はてなキーワード: 歴史観とは
「6.11新宿・原発やめろデモ」において発生した、20歳学生に対する集団リンチ
「6.11新宿・原発やめろデモ(http://611shinjuku.tumblr.com/)」において、20歳の学生に対する、集団リンチ事件。
「ヘイトスピーチに反対する会」有志
柏崎正憲 栗原学 常野雄次郎(@toled) ほくしゅ(@hokusyu82) 山口素明 ほか2人
なんとなく重要そうな所を太字にしてみた。
「国際常識を身につけるため、国旗、国歌に敬意を」 国歌斉唱時の起立命令は合憲 最高裁が初判断
卒業式の国歌斉唱で起立しなかったことを理由に、退職後に嘱託教員として雇用しなかったのは違法として、東京都立高の元教諭が都に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、起立を命じた校長の職務命令を合憲と判断し、元教諭側の上告を棄却した。都に賠償を命じた1審判決を取り消し、元教諭側の逆転敗訴となった2審判決が確定した。
最高裁は平成19年2月、国歌伴奏を命じた職務命令を合憲と初判断したが、国歌斉唱の起立命令に対する合憲判断は初めて。
1、2審判決などによると、元教諭は16年3月の都立高の卒業式で起立せず、東京都教育委員会から戒告処分を受けた。19年3月の退職前に再雇用を求めたが、不合格とされた。
同小法廷は判決理由で、卒業式などでの国歌斉唱の起立は「慣例上の儀礼的な所作」と定義。起立を命じた職務命令について「個人の歴史観や世界観を否定しない。特定の思想の強制や禁止、告白の強要ともいえず、思想、良心を直ちに制約するものとは認められない」と指摘した。
「国際常識を身につけるため、国旗、国歌に敬意を」 国歌斉唱時の起立命令は合憲 最高裁が初判断
その上で、「『日の丸』や『君が代』が戦前の軍国主義との関係で一定の役割を果たしたとする教育上の信念を持つ者にとっては、思想、良心の自由が間接的に制約される面はあるが、教育上の行事にふさわしい秩序を確保するためには合理的だ」との判断を示した。
判決は4人の裁判官の全員一致の意見で、うち3人が補足意見を付けた。竹内行夫裁判官は「他国の国旗、国歌に対して敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも、まず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」とした。
1審東京地裁判決は21年1月、職務命令の違憲性を否定したが、「起立しなかったのは1回だけで不採用は裁量権の乱用にあたる」として都に約210万円の賠償を命じた。2審東京高裁は同年10月、職務命令の合憲性を認め、命令がある以上、元教諭は従う職務上の義務があるとして、1審判決を取り消し、逆転判決を言い渡した。
だ、そうな。
Togetterでy_arim氏の立てた「とある午前の左右論争」というトゥギャりの紹介文にて
「以前「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議って考えてみるとやばくね?先住民だぜ。つまり日本人が攻めてきて彼らの土地なんかを奪っていったってでっち上げられる可能性が」とつぶやいていた@hiriumi氏(シアトル在住)と朝のご挨拶。ちなみに@metatran氏はぼくの知人で、外国人参政権反対派の在日アメリカ人。
と触れられていながら、まとめが用意されていなかったy_arim氏とhiriumi氏のやりとりをまとめてみた。「とある午前の左右論争」が2010年3月2日、以下のやりとりはそれから約二週間前のことになります。
以下はすべてtwitter検索から再構成、すべて時系列順です。
hiriumiによる問題定義。
hiriumi 2010-02-16 14:21:04
なんか民主党ががんばっている政策って日本を壊すことだけ。外国人参政権、夫婦別姓、日本人を差別する人権擁護法案、公共事業の削減、アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議・・・どんだけ?日本人そんなにいじめて楽しい?
hiriumi 2010-02-16 16:06:34
アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議って考えてみるとやばくね?先住民だぜ。つまり日本人が攻めてきて彼らの土地なんかを奪っていったってでっち上げられる可能性が。
y_arim登場。
y_arim 2010-02-16 17:50:55
y_arim 2010-02-16 17:52:25
自国中心主義が登場するとつながりますね。 RT @hiriumi: なんで自国を思うことが他国を蔑むということに繋がる?ってか国と国って基本ぶつかり合いでしょ。
y_arim 2010-02-16 17:55:53
妄想です。 RT @lgaimmk7: @hiriumi 戦争放棄、武力放棄、ってのが究極的になったものが、外国人参政権ですからね~。自分の命がかわいい。戦争したくない。武器はもってはいけないとなると、外国人に合法的に侵略していただこうってなりませんか?
hiriumi 2010-02-16 17:56:58
@y_arim 自国中心主義は現在日本は奨励していますか?ODAとか国際協力めちゃめちゃやっているでしょ。それなのに日本は理不尽に叩かれ続けている。多くの日本人がいい加減にしろ!という気持ちではないですか?
hiriumi 2010-02-16 17:58:28
y_arim 2010-02-16 17:59:17
@hiriumi 多くの日本人というのはどのあたりの方々でしょう? 少なくともあなたがそう思っていて、ぼくはそう思っていないことはわかりますが。
hiriumi 2010-02-16 17:59:51
@y_arim そんなの知らんがな。世論調査なんかしてないし。w
y_arim 2010-02-16 18:00:12
@hiriumi なるほど。ぼくは以前ウヨクでした。
hiriumi 2010-02-16 18:01:05
@y_arim んで?純粋まっすぐ君は何が言いたい?
