はてなキーワード: ドッヂボールとは
喉が痛くて耳鼻科行ったら喉の食道と声帯の境目あたりに炎症ができてるって言われて、
とりあえず炎症抑える薬を数日飲んでたら楽になったけど、もしかしてこれ、逆流性食道炎とかだったのかな?
前から胃酸モッサモッサ出てる気がするというか、胃がムカムカしたりウプってなったり、
平らなところに横になると腹の中を熱い液が喉の方に上がってくるのがわかったりする体質ではあったし。
喋ってる最中に酸味がのぼってきそうになって飲み込むとかもよくあるし。
元々胃のトコの弁が弱いのか頻繁に上がってくるので飲み下すことも多いけど、油断してると噴きだすから幼いころから人よりもどす機会は多かった。
思い出せるだけでも、むせゲロ、笑いゲロ、嗚咽ゲロ、激おこゲロ、歓喜ゲロ、緊張ゲロ、走りゲロ、踏ん張りゲロ、跳ねゲロ、逆上がりゲロ、
腹筋ゲロ、格ゲー熱中ゲロ、早口ことばゲロ、腕相撲ゲロ、ドッヂボールゲロ、合唱ゲロ、腹パンゲロ、胸倉掴まれゲロ、背中叩かれゲロ、
ヨガゲロ、フラフープゲロ、夜の営みゲロ、前屈ゲロ、ゲロワット、ラジオ体ゲロなどなど、数々の事故を経験しながらも奇跡的にいじめられることもなく、
あなたの暮らしにマーライオン、Mr.ゲロルシュタイナーの称号を欲しいがままにしてきた私ではあるが、よもやこの年になって病気を疑うことになろうとは。
小学校の時は、外で男子とドッヂボールとか、鬼ごっことか全然しなかった。僕の運動神経が悪く、疲れるから、すぐに捕まってしまうから。少しは参加したと思うが、僕がタッチされ、鬼になった瞬間に、他の全員がゲームから外れることを宣告され、ぶちギレた記憶がある。
僕は三つ子で、姉と弟がいる。ふたりは家に帰ったら毎日遊んでいたが、僕はそんな友達も多くなかったし小4と小6の一時を除いては殆ど学校から帰ったあとにランドセル放り投げて、すぐに遊びに行くなんてことはなかった。
ポケモンとか、遊戯王カードとか、その時は流行ってたらしいけど全然興味が持てなかった。
携帯ゲーム機や据え付けゲーム機は1台しか買ってもらえず、殆ど弟が使っていたのが原因だろう。
弟は何にしても僕より優れていたし、今でもそうである。運動も、勉強も、プラレールの配線も、ゲームの腕も何もかも。
姉や弟にちょっかいを出され、激昂し手を出した僕が親に怒られるということが度々あった。祖母は「負けるが勝ち」と、僕が悪いことを前提にたしなめ、さらに親が姉や弟を叱った記憶はなく、腹が立った。
また、同じ習い事もやらされた。姉や弟は習い事に行く前に行きたくないと騒ぎ、やっと護送された先では借りてきた猫のように大人しくしているのが腹が立った。
「おそらく」小4のときに仲のよかったFくんとは、Fくんの家で競馬のテレビゲームをしたり、メンコをしたり、親に持たされたお菓子を一緒に食べたのを覚えているが、記憶が曖昧になっている。
小6のときに遊んだNくんは、鉄道の話をよくした。大学入学前の教習所の同乗研修で同じ車だったが、もしかして忘れているかもしれないと声をかけられなかった。中学生になる前に転校してしまい、わざわざ親子で家まで来て、菓子折りをいただいたのを覚えている。
そのときのアニメも、ポケモンとか遊戯王カードとかやってたらしいけど、全然見てなかった
小1くらいまでは鉄道が好きだったが、鉄道趣味なんて恥ずかしいよね、という結論に小2~3ころに至った。やはりこの頃から僕は他人の目を気にしていたらしい。
小6くらいから前述の友達の影響もあり再開した。親に鉄道模型を買ってもらったりもしたが、やはり配線をするのは弟だった。
休み時間も外で遊ばない分、女子と多くの時間を過ごしていたと思う。特に3年生の時は、Oさんと一緒に担任の先生の追っかけをしたりした。
夏休みの自由研究を一緒にした記憶がある。その歳では男女が付き合うとか、そういう概念はなく、たぶん浮いていたと思うが男女から奇異の目で見られることはなかった。
翌年はクラスも違くなり、その先生も転校してしまったため、何となく気まずくなってしまった。
運動をしない分、あやとりとか、一輪車とか、そういう女子が好むこともできた。あと、変に男女平等の意識があって、一般的には小学校2~5年くらいは男女別々の行動をとるという意識が強いが、僕は努めて分け隔てなく接するようにしていた。
