はてなキーワード: 死ねとは
だって、自民に入れるバカだよ。自分から進んで基本的人権を剥奪される事に同意してんだわ。
ガンなのかニキビなのか分からねえイボがワキに出来ることもしょっちゅうだ。
「臭い奴は存在そのものが犯罪である」という全体主義じみた理論の元、ワキガの人間は必死に誤魔化すことを強要される。
スプレー式の消臭剤でワキガの臭いをピンポイントで消せるものは存在しない。
対処療法は効かないので発生前にミョウバンを塗りたくることしか臭いを回避する方法はない。
ワキガ手術は調べれば調べるほどにその成功率が決して高くないこと、成功したとしても効果が完全でないことが分かるはずだ。
最も古典的なアポクリン汗腺切除手術であっても取りこぼしの可能性はある。しかも最悪なことに失敗するとワキの可動に影響が出る。
吸い出し機も結局ワキを小さく切って物理的に吸引するので条件はあまり変わらない。
ビューホット(高熱の針)やミラドライ(マイクロ派による遠隔加熱)といった手法も存在するが、これらは100%の効果を保証するものではない。
手術をするレベルの人間がワキガ手術をして得られるのは、1日4回塗っていたミョウバンが1日2回になる程度のものだ。
それでも炎症のリスクはかなり下がるのでまだマシではある。
だが「薬で誤魔化すことなく社会がワキガを受け入れた状態になる」には程遠い。
それこそナチスのホロコーストのようなことをしても、隔世遺伝で突然ワキガになってしまう人間がいるのだから。
それはもう仕方がない。
だって現代社会における「臭いの良し悪しのテンプレート」においてワキガは「悪臭」としてカテゴライズされているのだから。
「デブ」が「リッチでカッコイイ」から「貧乏で不潔」へと転落していった歴史を逆行させるのは不可能に近いのだから。
だが社会はワキガにそのような努力を強要していることに対して「産まれた持った体臭で自分たちが相手を差別している」という認識を持つべきだ。
「差別は絶対悪なので自分たちは差別をしていません。なぜなら自分たちは絶対悪ではないので」といった意味の分からん無辜妄想に走るのをやめろ。
ワキガ人間の臭いを「そういう体臭もあるよね」と受け入れようとしない。
それに対してワキガは「殺されたくないから臭いを減らそう」と努力し、リスクのある手術をしたり、炎症を引き起こすような薬を塗ったりして必死に暮らしている。
この状況を「差別ではない」と言い張るな。
「差別です。でも仕方ないでしょ?」とも開き直るな。
「差別です。ごめんなさい。でも今の社会を生きている人間の知能ではこの差別を辞める方法が思いつきません」と正直に言え。
そうしたら許してやる。
そうじゃないなら許さんぞ。
それがいつどのように引火してしまうかの責任だってちゃんと俺が取る。
だがコントロール出来る保証までしてやるる気なんてサラサラない。
「ワキだけにサラサラってか?」←ころすぞ?
