はてなキーワード: 募金とは
他の二人も金をもらっても乳をさわりたくないレベルに見えるんだが女優もこのレベルなの?
http://anond.hatelabo.jp/20160926115144
東京だけだったのが横浜、名古屋、神戸、岐阜、仙台、札幌、松本すら居た
募金詐欺にひっかかってるやつを見ると
http://anond.hatelabo.jp/20160926011936
偽善的行為をしたくなるときが無性にある。道に迷ってるっぽい人見たら何気なく様子を伺って近寄ってみるなど。
旅行で博多に行った時に、そういうおっさん(じじい)がいたから様子見てたら話しかけれらた。
あーそうですかと思いつつ、バスの金額を調べて、結構な料金だったので1000円だけ渡してこれで飯でも食ったら? って
完全に主観だけど、悪そうな人じゃないとか、言論に一貫性ないとか、興味深い案件には積極的に関わり、社会勉強代払うようにしてる。
返してもらうにはこっちの個人情報晒す必要あるし、そんなの怖いから、完全に募金。どうせ募金だって騙されてるってわかってるけど、そのうちいくらかでも困ってる人のとこに行ったらいいな~って思ってるのでダイレクトに渡せるのは中間マージン省けて効率がいいなんてのは今思いついたことだ
天然痘とか?結核、ペスト、エイズ、他詳しくないけど様々な不治の病だった病気に勝ってきたんだから、
いずれ癌も「かつて不治の病とされて、その末期の宣告は死を意味しました」とか過去の歴史になるんだろ。
なってほしい。その日を待ちわびてる。
自分が生きている間は厳しそうなのが残念だ。その日を見たい。
癌が憎い。
症状もなく、気付いた時には余命宣告って何だよ。
父は恐らく、急すぎて心の準備ができないまま亡くなった。
その父の様子は本当に辛かったし、自分はいつ死に相対しても受け入れようと決めたけど、
そうじゃなく癌が滅びてほしい。
癌が憎い。憎い。憎い。憎い。
何億と資産持ってるなら、「ふてぶてしい弱者も救っても良いか」みたいな気前がいいことも言えるかも知れんけど、
そんな人は絶対数が少なすぎるかんね。
多少の余裕はあるから、税金やちょっとした寄付・募金を払って、
かわいそうな人が救われれば良いと思うような、そんなところだからね。
自分が救われる側なのか救う側なのか、
その辺も良く分からない、境界付近に居るように人たちだからね。
そこにふてぶてしく、「俺は弱者だ救え!」とか突っ込んでいってたら、
「じゃあ俺も弱者だ!」って皆なるよ。
結局弱者の首が絞まるじゃん。
無制限に金を持っているわけでも無いのに、
何の役にたつんかね?
無制限に金を持っているどころか、
大体は怠けたいだけの人のポジショントークなんだろうけど。
24時間テレビが好きっていうのは、箱根駅伝が好きっていうのと同じ理屈。
でも箱根駅伝ほど支持されていないのはなぜかというと、箱根駅伝は基本的にスポーツマンが好きなスポーツに取り組んでいるからだし、選手の好きなもの(ガチオタ暴露とか)も遠慮なくやってるから。
一方24時間テレビは、出演する障害者の個性は無視。絶対に清く正しい人イメージ。
好きかどうかも判らない無理難題に挑んで「やらされてる感」が出てるからなんだよね。
もう少し、笑いとか、それこそNHKでやってるような差別や偏見とどう闘うかという真面目な議論とか
方向性が色々あればこんなに嫌われる事もないんじゃないかと思うよ。
24時間テレビで募金が集まるんだからいいじゃないか!って増田も見たけど
別に感動させなくても募金は集まるでしょ、アイスバケツがそうだったじゃない。
それに24時間テレビでは身体が不自由な人しか取り上げないから、例えば内蔵の障害とか、見た目健常者と同じ人はスルーでしょ。
そういう目に見えない障害がどういうものかを知ってもらうコーナーとか作ればいいよね、
それをしないで、「不自由な障害者が頑張ってます!感動ですね!!」ってやってるから、うんざりするんだよ。
まあ今のテレビじゃ無理だろうけど。
仕事なんだから当たり前かもしれないが、チャリティー番組と銘打ってる以上、受動的ではなく能動的に「ギャラはいらないので出演します」ぐらいは言えないのかなと思う。
その君が手にするお金で何人の人が救えるのだろう?
2.お涙頂戴の過剰演出
身体障がい者の方が何かにチャレンジすることは素晴らしいことだと思う。
それを見てすごいとは思う。
でも良い大人がスタジオで涙で顔をぐちゃぐちゃにするほどなのだろうか?
全く理解できない。
笑顔で「よく頑張ったね、すごいね」と言えないのだろうか。不思議だ。
もう普段から全く運動しないような人に走らせるのはいい加減やめないか。
今年は運良く猛暑を逃れ、涼しく走りやすい気候になった。(素人なのでそれが良いことかはわかりません)
でも、「熱中症に気をつけろ」「激しい運動は控えろ」だの散々注意勧告してくる報道の人間がぶっ続けで長距離を走らせている事実についてどう感じているのだろう。
それに、苦しそうに顔を歪めながらマッサージを受けて、走り続ける姿を見て感動する人間はどのような思考をしているのかわからない。
4.2日限りの募金活動
なあ、それは365日できないのかな。
芸能プロダクションが何社か協力して、小さめの会場でも借りて、日替わりで何人か募金活動でもすれば一年で数え切れないぐらいの大金が集まるのではないだろうか?