y_arim 2010-02-16 18:02:10
@hiriumi じゃあ多くの日本人を想定するのはとりあえずやめておきましょう。代表するのは自分自身までにしておきたいです。
y_arim 2010-02-16 18:02:17
@hiriumi じゃあ多くの日本人を想定するのはとりあえずやめておきましょう。代表するのは自分自身までにしておきたいものです。
hiriumi 2010-02-16 18:03:35
@y_arim いや多いよ。
このあたりからhiriumiとumetenによる小さなやりとりもあったのだが、割とどうでもいい言葉遊びなので除去。
y_arim 2010-02-16 18:05:43
@hiriumi 右曲がりなやり取りがたまたま目に入ったので突っ込み入れたまでの話です。
hiriumi 2010-02-16 18:07:00
@y_arim 無駄だったね。w
y_arim 2010-02-16 18:11:11
@hiriumi しかしまあシアトルにいらして、ご自分がマイノリティの立場に立ってなおそのようなお考えとは。日本にずっといるか否かは思想傾向にあまり関係ないのでしょう。
y_arim 2010-02-16 18:11:18
@hiriumi しかしまあシアトルにいらして、ご自分がマイノリティの立場に立ってなおそのようなお考えとは。日本にずっといるか否かは思想傾向にあまり関係ないのでしょうか。
hiriumi 2010-02-16 18:13:15
@y_arim 私の考えのどこが悪かった?突っ込まれたところがよくわかってないんだけど。
hiriumi 2010-02-16 18:15:26
y_arim 2010-02-16 18:16:06
まずこれ。でっち上げとは如何に? あなたの歴史観はどうなっているのか。 RT @hiriumi: アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議って考えてみるとやばくね?先住民だぜ。つまり日本人が攻めてきて彼らの土地なんかを奪っていったってでっち上げられる可能性が。
hiriumi 2010-02-16 18:18:18
@y_arim 歴史観はどうなっているのか言われても。よくわかりませんけど。もっとちゃんと質問してください。
y_arim 2010-02-16 18:19:24
そもそも「サヨク」には社会民主主義から無政府主義まで含まれて多種多様、こんな単純明快なものはない。むしろこの「サヨク」は右派の妄想では? RT @hiriumi: これがサヨクの本当の思想なんでしょうね。おおコワ。
y_arim 2010-02-16 18:21:00
hiriumi 2010-02-16 18:21:02
y_arim 2010-02-16 18:21:44
hiriumi 2010-02-16 18:21:47
それを知ってもらいたくて議論を。ありがとうございます。RT @lgaimmk7: @hiriumi チャンネル桜でアイヌの真実が語られています。それを参考にしてくださいな。昔の歴史はよくわかりませんが、今、昔差別を受けた人間がのさばっている現実を知る必要があると思います。
hiriumi 2010-02-16 18:24:39
@y_arim サヨクというのは人権、平等、自由、反戦平和を唄って気持ちよくなっているうす甘い戦後民主主義平和教育を受けてきたあなたのような人を言います。これが定義ね。
hiriumi 2010-02-16 18:25:50
やべ、もう1時半だ。ねよ。
hiriumi 2010-02-16 18:29:17
@y_arim あと、最後に日本人はアイヌ居住地域を侵略なんてしていません。99%異常が和人との混血です。差別はあったと思いますが、侵略なんかしていません。弱者権力という言葉ご存じですか。
hiriumi 2010-02-16 18:29:38
ここでhiriumi就寝。夜のy_arimタイム。
y_arim 2010-02-16 21:14:51
茫漠としすぎてはいますがそれはいいとして、かなりその恩恵受けていますよねお互いに。 RT @hiriumi: @y_arim サヨクというのは人権、平等、自由、反戦平和を唄って気持ちよくなっているうす甘い戦後民主主義平和教育を受けてきたあなたのような人を言います。これが定義ね。
y_arim 2010-02-16 21:17:18
混血に至った経緯は如何?ちなみに侵略しても混血します。例:南米 RT @hiriumi: @y_arim あと、最後に日本人はアイヌ居住地域を侵略なんてしていません。99%異常が和人との混血です。差別はあったと思いますが、侵略なんかしていません。弱者権力という言葉ご存じですか。
朝のhiriumiタイム。前日のy_arimによるpost(2010-02-16 18:11:11)への返答。
hiriumi 2010-02-17 01:30:45
起きた・・・おお、昨日の自分の発言に返事がついてる。サヨクはどうしても日本人がアイヌを侵略したことにしたいらしい。嗚呼、どこまでMなんだ。wアイヌの真実。 http://bit.ly/a2qsui
hiriumi 2010-02-17 01:37:34
