要なのではなく根底にある「みんなが食事を楽しめるように、不快なことをしない」を満たすことが需要なのであるから、たとえばマナーを知らない人と食卓を囲む際にマナー知らずであることをもってその人を笑いものにしたりする人は、むしろ重大なマナー違反を犯していると考えるべきだ。
このことを前提として最初に戻ると、
(1)他者を試みることは失礼である
これは理解できる。聖書にも「汝、神を試みるなかれ」とあるが、試されるようなことをすれば、神様だって怒るのである。怒る理由は「信じていないから」であって、一般的に「試す」のは「確信がもてないとき」であることは言うまでもないから、「試す」ことが「確信をもっていない」というメッセージになりうることは、事実であると言える(これは、たとえば「私はそんな風に受け取ったりしない」という個人的主張を否定するものではない。たとえば「てめえぶっ殺してやる」を愛情のメッセージと受け取る人も世の中にはいるだろうから(範馬勇次郎とか)。)
次に、
という説明も問題はない。(1)が、メッセージの含意する「不信感の表明」という事態避けようとする意図から生まれた規範であることをベースに考えれば、その意図するところが(2)のような理由であると推測することに飛躍はないからだ。相手を傷つけることが、健全な社会関係を維持する上で不利であると考えるのは、理にかなっている。
そこで問題は(3)だ。(3)の発言者(以下、(3)の人と呼ぶ。)は、なぜかように考えたのであろうか。本当は、特に考えていたわけではなくて、単にマジックワードを振りかざして、ちょっと反社会的でカッコよさげなことを言ってみて悦に入りたいだけなのだろうか? それにしては中途半端な発言なので、一応そうではないと仮定すると、この文脈でこういう発言が登場するからには、(3)の人は「試すことは悪いことではない=私は試したい」と思っているのであろう。(2)の発言者に「相手を傷つける可能性」を指摘されてなおかつ(3)の人は、それを否定するために「自意識過剰」というワードを持ち出したわけで、そうすると、(3)の人の中では「相手を傷つけること」よりも「自分の願望を抑えること」の方を(あるいは、前者をしないために後者をすることを)悪とみなしているということになるからだ。
これはとても不思議な感性である。「自分の個人的な不信や疑念を払うこと」を重視する一方で、「他者を傷つける可能性」を低く見積もっているのみならず、その「他者を顧みない」行動により「自分が他者から不信や疑念を抱かれる可能性」を全く考慮していないからだ。この(3)の人にとって、他者とは、自分に決してコミットしない、窓の外の存在であるかのようだ。
肥大する自意識に脅えながら、同時に他者を窓の外に放り出して顧みない。彼は一体何と戦っているのだろうか?
「平気で嘘をつく人たち」ではないが、このような「平気で人を試す人たち」から見えてくるものは、確かに一つの時代、世界の風景である。それを、「核の時代」のうすら寒さと共通している、と言ってみると、飛躍して聞こえるだろうか。しかし「核抑止論」とは、「私の不安を解消するためなら、核武装するのが一番だ。みんなが核武装すれば、平和だからだ」という言明ではなかろうか。そう考えれば、これはそれほど突飛な比較ではないだろう。そして、核抑止論が、現代世界において一定のコンセンサスを得ていることも事実として認めておこう。「私の不安と核武装」が隣国の不安と核武装を呼び、それがまた次なる核武装を……と連鎖が続くという事実を眼前にしながらも、今のところ人類は、理性と対話というか細い支えで対抗しつつ、民族や文化の壁を越えることには必ずしも成功していない。「中の安心」が一番大事で「外との対話」は二の次なのだ。「外との関係」が「中の安心」を生む…というアイデアは、そこでは顧みられない。私たちの生きる「国際社会」は、残念ながら依然そのレベルにとどまっている。
(3)のつぶやきが示すことは、もはや個人と個人の間ですら大国間のように理解と協調を求めることが難しい時代だということであり、その中で、恐怖心のシェルターに閉じこもる人々が(3)のように振る舞うことは、もはや不可避のことなのかもしれない、ということである。異文化間における理解と対話のためのメソッドを確立することは、我々にとって真の意味で喫緊の課題である。
@元増田 それだけtwitterがコミュニケーションツールとしてリアルなコミュニケーション以外を排除しても生活できるぐらいに十全なツールになった、ってことでしょ。テーブルマナーはさておき(漏れも良くやる。反省)そういう生活スタイルは未来の増田の可能性も否定できないんだぜ? かつての携帯電話のEメールスタイルっつーのは当初奇異に見られたかもしれないが、2011年現在むしろメールが来たら即応答とかするのが「当たり前」にすらなってるじゃないか。それの一部がtwitterに移行しつつあるのではないか、という見方もできるんではないの?(0秒前,はてな匿名ダイアリーから)
1 作り笑顔が良い
笑顔というのはもっとも重要な教養だと思う。作り笑顔というと聞こえは悪いが
これができないというのは、周りの人におんぶだっこしてるだけだ。
2 箸が正しく持てる
いくら高級レストランで余裕を持って食事できる人であっても
普段使いの箸が正しく持てないという時点で全てぶちこわし。
箸が持てるがワインの知識もテーブルマナーもわからない、という方が百倍くらい良い。
「紙と鉛筆だけでどれだけ暇が潰せるか」
というのは精神の豊かさを示す一つの指針だがそれを少し拡張した基準。
楽器、料理、バスケットボール、将棋などその楽しさが分るまでに
ある程度の訓練が必要な趣味を持っていること。
やっぱり、私話聞いてないかな?
