はてなキーワード: 定年退職とは
そしてそんなに裕福では無い
祖父が定年退職して祖父だけの年金では暮らせなくなり、高校生頃から仕送りしてた。
そのうち祖母が死に、祖父も80を過ぎもう家で生活が無理で昼間だけ施設に入れているが、年金があるから何とかなっているという感じ。
もちろん両親も祖父母の生活支えるための仕送りをしていたので貯蓄はそんなにない。
今後両親が施設に入ることになり、24時間365日預けるとしたら、年金貰えてたとしても年金では賄えない可能性が高い。
田舎に帰って昼間は親を施設に預けて仕事して戻ってきた両親を介護する生活になる。
しかし、年金がなければ田舎の給料で昼間親を施設に預けることも難しくなる
いつどこで見たかはすっかり忘れてしまったが、リベラルな言論で著名な方が、以下のようなことを言っていた。
「氷河期世代は不況のせいにして就職できず流されてきて、今になって苦しいという。何故20代の時にお国と闘わなかったんだ。今更苦しいと言っても自業自得」
仰っていることは尤もなのだが、しかし当時は連帯しようとかデモをしよう、国に掛け合おうなどという考えはないに等しかった。何故だろう? と氷河期世代たる増田は考えて、すぐに結論が出た。
左翼の皆さん、我々の世代に嫌われてたんだよ。左翼にも色々あると言われそうだけど、あの頃の左翼的な思想を持った連中なんて、どれもこれも十把一絡げで嫌われていた。
昭和50年代生まれの我々は義務教育期間中、一度や二度はいわゆる日教組のアカ教師と遭遇し、嫌な思いをさせられている。かつて学生闘士と呼ばれていたような、親より少し年上の定年間近の老教師が、特に地方の、子供も少なく1クラス30人にも満たないような増田の学校にも必ず1人はいて、何かと教育現場を引っ掻き回していた。最近あまり聞かれなくなった式典での国旗掲揚不起立や教科書の君が代ページを貼り合わせる問題が、周囲を田んぼと山に囲まれたど田舎の我が母校でも起きた。
増田の担任にはならなかったが、当該クラスにPTA会長の子供もいたことで、その後大人たちの間では大変な騒動にもなっていた。
教師の体罰がまだ当たり前だった時代、アカ教師は手こそ上げないものの、従順な女子児童への露骨な依怙贔屓や反抗的な男子児童への横暴な発言は、学年を超えて伝わってきて嫌われていた。
その頃はインターネットがなく、テレビと新聞が主な情報源だった。番組改編時にはよく衝撃映像や昭和の記録映像として東大講堂での騒乱やよど号ハイジャック事件、あさま山荘に鉄球をぶつけるシーンがよく流れていた。その度に「かつての日本は荒れていたのだな」「その原因を作ったのはあのアカ教師の仲間なんだな」と、幼心に刷り込まれていたのかもしれない。
あの頃は、一部のメディアにも左翼の活動を忌避する空気が作られていたのかもしれない。いわゆる自虐史観が幅を利かせていた教育業界に新しい教科書を作る会が出てくる一方で、司馬遼太郎によるドラマティックな司馬史観がこれでもかともてはやされている時代でもあった。
高校、大学(増田が通ったのは地方の駅弁ですらない田舎にあった)と進学するにつれ、ますます左翼的な勢力は目につかなくなっていった。教師や教授陣にそれっぽい思想を持っている人がいなかったわけではないが、押しつけることはなく、オルグされる同世代も見かけなかった。他の大学の学園祭に行った時、明らかに学生らしくない数人のおっさんが垂れ幕の前で9条がー、と威張り散らしているのを見かけたくらいだ。
ちなみに阪神・淡路大震災も増田の学生時代に起きた。燃え落ちた街、横倒しになった高速道路の映像はあまりにも衝撃的だった。現代でこんなことが起きてしまうのかと呆然としたのを覚えている。救援活動に来た自衛隊を批判する勢力は、露骨に白い目で見られていた。
オウム真理教が問題を起こしたのも同じ年だ。あの頃のマスコミの狂乱は、今の統一教会報道の比では無かった。テレビには毎日のように信者が登場してめちゃくちゃな言動を繰り広げ、一般紙からスポーツ新聞までが彼らについてあらゆることを書き立てた。氷河期世代が過激な新興宗教に拒絶的な態度をとりやすいのも、オウムや、その他宗教団体が原因である。
オウムだけではなく、当時はあらゆる新興宗教団体がしつこい勧誘で嫌われていた時代だったのだ。少し大きな駅に行くと、手相の勉強をしていると称する者は壺や印鑑を売ろうとしてくるし、あなたの幸せを祈らせろとつきまとってくる者もいるし、選挙があれば○○党に投票しろ、新聞をとれとうるさい。個人情報がダダ漏れの時代ということもあり、これらの勧誘を掻い潜るのは至難の業だった。
増田も宗教2世である元同級生からの勧誘に辟易とし、家族の闘病について信仰心が足りないからだと言われた時には速やかに絶縁を申し出た。元同級生が悲しそうな顔をしていたのを、今でも覚えている。かつてはスニーカー文庫を貸しあった仲だったのに残念だった。