うむ、人権、平等、反戦平和を唄うのはいいが、事実を捏造してまで弱者権利を利用し、日本国を海外に犯罪国家だと宣伝している人たちに疑問を持つのです。どこまでM?w
hiriumi 2010-02-17 02:07:46
「あなたはアメリカに住んでいてマイノリティなのにそんな考え方か」というご指摘がありました。それに対してお答えしたいと思います。
hiriumi 2010-02-17 02:09:01
日本人は確かに第二次世界大戦中痛烈な差別にあいました。日本人というだけで収容キャンプに入れられ、それは酷い扱いを受けたそうです。
hiriumi 2010-02-17 02:10:16
hiriumi 2010-02-17 02:11:51
hiriumi 2010-02-17 02:14:46
そして自分はその恩恵を享受しています。日本人だからということのみで給料が5000ドル上乗せされたことがありました。日本人のおじいさんやおばあさんが一生懸命築いてくれた日本人に対する信頼。それに感謝をせずにいられましょうか。
それに当てはまって、企業や国家も雑種的な、人の出這入りが流動的で多文化的な所の成功率が高かったりするんです。
さらには、戦前の日本ってそこまで血筋を重要視していなくて、結婚しても子どもができなかったら跡取りに拾ってきた子供を育てるなんて話しも少なくなかったそうですよ。
血筋を急に気にし始めたのは、戦後のここ最近あたりで、長い歴史観でみても血筋ってそんなに守る必要あるか?って話しを聞いたんですが、この話しはまさに目から鱗でした。
ボクも従来の血筋は守らないとなぁ、みたいな固定概念があったのですが、長い目でみて血筋より人間同士のかかわり合いの方が重要なのかと。
ずっと育ててくれた育ての親と一度もあった事のない産みの親、どっちが大事?って言われたら、やっぱり育ての親だと思うんですよね・・・
ttp://chiraurasouko.blogspot.com/2010/02/blog-post_6094.html
37 名無しさん@十周年 sage ▼ 2010/02/17(水) 01:39:09 ID:L/J2V5RF0
●民主党のやりたい事 マニフェスト詐欺で民意と嘯き外国人参政権法案を通す
CO2 25%削減:
外国人住民基本:
重国籍容認:
夫婦別姓容認:
靖国神社代替施設:
恒久平和調査局設置 :
1000万人移民推進:
鳩山談話
パチンコ換金合法化:
違法行為が合法に
脱北者が国内に定住できる ←←←←←←←←←←←←←←←←»1
●民主党のやった事
インド洋給油活動停止:
センター試験問題:
「外国人参政権は、憲法上問題なしと最高裁が判断した」が正解の問題を試験問題に
謎の復活
「XX大学のXX教授が一流誌にかいてらっしゃる!」っていう議論の進め方は、
あんまり面白くないんじゃないか。
「学術論文」ひっぱれば事足りる、という考え方が、根本にないだろうか?
たくさんの生の史料、ある限りの史料、少なくとも他の研究者が触れているだけの史料を
冷静に読み解いて、自然に浮き上がってくる物の見方というのが
歴史観であって、本来なら、部分部分、人様の論文を援用するときも、
自分はとてつもなくいい加減なことをしている、と恥ずかしく思わねばならんのだ。
「食べログ」読んで、どこそこのラーメンはうまいだのまずいだの、
やっぱり「坂の上の雲」はドラマ化しないで欲しかったなーと思っています。司馬さん本人が誤解を招きやすいから映像化は止めて欲しいって言ってたのに無理矢理ドラマ化したものだから、案の定いろんな批判が沸いています。
私の狭い観測範囲のなかで一番代表的にみえる批判は、司馬さんは日露戦争を祖国防衛戦争だと表現しているけれど、ロシア側に侵略の意図はなかった。避けられた戦争なのに防衛戦争とかありえないという意見です。
加藤陽子さんの「それでも日本人は『戦争』を選んだ」を読むと、日露戦争直前に権力を掌握した極東総督のなんちゃらさんが、韓国取っちゃった方が安上がりですよとか皇帝に言ってたらしいのでロシア側に侵略の意図なしとはいえないんじゃないかなーと思うし、当時のロシアがトルコや満州にしていた仕打ちを考えたら、次は日本かもって当時の人達が恐怖するのも当然だと思うのだけど、まあそこらへんは歴史をきちんと学んでいるプロの方たちが論争しても中々決着がつかないわけだから素人には分からない事柄が色々があるんだろうから置いておきます。
私はたとえ司馬さんが間違ってたとしてもさほど問題ではないように思っているんです。
司馬さんは「坂の上の雲」をなるべくフィクションを抜きにして事実に即して書こうとしてますし、そう宣言もしていますが、それはあくまで司馬さんの中で事実だと思える内容を書くというだけのことで、読んでる方はそれを完全な史実だと思って読んでるわけじゃありません。
ただ司馬さんの歴史観を誤りだと批判している有識者さんたちは、その批判の理由を小説を史実だと勘違いされちゃ困る。国民の歴史観に影響を
与えかねないと言っています。
私は読み手はそれほど馬鹿じゃないし、盲信もしていないと思うんです。司馬さんはこういう風に日露戦争や当時の日本を捉えてたんだなー、凄いなー、面白いなーって読んでいるだけです。司馬さんは小説家ですから、エンターテイメントとして最低限の盛り上がりも必要だと思っていたでしょうしね。読み手はそれほど馬鹿じゃない。小説だと分かって読んでいる。私や私の友人はそれほど優秀な人間でもないけれど、司馬さんは無謬だとか思っていないし、思っている人を見たこともないです。
