はてなキーワード: 戦地とは
あそこが日本にとって要所であったわけだよね。
でも日本軍は戦力を手薄にしちゃってたわけで
そのせいでアメリカ軍と戦う時に民間も含めた総力戦で戦う羽目になったわけだよね。
地政学的に沖縄が今も昔も要所であることには変わりがないのであれば
太平洋戦争みたいに負け負けボンバーな展開にしないで事前に準備しておいておくれ
って考えるような気がするけど
なんで戦力増強反対!ってなるんやろ?
戦力なかったら、それこそすぐに焼け野原にされる気がするんだけど
自国民でさえ逆らうとそれこそ民族的に全滅させちゃうような国を相手にしてるのに
なんで敵国民が武器もってなければ平和に収まるの!って思考になるんだろう。
大戦略とかポピュラスとかスーパーファミコンでやってみれば良いのにね。
自分だけ助けてもらえるって思うのかなぁ。北斗の拳だったら速攻で殺されちゃう感じよね。
すごい不思議。
どういうロジックなんだろうか。
アレン・ネルソン『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』より。
(貧困と黒人差別から抜け出すために海兵隊に入り、ベトナムで戦闘と残虐行為に明け暮れた著者が、帰国後に深刻な後遺症に悩まされることになった回想録)
実戦さながらのはげしい訓練をのぞけば、沖縄はわたしたちアメリカ兵にとって毎日がカーニバルのような楽しい島でした。
ただし、それはあくまでもアメリカ兵にとってであり、沖縄の人々にとっては悲しく屈辱的な島だったはずです。
ベトナムで戦火が拡大していた時代でしたから、沖縄のどの基地も、ベトナムに行く兵士、ベトナムから帰ってきた兵士で
あふれかえっていました。明日には死んでしまうかもしれない兵士たちは、ありったけのお金を使って酒を飲み、
女性と遊ぼうとします。そんな兵士たちが遊ぶことができる場所がたくさんあった沖縄は、まるで巨大な遊園地のようだったのです。
太平洋戦争最大の激戦地であったということ。多くのアメリカ兵がそこで戦死したこと。
しかし最後にはアメリカが勝利したこと。その結果、沖縄がアメリカのものになったこと。
わたしたちが教えられるのは、そんな勝者の視点から見た沖縄であり、何万人もの沖縄の人々が死んだことについては
いっさい教わりませんでした。
当時、沖縄はまだ日本に返還されておらず、アメリカのものでしたので、アメリカ兵は沖縄は自分たちの国の一部という感覚でいました。
しかし、そこに住む人々は、アメリカの島でありながらアメリカ人ではなく、それは東洋人であり、
つまりベトナム人と同じ人種で、住む国がちがうだけなのだと思っていたのでした。
わたしたちは東洋人の一人一人を見分けることができませんでした。みんな、同じ顔に見えましたし、それでもまったく問題はなかったのです。
なぜなら、わたしたちは東洋人を、そして沖縄の人々を人間として見てはいなかったからです。
アメリカ兵はベトナム人のことを「グークス(gooks)」という言葉でよんでいました。
それは東洋人をバカにして言う言葉です。サーカスの見せ物小屋にいる異形の人間。そんな意味もあります。
アメリカ兵が沖縄の人々をよぶときは、この「グークス」ではなく、「ジャップ」という日本人をさげすんで言うときの言葉を使っていましたが、
その意味するところは「グークス」とそれほど変わりません。そこからも、わたしたちが沖縄の人々を
どんなふうに考えていたかがわかるでしょう。
たとえば、街にくり出して飲んだくれたときなど、キャンプ・ハンセンにもどるにはタクシーを使いましたが、
料金をふみたおすのはしょっちゅうでした。タクシーの運転手が支払いを催促しても、わたしたちはニヤニヤ笑って無視します。
それでも、運転手がしつこく請求すれば、わたしたちは運転手を車の外に引きずり出し、気絶するまでめちゃくちゃになぐるのです。
それは女性と遊ぶときも同様です。女性がお金を要求しても、はらう気がなければ無視しましたし、
それでもしつこく要求してくれば、女性でもようしゃなくなぐりつけました。
街を歩いていても、わけもなく沖縄の人々をバカにしたり、おどしたりしました。
そんな悪行のかぎりをつくしても、アメリカ兵は逮捕されることはありませんでした。
基地のゲートをひとたびくぐってしまえば、わたしたちは安全であり、沖縄の警察の手がおよぶことはなかったのです。
軍にとがめられることもありませんでした。
アメリカ兵一人一人は莫大な国のお金によって兵士として育てられ、そして戦場に送られるべく沖縄にいるのですから、
わたしたちが牢屋に入れられるのはアメリカにとって割に合わない、ばかばかしいことなのです。
どんなことがあっても、わたしたちには戦場に行ってもらわなければならないのです。
そのためには、わたしたちの犯した罪ですら、アメリカは見て見ないふりをしたのです。
むしろ、アメリカは、わたしたちがじゅうぶんに暴力的な兵士に改造された証だと、沖縄の人々へのアメリカ兵による犯罪に
大いに満足していたはずです。
そういうわけで、基地のフェンスの中に逃げもどることさえできれば、どんなにひどい犯罪を犯したとしても、それを笑い話や手柄話にできたのです。
ふむ。一晩かけて考えがまとまった。
少年誌を掲げつつも、少女の読者が一定数いる事実を知りながら❶
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「少年キャラが」同年代の少女を性的に見ている、のではなく、主体は「作者が」❷
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ところで、職場でのセクハラが禁止されてるのは職場を変えるのが困難だから、である
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だが物語の流れ上の必然性も、こういう漫画ですよ、という事前の断りもないので避けられない❸