働きだしてから、といっても増田は就職できずフリーターになったのだが、ようやく田舎にもインターネットというものが普及してきた。2ちゃんねるが登場したが、そこでも左翼は馬鹿にされる対象でしかなかった。制服を強要されているのが虐待だと国際的な場で主張した政治家の息子が笑われたりしていたのもその頃だ。
だからその後、若者を中心としたSEALDsが出てきた時はびっくりした。いつのまにか、増田の親世代ですら触れたがらないアカの思想にばっちり染まった彼らは、SNSでつながることに抵抗を持たない世代としての強みを活かし、あっというまに増えていった。いつのまにそんな思想が、もう絶滅したと思っていたアカが若者の口を借りて復活するとは予想外だった。
30歳を超えた増田には、SEALDsの輝きが眩しくうつったが、羨ましくはなかった。主張があまりにも幼く感じたからだ。かつてアカ教師に仕込まれた児童が湾岸戦争時の自衛隊派遣に絡めて「戦争には反対です。憲法9条に反するから、自衛隊はやめた方がいいと思います」と言わされていたのを思い出させた。このときは自衛官を親族に持つ子供が他の学年にいて、家族が学校にクレームを入れて大問題になった。
増田はネットの匿名文化にも浸っていたため、「学生のうちにこんなに顔を晒して発言していたらこの先大変だろうな」と思ったりしたものだ。
結局SEALDsは解散したが、その後、リベラルと言われる勢力は以前よりも目につくようになってきた。だがやはり、氷河期世代の姿は少ない。
そんな中で発せられたのが「氷河期世代は何故闘わなかったのか」である。
正直に言おう。
我々の世代に、国と闘う余裕はなかった。そんな暇があれば働くことを選んだだろう。
そして、あの横暴で陰険な、アカ教師のような人になりたくなかったのだ。
その結果、「闘わなかった」と怒られる。
今の視点で見れば、何とでも言えるよな。あの頃のリベラルなど、今よりずっと情けなかったのに。
ここからは余談。
数年前、増田が住む街の施設で日教組の全国大会があり、警察が規制線を張っていた。警察が守っているのは、会場へ向かう年老いてしょぼくれた、とっくに定年退職を迎えて何年も経た老人の群れである。みんな「日教組○○県支部」と書いた幟をもって、俯きがちにトボトボと歩いている。総じて服の色は地味で、男女問わず髪の毛もボサボサで、見た目にも元気がない。
その規制線の外、ギリギリの場所に愛国的なことを叫ぶ街宣車が止まっていた。車の上から老人たちに向かって元気に「国賊」などとがなりたてている中年男性は、増田と同世代か少し上くらいに見えた。
どこにも若者がいない。交通規制を促している警察官が一番若いくらいだ。
かつてはヘルメットをかぶりゲバ棒を手に機動隊に向かっていたかもしれない人々が、中年にどやしつけられ(ほぼ因縁だが)、国家権力に守られながらトボトボと歩いている。
どんな気持ちで歩いているのだろう。会場には共産党を代表する大物政治家が来場するとポスターにあった。世代交代を頑なに拒み、トップに君臨し続けているその政治家を見て、彼らの心は慰められるのだろうか。
だが天下をとれなかった彼らも、闘わなかったと言われる氷河期世代も、下の世代からは同じに見えているのかもしれない。これを書いている増田に、左翼も日教組も共産主義も新左翼も革マルも中核派も赤軍派もリベラルも、まるで区別がつかないように。
仕方ない、そういうものだ。
これを読んでるみんなは、俺たちのようになるなよ。
新卒の時はリーマンショックの直後で、就職活動がとても厳しく、紆余曲折あった後に、従業員30人程度の製造業のオーナー企業に入社した。社長(当時60歳ぐらい)のワンマン経営で、コンプラ意識ゼロのガバガバガバナンスだった。3年ほど働いたあと、退職した。退職の意思を告げた日、同期も同じ日に退職を表明していてビビった。新卒で入社した4人は、自分も含めて3年ほどの間に全員退職した。
退職してから時は流れ、早10年。3年に1回ほど、ふと思い出した時に、前職のホームページを見る。
昨日何の気なしに見てみたら、従業員は18人に減っていた。それ自体は事業所を減らしたのもあるだろうし、縮小する経営方針だとか、定年退職による自然減などの可能性もあるから特段おかしなことではないと思うが、驚いたのはその先だ。
度肝を抜かれたのが、会社ホームページの採用サイトによくある、先輩社員の紹介ページ。3年か前に見た時に表示されていた、私が在職していた時にもいた少し先輩の若手のホープ(出世頭?)と、私が退職してから入社したと思われる女性社員が消えていた。辞めたんだろう。
驚いたのはそれだけではない。先輩社員が7人紹介されていたのだが、全員がこの2年位内の入社。ベンチャー企業でもないのに、18人中7人が入社2年以内って、ヤバくないか?