逆に批判している有識者さんたちにちょっとした思い上がりを感じるんですよねー。私たちは優秀で知識も豊富だから騙されないけど、お馬鹿な読者はころりと騙されて変な方向に突っ走っちゃうかもしれないから、司馬さんの小説を批判して目を覚ましてあげましょう。啓蒙してあげましょうって。大きなお世話ですよね。ちょっと悪く書きすぎかもしれませんが。
子供達が影響受けちゃうから犯罪小説禁止とかと同じ流れな気がして嫌なんです。そういう批判をする人が現れるから、誤解を招きにくいように誤解を招きにくいようにとびくびくした無味乾燥な物語ばかりになってもつまらないじゃないですか。
同じ小説を読んでも、こういう犯罪の手法があるのか気をつけようって読む人もいれば、単純に物語として楽しむ人もいるし、この手法で犯罪を起こせるかもって思う人もまれにいるかもしれない。でもそれは書き手の罪ではないし、それを恐れてつまらない物語が増えていってもしょうがないと思うんですよね。
ただまあ、司馬さんの影響力っていうのは確かに大きいです。司馬さんの小説を読んでいる人数は、その関連の歴史書を読んでる人数の何倍もいるでしょうから、そのうちのいくらかは勘違いしちゃう人が出てくるかも知れません。だからその人たちの為に批判をするんだっていうのだとしても、やっぱり言い方ってものがあるんですよね。
もうちょっと司馬さんを立てた表現ってのを出来ないものでしょうかねえと。司馬さんの小説には何の罪もないはずなのに、司馬遼太郎の歴史観をぶった切るみたいな批判の仕方をする人が少なくないでしょう?別にぶった切らなくても、司馬さんの小説は面白いけれど、現在の研究ではこういう論もあるのです。こういう視点もありますよでいいじゃないですか。なぜ叩かずに別の価値観を提示出来ないのかなーと残念に思います。
「過去の栄光にすがるな」とは言え、回想に浸ってみる。ターゲットが未だ定まっていないからだ。
これは何かの自己啓発本に書いてあった「謎解きのヒントは自分の過去に必ず在る」という物で、
「先ずは自分を見つめ直せ」といったごく在り来たりなフレーズに耳にタコが出来そうになる物のフロイト的にもオールオッケー。
それがどんなに下らない物であっても一通り書き下すと良い。しかし後で必ず捨てろ。生ゴミは持ち歩かない方が身の為だ。
「大文字の歴史」と「個人史」の間には必ず偏差が在る。否、「大文字の歴史」は宗教と同様「何者かに決められた個人史」の可能性も否めず、
大文字と小文字の間に偏差が在る事は誰にも簡単に理解出来るが、しかしそのバリューは誰にも計れない。
話を戻そう。
2つの「大文字の歴史」ここは手軽にウィキペディアの写しを並べ、しばし考えた後、“あえて”片方を逆にした物が前回だ。
これは「進化論」あるいは「疑似科学的なハッタリ」とも言えるカマしだが、進化論からすれば「進化」と「退行」は同じ物である。
(勘ぐるに「大人」とは「退行を良しとしないが、進化も止めた人」と読めるが、それは行き過ぎだろう。)
別にどう読んで頂いても構わないが、「この2つに相当性が見受けられる」という結論に落とし込まざるを得なかった。
これはロマンチストに依る完全なる空想の産物であるが、決定的事実に見せかけるには十分であったと思う。
結局個人史という物は捏造も修正も幾らでも可能だが、大文字の歴史は簡単には曲がらない。そこを上手く誤摩化して撹乱させた。
ワタシの偏愛する文章の大半は「どの様にでも読めるが、結局どの様に読んでも同じ」「自由かつ不自由」という不気味な拘束具だったりする。
〜T.H.
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英紙フィナンシャルタイムズ(9月9日)速報に拠れば、中国はオフショア市場で初めての人民元建て国債を発行する。
香港のオフショア市場を利用して総額60億元を世界の投資家から調達、発行は9月28日。ただし利率、償還期間の詳細は不明。
これは中国の通貨戦略の具体的発動で、自国通貨のハードカレンシー化への第一歩であり、注目される。
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ウラジオストック、ナホトカ紀行(その3)
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(承前)
ウラジオストックの中央広場にあるフェリー乗り場からおんぼろフェリーでルースキー島へ上陸して驚いた。
道路はぬかるみ、舗装は溶けて泥道、大雨のあとの水たまりの悪路を日本製のランドクルーザーが進むが、生い茂った森林の伐採作業場ばかりが続き、激しい凸凹道に車酔いを感じながら一時間後、ようやくイベント会場となる現場に到着した。
普請の騒音が高い。
現場は日本製のクレーンが林立している。ブルドーザ、シャベルカーも殆どが日本製だ。そうか、日本抜きにして開発は成り立たないんだ。
建設現場の横に長い看板、「2012年APECサミット会場」(ロシア語)がなければ何の工事かよく分からない。俄かづくりの観が否めない。アゼルバイジャンなどからの流れ者労働者が混在している理由も分かる。