実は「お前人の話聞かないやつだな」って
周りの人にもたまに言われて気になってるので、ちょっとヒントください。
http://anond.hatelabo.jp/20101101152936
http://anond.hatelabo.jp/20101101150859
さん。
http://anond.hatelabo.jp/20101030185646
に対する返答としてはどう答えればよかったんでしょうか?
にテーブルマナーとか身だしなみとか、見栄えの洗練については、社交性に迫られていない人は、おおむね悪いもんです。
ってところが一番重点おいて語ってるところだから
ここにそーなのかー、教えてくれてありがとうってうなずけばいいの?
なんか、話を聞かないってきっぱりいうくらいだから判断基準があると思うんだけれど、
どういうところが話を聞いてないって思われる要素なの?
相手の言ったことにちゃんと全部返事をするまでは自分の思ったことを言うと
話を無視したように思われるってこと?
私としたら、上の部分は「あなたはもう結論出してるんだから私がとやかく言うことじゃないよね」
って思っちゃうんだけれど、それは私の勝手な思い込みで、
いちいち相槌うたないと男の人としてはNGなのかな・・・。
自分で思い当たることとしたら、
何か聞いたら自分の中で思い込んでずんずん考え込んでしまうところかな、って思ってます。
でもそれは「話を聞いてない」じゃないよね。
話を聞いたうえで、その解釈に問題があるってことだよね。
何を持ってそんな自信たっぷりに「話を聞いてない」って断言したのか知りたい。本当に。
私は言いっぱなしで逃走する男の人ってすごい情けないと思うので、返答なかったらすごいがっかりする。
草食系というのはファッションでやるもんじゃなくて、なってしまうものです。
ファッションでやってるという解釈は大変新鮮ですね。個人的には、何言ってんのか分からん、って感じです。それともそういうファッション草食系も増えてきたということか。そうなの?
それにテーブルマナーとか身だしなみとか、見栄えの洗練については、社交性に迫られていない人は、おおむね悪いもんです。草食系は、洗練されてなくても分かるレベルのマナーしか分からない大衆です。
逆にあえて社交性のために、そのレベルのマナーを破る肉食系は(いるよね、人に一気を強要して、誰と誰が付き合ってる付き合ってないという話を、周囲に聞こえるように言う人)、草食系には嫌われる。あまり本題とは関係ないけど。
逆に、大きなケンカをして乗り越えてしまうと、
些細なことはどうでもよくなるぞ。
俺にいわせれば小さなことにこだわりすぎだ。
汚い! とか、小言なんざ、テキトーに掃除して、
右の耳から左の耳に追い出して、スッパリ忘れちまえばいいんだよ。
味噌汁の食い方なんか、しったことか。
そういう増田自身のテーブルマナーはどうなんだ? 皇族レベルか?