の元増田です。
『思い当たるフシ』というやつをリストアップして持っていこうと思います。
既に検査が明日に迫っているものの、「増田に上げる」という目的意識でも持たないといつまでも先延ばしにしそうなので……。
【現在の状況】
■普段の生活で困っていること
■あまり困っているわけではないがADHDの特性に当てはまりそうだと思うこと
こんなところでしょうか。書き連ねてみるとひっどいものですね……。
今の日本からは改革(左派)も保守(右派)もいなくなって(最初からいなかったのかもしれないが)今では劣化コピーの出来損ないもどきにも達してないような「サヨク」と「ウヨク」が日々、言論をぶつけ合っている。
それを最も観察しやすいのはココ、ネットの世界だが、はたから見てもサヨクとウヨクがまともに議論をしている所を「ほとんど」見たことない。(あえて「全く」とは言わないでおく)
文字通り意見の「ぶつけ合い」をしているだけだ。言葉のドッヂボールという言葉はまさにサヨクとウヨクの議論(という名のプロパガンダ合戦、にすら達しないただの罵り合い)にこそ最もふさわしい言葉だろう。
じゃあなぜ議論が成立しないのかという話だが、単純な理由で「議論する気が無い」からである。
まぁそんなことはいちいち指摘するまでもないが、なぜああもぶつかり合う者同士でいまだに両者の間に少しは議論をしようという機運が見られないのかというとそれはサヨクとウヨクのメンタリティの相違に起因する。
サヨクとウヨクの間で議論が成立していないこと指摘をされるたびにどちらも「相手がバカすぎて議論にならない」的なことを言ってる当たりまったくどうにもならないくらい事態は深刻化しているが鹿児島知事選でサヨクが見せたリアクションと、先の衆議院選で自民党候補が落ちた選挙区に対するウヨクのリアクションを見る限り、まったくこの両者のメンタリティは精神的双子と言っても差し支えないほどに凄惨なまでに酷似しているのである。
ただし、ここまで酷似したメンタリティを有する両者にも異質な点はある。その一つが「自分が気に食わない意見に対するリアクション」である。
とりあえず、最初の段階ではサヨクもウヨクもとる行動は同じである。すなわち
とかくサヨクとウヨクには共通のガイドラインでも制定されているのかと疑ってしまうほど、この行動をとる。
相手の言った内容に対する批判と相手個人に対する罵倒の区別がつかないのがサヨクとウヨクがいつまでたってもまともな左派右派になりえない重大な理由の一つだが。それについては今回はあまり関係ない話である上、正直もう救いようがないと思っているのでこれ以上言及はしない。
さてひとしきり相手を罵倒しきった後で彼らがとる行動がサヨクとウヨクで全く異なってくる。
端的に言えば、サヨクの人間はもはや相手をいなかったものとして扱う(自分の気に食わない意見を相手ごと無視する態度を是としている時点でサヨクの人間に論理的態度の育成が不可能であるということは間違いない)
自らの意見に対する反論の類に対して一切触れることなく、ひたすら自らの意見を押し通すさまは、醜悪だ。仮にその意見が正しかったとしても、正しさに腰かけて意見ごと相手をいないものとする傲慢さは到底万人に受け入れられるものではない。(とはいえこの傲慢さは昨今のサヨクのマイノリティぶりを鑑みてみるとどこか滑稽ですらある。)
次にウヨクと言えば、こちらは苛烈でその意見を徹底的に叩き潰す方向に動く。
相手が「改心」するか(仮に改心したとしても、ウヨクの脳内に存在するヒエラルキーの一番下の階層から一つ上の階層に固定されるだけだが)、文字どおり消えるまで続く。
「日本から出ていけ」というのはアノニマス的に発言できるネットの場で、よく見ることが出来る文言だが。「自分の気に食わない意見」を言うならこの国から出ていけ。とはなかなか苛烈である。
仮にその人物の述べる意見が間違っていたとしても、その苛烈さはいささかも減ずることは無い。「間違った意見を述べる人間は日本から出ていけ」とは冷静に考えれば中々にエキセントリックな言説である。