建材や鉄骨が臨時の波止場に積み上げられ、労働者が居住するプレハブのマンションが周囲に建っている。「でも冬は零下二十度になるというのに、あんな住宅で大丈夫か」と問うと「真冬は工事が中断」という答えが返ってきた。会場になるコンベンションホールも外国代表の宿泊予定のホテルも、まだ影も形もない。
ふたたび鋼鉄が錆びてぼろぼろのフェリーでウラジオストックへ戻る。80歳を越えた老女がスターリン勲章を沢山つけて誇らしげに入ってきたので、意地悪な質問。大祖国戦争って何ですか。
▲ビルが林立して壮観だった
さて船から市内を眺めやるとウラジオストックは意外にも高層ビルが林立して壮観である。港には軍艦が三隻、写真を撮っても誰も咎めなかった。
瀟洒なレストランで豊饒なメニューの昼飯のあと、名物の「潜水艦C56博物館」を見学した。戦争博物館を兼ねる。
展示内容が「大祖国戦争」と「第二次世界大戦」ばかりでソ連軍の満州侵略に触れていないのはロシアの歴史観だから仕方がないにせよ、「日露戦争」の記述があまりにも少ない。ガイドに理由を問うと「あれ(日露戦争)は『小さな戦争』ですから」と答えたのには驚いた。
翌日、立派な高速道路を飛ばしてナホトカへ行く。
ナホトカは狭い町で展望台に登ると港湾全体が見下ろせる。
港は撮影禁止と聞いていたが、軍事施設もなく、石炭のバージ船が沖合待ちをしている程度、かつて日本のバック・パッカーの出発点だったシベリア鉄道の始発駅は閑散としていた。
ナホトカで一番大きなホテルは中国資本の遠東大飯店(ユンドァン)という。わざわざ見学に行ってみたが、ほぼガランドウに近く、対岸側にあるチャイナ・タウンの長い長い商店街も人が殆どいない。門前の四階建てのホテルは中華風のつくりだが、そもそも中国人客の姿がない。
▲チャイナタウンは火が消えていた
中華門の傍で焼き鳥を焼いている中年男に「中国人か?」と訊くと「そうだ」。
「商売はどう?」、「うぅん最悪に近いな」。「中国人を殆ど見かけないが?」、「そうさ、北朝鮮、キルギス、ウズベキスタン、そしてアゼルバイジャンからの安い労働力に奪われ、殆どの中国人は帰ったよ」と言う。
われわれ四人組が泊まったのはナホトカで高級な、ガイドブックにも出ているピラミッドホテル。だが、これとて民宿に近い。地下のレストランは客も疎らで、ウラジオストックの繁栄ぶりに比べると天地の開きがある(ただし味は旨かった)。
ナホトカの町を歩いている女性のセンスも田舎風で流行遅れ、所得格差が歴然としており市内唯一のデパート「グム」を見学して品数の貧弱さに唖然とする。書店は絵本と小説くらいしかない。村上春樹の翻訳? ナホトカでは見かけなかった。
2006年に524人の遺骨が収容され、慰霊祭も行ったというナホトカの日本人墓地は台座が毀され荒れ果てていた。
慰霊祭から僅か三年後、お墓だった場所は草ぼうぼう、日本人墓地の標識は落書き、おそらく大理石だった台座がインテリアの飾りにでも使うのだろう、殆ど盗まれて、まるでハゲタカの被害にあったような荒廃ぶりである。
ウラジオストックにあったお墓のほうが立派で、墓園の入り口には花屋もあったのに。
ホテルの裏にこれ見よがしにあった日ロ友好の壁が虚しい気がした。
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通巻第2703号
銃というもの(特にライフル銃が出現してから)が戦争のスタイルを変え、戦闘
にロマンもへったくれもなくしたという歴史観を僕は持っています。これは個人
的な感覚なのですが、ファイナルファンタジー7は序盤の敵との、銃での戦闘に
うんざりしてやる気が大きくそがれました。その後、僕が最後までプレイしたFF
は9だけです。(11もそれなりにやったか)
銃でのRPGの戦闘というとトラベラーを思い出します。(テーブルトークですが)
メガトラベラーはきちんと追っていませんが、初期のトラベラーのシステムでは
人間同士の銃器戦闘をすると。プレイヤーも含め死亡者続出です。バトルドレス
といった防護服をつけていれば別ですが、弾が当たれば基本パラメーターにダメージ
が出て戦闘自体ができなくなります。まぁ、バトルドレスも基本的に軍用なんで
入手困難なんですが。結果的にトラベラーは「いかに無駄な戦闘をしないか」と
いう路線に入って、ハック&スラッシュの爽快感がなくなった気がしますね。
話がかなりそれましたが、スペオペも含めてファンタジーの系列のゲームで銃を
出すときには、バランスなり設定なりをもうすこし考えてほしいと思いますね。
※個人的に「銃を出しても良いシチュエーションやシステム」というのは考えて
いるんですけど、これは一応内緒。
単に幕末維新の歴史の知識だけなら、百科事典講釈師のような物知りも沢山いるが、この対談は人物評が現代的で、政治家として官僚としての力量を問う通信簿的な作業でもあり、ことごとくがリアリスティックなのである。
しかも幕末維新を、本筋を外さないで不思議な逸話で溢れさせ、しかし歴史観の骨髄をしっかり守っている。
経済の視野から薩長と会津を比較してみると、京都守護職を越前の松平春嶽から押しつけられた会津の松平容保は、財政的艱難辛苦に耐えなければならず、藩士1000名の京と駐留経費の捻出は並大抵ではなかった。京都は島原の遊郭で遊ぶカネがなく、だから会津武士は京都人から嫌われ、薩長はすかれた。