案外、焼き魚を汚く食い散らかしてるのを、奥さんガマンしてるかもしれないぞ。
こんな細かいところまで、「完璧な嫁」、探したっているわけないって。
おまえら人生に期待しすぎだ。
無いものをさがすより、有るものを楽しんだほうが、絶対いい。
この間、里帰りをした。
「俺はイタリアンの店は入った瞬間に大体の味がわかる」
と豪語した。
私がそれはすごいねえ、私は全然わからないよと言ったら母が
「でもこのあいだ初めて入った定食屋さんでみただけでやばいって感じたけど気まずいから一応食べたらやっぱりまずかったって言ってたじゃない」
と言う。確かに言った。でもそれは単に真面目な店か判断してるだけなんだよ。
「私の経験上、客席で子供が宿題の算数ドリル解いてるような店はろくな物が出てこなかった」
「えっじゃあうちも駄目じゃない」
「いやいや私いままでそんな事したこと無いでしょ。店員の家族が客席で生活してる店が良くないって事。前言った定食屋さんは客席の良いところで店長の母親がまかない食ってたの。営業時間に。」
実は両親は「小さな町のビストロ」を経営している。少なくとも私は客席で宿題なんてしたことがなかった。
「このあいだランチに入ってきた親子連れがいたんだけどいきなり子供3人がお絵かきの宿題を広げ始めてクレヨンで汚し放題するわかけずり回るわゴミ散らかすわで泣きそうになったのよ」
「そういうのはつまみ出そうよ…」
「親3人が私の倍ぐらいの体格で怖くてなにも言えなかったの」
母は線が細い。
「あと食卓の上でいきなりオムツ換え始めた人がいてびっくりしちゃった。幸い他に誰もお客様居なかったんだけど…」
「放り出そうよ…最低限帰るときに塩まいてやれ」
母は困った顔をする。
「子供連れお断りにしちゃえば?」
「大事なお客様が入れなくなるの」
テーブルマナー完璧な幼稚園児を連れてくる常連が居たりして一律禁止が難しい。20年前のそういう客が今、常連になってくれたりしているので「子供だから嫌」というルールは作りたくないと。
困ったねえ。
解決方法としては「価格を上げると馬鹿が寄りつかなくなる」「会員制にする」「子供お断り(名誉大人は可)」とかかしらん。
全部無理だねえ。入店試験ができればねえ。楽なんだけどねえ。
釣り臭いのは
この手の話しで男の方がガタブルするところだ。
今時、フレンチごときで震え上がる奴なんかいるの?
それはさておき、俺は男女逆側な状況は経験したことがある。
後に三つ星を取ることになったフレンチに行ったわけだ。
そこで母親が調子に乗って
「○○(誰でも知っている政治家)夫人に薦められたのよ。オホホホ」
とか言うわけですよ。
単に○○の息子と俺が同級生で親同士の交流があっただけなのだがね。
オヤジは酒飲みたい一心でソムリエの言うがままにワインを注文して
なんかワイン評論とか始める。
ソムリエ愛想笑い、恥ずかしくて死にそう。
そんな我が一家は平凡なサラリーマン一家で上流でも何でもない。
彼女は緊張していてそれどころではなかったわけだが
両親対面と言うのはいつだって緊張するものだ、初対面ならなおさら
先日、彼女の親に食事に招待された。
彼女とはつきあって数年になるけれど、親とはほとんど交流がなかった。結構長い間つきあっているのでそろそろ結婚とか見え始めたりしている時期だし、いい機会だから行くことにした。
「ネクタイ着用で来てね」
そう彼女が言ったので何となく予想は付いていたが、連れて行かれたのはミシュラン三つ星のフランス料理レストランだった。
俺たち以外に他の客はなく、貸し切り状態。(追記:少し時間が早かったので空いていた。貸し切ったわけではないが、そもそもこのレストラン20席くらいしかない)
本日の料理について説明してくれるウェイターの笑顔がまぶしかった。でもテンパっててよく聞いていなかった。
緊張して仕方がないので気付けにワインを頼んだ。「じゃあとりあえずワインを適当に」と頼んだあとで飲み物メニューをみたら、すごい値段が並んでいた。運ばれて来たワインだけで、居酒屋で1回飲める位だったので、貧乏性な俺はちょっと後悔した。
前菜が運ばれてきた。テーブルマナーなんて知らないけれど、常識的に外側のナイフとフォークから使うことくらいは知っていたのでなんとか食べられた。
少し経つと、テーブルの隣で生演奏が始まった。もう一度書くけど客は俺たちだけ。専属演奏だ。
彼女のお母様は優雅にナイフを使いながら、「かすかに香る○○の風味が味に深みを与えているわね」と、美味しんぼの栗田さんみたいな口調で料理の隠し味についてウェイターと談笑していた。俺はちょっと味が薄いな、くらいの感想しかなかった。
世間話をしながら食事をすすめていく。「こないだのパーティでは福井さんがね…」 近所の知り合いみたいに話すから、どこの福井さんかと思ったら、元日銀総裁の話だった。世界が違っててまるで会話に混じれない。
俺はあまり会話に入れなかったが、「○子を今後もお願いしますわね。おほほ」と当たり障りのない会話をしてくれて食事は終わった。
家に帰って調べたら、このとき食べたコースは俺の一ヶ月の食費よりも高かった。
前々から金銭感覚に齟齬があるような気がしていたけど、家の格が違いすぎる。今後この人とつきあっていくには、この家族とつきあっていくことになるのだろう。小市民な俺には荷が重すぎる。自信がなくなった。
Return-Path: <direct@mini-saki.com>
Received: from gmail-smtp-in.l.google.com ([202.75.37.206])
by mx.google.com with SMTP id v39si9729804wah.44.2008.01.29.03.18.31;
Tue, 29 Jan 2008 03:18:33 -0800 (PST)
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Authentication-Results: mx.google.com; spf=neutral (google.com: 202.75.37.206 is neither permitted nor denied by best guess record for domain of direct@mini-saki.com) smtp.mail=direct@mini-saki.com
Date: Tue, 29 Jan 2008 03:18:33 -0800 (PST)
From: ジェントルマン木下 <direct@mini-saki.com>
To: 俺@Gmail
Subject: 毎日土下座していますか?