サヨクは自分の意見を押し通すために、ウヨクはサヨクを排除するために、言葉を発している。
そう、サヨクとウヨクが議論にならないのは当然だ。議論は議論をする気のある人間が2人以上いなければ成立しない。
自分の意見を叫びたいだけの人間がたまたま同じ場所にいただけでは、議論になるはずもない。
先ほどはプロパガンダ合戦にすら達しないただの罵り合いと表現したが、サヨクとウヨクの自慰的な声の張り合いは、もはや罵り合いにすらなっていないのだ。
足の速い子やドッヂボールのうまい子はクラスのヒーローで、人気者だった。
どんくさい自分はそんな子達を羨望のまなざしで眺めながらクラスの隅っこで細々と生活していた。
どんくさいなりに体力もつき、それなりに楽しく過ごした。
しかしクラスの人気者の座は、いつのまにかオシャレな子、可愛いorかっこいい子に移っていて、みんなに囲まれて流行のファッションや音楽、芸能人なんかの話をしていた。
高校に入って大学受験が近づいて部活をやめてから、ようやくオシャレに気を使うようになった。
初めて髪を染めてみたり化粧に挑戦してみたりもした。
でももう周りはそんなことはどうでもよくなってきていた。
受験を前にしてみんなの価値観は、勉強ができるかどうか、ただそれだけだった。
国立大や有名私立を受ける人たちがすごいすごいともてはやされ、勉強を教えてもらいたい子達に囲まれていた。
大学に入ってもそれはあまり変わらなかった。シャワーも浴びずに研究室に泊まりこむ人たちの中で見た目に気を使うことなど無意味に等しかった。
するともう学生時代にどれだけ勉強ができたかなんていうのは関係ない。
尊敬されるのは、仕事の速さ、効率のよさ、手際のよさ、経験、そんなものを持っている人たちだ。
さて、これから何年か働いて、やがて私がそういったものを身につけたとしたら、次は何が起こるのだろうか?
若くしてヤリ手の営業マンと結婚した子がもてはやされて、私は仕事ばかりしている負け犬とよばれるのだろうか?
ああ、どこで間違ったんだろう。
間違ってなどはいないのかもしれない。周囲に流されていたのは否めないとしても、私はいつも自分を磨くため努力してきたつもりだった。
そして実際今までの人生はそれなりに充実していたし、後悔しているとかやり直したいとかいうつもりはない。
それでも。
ただ一度くらいは、みんなの中心に立ってみたかった。人気者になりたかった。
「勝ち組」と呼ばれてみたかった。
俺ソフトの違法コピー販売して警察にゲットだぜ!されちゃって、実刑判決くらって しばらく刑務所に入ってたんだけど、今日模範囚ということで仮釈放された。 みんなも違法なことはやらない方が良いよ。 刑務所はそれはひどいところだよ。 毎日看守に殴られるし、いぢめもあるし、メシはまずいし、、、、 テレビはチャンネル選べないし、基本7時から9時までの2時間しか観られないし。 新聞も毎日は読めないんだ(最近、個人でも購読できるように規則が変わったけど) 喧嘩は日常茶飯事、俺も軽く20回以上はやったな。その度に傷害事件になって 刑期が1年半くらい追加される。 暖房も冷房も無いし、もちろん扇風機も無い。夏はうちわが配られて終わり。 冬はひたすら耐える。 風呂は2週間に5回。一回の入浴は一応15分ってことになってるけど、実質10分くらい ひげそりとかあるから全然身体洗えない。 食べ物は自由に買えないから、お菓子は一ヶ月に一回500円分、しかも刑務所が選ぶ から、ろくな内容じゃない。シャバで500円出せばもっとマシなものが買える。 ウナギと刺身が一年に一回でる。すごく量が少ない。 囚人同士で食べ物や本や雑誌や日用品のやりとり、貸し借りすると規則違反で連行される。 最近犯罪者が増えたから3畳間くらいの狭い部屋に2人入れられる。はっきいって、普通に 寝られない。 雑居も7人部屋に10人とか11人入れられる。場所によってはテレビも観られない。 風邪引いて熱があっても40度とか極端な高熱じゃないと、作業休ませてくれない。 体調が悪くてもかなりねばらないと、医者の診察受けられない。薬もくれない。 前科があるとろくな職業に就けない。 それでもおまいら違法コピーするか?