更にびっくりしたのは、そのうちの一人のインタビューで、「若くてもやる気があれば任せてもらえる会社です。私は2年で工場長を任されました。」と書いてある。未経験で入社して、入社2年で工場長!?!?理解が追いつかない。
他にも、「農業やりたいです!農学部出身です!この会社は社長が何でもチャレンジさせてくれるということで入社を決めました!農業やります!」って奴もいた。前職、製造業だぞ??だ、大丈夫か…???
リクナビの新卒採用のページでは、採用予定人数6〜10名と書いてあった。社員数18人なのに…ヤバすぎる。
すっかり動揺してしまった私だが、これからもこの会社の行く末を見ていこうと決意した。
辞めてよかった。
やってもらって当たり前、やらないと村八分はコミュニティの中で上下関係ができたら容易に発生する。
なぜ女に特有と思うのかよくわからないが、男でも大学の体育会の強豪クラブは年次だけでなく出身校でも細かくヒエラルキーあるし、上級生は不可侵の存在、OBはそれ以上だったりする。1年生はまさに奴隷。
趣味の世界でもあるよ。社会人英語サークルに所属していたことがあったが、商社定年退職して参加してた古参ジジイが一番厄介だった。
有名商社で英検1級持ちを自慢しまくってマウント取ってきて、それに乗らない若手や新入りを陰で口汚く罵ってた。空気悪すぎてすぐ辞めた。
会社で偉くなって偉そうにしていたおっさんが定年退職してもその感覚を捨てられず、コンビニやスーパー病院で若者や女性相手に上から目線で偉そうに振る舞ってキレ散らかすのはよくある話
(何も調べずに書き始めます)
定年退職を境に100分の1になる、なんて急激な変化はないだろうけど、最終的には、たとえば100歳までにはゼロになることは確実だよね?
100歳の免許保有者が、どれだけの割合で返納して分母を減らすのかは知らんけど、ともあれ分子のほうが早くゼロになるだろう。
そうなると、70歳の事故率がたとえ若年層と大して変わらないにしても、実際に運転してる100歳の真の事故率は相当高いことがありうる。
保険屋にとっても、100歳の顧客の大半は「単に保険料を払い続けてくれるゾンビ」だろうから、全体として掛け金を上げる必要もない。
(運転者個人の運転キロ数とかによって細かく切り分けてる保険屋ならどうだろうか?そこは知らん)
同様に、多かれ少なかれ99歳でも、98歳でも、真の事故率がやっぱり高いことは、ありうるのだ。
でも逆にもちろん、97, 96,...と区切り続けて、60歳まで刻むころには、すっかり事故率も減ってしまうので、高齢者を全体として見てしまえば、「数倍程度」に収まってしまうんだろう。
