はてなキーワード: ビーフカレーとは
バイト先の「ふぃよるど」というノルウェー料理店がコロナの影響で閉店することになって、全員で乃木坂まで閉店作業を手伝いに行った。全員といってもおれ自身を含めてバイトは学生の3人だけだったが、小さな店の厨房設備や什器を回収業者のトラックに運び込むにはその人数で十分だった。
夕方には作業が終わって、最後に3人でご飯でも行こうかということになり、平林の車に乗って南青山・六本木方面に行ったはいいが、どこも営業自粛中で閉まっている。
「どうする?」とおれが訊くと、「どこでもいいよ、ラーメン屋でもなんでも。ちょっと調べてみる」とディキンソンがiPhoneを取り出す。ディキンソンは女子大の英米文学科に行っていて、本名は別にあるのだが、エミリー・ディキンソンとかいう詩人について卒論を書くつもりらしい。理工学部の平林と経済学部のおれはその方面に全く無知だったので、詩人の名前の響きだけで衝撃を受け、以来店では彼女をディキンソンというあだ名で呼んでいた。
車内では爆音で日本語の歌がかかっている。バブル期ぐらいの日本の音楽を集めるのは平林の趣味で、とくにアイドルの音源を偏愛していた。高校まで競技水泳をやっていた平林は運転席でイカリ肩を揺らしながら酒井法子?の歌に合わせて All Right, All Right と裏声で歌う。
恋を失くした
悔しいけど
「あった、開いてるとこ。オメガラーメン。麻布十番。どう?」ディキンソンが後ろの席から画面を差し出す。青山霊園を走る車の中で、平林は相変わらず All Right, All Right と裏声で歌う。「ちょっと、うるさい」とディキンソンが平林の頭を押さえつける。おれは助手席からiPhoneの画面を覗き込む。「いんじゃないかな。あとは車停める所か、探してみる」
オメガラーメンは空いていた。というか客はおれたちしかいなかった。カウンター6席ほどの店で、3人並んで座るとけっこう密だったが、今日いっぱい密だったので、いまさらどうしようもないよなと話しながら座った。
「えいらっしゃい」と店主らしき人がカウンターごしにメニューを置くが、オメガラーメンと一行書いてあるだけだ。3人ともオメガラーメンを頼んだ。
出てきたのは真黒なラーメンで、独特のぬめりがあるスープから肉の塊らしきものが突き出している。ビーフカレーのようにも見えるが、中央に配置された白髪ねぎの小山がラーメンらしい外観をかろうじて保っていた。
味はなんというか、微妙だった。3人とも無言で平らげて店を出た。
代々木上原に住むディキンソンを途中で降してから、赤羽に実家がある平林と田端に住むおれは北へ向かった。
「また3人でこうやって会うこと、あるのかな」
「どうかな。まあ、あるんじゃないかな。当面、全員日本にいることになりそうだし」
「どういうこと?」
「咲は、あ、ディキンソンは、秋からアメリカの大学に留学が決まってたんだけど、話が流れちゃったらしい。コロナのせいで先行きがわからないからって。それでけっこうがっかりしてたんだ」
「そうなのか」としか言えなかった。
なぜおれは知らないのか。なぜ平林は知っているのか。なぜディキンソンの下の名前を言ってからディキンソンと言い直したのか。
動坂下の交差点で降してもらい、セブンイレブンに寄ってからアパートへ向かうあいだ、胸に覚えのない異物感を感じ続けていた。それは甘すぎたオメガラーメンによる胸焼けなのか、ディキンソンにこれまで自分が何かを感じていたことにたいする動揺なのか、わからなかった。
──人は皆、いつかカレー作りに熱中する日がやってくる。俺のCデイはまさに今日であると言えた。
これは秘伝のカレーレシピではなく、俺がバターチキンカレーと呼べるものを作るまでの物語である。
カレーとは何だろうか。
カレーだけに一口に言うならばインド発で香辛料をふんだんに使ったスパイシーな料理等とでも言っておけば良いだろうが、誰もがそれを思い浮かべた際、そのイメージは一様ではないだろう。
きっと誰もが心の内に思い思いのカレーを秘めている。