>喧嘩したのに模範囚とはこれいかに。 ふっ、仮釈放の条件は色々あるんだぜ。一番は身元引受人がしっかりしていること。 親、配偶者が一番いい。これがなくて満期になった奴を何人も知っている。 >刑務所ってちゃんと栄養あるメシでるのに運動させて貰えないから太るらしいね。 >自室で自由時間に腕立てとかも禁止なんだよな。 そう、運動時間は風呂の無い日、つまり2週間に5日。及び土日祝日などの免業日の 午前と午後に体操の放送が入る(これのせいでラジオ聴けなくなるんだよな)40分。 しかし、工場に出てる時の運動時間は主に新聞読んだり、仲間と話しをしたりする 貴重な時間なので、よっぽど友達いない奴ぐらいしか運動しない。 それから、刑務所では定期的に「ソフトボール」「キックベース」「ドッヂボール」「サッカー」 「つなひき」などのイベントがある。工場対抗で争われるのだが、工場担当の看守がこれの 勝ち負けに非常にうるさい。優勝したりするとその試合に参加した囚人の評価が上がったり するので、それ狙いで練習に力入れるごますり野郎がたくさんいる。 自室で腕立てなんて以ての外。俺と同じ工場にいた奴は、自室で腹筋してて「不正運動」 で取り調べ、懲罰になって、俺の工場に飛ばされてきた。体操時間であっても、放送される 内容に従ってその通りの運動をやる。 俺が出所する直前になって「毎日運動時間を設ける」という規則に変わって、風呂のある日 でも30分間運動することになった。しかし、ただでさえ狭い刑務所。建物の隙間のとても 走り回れないところで実施したりした。自然とおしゃべりだけの時間になった。 >余計な筋肉は付けさせない方がなにかと都合がいいだろ そんなことはないけどね。それじゃターミネーター2のサラ・コナーじゃん。 >あしたのジョーの少年院みたいに、肉体労働って無いの? あるよ。さすがに畑作ったり、豚飼ったりってのは無いけど、営繕というのがある。 草むしりしたり、柵作ったり、ペンキ塗りしたりする。基本外作業だから、夏暑くて、冬寒い。 過酷な作業だ。その代わり夏は毎日ポカリスェットが飲める。(一般工場は一週間に2回) 冬は防寒着が支給される。仮釈放が良い。などの利点がある。月々のお手当ても数百円だけど 「危険手当」というのが支給される。
そういう「比喩のドッヂボール」はもういいから。
http://d.hatena.ne.jp/fuuuuuuun/20070801/p1
http://d.hatena.ne.jp/nitino/20070806
これらのエントリを読んで、昔を思い出して、ずっと苦い気分だった。以下半分本当で半分嘘の話。ありきたりかもしれないけど。書いてどうなるものでもないけど。
小学生の頃、いい子でいたい俺はともだちを沢山つくる必要があった。本には「優しくて強い子にはともだちがたくさんできる」と書いてあった。いい子でいなければならない俺は、当然優しくて強くなければならなかったから、その証拠が必要だった。
証拠に拘ったのは、俺は、自分自身が優しくも強くもないことを自覚していたからだ。注意深く振舞えば、本当は底意地が悪くて卑怯な俺にもともだちができるかもしれない。そしてそれは、俺が優しくて強いことの客観的な証明になるだろう、と考えたのだ。
まず誰にでも、嫌いな奴にも優しく振舞った。そして誰がどう見ても悪と思える事象には勇気をもって立ち向かってみせた。周囲はおれを優しくて強い子だと思い始めた。ともだちが増えた。誰かをいじめている上級生と喧嘩もした。同学年の子の親に、うちの子とともだちになってくれと頼まれたりもした。俺は進んでそいつの家にチャリで駆けつけて玄関のチャイムを押した。
俺はいい子になれた。このままいけば俺は誰にも叱られず、いい子として平穏に生きることができる。だからみんな、このまま俺と友達でいてください。俺が一緒に遊ぼうと言ったら「うん!」と笑顔で言って下さい。それだけで、俺が本当は底意地が悪くて卑怯な悪い子だと糾弾されずに済むんだから。