十両で優勝した静内は、次の場所で龍貴と対戦。心のよりどころを失っていた龍貴は惨敗し、迷走のまま、カド番を迎える。静内は三役を射止める。背後でジャーナリスト安井と犬嶋が結託。犬嶋は龍谷部屋の八百長スキャンダルをネタに、龍谷部屋の取りつぶしと理事長の引責辞任を狙う。大物政治家が介入し、八百長を消し去ろうとする。しかし来る理事長選の買収合戦ともからみ、熊田理事長の続投と引き換えに名門・龍谷部屋の取りつぶしが決定される。失意の龍谷親方は自害を図り、龍貴は公私ともにどん底を迎える。龍貴は人生で初めて一人となり、なぜ相撲を取るのか自問自答する。
時津はライフワークである猿谷の伝記を完成させ、定年を迎える。相撲への関心の低下を背景に、人員は補充されず、他社記事の流用という案が編集部で有力となる。国崎は政治部への配置転換の打診うける。国崎は子供の頃に社会問題に目覚めた理由を思い出す。そしてこの提案を断り、一人で相撲報道を担うことを宣言する。国崎は武道館で目撃した伊東に見覚えがあった。実家の離散をもたらした新興宗教が伊東のものだったからだ。かつて政治部時代につかんでいたヤミ金ネタが相撲界と掴むことを確信する。彼女は入念な相撲報道をベースに、相撲担当でありながら、それに日本の政治権力の腐敗と長年にわたる新興宗教の影響力行使を絡めた本格的政治報道を書くことを決心する。
・猿桜の伸び悩み、父の死、そして「破」
猿桜は基本に忠実に稽古に励むが、幕下で壁にぶつかる。部屋は停滞し、資金繰りは困難を極め、維持のために関取となることが求められる。師匠・兄弟子らとともに、彼らが越えられなかった壁を越えようともがく。基本を身に着ける「守」から、自らの型を見出す「破」へ。この過程で左ひざ、つまり猿谷と同じ箇所を痛める。父は奇跡的に一時回復するものの、間もなく死去。母の咽び泣く姿を目に焼き付ける。周りに治療への専念を勧められるなか、猿桜は覚悟を決め、自らの型を掴むべく、猿空らとの壮絶な稽古に挑む。
・後日談
猿桜は幕内昇進を勝ち取る。力士としての残された時間は少ない。休場中の横綱の復帰が決まる中、猿桜は龍貴、静内との幕内での決戦の場所が迫る。
その先輩は同じ会社の二個上。
「(嫌われ先輩を指さしながら)あの気持ち悪いのいるじゃん?あれ殴っていいからな」
「殴っちゃダメだって(笑)でもあれには敬語は使わんでいいよ(笑)」
という露悪ジョークをいきなり投げかけられてショックを受けたことがある。
と勝手に警戒し始めた。
一次会が終わったあと、嫌われ先輩は皆から巻かれてとうとう二次会には現れなかった。
1ヶ月の研修の後、私は本配属となり嫌われ先輩と同じフロアで働くことになった。
そして現在まで嫌われ先輩の振る舞いや言動を見ていて気づいた特徴がある。
例えば、語尾が「~なんよ」だったり、「いや、めちゃめちゃ食うやん」みたいな言い方のツッコミをしたり、他の20代の同僚がそういう感じに言葉を繰り出すのとは対照的に、嫌われ先輩は流行り廃りのない日本語しか使わなかった。
もしも「いや、めちゃめちゃ食うやん」を嫌われ先輩の言い回しに変換するとしたら
「いやぁ、たくさん食べるんだね!