年明けにね、犬が死んでしまった。近々別れが来ることは分かってた。この三年はずっと闘病してたから。本当によく頑張ってくれたと思う。
亡くなる直前まで普段と同じように甘えてきてた。私の膝の上で丸くなってウトウトしてたのが、すビクッと痙攣して、その数秒後には全身の力が抜けて、どう説明したら良いのか分からないんだけど、その時に「ああ、お別れなんだな」と感じた。呼吸が完全に止まるまで、できるだけ普段と同じように頭を撫で続けた。頑張ったね。お疲れ様だったね。治してあげられなくてごめんね。一緒にいてくれてありがとうね。少しでも聞こえているならと思って、そんな言葉をかけ続けた。
その後仕事だなんだでバタバタしているのだけど、ふと落ち着いた瞬間に犬とすごした楽しい思い出ばかり思い浮かべてしまう。夜更かししてると「眠いからそろそろベッドにおいでよ」と呼びにきてくれたし、落ち込んでる時にはひたすら隣にいてくれたし、散歩の時は絶対にリードを引っ張らず私の横を私のペースに合わせて歩いてくれた。そういう時々の仕草や表情や匂いを思い出して、その度に涙がボロボロ出てくる。
私はあの子からとんでもない量の喜びと幸せをもらった。私はあの子の生涯を幸せにできたのだろうか。ベッドに横になっても顔の隣にあの子はいなくて、あの子の匂いもしなくて、寝息も聞こえない。だからこんな時間にスマホを触ってる。
できることは全部やったと思う。動物病院の先生もとても良くしてくれた。闘病生活は初めから治ることのない病気でいかに軟着陸に持っていくかというアレだったから、恐らく理想的な経過といって差し支えなかろう。彼は少なくとも、長く苦しむことなく死ねたと思う。それでもすごく悲しいし、寂しい。
そのうち彼の生活の痕跡を少しずつ片付けていかなくてはならない。いつまでもそのままにしておくわけにはいかないから。でも今はまだ手をつけることが出来ない。こんなに悲しいのか。こんなに寂しいのか。動物と生活することを選んだことに後悔はないけれど、それでも悲しさと寂しさに押しつぶされてしまいそうだ。
去年の3月、後期の合否発表があった日をよく覚えている。
ずっと部屋にこもって、たぶん君は一日中泣いていたんだろう。
夜になって、突然家を出て行った。
心配性の母はおろおろして、私たち兄弟はあんたの"入りやすい"性格を思い出して頭を抱えていた。
探しに行こうとコートを着始めた父をなだめて、兄弟で末っ子の捜索に出た。
田舎だからひとっこひとり歩いてないしそもそも3月の夜なんてくそ寒いし、
イライラしながら歩いたりチャリ乗ったりして町内(笑)を探したけど、どこにもいなかった。
何やってんだよ…と何度目かの電話をかけたら、長い呼び出し音の後にやっと出た。めちゃくちゃ鼻詰まった声だったわ。
どこいるの、って聞いたら、「川」と返ってきた。
以前、高校の近くの川に飛び込んだら死ねるかな、みたいな暗いこと言ってたのを思い出し、あーーーーーねってなった。
はやく帰ってきなと言って電話を切った。本当は心底ほっとした。
しばらくして君は帰ってきた。
何を言っていいかわからなくて、親が生きてる内はやるなよ、とだけ伝えたら、ちょっと泣きながら「うん」って言ってくれた。
翌日、予備校を決めて、仲の良かった高校の友達も何人か浪人することを知って、なんとか気持ちが戻ったようで安心した。
挫折を知らなかった君は、初めて結果を出せなかったのが悔しくて恥ずかしくて仕方なかったんだろう。
今ではあの日のこともちょっといじれるくらいにはなった。笑い話になって、まあ、良かった。
いつもちょっとオーバーで繊細で、生意気だけど心優しい弟よ、この1年がんばってきたこと全て出し切ってね!
応援してるぜ!
具体的にどうなったら良いと思ってんの?僻地の人はいざというとき孤立して危険な場所で死ねって言いたいの?
出来るならそのまま住み続けたい気持ちもわかるしけど、集落の縮小、消滅は時間の問題だし何よりも人命が大切だから街場への移住を促そうって話に対して「住んでる人の気持ちも考えろ」って周回遅れの意見だけ投げつけて何か言った気になってるのアホすぎでしょ。それに行政にできるのは精々「移住を促す」程度で強制連行なんて出来るわけないんだから、自分や助けに来る自衛隊員の安全よりもこの土地に住み続けることが大事ですって人は継続して住めば良い。
こういうアホって実効性のある代案は出さないくせに他人の意見のデメリットを指摘しただけで自分が偉くなったような気持ちになっちゃうんだよな。文句だけ言ってれば自分のお気持ちを満足させてくれる完璧なアイデアが降ってくると思ってる、お気持ち奴隷根性野郎。
