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2018-10-18

沢田研二ジュリー

客席スカスカで歌うジュリーを見るくらいならいっそドタキャンして欲しい。

だってジュリーなんだから

いい歳してダイエットしてるジュリーを見るくらいなら、好きなだけ食べて、好きなだけ飲んで、誰の目も気にせず自分らしく生きて欲しい。

だってジュリーなんだから

沢田研二埼玉アリーナホール内で原発反対の署名を決行しようとして会場側から拒否のためドタキャン

ってのが確定情報としてネットのあちこちで見ることができるんだけどマジなんすか?

2018-08-26

根本的な疑問、頭皮健康維持。

友人たちとシャンプー後にドライヤーで乾かすか否かという押し問答をして見た。

俺は自然乾燥

ちゃんからそう言い聞かされてきた。頭寒足熱

沢田研二ジュリーも婆っちゃんの言いなりでそうしてきたそうだ。

ただし、俺は頭髪部が年齢の割に薄くなってる。心なしかね。

ドライアーを使った方が頭皮健康保持のために良いのではないかと今更ながら押し問答している今日この頃

皆さま、どうですか?

2018-05-06

沢田研二トキオの公演 この時期だと値崩れするのか、逆に上がるのか どっちだろう

2018-04-29

anond:20180428175436

魔界転生(当然、千葉真一VS沢田研二の)は、原作者山田風太郎も一本取られたと評価してた。森宗意軒ではなく天草四郎を敵のボスに据えたのも、魔界衆に細川ガラシア夫人を入れたのも映画版オリジナル現代じゃそっちの方が有名じゃろう

2017-10-22

勝手にしやがるな

俺は沢田研二じゃないのでうんこは寝ている間に出ていかないで欲しかった

2017-07-17

30代も後半になるが

沢田研二って自分子供のころから濃いおっさんの印象しかないんだが…

今までは劣化扱いじゃなかったのか、そっちにびっくりした

2016-08-23

リオ五輪閉会式が大評判だが、俺は認めない。国辱ものだ。

リオオリンピック閉会式での演出が評判だが、俺は認めない。

あんおっさん、おばさんの懐古趣味でまみれたショーなんて見るに耐えない。

マリオキティちゃんドラえもんなんて80年代に全盛だったもはや「懐かしネタ」。

東京夜景などを使った都市イメージなんて、沢田研二TOKIOのもの

Ryu's Barか、ここは? 村上龍坂本龍一がしたり顔で日本を語っていたこから何ら進歩していない。

ショー全体は80年代の景気がよく、技術的にも存在感を示せていた時代を懐古したものしか見えない。

これは日本の文化が停滞しているという敗北宣言だと思う。それを国際的イベントでやるなんて国辱ものだ。

真鍋大度中田ヤスタカMIKIKOといった布陣が最新の才能を取り入れているじゃないか、というかも知れないがこれは全員Perfume陣営Perfumeテクノポップを懐古した企画ユニット。つまり人選からして80年代の「景気のよかった日本」に引きずられているのだ。

全体的にテクノオリエンタリズムイメージ引用した古臭い東京が展開されていた。これが1988年のショーだと言われても、何ら違和感なく受け入れられるだろう。いや、今が1988年だったらよかった。それだったら、この手放しの絶賛も納得できる。だが、今は2016年だ。