この世には未知の難病があって、数え切れないぐらいのたくさんの人が苦しんでいるのもわかっている。
けれど、それを世に広める方法が間違っていると思った。
まず、無理矢理やらせてるようには見えない。
難病の子がジャイアンツの選手とキャッチボールするのも見たけど、その子は喜んでたよ。
ですが、それはちやほやされている人に嫉妬してる人が言っているだけだと思います。
それは見世物ですか?違いますよね?自分から世の人に見てもらいたいから書いているわけですよね?
企業が売名してるとか芸能人が売名してるとかそういうこという人もいるけど
そういう人がサエコが熊本の震災に募金したっていうインスタグラムを叩いたんだろうなって思いますよ
有名な「やらない善よりやる偽善」
その通りだと思います。
あなたは24時間テレビ批判以外に障害のある人のためになることしているんですか?
やらない善は価値無いですよ。
あなたの意見には24時間テレビが無くなったら福祉車両とかの寄付はどうするんだって僕の懸念に対しては何も反論出来てないですよね?
現実に24時間テレビから福祉車両を寄付された福祉施設があって助かっているならそれは24時間テレビが役に立っている証拠じゃないですか。
b:id:misisippitan 言ってることすごいわかる。/24時間テレビより24時間テレビ批判してる人のほうが世の中にとって有害だからなぁ。 - misisippitan のコメント / はてなブックマーク
b:id:dotamania 障害のある人だけでなく、震災の被災者も支援しているからな。/私事だが、娘がジャニーズに会うために募金に行ったからそういうのもありだと思う。 - dotamania のコメント / はてなブックマーク
b:id:kusanagi_smap 私も24時間テレビは好き。津久井やまゆり園の事件の時も散々言われていたが、不寛容な社会になったって事なのかねぇ。 - kusanagi_smap のコメント / はてなブックマーク
以下追加予定
募金しているの?
アイスバケツチャレンジの批判の時も思ったけど、
アイスバケツチャレンジでALSの研究費用が集まるならいいじゃないか。
なんだかんだ難癖つけてアイスバケツチャレンジやめさせてALSへの募金はどうなった?
批判した人がアイスバケツチャレンジで集まるはずだった募金額寄付するの?
24時間テレビも同じで、募金で福祉車両とか寄付してるわけだろ。
批判している人はそれがわかっているのか?
あと障害のある人が24時間テレビだから泳いだり山登ったりできるわけじゃん。
普段は障害があるからって諦めてることを24時間テレビが支援して夢を叶えている事がダメなの?
そういうのすごい心狭いと思う。
俺は国会議員をやっているのだが(信用されなくても構わないが)
国の税金ですべての福祉施設に福祉車両を買ってすべての難病の研究費用も全部出して。。。
ってどうやりくりしてもできないからね。
擁護派は遠くを見る視点、批判派は近くを見る視点、かなぁと。もうちょっとわかりやすく言うなら、擁護派は理想主義、批判派は現実主義。
批判派は一貫して『このJK個人』が救われる対象に足りうるかということを問うている。
一方擁護派はJK個人を見ているのではなく、『このJKのような属性にある人』を見ていると一連の意見を読んで思ったよ。
で、JK本人は○○ちゃん募金のように『自分個人』を救ってくれとは言っていない。自分のような人がお金の問題で門戸を閉ざされることがないように、ということで活動をしていると。
まぁそこで彼女をそんな活動に誘い込んであまつさえNHKのインタビューに出させた何者かがいるわけだが、そこは置いておこう。
さて、JK批判派は現実主義と呼んだが、あくまで正確な表現は近くを見る視点、だ。つまり、JK個人と、それに比して自分を見ている。自分や身の回りと比べて、このJK個人がそんなに貧しそうには見えないし、しっかりすれば貧困ではない生活が送れる、と判断している。
でもさ、問題はこのJK個人にあるのではなくて、似たような貧しさを持つ人々全体にあるだろ?って言っているのが擁護派。だから擁護派はJK個人が浪費していたかどうかは重要視しない。彼女のお金の問題で進路をあきらめた人、という属性を重視している。その属性を重視するからこそ浪費と貧困についての持論をぶったりもしている。
JK批判派は自分のお金の感覚と自分の肌感覚がだいぶ近い人々だろう。
一方、擁護派は自分のお金の感覚が肌ではなくて脳の中にある人なんだろう。
どちらが正しいかを考えるのは意味がない。正しいかどうかなんて自分の感覚でしか計れない。
この件で一番大事なのは、お金の感覚が同じ日本人でもこんなに違う、というのがあらわになったということだと思う。批判派にとっても、擁護派にとっても。
なぜ自分とは違う意見の人がいるのか?自分の知らない世界がこんなにも身近に広がっている、その当たり前だけど見えにくい事実が見えた一件だと思う。