https://anond.hatelabo.jp/20240112003804
ここ数年年収が上位1割に入ってきたのと
年もいい年になってきたので
特に初対面のいい感じになる女性は「金目当てなのでは?」と思ってしまうのだが
よく考えてみたらそりゃ初対面で俺によってくる女が金目当てなのは当たり前で
問題は金以外にどのくらいモチベーションがあるかなのでは?と思うし
そもそも「金がある自分」は本質的な自分ではないのか?という考えはじめた
例えば、自分のプラスの要素がいくつかあったとして(以下はあくまで例)
・顔がいい
・金がある
・優しい
・スポーツが得意
・話が面白い
・大卒
・ちんこが硬い
年を取ったり、事故にあったり、金がなくなったりと、プラスの要素がなくなったり
太ったり、臭くなったり、ハゲたりと、マイナスの要素が増えたりしたら
という思考実験をすると
いいところ全部なくしたら女性は去るはずで(むしろ去ってほしいとすら思う)
じゃあどこかしら、何かしらの良いところ(たとえばルッキズム)に惹かれているはずで
それは「お金を持っている」と差があるのかと考えると
案外ないんじゃないかと思うんだよね
全部いいところを無くしても残る相手って
・その人との良い思い出がある
・その人との関係がある(例えば子がかすがいになってる)
・惰性
・元に戻ることに期待している
・無条件に愛している
とかがあると思うんだけど
結局そういうので外堀を埋めつつ、自分の良い所を維持していくしか無いんじゃないかっていう風に考えた
出会った瞬間なんて大体は偽りの愛であり、それをどう本物の家族になっていくかという作業が必要になる
すると「お金に寄ってくる」のは別に全部が全部悪いわけじゃなくて、そこをフックにしてお互いにどう関係を構築していける(外堀をうめていく)かが重要なんじゃないかな
「この女は結局俺の顔が好みなだけで中身は見てくれない」みたいな人もいるわけで
周りから見たら死ねと思うんだけど、本人は本気で悩んでたりするんだよね
何が言いたいかと言えば
何も考えずただ好きと思えた学生時代って一番よかったよなって
JRのダイヤ乱れに頻繁に遭遇するんだけど、ふとおかしいことに気づいた
ネット予約だと予約便が運休になると自動的に全額払い戻しになる。
どちらにしても移動はしなきゃならないのだから新たに購入しなきゃならない、値段は変わらない。
紙の切符なら、運行再開したら駅で待っていれば、仮に一切の運休がなければ大幅に遅れた列車が順番に駅に入ってくるのだから適当なものに飛び乗れば良い、自由席ならOK。
手持ち切符の便が2時間遅れてりゃ特急料金は払い戻される(自由席でも)。
運休したら当該便は払い戻しされるのだが、移動はしなきゃならないのだから買い直すことになる。
一方JRは運休すればリソース開放されるのだから一部の便は2時間に間に合わせることができる。
つまり運休しなければ後続便もすべてが均等に遅れてすべての便で払い戻しが起きるがこれを回避できる。
ほとんどの客は移動をキャンセルするわけでもなく新たにチケットを買い直す。
経営的には正しい。
JRは損失を最小限にしようとしてるだけ
なるほどその場合は自由席に飛び乗るも封じられる、立ち乗りならOKってもまた露骨だね
13時出発、13時15分出発の便があるとする、関ケ原大雪で大幅遅延
時刻は既に15時で2時間出発遅れ
このまま出発させても新大阪駅が混乱しておりドン詰まりで延着2時間以内は難しい
そこで予め13時の便を運休にしてしまう。全額払い戻し、客は買い直せと。
後続の13時15分の便はギリギリ2時間以内に新大阪に滑り込ませる。
払い戻しは一切無し
もう一点書くと、自由席特急券も2時間遅延で払い戻しされることもわりと知られてない
ついでに書くと、新幹線の追い越しにもよく遭遇する。
先行便が既に2時間遅延確定だが後続便はギリ間に合いそう、みたいな時に駅で後続便を優先させて先に行かせるみたいなことをやる。
のぞみに乗ってて品川や新横浜で抜かされるわけのわけらんことが起きる。
もしくは大物政治家でも乗ってるのかもしれんが
マジクソ死ね。
さてここからが本題なんだが
JR京都線、京都駅で大阪に帰ろうとするときにダイヤ乱れに遭遇することがある。
その特急列車はすでに2時間遅れているが俺がたまたま駅に着いたら来た列車ってだけ
俺的には1分も遅れてない。
これに飛び乗る。遅延が1時間半超えてたら検札はまず来ない、来れば特急券買うが