2007-08-06

素晴らしくなりかけた人の話

http://d.hatena.ne.jp/fuuuuuuun/20070801/p1

http://d.hatena.ne.jp/nitino/20070806

これらのエントリを読んで、昔を思い出して、ずっと苦い気分だった。以下半分本当で半分嘘の話。ありきたりかもしれないけど。書いてどうなるものでもないけど。

小学生の頃、いい子でいたい俺はともだちを沢山つくる必要があった。本には「優しくて強い子にはともだちがたくさんできる」と書いてあった。いい子でいなければならない俺は、当然優しくて強くなければならなかったから、その証拠が必要だった。

証拠に拘ったのは、俺は、自分自身が優しくも強くもないことを自覚していたからだ。注意深く振舞えば、本当は底意地が悪くて卑怯な俺にもともだちができるかもしれない。そしてそれは、俺が優しくて強いことの客観的な証明になるだろう、と考えたのだ。

まず誰にでも、嫌いな奴にも優しく振舞った。そして誰がどう見ても悪と思える事象には勇気をもって立ち向かってみせた。周囲はおれを優しくて強い子だと思い始めた。ともだちが増えた。誰かをいじめている上級生と喧嘩もした。同学年の子の親に、うちの子とともだちになってくれと頼まれたりもした。俺は進んでそいつの家にチャリで駆けつけて玄関のチャイム押した。

俺はいい子になれた。このままいけば俺は誰にも叱られず、いい子として平穏に生きることができる。だからみんな、このまま俺と友達でいてください。俺が一緒に遊ぼうと言ったら「うん!」と笑顔で言って下さい。それだけで、俺が本当は底意地が悪くて卑怯な悪い子だと糾弾されずに済むんだから。

なのにあいつは、冴えない顔をして、口下手で、空気同然の扱いで、俺が一緒に遊ぼうといっても「ううん…」位しか口にしないあいつはなぜ、友達がいないのに誰にも責められないのだろう。休み時間は人の少ない図書室で怪盗ルパンシリーズをひっそりと読んだりして、ずるいじゃないか。俺がやりたくもないドッヂボールにくだらないブサイクを誘ってやってる間にあいつは好き勝手なことをしている。なのになぜ、誰もあいつを悪い子だと叱らないんだ。

そのうち理由が思い当たった。俺のように要らぬストレスを溜め込んで無理な笑顔を作らなくても、あいつは元々寛大なのだ。恐怖に震える手を隠さなくてもあいつは元々勇敢なのだ。繕わなくても悪い子ではないのだ。だから平気で一人でいられるのだ。自分を取り繕わずに自分の居たい場所にいることができるのだ。あいつは心から優れた人間だ。取り繕っている俺はあいつよりずっと劣った人間なのだ。

なのに。なぜあいつは俺をおびえた目で見るんだ。お前のほうが優れた人間なんだろうが。本当は俺が底意地が悪くて卑怯だと知っているんだろう。なのになぜそんなに俺を恐れるんだ。取り繕うのに必死な俺をあざ笑えばいいだろう。いや、そんな被害者ヅラして心の底ではあざ笑っているんだろう。

俺は彼を激しく憎んでいることに気が付いた。そして俺は何もできなくなった。少しでも動けば憎しみを外へ漏らしてしまいそうで恐ろしかった。他人に関わることができなくなった。優しく強く振舞うこともできなくなった。

丁度小学校卒業する時期だったのが幸いした。俺は彼に憎しみをぶつける前に(自分の憎しみという感情に気づく前はもしかしたら無意識のうちにぶつけていただろうか、と今でも考える。そうではなかったと思いたいが、もしかしたらこれが「いじめた側はいじめた事を忘れる」ということなのかもしれない)中学へ進級し、教室の隅でひっそりと本を読み、クラスで二人組を作れば必ずあぶれる暗い少年になった。

あいつは当然こんな文は読んでいないだろう。

俺は君が羨ましくて憎かった。俺にないものを持っていながら弱者ヅラしている君がどうしようもなく狡猾な男に見えた。でも本当はそんなことはなかったのだろう、と今だから思う。

俺が許されることはきっとない。

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