Message-ID: <8O4X33M53Z.9222@mini-saki.com>>
どうも。ジェントルマン木下です。
どのくらいジェントルマンかと言うと、デートマナーマニュアルを
12冊読破し、車のドアも女性には開けさせず自分の手で開けて乗せ、
運転席にかけて行くくらいジェントルマンです。
私のジェントル魂はそれだけでは飽き足りずテーブルマナーも覚え、
そんな苦悩に満ちた日々を送っていた時、ある人物が目に入りました。
その人物はなんと女性の目の前で土下座してセックスを懇願しているのです。
そう思いながらその光景を冷ややかな視線で傍観していたのですが、
なんと女性はOKしているじゃないですか!!
ジェントルマン改め、ジェットマンに変身して
大空に飛び出しそうなくらい驚きました。実際、飛んでましたね。
そして大空を羽ばたきながら気がついたのです。私は外国かぶれな人間だった…、
そうさ日本人じゃないか…と。日本にもこんなにもジェントルマンな作法があったのだと。
その日を境に、私はありとあらゆる土下座を試してきました。なかでも一番効果があった
土下座中もドアがバタンバタンと私の体を挟み、音を立てて演出効果を高めます。
それをされた女性は必ずOKします。
あまりのジェントルマンぶりにOKせざるを得ないからです。正直なところ女性も「セックスを
する口実」が欲しいのだと思います。「あそこまでされたら仕方ないよね」って。
そして、その成功率の一番高かったところがここです。
(URL 省略)
俺と同級生じゃん。
あんねー自分を新世界に連れてってくれる奴を探すといいよ。
朝はジム通い、昼は図書館ひきこもり少女、夕はバンドのボーカリスト、夜は家庭教師とキャバクラでバイト
という忙しい女(さらにいろんなコミュニティに所属し、20近い業種でアルバイト経験あり)で、
恐ろしいほどのバイタリティとあらゆる経験値を持っていた。
こうなるともう、一言話すだけでも知識と経験の差が出るわけよ。
当時の俺は君以上に田舎もんで、何も知らなくてさ。友達と遊ぶにしても家でプレステやるだけだもんな。
なんも成長しねー。
あまりにも人生の濃さの差に愕然として、泣いたよ。マジで泣いた。
でも彼女に近づけばいい事があるかもしれないと思って、ちょっと絡んでみたんだ。
六本木のクラブに連れてってもらったり、洋楽のライブに行ったり
海外でプロダンサーやってる人やら、テレビのアナウンサーと知り合いになったり、
夜中の3時に車で来て、「今から富士山登りに行くぞ」と言って叩き起こされたりね。
今となっては笑えるが、知識も格段に増えた。
新幹線の乗り方とか(こんなことも知らなかったのだ)
ホテルのカードロックの使い方とか(こんなことも知らなかったのだその2)
ブランドイメージとか(クリスチャンディオールはヤンママ向けとか、そういう当たり前の事ね、プレゼントするときの目安)
高級店でのオーダーの仕方や金の払い方とか、
(例えば立食式の場合オーダーした人の顔を店員が覚えているので、勝手に移動してもきちんとグラスを運んできてくれるとか)
子供と仲良くなる方法、子供を指導するときのコツ、おじさんと仲良くなる方法とか
たった1年でとても成長できたよ。
彼女は今はマスコミ関連に就職して忙しくてほとんど会わないけれど、
去年「大学の先生のコネでwikipediaの創始者と食事することになった」とか言ってたから、相変わらずだな。
俺は今でもなまけそうになると、「あの子は今日も成長してるはずだぞ」と言い聞かせてがんばるようにしてる。
http://anond.hatelabo.jp/20071201140522
を読んで。
面接すればある程度は分かる。と言う人もいるかもしれないけれども、
実はその人が人格者かどうかについては、何か大きな出来事がその人の身に起こらないとよく分からない部分がある。
