はてなキーワード: 萌えキャラとは
三年ほど前から絵を描いている。
アニメってすごいなーおもしろいなー女の子かわいいなー自分であんなのかけたらなーと思った
それまで、絵を描くこと自体は割と好きだったけど、真剣に描いたことはなかった
萌えキャラの真似をして描いてみたりしたけど、中々上手くならない。
下手だったけど、描くのは楽しかった。
アニメを見る時、キャラクターがどんなポーズをしているか見るようになった。
他人の絵を見る時、どういうところに拘っているのか知りたくなった。
広告を見る時、どんな色遣いをしているのか気にするようになった。
絵を描くようになってから、今までぼんやり見てきたもの全てが新鮮にうつる。
新しい世界が開けたような気がしてる。
今も絵は下手だ。
それでも、描き続けて、自分の好きなものが何かを意識するようになって、
方向性が定まってきた。
今後も一生絵を描いて生きていきたいと思っている
このマンガ知らなかったけど、いまwiki見たら、むちゃくちゃ面白そう。
俺こういうの好き。読んでみる。ありがとね。
ただな、画像検索したら、萌えキャラ的にもいいと思うんだけど、わがままいってすまないが、俺、胸の大きい子より小さい子がいいんだ。
もっと言うと、大きそうに見えて、脱いだら小さい子が好き。
まあ、そんなことここで大声で言ってお前は何なのかということなんだけど、これは譲れん。
まだ100時間くらい続くよ。
でね。っていうか、俺が綾波が好きなことをカミングアウトできる友達が、何でいないんだろう。
俺にハルヒがどんな女かを教えるやつも、現れてもいいよな。
まあいいや、もう人と接する面倒だし、そんなの教えてくれなくていい。
別にもう、一人で楽しむから、萌えキャラとか。人と話すもんじゃないよね。
何だっけ。何書いてたんだっけ。こんな話じゃない。
そうだ、あいつ。誰だっけ。あいつ。梢江か。あいつの萌えどころが分からんのだけど。
いや、悪い子じゃないよ。大きな愛で抱きしめたりするし。あいつのこと、もう名前が出ねえな、アライだっけ。
元祖格闘マンガでいうと、葉子とかも、微妙だしなあ。素敵ですけどね?微妙だろ、やはり。
いまいろいろ考えたけど、格闘マンガのヒロインで、つくづく萌えヒロインはいないと思った。
いたら教えてください。
要は二次元のような「ジェンダーロールに素直に従って可愛い女を演じてくれる女子」が欲しいなら、自分もジェンダーロールに沿った勝ち組男にならねばならない。同性との競争から逃げ「弱者男性」を名乗りたがるのに、女に対してだけマッチョになりマウンティングしたがる男はバカにされる。
https://twitter.com/NATSU2007/statuses/147360885797691392
最近の萌え美少女は女性ジェンダーロールに従っているわけではないと思う。
有能である、戦える、勇気がある、権威がある、などの「理想男性」要素と、
美人である、若い、可愛げがある、処女である、などの「理想女性」要素の両方がある。
二次萌えは「女にはこうあって欲しい」という押し付けではなく、「男性にとっての理想の"人間"像」を眺める行為だと感じる。
だから美少女もののエロ漫画でも、美少女キャラ側に感情移入する男性読者が居る。
逆に美少女を犯す側に移入する人は、「理想の人間を食べる」ことで自分自身が充たされる感覚があるのではないかと思う。
有能である、戦える、勇気がある、権威がある、などの「理想男性」要素と、
台湾の合計特殊出生率が1.00を下回って世界最下位らしい。(日本は1.27)
その理由を考えてみると台湾人は二次元の世界に行ってしまっているせいではないかと思う。
まず台湾版コミケであるファンシーフロンティアというイベントが開催されててコミケ本家に続いて世界2位の規模らしい。
台湾の人口が2000万人ちょっとであることを考えると台湾人の二次元志向がかなり強いことが伺える。ついでに台湾マイクロソフトは「藍澤光」という萌えキャラを公式で使っている。
少子化は先進国の証明みたいなものなので、台湾こそ人類の最先端を走っていると言ってもいいだろう。近いうちに子どもを作る手段は人工培養が当たり前の時代が来るから少子化でも問題ない。
このエヴァ騒動によって一時、オタクは「萌え」と「サブカル」に大分裂した。「萌え」系オタクは、エヴァでいえば綾波レイや惣流・アスカ・ラングレーなどの萌えキャラにハァハァしていた純粋オタクの系統であり、「サブカル」系は、オタクよりも恋愛資本主義の側に擦り寄ってオサレ系を目指した連中だ。
だが、あれから数年、どうなっただろうか?