なぜか。長州は竹島経由で、薩摩は沖縄を梃子に「密輸」をやっていて資金が潤沢、最新鋭の軍艦も鉄砲も買えた。中村彰彦によれば加賀前田藩も日本海の北と密貿易を展開した銭屋五兵衛を黙認した形跡があるという。
密輸で設けた諸藩の志士らは、経費をちょろまかして島原で遊興もできた。
本書で両人からコテンパンな酷評を受ける一つは御三家のなかでもイデオロギーの強い水戸藩、天下の副将軍と勝手に僭称した水戸光圀は、伝説では「名君」だが、じつはとんでもない御仁だった。
水戸学が、やがて水戸藩を分裂させ、悲惨な内訌が天狗党の悲劇を生んだが、じつはその後も明治三年まで復讐劇が続き、難を逃れて群馬や栃木あたりに逃げ、その末裔が現在もいるという後日談も、なんだか、西南戦争に負けた西郷軍のうちの1500名ほどが台湾へ逃れ、現地民に同化したという歴史の裏面の話に通じる。
本書は、薩摩が長州と歴史意識も政治構造も科学・天文学への心構え、軍事思想など似ているようで全く異なることを、これまた目から鱗のように別の視点からえぐり出している。
たとえば坂本龍馬が斡旋した薩長同盟の基軸の発想は公武合体の実現だった。
山内教授は「オーストリア・ハンガリー二重帝国」の例があるように、天皇を頂き、徳川と薩長が二分するアイディアの存在を告げる。
イギリスのオールコックなどの歴史観や世界の情勢から、倒幕に踏み切っていくプロセスで西郷、大久保は坂本が邪魔になったという闇の部分にも光を当てる。これは中村がまだ直木賞受賞前にかいた『龍馬伝説を追う』(世界文化社)にも詳しい。
また榎本武陽の「蝦夷共和国」構想も、じつはハプスブルグ家の「オーストリア・ハンガリー二重帝国」が発想にあった、と示唆する。
脱線ながら、評者(宮崎)が鹿児島は指宿の「伝承館」でみたパリ万博の記録展示の或る部分に驚いた。パリ万博は薩摩と徳川幕府が出展した。薩摩焼など、パリジャンの度肝を抜いた。ともにそれぞれの勲章をつくった。
薩摩は「薩摩・琉球国」として勲章をだした。つまり独立国として、国際社会にアピールしていたわけである。
もう一人、こっぴどく批判されているのは福沢諭吉だ。
福沢が欧米派遣のおりに経費を誤魔化して図書を買いあげたが、それは小学生程度の英語の本が多く、小栗上野介は「あの男の選択眼は節穴、語学能力はその程度だ」と評した逸話は有名だろう。
福沢は本来なら切腹ものだが、ばれて詮議にかかろうとしたとき徳川幕府が瓦解した。
他方では講釈やら近年の小説の裁き方や世評はともかくも、食えなくなった旧幕臣らの面倒をよくみた勝海舟と榎本武陽への評価が高い。
さて表題も示唆する「黒船来航以後」の話であるが、アメリカとロシアが日本にとって最初の接触だったのは、幕末の混乱期における日本にとって僥倖であり、もし英仏のような『ならず者国家』が日本に先に乗り込んできたらどうなっていたか。
シナにしかけたアヘン戦争のような略奪と、国内分裂は防げなかったのではないか。幕府はフランスに薩摩は英国に頼ったが、本気で内戦にのめり込んでいったら、日本は良いように利用されたあげくに英仏の植民地化されていた恐れがあった。
しかし幕末に徳川幕府をさしおいて薩長が最新鋭の武器を大量に買えたのも、その先見性や薩英戦争、馬関戦争敗北の体験から軍事知識と実践があり、おりしも南北戦争が終わって大量の武器をもてあましたアメリカから大量に買い付ける。
市場開拓を狙うドイツ人の武器商人だったスネル兄弟は河井継之助の長岡藩にガットリング銃を売りつけたが、会津に強力にテコ入れし、最後は榎本軍に従って函館戦争をともに戦った。
ドイツはむろん、英仏米露の隙間を狙って日本での武器外交が主眼だった。
しかし幕府敗戦により、スネルは代金を回収できず、兄はやがて会津武士団の食い詰め組を率いてカリフォルニアに移住したり、弟は御維新後、浅草で落語を聞いていたとか。脱線する逸話もまた本質に付随した、人間の描写なのである。
それにしても幕末維新を縦横に語る中村彰彦は歴史作家だから回天の内幕に詳しいのは当然にしても、なぜイスラム中世の専門家である山内昌之が、ときに中村を唸らせるほど幕末日本に精通しているのだろう。
もう一つ不思議に思ってきたことがある。山内昌之教授は、『世界』と『諸君』の両方に論文を書く器用な論客でもあり、保守なのか旧左翼なのか、いまもよく分からないところがある。
山内がいみじくも「後書き」に書いている。
国際会議で、オスマントルコ帝国の解体過程やイスラム政治の歴史と、日本の近世・近代との比較をよく問われる。国際的要請でもある。まして日本史を知らずして世界史を語れる筈があろうか、と。
最後節あたりの日露戦争から大東亜戦争に至る山内の歴史講釈には、ちょっと首肯できない史観部分があるが、山内教授の主観だから、その部分は聞かないことにする。
最近よく、文化、歴史、政治的側面から日本を賞賛するような記事を目にする。
こうした記事に目を通すと、事実と些か異なっていたり誇張されていたりするが、それは別段大きな問題ではない。
というのは、日本がよい国であった、あるいは日本がよい国であるという主張に共感する人が大勢いるという点がこの問題の本質であるのだ。
アメリカや中国といった超大国は多くの国民が国家の象徴である国旗や国歌に敬意を表している。
イギリスにいたっては、移民に対して女王陛下に忠誠を誓うことを義務づけている。
果たして、日本人の我々は国家に対して、象徴たる君主に対して敬意や感謝の念を抱いたことがあっただろうか?
