はてなキーワード: 漫画ゴラクとは
男性向けのラブコメや恋愛描く女性漫画家はいくらでもいるけど、
たとえばナニワ金融道やら善悪の屑やら、静かなるドンやら、漫画ゴラクの表紙のイメージが強いグラサン男が出てくる歌舞伎町漫画(タイトル忘れた)みたいな類の、ハードボイルド、飲む打つ買う一辺倒の劇画的画風のオヤジ漫画を描いてる女性は俺は知らない。
「皆無」というのは観測範囲問題がかかってくるだろうけど、割合としてラブコメより圧倒的に少ないのは確かだよな?
たぶん女性の感性じゃどう背伸びしたり物真似してみても遺伝子レベルで描けないんだろうなこういう系って
(とはいえあったとしても、いちご100%や着せ替え人形みたく売れてたり知名度高いのは皆無では?女性にとっては遺伝子レベルでそういう漫画を面白く描くうえでのハンディキャップがあるのだろうか)
シロクマ先生の「介護されたい高齢オタクを引っかける釣り針がすごい──『葬送のフリーレン』」
(https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20231019/1697674271)
を読んだ。私の感想も大体似た感じはあるが、逆に感じた。シロクマ先生はファンタジーものが高齢者用に新たな釣り針をセットしてきたというように書かれているが、私はこれは逆で、既存の高齢者向け作品が若者でもわかるように模様替えをしてきたのだと思う。異世界もの流行の世相の中で、中高年向けのハードボイルド作を異世界に移したのが「異世界ハードボイルド」フリーレンではなかろうか。
私は最初に葬送のフリーレンを読んだとき感じたのは「これって谷口ジローじゃないか」ということだった。後悔、そして過去への旅、他人への素っ気なさと内心の情熱、強靭な精神、谷口ジローの作品世界を感じさせる。話の折々にヒンメルを思い出すフリーレンの姿は、飯時にセーヌのほとりで別れた恋人を思う井頭五郎とダブって見える。これが漫画ゴラクなら中年男性主人公で構わないが、少年サンデー掲載となるとさすがにターゲットを考えて異世界の美少女主人公となるのは当然だろう。私はフリーレンの原作が関川夏央だと言われても驚かない。
ハードボイルドの項目をwikipediaで見てみよう。"「ハードボイルド」は元来、ゆで卵などが固くゆでられた状態を指す。転じて感傷や恐怖などの感情に流されない、冷酷非情、精神的・肉体的に強靭、妥協しないなどの人間の性格を表す。"(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89)まさにフリーレンである。また例えば中高年探偵が主人公のハードボイルドにありがちな設定は大体こんな感じだろう。
はてダに、
という記事があったのだけれど、これを読んで、そう言えば平成ライダー見ている人は本当に少なくなったなあということに思い至った。
ぼくは、毎日サークルで新入部員とよくおしゃべりをしているのだけれど、最近は「昨日、キバで次狼さんがさ」なんて平成ライダーの話題を持ち出す人というのをとんと見かけない。特に若い人ほどそうだ。
よく出るのはやっぱりYouTubeとかニコニコ動画で仕入れてきた話題だ。一番はゴッドマンとか東映スパイダーマンの話だ。ハヌマーンがどうしたとか、ウルトラファイトみたいな円谷の話題を持ち出す人もいる。
次によく見るのが昭和ライダーの話で、ライスピかS.I.C.から入った人も見る。これはけっこういい歳をした大人も話題にのってくる。普通の勤め人が「ライダーの必殺技はキックしか認めない」「悪のライダーなんて論外」とか熱弁したりして、昭和ライダーの素晴らしさが広く一般に普及しているというのがあれを見るとよく分かる。
それからたまにゴジラの復活を望んだり牙狼などの深夜作品を例に出して本来特撮は大人のものだと語ったり、あるいは宇宙船のバックナンバーを読んで知ったマイナー特撮の知識を持ち出す人を見かけるのだけれど、平成ライダーの話をする人というのはほとんど見かけなくなった。
かく言うぼくは、昔は本当に仮面ライダーを見た。特に学生の頃は、朝から晩までライダー漬けだった。
その頃のぼくは、ほぼ毎日、もう何百回も見たお気に入りのシーンをコマ送りで再生して、大野剣友会の殺陣をコピーするのが習慣となっていた。当時、ぼくはサークルの先輩と一緒に暮らしていたのだけれど、彼はどちらかと言えばライダーや戦隊に否定的で、崇高な特撮ファンがジャリ番ばっかりを見るのは、みっともないと言って眉をひそめた。そうしてぼくには、この時代はまだロクにビデオもリリースされてないからぎりぎり許されるけど、大人になってまでまさか「日蓮と蒙古大襲来」や「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」を見ないようなことはないよね?と、遠回しに釘を刺してくるようなところもあったりした。
しかしその頃のぼくは、次世代メディアが普及して特撮オタクの純粋な知識量が重宝されない時代になったらどうなるかなどというのはちっとも考えたりしなかったので、そんなふうに言われても、何かを思ったり考えたりすることはなかった。
それから長い歳月が過ぎて、東映はいつの間にか電王を三度も映画化していたのだが、気がついてみると、全くと言っていいほどライダーを見なくなっていたのである。つまり、先輩が望むような特撮オタに、一応はなれたわけだ。
ところで、ぼくがライダーを見ない理由は一つしかなくて、それは面白くないからである。ぼくは今、本当に見たい思える特撮ヒーローというのがほとんどなくて、最近の大人の鑑賞に堪えうる特撮ヒーローは「仮面ライダー響鬼」と「ウルトラマンネクサス」と「特捜戦隊デカレンジャー」だけだ。評論同人誌を作るなんて本当になくなった。だから、ネットや飲み屋で仮面ライダーディケイドのネタバレ画像を面白そうに語るオタを見かけると、「最近の特撮ファンは……」とは思わないけれども、面白さの感性みたいなものは疑ってしまうのである。「どうしてあんなくだらないジャリ番に、貴重な時間を使えるのだろう?」と。
面白さなんて人それぞれという考え方もあるけれども、スーパーヒーロータイムの視聴率は本当に落ちているらしいから、単純に「人それぞれ」で済まされる問題でもないと思う。どうひいき目に見たって、やっぱり今の平成ライダーは面白くなく、だから見る人が減ってるのだろうし、ぼくも見なくなったのだろう。
そういう意味で、いまだに平成ライダーを見ている人とか、そんなものを作るのに人生を賭けている人に対しては、「いい歳をして」という意味ではないのだが、面白さに鈍感な人だなあという意味では、やっぱり「みっともない」と思ってしまうところはあるのである。本当に便利なテンプレートだと思う。
via アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の料理漫画オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「料理漫画にはまったく興味ないんだが、しかし自分の料理漫画趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない料理漫画の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、料理漫画のことを紹介するために
読ませるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に料理漫画を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あと、いくら料理漫画的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
チャウ・シンチー好きが『食神』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
料理漫画知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ドラマ版味いちもんめ程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「味っ子以前」を濃縮しきっていて、「味っ子以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも20巻前後だし。
ただ、ここでアニメ版の今川監督の演出トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「チャンピオンオタが考える一般人に受け入れられそうな漫画(そうチャンピオンオタが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「チャンピオンオタとしてはこの二つは“バトル漫画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のボンボン読者が持ってる料理への憧憬と、秋元康のデブオタ的なお菓子へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもジャリ向け漫画的な
「とりあえず混ぜれば上手くなるだろう」を体現するリトルグルメ
「ネタが尽きたのでシリアスな設定にしよう」を体現する後半のトーナメント
の二つをはじめとして、クソ不味い料理を作中にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「ブラックジャックだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これが漫画ゴラクでは大人気になったこと
日テレなら実写テレビドラマになって、それが東山紀之主演になってもおかしくはなさそうなのに、
また東山紀之主演で同じ枠に料理漫画の『喰いタン』がつくられたこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり雁屋哲は左翼のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「野望の王国」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるオーストラリアへの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも合計六回、っていうオーストラリア勝負が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「オーストラリアの歴史語り」ということへの諦めきれなさがいかにも左翼的だなあと思えてしまうから。
オーストラリアに関する、左翼的歴史観の語りを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
MASTERキートンだったらきっちりコミックス一巻にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて六回もオーストラリア勝負を書いてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきた歴史が捨てられないサヨク」としては、たとえ雁屋がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で包丁人味平読んだことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
スーパーくいしん坊よりも前の段階で、ビッグ錠の哲学とか料理技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの料理漫画がジャンプでこの時代に連載していたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく料理漫画好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるBLACK徒然草でしかビッグ錠を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
久住の「目」あるいは谷口の「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「生きる為の食事を毎日食べる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ『孤独のグルメ』特別編は病院食以外ではあり得なかったとも思う。
「食事シーンは祝祭化されてる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源は孤独のグルメにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう昔のテレ東が番組編成の時期にやる大食い対決をこういうかたちで漫画化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
味っ子から始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けと
なった作品でもあるし、EDに食事のシーンはあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。