老子は、「忠臣というのが注目されるのはその主君が暗愚であるときで、仁や義というものが注目されるのは世の中が乱れているときだ」というような意味のこと(調べていないので文章は正確ではない)を言っていたと思う。
大石内蔵助が「忠臣」として名を残しているのは、主君である浅野内匠頭があのような形で切腹したのを仇討ちしたからであり、近藤勇や土方歳三が「義士」として名を残しているのは、徳川慶喜があのような形で大政奉還を行い、新政府軍の恨みが会津藩と新選組に向けられることになっても、最後まで「義」を通して戦ったからだ。ということが言える。
歴史に名を残した人が全て人格者だったということではないし、名も無き市井の一人物として過ごした人が、優れた人格者だったということもある。
しかしそこまで大きな出来事ではなくても、その人の言動を見ることによってどれくらいの人格の持ち主かということはおのずから量ることができると思う。
ここから先は私見になるけれども、
1.自分がお金を払う立場になった場合に、店員のことを見下すような言動をとる
2.公共の場・公共の物をわざと散らかしたり、無駄遣いするような行動を取る
3.約束を特に納得できるような理由もなくドタキャンをすることを特に悪いことであるようには思っていない
のどれか一つに当てはまるような場合は、その人には人格に大きな問題を抱えていることが多い。
書いていて少し頭の中身が整理されてきた。
テーブルマナーで、ゲストが手を洗うためのボールの水をうっかり飲んでしまった場合には、自分もそのボールの水を飲むべきだ。というものがあったように記憶している。
「人格者」というものは、周囲の人間またはその人の人生を後から眺めた人間が、深く感銘したり快い気分になるような言動をとるような人物ではないか。と思う。
でも、一見「人格者」のように見えているけれども家族の誰かや特定の人物を苛め通していたという場合もあるから、簡単には判断がつかない。
http://anond.hatelabo.jp/20070709234748
ちょっと釣られてみよう。釣りじゃないのかもしれないけど。
社会の秩序と規範を守るってのは大人であることの証明の一つなんだよね。
ほら、人がたくさんいてお金やものや情報が大量に流れる社会にルールが無かったら今君が享受しているその環境、
例えば学校には行けないし、健康や人権と言ったものもないんだよ。
極端なことを言えば君が小さい頃に他人に食べられたりしなかったのはそこに社会があったから。
で、地毛が茶色っぽいのを黒くしなきゃいけない理由、もしくは黒くすることを進められる理由は
単に社会規範を守れる人間ですよーっていうアピールってだけ。別に髪じゃなくたって何でもかまわない。
社会人だったらスーツを着る場合だってあるし、食事中のテーブルマナーだったり、ファッションだったり言葉遣いだったり芸術だったり
まあありとあらゆる種類のルールがあるわけだけど、それらのルールを守る効能の一つは社会に生きる人間としての自覚があるというアピールです。
別にその子の人格を否定しようなんざこれっぽっちも思ってないっていうか、正直どうでもいいと思うよ。
ただこれは割と対策がとりやすい髪の毛の色だから、黒く染めたら? って言われるわけです。
特にもともと規範でガチガチの学校において、「大会」という名目で社会性を匂わせるルールを考えたときに他に妥当なのを思いつかなかっただけだろね。
これはその先生の独創性が無いっていうか、何となくってのが正直なところだろうね。
もしここで、日本人の民族として特徴である黒髪がー、とか言い始めたら全然別の話になるんだけど。
話を戻して、もしその友達が茶髪でなくアルビノだったり、心身に疾患があったりする場合、多少極端にいえば障害者だったりする場合にはこんなルールはあてはまらない。
その場合はもちろん「普通の人」とは少し区別されて扱われる可能性が高いです。