ここ30年の文化的な成果が何一つ取り入られていない。それが悲しいし、こんなのが手放しで絶賛されている状況に、絶望を覚える。嫌悪するね、はっきり言って。

2016-06-20

沢田研二ウィキペディア見て驚いた

80、90、00年、ずっと1年1枚くらいシングル出し続けてたんだ・・・

2015-09-30

女ファンが年の差婚を生み出している

男ファンは、2〜3年もすれば「劣化した。もう終わり」と

離れるケースも多い。基本的には若い子有利だし。

女ファンはなぁ…沢田研二を見よ。

劣化レベルじゃなく変貌しても、一定数はファンであり続ける。

キムタク静香好意をもっているわけではないけど、一般的には

年齢差がほとんどない組み合わせの方が自然かな、と思える。

菅野の5歳差くらいまでかな。

実際、芸能人じゃない、身近な例でも7歳差あたりから

「奥さん若いねー」という反応になるのでは。

アイドルの「恋愛禁止令」が取り沙汰されているけれど

アイドルだってファンが暗黙のうちに発している

結婚禁止令」に呪縛されている。特に歌手活動すると、

売り上げにダイレクトにはね返るしね。そうやって機会を伸ばされつつ

「そうは言っても、結婚したら子供もほしい」と男アイドル

思ったら、今回のような14歳差(学年的には)になってしまう。

辛うじて「40代のくせに20代狙うなんて」という見え方は回避

したけれど。なんかなー。と、ここまで書いたところで

向井理(33)国仲涼子(36)第一子誕生の報が。

福山結婚を受けてアミューズ株価が4億円相当減額したという。

から簡単にGOサインは出せないっていうのももっともですが

結婚しても温かく見守る」という体制が整っていれば

もっと早く、もっと自由に振舞えたのでは…。

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.06 『墓場まで45分~1999年上半期総括』

■本文。

 今年上半期の美少女ゲーム業界を見渡すと、市場の拡大に伴う、保守化の流れに向かいつつある感がある。これは、おたく業界全体が内包している問題ではあるのだが、正直な所、拡大する市場を追いかけるのは既に辛くなっている。個人的にも、久々に行った秋葉原で、ギャル絵の洪水に立ち眩みがしたのも確かだ。

 さて、コンシューマ市場肥大したが故に、一般性の高さが必然となっていった。例えば、ドリームキャストの失敗は、古くからセガファンが放つ、マニアック重力から作り手の側が脱する事ができなかったが故の悲劇とも言えるのだが、一般性ばかりを追い求める状況は、作り手の側にも不満が蓄積されていく。

 その、取り残された創作性を実現させる場所として、美少女ゲーム業界が成立したという背景がある。実際、筆者が一番面白かったのはDOSからWINDOWSへ移行する過渡期で、けったいな野心作が多く出た時期だったのだが、その後、市場として、成長・拡大すると、やはり、メディアミックスなど、資本主義的な視線が入り込んできた。

 そして、今の美少女ゲーム業界は、昨年来からレーベル数の増加と、タイトル数の増加と反比例するように、ゲームジャンル多様性が失われる傾向が生まれている。タイトル数の増加の背景に、発売サイクルの短期化があり、制作期間の短縮に伴い、システムシナリオ練り込みが薄れている作品も多い。バグなどの不具合の発生が日常茶飯事になっていて、インターネット上での差分ファイルの配布が流行している現状に至っては、もはや何をいわんかや、という感じでもある。

 不幸中の幸い、筆者はそういうゲームにあまり遭遇したことはないのだが、シナリオ練り込みが足りない上に、一時間程度で終わるゲームの為に一万近い金を出すのは、効率が悪いよなあ、という心境は間違いなくあるだろうと思われる。また、メイドもの恋愛ゲームタイトル数の半分以上を占めるという状況では、やる気そのものが起きなくなってくるのは事実だ。

 まあ、メディアミックスを基盤とした企業複合体のシステムに組み込まれ大手では、実験的な企画はほとんど通らないという話もあるし、一獲千金を狙う中小メーカーも、安全パイの企画しかさない所が増えた。市場が拡大すればするほど、ジャンルが逆に淘汰されていくというのは、当然と見るか、皮肉と思うべきなのだろうか……。

 このような、メーカー側の風潮と相互作用しているであろう、ユーザー側の意識についても、前回、「オブジェクト嗜好」と指摘したように、非常に即物的な傾向を示している。キャラクターの消費サイクルが非常に早くなっているため、自己内面においての批評的な掘り下げが生まれなくなったのだ。

 既に、ゲーム誌の編集者すら、全体を把握しきれない程、美少女キャラクターが氾濫している現在市場状況では、その心性に惚れ込むのではなく、快楽的な記号の組み合わせだけで、売れ線のキャラクターが成り立ってしまう。あまりにも多い選択肢対峙した時、人間というのは表層的で直接的な視覚イメージを優先してしまうからだ。

 ところが、快楽的な記号を積み重ねれば積み重ねるほど、どんどんキャラクターフリークス化していくし、リアル少女から離れれば離れるほど、逆説的にキャラクターイノセンスを獲得して、ユーザーヒーリングされる……といった構図になっているのだろう。多分。

 何故、おたくセックス観がリアルな肉体から遠く離れなければならないのかを考えると、それだけでこのコラムの3回分になってしまう位に深くて浅い問題なのだが、やはり、日本特殊フェミニズム環境が背景に存在しているような気がしてならない。これほどまでに、二次元美少女を消費しなければならない、内的な問題はいったい何なのかについては、また改めて書くとしても、これらの背景に、戦後日本の構築した、過剰な消費社会ターゲット若者のみに向けられ、若さの素晴らしさや、青春幻想メディアが強調しつづけた蓄積の結果であると思われる。その副作用として、「オブジェクト嗜好」も含めた、おたくの奇妙な性嗜好が構成されているようにも思う。