僕も〇〇が好きでさあ、スーパーとかで見かけるとついつい買っちゃうんだよね( ˶ ᷇ 𖥦 ᷆ ˵ )
だから家の冷蔵庫にはいつでも〇〇がたくさんあるんだよ(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑」
みたいになる。
同年代の同僚は露骨に項垂れながら「よかったね……」と疲れ切ったように絞り出すとか、
後ろを振り向いて背後の同期に「(こいつぶっ飛ばしてえええええ)」とでも言いたげに握り拳を見せつけたりとかしてる。
・怒らない
・無表情にならない
・悲しまない(落ち込まない)
・同僚の接し方や問いかけに含まれる悪意に対する感度が嫌われ先輩はゼロに近いほど鈍いので、嫌われ先輩の反応で場がめちゃくちゃ変な空気になることがある。
例えば、モロの童貞探りを入れる同僚の質問に対して嫌われ先輩は
「いやあ、情けない話ですがそういうのがないんですよねえ~(´×ω×`)
この間、お盆で田舎に帰ったときも父方の祖母を心配させてしまいました!( ˊᵕˋก;)」
みたいな感じで返すとか。
なので嫌われ先輩は同年代のヘイトを一身に受けているのにも関わらず職場でパワハラは食らっていない。
いつもの調子で繰り出される嫌われ先輩の言葉に、重役が「可愛くて仕方がない」という感じでニコニコと耳を傾けて雑談している光景をたまに目にするのだが、
20代30代の同僚たちはめちゃくちゃ冷ややかな視線を送ったり、お互い目配せして蔑みの微笑みを浮かべ合ったりしている。
ここまで書いてて分かったわ。
軽く30歳以上歳が離れた重役たちが定年退職して会社からいなくなったら、嫌われ先輩の居場所マジでなくなるっていうか普通に中学校みたいな露骨ないじめが始める未来しか想像できない。
うちの会社は都会で生まれ育って裕福で高学歴でしかも美男美女という何不自由無く生きてきた若手がうじゃうじゃいるのに、そんな人たちまで嫌われ先輩に対してクソ意地悪で好戦的に豹変するんだから、嫌われ先輩はもう同世代にとっては異星人なんだよ。
ていうか嫌われ先輩、なんでこんな華やかイメージのミーハーな業界選んだんだよ、全然そういうのとキャラ違うじゃん。
お爺さんお婆さんばっかりがのんびり朗らかに仕事してるような会社行ったほうが絶対良いよ。
正直、私は嫌われ先輩のことは嫌いでも好きでもどっちでもないけど、なんかもう本当に居た堪れない。
仕事と育児が忙しくほとんど自分の時間がない。観たい映画ややりたいゲームがほとんどできてない。趣味の時間もない。
でも君たちはどう生きるかなどネタバレサイトでストーリーだけ教えてもらった。
サイバーパンクのアニメとゲームのストーリーは全部ネタバレサイトで知った。
エルデンリングやゼルダなどやりたいと思ったゲームは買っただけで開封すらしていない。
話題のアニメを全部追いかけることはできないから定年退職後に全部まとめて見ようと思う。
毎日機嫌が悪くて酷いことを言われるけど我が家では俺が全部我慢してる。
人並みに夜寝なかったりイヤイヤ期が来たりおねしょの処理を毎日した時期もあった。
子供と一緒にポケモン、プリキュア、特撮を観るのがすごく苦痛。
買い物する時は妻の指示通りに買わないと殴られるから俺はいらないのに無駄に高いものばかり買っている。
鹿が増えてて春になると楽しみにしていた山菜も全滅。田畑も2mくらいの柵をしないとなんぼでもやられる。
猟友会に入ってると有害鳥獣駆除として春から秋も狩猟ができる。目標捕獲頭数があって1頭捕まえると1〜2万円報奨金がでる。
鉄砲担いで山に入るのではなくて箱罠、くくり罠をしかけて餌撒いて見回りしてかかってたら12Vバッテリーに100Vインバーター繋いで
電気ショックで殺処分。写真撮って尻尾切って事務局に提出すると毎月口座にお金が振り込まれる。
定年退職した老人が年間100頭とったら100万円、いい小遣いだ。
その鹿をどうするかというと①食べる②ジビエの食肉加工場に持ち込む③焼却場で処分④穴掘って埋める⑤山にポイ
処分の手間も含めての報奨金だけど⑤が多い。背ロースだけ取る人、角だけカットする人はいるけど中途半端な穴掘って埋めても翌日には
獣に掘り返されてる。山にポイしても翌日にはきれいになくなってる。
他人の山に勝手にポイすると不法投棄だけど自分の山にポイしても違反でない。他人の山に罠しかけさせてもらって許可をもらってその場にポイ
しても違反ではない。モラル的にはアウトだけど自然循環で考えると燃やすよりはましかとも思う。
自治体もこの問題には悩まされていて冷凍庫で一時保管してまとめて焼却場に持ち込むとか食肉加工場に補助をだしたり菌で分解させる減量化施設を作ったりと試行錯誤してる。
けれども猟師にとっては山にポイが一番楽。お金くれるなら持ち込むけど。
ポイした鹿はたぬきやカラスやキツネが食べてるんだろうけど熊も食べてるはず。
そんな山奥の話ではない。車で通れる道のついた集落からそんなに離れていない山でそんなことになってる。
どんぐりが不作とか豊作で数が増えたとかもちろんその通りなんだろうけど猟師の後始末が原因でこれからもクマ被害が増えるのではないかと心配してる。
ちなみに猪は豚熱が流行ってて山には粉末ワクチン撒いたり対策してるけど養豚場はかなり神経質になってるはず。