なのにあいつは、冴えない顔をして、口下手で、空気同然の扱いで、俺が一緒に遊ぼうといっても「ううん…」位しか口にしないあいつはなぜ、友達がいないのに誰にも責められないのだろう。休み時間は人の少ない図書室で怪盗ルパンシリーズをひっそりと読んだりして、ずるいじゃないか。俺がやりたくもないドッヂボールにくだらないブサイクを誘ってやってる間にあいつは好き勝手なことをしている。なのになぜ、誰もあいつを悪い子だと叱らないんだ。
そのうち理由が思い当たった。俺のように要らぬストレスを溜め込んで無理な笑顔を作らなくても、あいつは元々寛大なのだ。恐怖に震える手を隠さなくてもあいつは元々勇敢なのだ。繕わなくても悪い子ではないのだ。だから平気で一人でいられるのだ。自分を取り繕わずに自分の居たい場所にいることができるのだ。あいつは心から優れた人間だ。取り繕っている俺はあいつよりずっと劣った人間なのだ。
なのに。なぜあいつは俺をおびえた目で見るんだ。お前のほうが優れた人間なんだろうが。本当は俺が底意地が悪くて卑怯だと知っているんだろう。なのになぜそんなに俺を恐れるんだ。取り繕うのに必死な俺をあざ笑えばいいだろう。いや、そんな被害者ヅラして心の底ではあざ笑っているんだろう。
俺は彼を激しく憎んでいることに気が付いた。そして俺は何もできなくなった。少しでも動けば憎しみを外へ漏らしてしまいそうで恐ろしかった。他人に関わることができなくなった。優しく強く振舞うこともできなくなった。
丁度小学校を卒業する時期だったのが幸いした。俺は彼に憎しみをぶつける前に(自分の憎しみという感情に気づく前はもしかしたら無意識のうちにぶつけていただろうか、と今でも考える。そうではなかったと思いたいが、もしかしたらこれが「いじめた側はいじめた事を忘れる」ということなのかもしれない)中学へ進級し、教室の隅でひっそりと本を読み、クラスで二人組を作れば必ずあぶれる暗い少年になった。
あいつは当然こんな文は読んでいないだろう。
俺は君が羨ましくて憎かった。俺にないものを持っていながら弱者ヅラしている君がどうしようもなく狡猾な男に見えた。でも本当はそんなことはなかったのだろう、と今だから思う。
俺が許されることはきっとない。
小学生というものは、何処までも呆れるくらい純粋で、その単純機械のような純粋さで、
時にトンボの羽を毟ろうとして、本体を真っ二つに裂いてしまう生き物である。
そんな小学生の直情、短絡的な行動原理に基づいた無邪気に人を傷つける行為は、
「あだ名」に集約されていたかに思われる。
顔が四角くて、テンパだった女の子はクラスの悪ガキに「ペヤング」というあだ名が付けられていたが、
此れなどは、今思えば彼女の人格形成に深刻な影響を与えたかも知れない。
そんな即効直球ど真ん中ネーミングの犠牲者が居た。
私の小学生時代のオフィシャルな格好はジャージであったのだが、このジャージ、油断をすると
(例)
スーパースター→スペース・スター
プーマ→ピューマ
全く、今もってもそういうのが何処で売っているのか不思議なほど、
この偽ブランドや訳の分からんメーカーのジャージの持ち主は、粛清の対象となっていた。
そんな中、「ピューマ」を着てしまった者が居たのである。
それはプーマと比べると、全体的に細かったり、尻尾の向きがおかしかったりする、紛れもない「おかんジャージのピューマ」であった。
しかしながら、このピューマジャージの悲劇は、その持ち主の名前が「星」だったことに極まれる。
「星ピューマ」
魑魅魍魎うずまく小学生の脳髄に、この間抜けな語感は十分すぎるほど響いた。
かくして、ドッヂボールの達人だった星君は、真正の「アディダス帽」を被り、
キャプテン翼の若林君を気取るまでの1年間はこの不名誉な名前をいただき続けたのであった。
実に20年近い歳月を経て、このネット上に本名を晒された星君は、
昨今のコピー商品の蔓延を訴える格好のキャラになれば良いと思ったが、
良く考えたら「偽者、かっこ悪い」と云う人間が「星ピューマ」であったら、お前がコピーやんけという誹りを免れず、
結局、星君は何で本名をさらされたのかということになり、此処に世の中に数多ある哀歌が一つ増えることとなるのである。