そう、サブカルは市場として成立せず、萌え市場だけが拡大したのだ。サブカルは短期間で事実上滅び、講談社のノベル雑誌『ファウスト』のような「半萌え・半サブカル」形態によってかろうじて命脈を保っているばかりとなった。
これは当然の帰結といえる。
オタク文化そのものが「二次元>>>>>>>>>>三次元」という前提によって威力を持てる妄想の文化である以上、サブカルが「三次元>>>>>>>>>>二次元」とやらかしたら、オタクの大勢がサブカルから離脱するのは時間の問題だった。
この「サブカル」ってのを「一部の批評系」にしたらしっくり来る。
萌えオタ罵倒してフニャフニャ主義だとか言ってた本人が、いざ容姿を出すと初音ミクの痛車よりも映像映えしないリア充ならぬリアル三十(さんじゅう)だったり、映像だと(字幕の向こうの群衆におびえて)大人しくなりキャラ崩壊してたりとゼロ年代批評はいろいろありました。
『電波男』は要するに「萌えには階級格差を無化する力があるんだ!」という本です。現在は『はがない』『IS』『けいおん!』など、良かれ悪しかれそうした表現が主流になりつつある。いかにも小泉構造改革以後の空気感みたいなのと関連付けやすい『カイジ』や『ウシジマ君』は有名になったけれど、なぜ彼らはアイドル(=偶像)になれなかったのだろう。
代わりにネットオタクの偶像となったのは『初音ミク』や『アイドルマスター』や『ラブプラス』それに『けいおん!』だった。
そして社会に出て自らの文化的アイデンティティを主張できたのは、『スクールカースト』ではなく痛車と聖地とローソンだった。そこにある想いは「余暇の時間まで勝ち組・負け組を意識させられ自己啓発されるのはキツい」というあたりまえのものだろう。
それすら許せん、となにかと理由をつけて萌えオタ罵倒してた件の人物は映像に出たらしょぼしょぼで(以下略。
映像やまとめサイトが「差異化ゲーム厨」への抑止力になるならば、少なくとも差異化ゲーム厨が野放しな環境よりは良いと思う。まあともかく萌えからフニャフニャ主義への流れなんてなくて、フニャフニャ主義こそむしろサブジャンルに過ぎないっつうか、萌えだけで刺激が足りない時に触れる程度。
ようするにゼロ年代は「差異化ゲームの思想」ではなく「無関連化する思想」が勝利した。2005年の段階でこのことを説明し得た『電波男』は、フニャフニャ主義本よりもよっぽどゼロ年代の「正史」を正しく語っている。
※作成にあたりhttp://anond.hatelabo.jp/20081215174950を参考にしています。元記事書いた方、勝手に使ってごめんなさい:-/
嫁をアイコンにしてる人々。一番多い?
憧れてます。
就職が心配されます。やたら言うのは良くないけど、頑張って下さい。
一般に浸透してきた証拠ですね。
きっと花開く。おそらく。
ただただ、和やかです。
見た事無いんですが…
○chに比べれば緩くていいです
お世話になります。
未だ出会った事が無いのは何故
この方々にはセンスが要求されますよね
DMC3序盤で苦戦してるんですがどうすれば←
ストリートファイターってまだ出てるんですね・・・
まとめても大丈夫でしょうか
僕の事ですか分かりません
ぐんまけん!
僕のこ(ry
うっかりというかやはりというか、中途半端に終わってしまいました:( しかもしょーもないコメント付き。
対象の考察も、対象の価値も、それを取り巻く人たちすらも、全部自分で定義して、勝手に納得してる。
多くの人が「違和感」を感じるのも当然。
恐らく、この辺りも独り善がりな「理解」になってると思う。
似たようなスタンスで書くとこうなる。
これらの「理解できない」言説は、大抵「それが理解できない」と言う表明に意味があることが多いので、その言い訳に着目しても意味が無い。
「萌え絵が理解できない」という表明がどの様に働くかといえば、「俺の感性は低俗じゃないぜ」というもの。
もちろん時と場合によって「ボクはオタクじゃないからね」も意味する。
(おれはオタクだが、職場では「何が良いかわからないよな」と常に言っているから)
批評クラスタには、「萌え」を媚と言って低くみなすものが多い。
初音ミクもキャラクター性さえなければ評価できたかもしれない人が、あの萌えキャラの為に否定せざるを得なくなり。