 これは、日本独自フェミニズム的なものに対する、無意識下での抵抗と位置づける事もできるし、その中で形成された美少女概念現実のズレが生み出した現象ともいえる。現に、美少女ゲームにおけるヒロイン像の大半が、十代中盤の保守的少女に設定されているのは、当たり前と言えば当たり前だが、不自然といえば不自然でもある。だが、少なくとも、筆者はこの状況を全面肯定できるほど、気楽にはっちゃけられないのだ。

 しかし、同じおたくの枠に括られているとはいえ、メタ的なものフェミニズム的な表現を賛美するサブカル好きなおたくと、ひたすら癒しを求めて空想世界依存し続ける昔気質おたくは、明らかに正反対の方向を向いているし、それ故に、前号の本誌「オタク定点観測」にもあったが、双方の感情的な対立も表面化している。だが、前者には普遍化させようという意志が欠けているし、後者には相対化する視点が欠けているので、おそらく、どこまで行っても歩み寄ることはないだろう。

 まあ、自分のことは棚に上げるが、本誌のコラム陣もまた、サブカル否定おたく保守の傾向が強すぎるようにも思うし、最近はあらゆる所で極端な対立が起きるので、さすがにどちらかに与して云々という気持ちも無くなってしまったのだが、おたくという言葉が生まれて、15年の歳月が経ち、その括りだけでは収まりきれない時代になっているのだろう。美少女まんがはそれぞれのニーズに応えようとして、遂に80誌を超えようかという所まで肥大してしまったが、ならば、美少女ゲームはどうなっていくのだろうか?

 加えるならば、前回の原稿を書いている時にインターネット上でぶつかった、萌え派と泣き派の思想的対立というのも、拡大する市場と、それに伴う価値観拡散に伴う混乱、そして、批評軸の喪失といった状況が、結果、ユーザー思想脆弱にしてしまったという意味では、分かりやすい例だと思う。

 快楽記号が多くてキャラクター萌えられるから良いゲームだ、とか、心の琴線に触れて泣けるから、良いゲームだ、というのは、はっきり言って、どちらも同じ穴のムジナだし、良いゲームかどうかを決めるのを、一元的価値観のみに拠って決めること自体が、ゲーム本質を歪めているようにも思うのだ。そして、作り手の側も、「時代がそれを求めている」とかい言葉で、その表層的な状況をそのまま受け入れているようでは……なんだか、ヒヨコが先か、タマゴが先か、といった話になってきたのだが、もう、この世界は良い方向へ向かうことは絶対にない、と言わざるを得ない。これは、鬱のせいばかりじゃないと思うし、美少女ゲームに限った話でもないのだ。

 批評軸の無い世界自由に限りなく拡散していくのだろう。だけども、空洞化した世界には秩序は生まれないし、結局、内面の闇から逃げる為に、無意味祭りを繰り返すのだろう。そして、絶望祭りを行ったり来たりする筆者の心は、まるで墓場酒場を行ったり来たりする沢田研二のような気分なのだダバダバダバダ(意味不明)。

■暑くて憂鬱な夏の総括。

 なんか、またゲームの話をしなかったなあ、このコラム最初普通にゲーム評をやるつもりだったんだけど、すっかり別物になりつつあります。ごめん。しかし、ゲームのことを書くと、褒めても褒め方が気に食わないと文句付けられるらしいので、いっそ全く書かない方がいいのかも知れない。まあ、これは某メーカー広報誌と化した、とあるコンシューマゲーム雑誌で書いている友達台詞なので、美少女ゲーム誌では、そんな事はないと僕は信じているけどねっ☆

2008-04-05

あなたに今夜はワインをふりかけ

沢田研二の歌に、そういうタイトルの歌があるのよ。

心まで酔わせたいというフレーズが続きます。

googleで検索したら最初にYouTubeがヒットした。

http://www.youtube.com/watch?v=HmoZUHRsgOg

以前、ヤフオク沢田研二アルバム落札しようと思って調べてたら、出品者が書いた曲紹介に、次のように書いてあった。

  • あなたに今夜はワインふりかけ

それって晩酌の献立ですから!

2007-11-11

えー、じゅりー?わかんなーい

沢田研二って。今時、小沢健二でもどうかと思う(笑)←心の声

ということですな?

http://anond.hatelabo.jp/20071111005222

気づけ!気が付いてくれ!

最近学生沢田研二ジュリー)のこと自体をしらないぞ!

早く気がつけ増田

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