時にナンで食い、時にライス、また時にはチャパティ、パン、ヌードル、言い出したら際限が無い。付け合せや隠し味になんて言及すらしたくない。
台所になぞ録に立ったことのない男子大学生が天啓の如くチャーハン作りに凝りだすように、俺は今カレーに拘りを持とうとしていた。
俺のカレーとは、バターチキンカレーである。インドカレー屋で食べるバターチキンカレーは何故あんなにうまいのか。なぜあんなにナンがでかいのか。なんでどの店でも小鉢のサラダに同じようなドレッシングがかかっているのか。きっと俺はその真実を知ることなく死んでいくのだろうが、それでも家でそれなりのバターチキンカレーを作ってみたいと、そう思ったのだ。
これが昭和の時代なら、俺はインドカレー屋で十年修行どころか単身渡印の上カレーの秘奥を求めて七難八苦を味わう羽目になったかもしれないが、今は情報の時代である。検索したレシピを適当につなぎ合わせて家と近隣のスーパーでどうにかなりそうな材料を見繕う。拘りとは時に労力をかけないことであると俺は都合よく解釈した。
具材はスタンダードなもので、スパイスといった雑多なものを除けばタマネギとニンニク、ショウガにホールトマト缶くらいのものである。あと鶏肉を事前にヨーグルトに浸けて置くといいらしいので、そうした。
理性的な量のバターを鍋に敷いたあと、タマネギとすりおろしたショウガニンニクを精神的に満足するまで炒めた後カレー粉を入れて更に炒め、缶のホールトマトを入れる。
本来であれば投入する量等も一考すべきだが、缶詰ってなんか半端に残すのが嫌なので全部入れてしまう。翌日以降の料理に引っ張られるのが自炊の嫌なところである。
溶岩みたいになってきたところで鶏肉を入れさらに煮る。浸けていたヨーグルトも一緒に入り急に店のカレーみたいな色になる、感動の瞬間だ。ひとまず味を見てみる。
トマトが、強すぎる。
あのカレー粉が完全に力負けしていた。トマト味のカレーかカレー味のトマトかで言うならば、トマト味のトマトである。
一人で食べる程度の量のカレーにトマト一缶は多すぎたらしく、俺の眼前にはホールトマトの壁が立ちはだかったのだ。つまり、ウォールトマトだ。
しかし、勝負はまだ終わっていない、むしろここからが本番なのだ。
カレー粉を少し足し、レシピの生クリームを拡大解釈し牛乳を足していく。きっと店ではちょっと引くほどのバターや生クリームを入れているのだろうな。
カレーの色合いが変わった頃合いで再び味見をするとトマトの向こう側に僅かだがカレーの健康的な浅黒い肌が垣間見えた。
なんだ、待っていてくれたのか。
牛乳を足し、カレーを啜る。牛乳を足し、カレーを啜る。そのたびに遠くで手を振るネパール人店員が近づき、その笑顔が鮮明になっていくかのようだった。俺が脳内で店員と握手を交わした頃、現実ではカレーが完成していた。
もちろん、プロの作るカレーと比べるべくもない、やや一人前の量を逸脱したバターとチキンが入ったカレーとでも形容すべきそれは、しかし俺にとっては紛れもなくバターチキンカレーと呼べるものだった。
途中我慢できず何度も味見をしたが、その度にうますぎて思わず笑ってしまった。
冷凍のナンをトースターで焼き、カレーを通販で買ったカレー屋でカレーが入ってるあの金属器に入れる。なんならラッシーも作ってみればよかったと後悔した。
仰々しく食レポをする暇もなく、俺のバターチキンカレーはあっけなく胃袋に消えていった。後に残るのは汚れたキッチンと皿くらいなものであるが、それでも俺は満足感に包まれていた。消去法で厳選された材料を目分量で適当に入れたカレーは、決して店のカレーの代替にはならないものだ。
それでも。
それでも、カレーを作ってみてよかった。
月並な感想ではあるが、自分でやってみることで、それをとりまく楽しさ、苦労といった感情が実感できるものである。
またいつか俺はカレーを作るだろう。
それはビーフカレーかもしれないし、フィッシュヘッドカレーに挑戦するかもしれない。
しかし、カレーを作るたび、俺は初めて心からカレーに対面した今日のことを思い出すのだ。