否、我々は教育の中で徹底的に自虐的歴史観、自虐的正義感を植えつけられてしまっている。
そのために、「日本という国は悪である」という固定概念と都合のいい根拠だけを基に、国家の存在意義や価値を判断するようになった。
さらに言えば、国家や君主に敬意を表することは服従を容認することでなければ、その歴史を美化することでもないことに気付いていない人が多すぎる。
我々が脈々と受け継いできた文化や歴史を受け入れるということは、それらの中にあった過ち、例えば諸外国への侵略を正当化することでは決して無い。
にもかかわらず、そうした見当違いの思い込みや政治的な思惑で多くの日本人は日本に対する誇りや国民たる尊厳を失ってしまった。
この元凶は、戦後の荒廃した日本を目の当たりにした今の教育者層が我々を教育してきたことに由来する。
そうした人達にとって、彼らの戦争絶対悪、国家絶対悪というのは理解できないことも無い。
しかし、歴史を少しでも学べばそうした自虐的な価値観を持つ必要性などどこにも無いのだ。
ただし、我々が少なからず犯した戦争などによる過ちを美化することはしてはならない。
それが客観的な歴史観であり、子供たちに国家への真の敬意を示すことになる。
そういった前提で、「日本はすごい国だ」「こういった事をしてきたんだ」という記事を読むことで、内なる自尊心に気付かされるのは至極自然である。
私たちには誇るべき文化や歴史があり、現在では政治的経済的に世界に貢献している。
こういう主張をするとすぐに思考停止に陥り、虚無な反論を試みる人がいるが、「我々にとって」日本が素晴らしい国であることには変わりないのだ。
それが嘘だというのであれば、日本SUGEE!コピペを読めばいいだろう。中には誇張もあるが、概ね正しい。
それを読んでも日本が凄い国であると本当に感心できないのであれば、それも個性であろう。
パスポートを持っている人であれば、こうした文言を見たことがあるだろう。
「日本国民である本旅券の所持者を通行支障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を関係の諸官に要請する。日本国外務大臣」
我々の中には国を憎み、嫌い、怨むような人がいるが、彼らは大きな勘違いをしている。
あなたたちが憎んでいるのは「政府」であり、「国家」ではない。
政府があなたを小中学校に進学させ、政府が年金を管理し、政府があなたの生活や安全を保護している。
逆に、政府があなたの生活を圧迫させるような政策を行い、政府があなたの意にそぐわないような政策をとっている。
国家と政府の関係は政治学などで論ぜられるところであるが、重要なのは政府と国家を混同している人がいる点なのだ。
もっと言えば、平安時代には政府はなかったがそれと同等の機関が存在したし、鎌倉時代には幕府がその役割を担った。
そうであるなら、自分と国家を混同しその栄華に浸るのは愚かしく、我々の成長によって社会をよりよくしようとするのが真の愛国であり、国家への敬意の表し方である。
我々が政府に搾取され、騙される存在であり続けるのは、何も言わず何もしないからであって、社会の構造を変えるのは意志と行動のみである。
そこから脱却することで、我々は初めて、国家に対して誇りを取り戻すことができるのである。
リストの上位50冊くらいの中で歴史を取り扱っている本はあるか、あるとすればそれはどんな内容か、というのを追っていけば、大衆の歴史観を知るだいたいの目安にはなるだろう。
これで大衆の歴史観を知るのは無理だろう。ベストセラーといってもせいぜい数百万部。日本の人口の数%程度。これで把握できるのは大衆の歴史観じゃなくて活字好きの歴史観だろう。
最近やけに盛り上がっている東浩紀批判では、「歴史については実証的に捉えるべきだ」「歴史を“実感”で語るな」という方向性をよく見る。もちろんそれはそうだろう。
でも、実証するなら、もう一つ方向性があるよね。そもそも東の論では歴史をあんまり知らない大衆というのが視点の核になっているんだから、「歴史に接する可能性のある大衆について実証的に捉えるべきだ」という方向もある。
何で実証するかというと、大きな本屋やAmazonなんかが公表しているベストセラーリストだ。リストの上位50冊くらいの中で歴史を取り扱っている本はあるか、あるとすればそれはどんな内容か、というのを追っていけば、大衆の歴史観を知るだいたいの目安にはなるだろう。傍証として、テレビの視聴率番付やDVDの売上ランキング(またはツタヤの貸出ランキング)から「歴史モノ」をピックアップしていくのもいい。
もうちょっとテクストクリティーク(笑)的方向を加味するのであれば、上位10冊の中に“歴史”チックなモチーフは含まれているか、もし含まれていればそれはどのようなものか、といったあたりを探るのもいいだろう。大衆への影響力を強く持っていそうな“歴史”イメージはどんなものか、何となく手がかりになるかもしれない。
「正しい歴史とは何ぞや」にこだわる人にとって、こういった統計やランキングは何の「実証」にもならないだろう。
しかし、「大衆に広く受容されている“歴史”はどんなものか」という観点から見れば、こういうデータも立派に役に立つ。
東が言っていたのは、こういう方向性の話だと俺は思っているんだけどね。
まぁ、別にどうだっていいんじゃないの。ブログのネタにもなったことだし、てきとーに処理すりゃいーじゃん。
ファンタジーだよ。
歴史は勝者によってのみ記録される。嘘も言い続ければ本当になったりもする。つまり当てにならない。
できてんじゃねーの?
