外なエピソード
おもしろいことに、光秀の性格を窺わせる、菓子関連のエピソードが残っています。天正10年(1582)6月2日、本能寺の変で信長を討った数日後のこと。京の人々が光秀に粽を献上しましたが、光秀は笹の葉の包みもとらずに粽を口にいれてしまったそうです。信長を倒したものの、あてにしていた援軍もえられず、いらだっていたためでしょう。京の人々はその姿を見て、この程度の人物かと、光秀の器を見限ったそうです。(『閑際筆記(かんさいひっき)』より)光秀は和歌・連歌を好み、茶湯をたしなむ文化人でもありましたが、この時ばかりは動揺を隠せず、自分を失っていたのでしょう。
https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/historical-personage/032/
これどういうことだろうか。
イライラして動揺してる姿が上に立つ器ではない、というエピソードなのだろうか。
説明不足だなあ。
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兵糧丸、今でいうクランチバーとかスニッカーズみたいなものだろうな