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未成年の少女❶ が見ている前で、大人の❷ 性的まなざしを初見回避不可❸ で見せびらかす
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=セクハラ
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少年を戦地に追いやるフィクションとの差は、セクハラか否か。セクハラ概念はフェミニストによって発明されたアイデアだが、今日では広く支持されている
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まだ、読者による不買推奨運動の選択肢が消えてない。「嫌なら読まなければいい」を推してく選択肢もありうる?◉
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作者サイドにお願いするしかない。赤の他人への身勝手な指図( = お気持ち)の断行
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= “やめてほしい”
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なお、お気持ちの内訳が「倫理観」なのは明白だ。大人が子どもにセクハラすべきでない、とは紛れも無い倫理観。誠実さのためにはそれを隠すわけにはいかない
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変に取り繕ってマンガ家側が正しいかも、などと言うのはウソをつく行為なので、むしろ失礼。まさしく「倫理観が違う」。ファン視点では自分側が正しく見える。自信がないなら最初からお気持ち表明してない。だから、誠実さのためにそれも隠さない
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= 編集部も含む制作サイドへの「価値観のアップデート」の要請
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もし無視されたり、断られたら?
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【前提】
・https://anond.hatelabo.jp/20221008164406 を書いた。
・【本土人に何をしてほしいか】について書き損ねたことを書く。
・我ながらしつこい気がするけど、良かったら読んでほしい。
・もちろん文の意味は理解できる。基地は想定する戦地に近い方が、有事へすぐに対応できる。
・聞きかじった表面的な情報で、なんとなくわかった気になることもできる。
・しかし、それが国防上具体的にどの程度のメリットなのか、詳細は理解できない。
・このため、自分たちの土地や生活が、具体的に何と天秤にかけられているか、自分たちが何のために我慢しているのか、実感しにくい。
・理由は二つで、①専門知識が必要なこと。ほとんどの国民、県民は軍事的な戦略を理解するための基礎知識を持っていない。
・②軍事や外交に関する情報開示には限界があること。例えば、想定される台湾侵攻の防衛戦略や、その中での沖縄の各基地の役割について、公開して敵国に知られるわけにはいかない。
・なので、「事実」や「知識」を論じることでは、沖縄県民が基地問題に納得することはできないと思う。
・県民が、「細かいことは理解できないが、この政府、政党、首相、国民が言うなら仕方がない」と思えるか、少なくとも「テロ起こして抗議するほどではない」と思えるかどうか。
・営業のお客さんが「細かい話は分からんけど、兄ちゃん気に入ったから買うわ!」って言うアレだね。
・基地問題は、論理的な最適解(県外or県内等)を求めるフェーズは終わりつつある。信頼関係を築き、結論を感情として受け入れるフェーズに移っている。
・信頼関係を築くためには、時間がかかる。米兵の重犯罪や事故が起こらないことや、相互を尊重した対話を何年も積み重ねる必要がある。
・その意味で、知事の「敬意を持ってほしい」というのは正しいと思う。
・これは「彼らの主義主張を正しいと思え」という意味ではなく、「異なる立場・意見も尊重して、意図的に信頼関係を損ねることなく対話をしてほしい」という意味に過ぎない。
・要するに今回の件で、県民と本土の間の信頼関係は鳩山直後くらいまで後退したと感じる。
・今回はSNSで、本土人の無理解が可視化されたのがキツかった。
・強調したいのは、今回基地反対派を揶揄したことで、基地容認派の努力も、日本政府の努力も無駄にしたということ。
・基地を沖縄から完全撤退しない限り、どの立場の人も沖縄と本土の間の信頼関係を必要としているから。
【改めて、本土人にお願いしたいこと】
・基地問題や沖縄の問題について、議論は必要だが、信頼関係に配慮してほしい。
・気持ちの問題が、基地問題の顛末を左右する可能性を想像してほしい。
・できれば、SNSで沖縄への侮辱を繰り返す人間に対し、いちいち正論で反論してほしい。反応したら負けという考え方もわかるけど、反論の数が多ければで、少し印象は変わり、救われる。
どんな理由があっても人権侵害は許されないって考えだと、そもそも人殺しを命じられているだけの人達を非殺傷兵器ではなくミサイルや爆弾でいきなり焼き払いにかかること自体が倫理的に矛盾するからまず考えないことにしてんだろうね。
でもそれ言い出すと捕虜に対する人権とか、戦地にいる敵国の一般人に対する保護とかどうすんだよとなりそう。
戦争犯罪して勝つのとしないで負けるのならどっちのがマシなのかって話ではあるけど、してでも勝ったほうが良さそうなのが今の国際情勢だよね。