タモさん配下が独断で軍事行動を起こしたわけじゃないしなー。
タモさん的にいろいろ思うところはあったろうけど、文民統制下で軍務を遂行していたんなら問題ないよね。
私人としての思想・信条を制限されてはたまらん。表現だって自由だよ。
あのタモさん論文が軍務であったか否かを争点にすればよいだけ。
アパの懸賞論文に関しては私人としての意見を表明しているだけなので、何の問題もない。
なんか、全体主義っぽいノリが嫌だな。
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。
増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDとネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモはトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。
さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。
では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。
しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)
第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダ、オーストラリア、南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。
また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構に採用していく次のような例もありました。
「1920年代より英国はビルマに赴任するICS〔引用者注:インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア史学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657)
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。
1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地の独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。
まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界ノ平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠ノ平和ヲ確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国及英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日、アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア諸民族の解放」、「植民地の解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放の約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。
「ビルマは1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。
「日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍の印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要(東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。
「本稿では不十分ながら、日本の大東亜共栄圏=アジア主義のプロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。
インドネシア、フィリピン、ベトナムの抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、
「要するに、東南アジア諸国の反植民地・民族独立運動は、太平洋戦争と日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争と日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究(九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。
以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。
さて、今回のエントリ執筆の目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問や教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学や研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己の見解を教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文を発表できますよね。
一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会・学会・書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究が歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文、目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書の記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。
さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書は自虐史観・マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民の歴史』のように、専門家の研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化の歴史』岩波新書、2000年、あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史』岩波書店、1997-2000年、では、古代・中世・近世・近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。
「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間的連続性〔引用者注:満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的な研究であった」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
「日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計・運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。
最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。
小田中直樹『歴史学ってなんだ?』PHP新書、2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文をDLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)
小田中直樹「言語論的転回と歴史学」『史学雑誌』109(9)、2000年。
http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266
歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社、1997年。
今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。
また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。
(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。
(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。
(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコーストの研究の進展について次の文献を参照してください。
芝健介「ホロコーストとニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897
via アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の料理漫画オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「料理漫画にはまったく興味ないんだが、しかし自分の料理漫画趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない料理漫画の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、料理漫画のことを紹介するために
読ませるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に料理漫画を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あと、いくら料理漫画的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
チャウ・シンチー好きが『食神』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
料理漫画知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ドラマ版味いちもんめ程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「味っ子以前」を濃縮しきっていて、「味っ子以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも20巻前後だし。
ただ、ここでアニメ版の今川監督の演出トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「チャンピオンオタが考える一般人に受け入れられそうな漫画(そうチャンピオンオタが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「チャンピオンオタとしてはこの二つは“バトル漫画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のボンボン読者が持ってる料理への憧憬と、秋元康のデブオタ的なお菓子へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもジャリ向け漫画的な
「とりあえず混ぜれば上手くなるだろう」を体現するリトルグルメ
「ネタが尽きたのでシリアスな設定にしよう」を体現する後半のトーナメント
の二つをはじめとして、クソ不味い料理を作中にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「ブラックジャックだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これが漫画ゴラクでは大人気になったこと
日テレなら実写テレビドラマになって、それが東山紀之主演になってもおかしくはなさそうなのに、
また東山紀之主演で同じ枠に料理漫画の『喰いタン』がつくられたこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり雁屋哲は左翼のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「野望の王国」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるオーストラリアへの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも合計六回、っていうオーストラリア勝負が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「オーストラリアの歴史語り」ということへの諦めきれなさがいかにも左翼的だなあと思えてしまうから。
オーストラリアに関する、左翼的歴史観の語りを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
MASTERキートンだったらきっちりコミックス一巻にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて六回もオーストラリア勝負を書いてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきた歴史が捨てられないサヨク」としては、たとえ雁屋がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で包丁人味平読んだことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
スーパーくいしん坊よりも前の段階で、ビッグ錠の哲学とか料理技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの料理漫画がジャンプでこの時代に連載していたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく料理漫画好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるBLACK徒然草でしかビッグ錠を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
久住の「目」あるいは谷口の「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「生きる為の食事を毎日食べる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ『孤独のグルメ』特別編は病院食以外ではあり得なかったとも思う。
「食事シーンは祝祭化されてる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源は孤独のグルメにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう昔のテレ東が番組編成の時期にやる大食い対決をこういうかたちで漫画化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
味っ子から始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けと
なった作品でもあるし、EDに食事のシーンはあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。