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人気歌手、監督作品への批判を受けツイッター止める 自閉症の役者使わず弁解
https://www.daily.co.jp/gossip/foreign_topics/2021/02/06/0014059962.shtml
「シャンデリア」のヒットで知られる歌手のシーア(45)が、監督を務めた映画「ミュージック」に関する批判を受け、ツイッターを止めた。同作で、本当の自閉症の役者ではなくマディー・ジーグラーを配役した事への批判に直面していた。
自閉スペクトラムだったら最重度の役をアスペルガーの役者が演じても大丈夫なんだろうか。
そして、あらゆる病気や障害についてこのルールを適用するのだろうか。
いずれにせよ、フォレストガンプも作ることはできないだろう。
俺は意固地で決まり事を作るとき、厳しくしすぎて周りの人とギスったりする。何年たってもそんなで、他の要因もあり、自分は自閉症なんじゃないかとおもった。
しかし、自閉症というものはもっと深刻なもので、自分とは全く違った(自閉症のドキュメンタリはかなり内容に共感した。勝手に掃除されたくなかったりとかすごい分かる)。
さらに調べてみると、自閉症スペクトラムという、段階みたいなものがあるらしい。社会的にはそこまで困ってない(会社の人間関係が少し危ういくらい)ので、0%から100%で表すとしたら自分は10%くらいだろうか?自分の位置がはっきりすると少し気が楽になった。
スペクトラムというものを考えると、あーこれも自閉症スペクトラムの左端かなぁというのがある。
日本だと、論文やら注文書やらの表にはフルに罫線を引かせる。海外だと横線だけだったり、軽い印象だ。
自閉症傾向の方はカッチリしたものに安心感を覚えるらしい。まぁこれは好みなんでいいんじゃないかと思う。
具体的に言うとXML。SOAPはよりラフなJSON形式のRESTになったし(別に書式はXMLでもいいんだっけ?JSON以外みたことない)。何でもかんでも1回XMLにしたがるよなぁ。
他にも様々あるけど、マイクロソフトのサービスを全部列挙することになるからやめとく。まぁエンジニアってそういう傾向あるから、いいんじゃないんですかね。
生理の日数って3〜7日程で平均5日らしいけど、個人差ありすぎでは?
3日で済む人は経血量も少なくて、生理自体軽く済むのだろうか。7日かかる人は逆に経血量多くて生理痛も重そうだ。
月の十分の一が生理期間の人と、月の四分の一が生理期間の人では、生理の負担や認識もだいぶ異なるだろう。
生理が軽い人はとことん軽く、重い人はとことん重くなる。なんでこんなシステムなんだろう。
全員が同じ日数や経血量だったら良かったのにな。それも最小値の方で。
正直、生理も妊娠も全部「障害」として認定して欲しい。生理に関してはスペクトラムなので、生活に支障をきたしていたら「障害」認定でいいだろう。多くの女性が障害者ってことになるけど、実際そうなんじゃないかな。生理の重い人、妊娠してる人、今でも実質障害者みたいな扱いだし。
ZXスペクトラムとかなつかーしーなーおい。
まぁ当時ですら、VRAMに立てられたビットがどうやってブラウン管電子銃のスキャン時に特定の場所を光らせるのか、ましてやキャラクタジェネレータやスプライトのハード的仕組みを理解している人なんか殆どいなかったし、そういうのを疑問に思って勉強したくても、今よりもコストが高かったと思う。ネットのおかげで遙かに当時にくらべて技術情報はアクセスしやすくなったしなぁ。
今はHDMIインタフェースと液晶が全盛の時代になってしまったが、暴論すれば電荷を読み取って信号としておくって電極をはさんで人間の網膜に届ける光をコントロールするという意味では昔のブラウン管も液晶もプラズマも変わらんじゃんとも思う。
トランスジェンダーの気持ちというのは、シスジェンダーの「異性に生まれて見たかったなー」という感想とは全く違うものではあるが、トランスジェンダーの中にもシスジェンダーのふりをしながら「異性に生まれて見たかったなー」程度の表明でお茶を濁しながら生きてきた人もいるのだろう。
フィクトセクシャルの気持ちというのは、対人性愛者の「二次元は理想だもんなー」という感想とは全く違うものではあるが、フィクトセクシャルの中にも対人性愛者のふりをしながら「二次元は理想だもんなー」程度の表明でお茶を濁しながら生きてきた人もいるのだろう。
そしてもちろん、シスとトランスの間にはスペクトラム状の広がりがあるように、非対人性愛と対人性愛の間にもスペクトラム状の広がりがあるのだろう。
自分は自閉傾向が強い。非常にうっかりしやすいところがある。スペクトラムとされるように、自分は日常生活でも勉学/仕事でもさほど支障はない。
なぜ、さほど、程度で済んでいるのかと言うと、全てを覚えゲーのようにこなしているからだ。この会話の流れではこう返す、こうなったときはああする。そういった成功を覚えて、間違わないように気を配る。フリーな会話や大人数での会話はパターン化が難しく、ほぼ沈黙で終わってしまう。しかしそれも、さほど、の範疇だろう。
熱中症の報道、自分も最初現地リポーターの返しが唐突でなにかシュールなコントを見ている気分になった。多分自分も最初はアナウンサーのように笑ってしまうじゃないかと思う。もちろん「とっさに大丈夫?を言うべき」「アナウンサーがパワハラ・ひどい!」「これはアナウンサーが悪い」とのコメントを覚える。こういう熱中症の兆候、気を回した放送事故回避の方法があり、まず心配してみせることが大事だと覚える。おそらく次には活かせるはず、でも、過去には?
自分の発想の至らなさ、それをわかっているから努力を続けている。でも、いつか絶対に悪い側に回ってしまうんだろう。諦観が続く。
「負の性欲」とかいう言葉が馬鹿馬鹿しいのは「KKO」とかと同じで、内輪の造語で思考停止する目的が透けて見えるからなんだけど。それはそれとして、アセクシャルの私としても、マジョリティ女性が男性の性的視線とやらを忌避するのも所詮は性欲の裏返しでしょ?という感覚はある。
もちろん、アセクシャルとそれ以外の間はスペクトラムで、境界なんてないんだけどね。
何が正しい・間違っている、とは別に、当事者の素朴な感情としてそういう部分はある。
自分としては、このような感情は、同性愛者が両性愛者を迫害するような、褒められたものではないと認識しているけどね。
私としても「フェミニストでありたい」とは思っているけど、マジョリティ女性が無邪気に「アセクシャルは私たちの味方」という認識で近づいて来られると、「それで、あなた方は私たちの味方になってくれるの?」と警戒してしまう。
ADHDと自閉スペクトラムの息子さんが居る増田とその増田へのトラックバックを読み気分が沈む。これまでは知らなかった。よその家庭にも自分と同じような子供は居る。
宿題の提出が難しい。朝練にも行けない。朝の着替えも時間割の用意も出来ない。読書は好き。ドリルが大嫌い。
全て自分と被った。元増田のお子さんは成績が良く勉強も得意らしいので出来る子供だ。自分は出来なかった。何もかも駄目だった。
小学生でADHDと自閉スペクトラムと診断され治療を受ける事が出来たのはきっと子供にとっては幸せな事だ。
自分は滑舌が悪く何か問題があるのではないか、と子供の頃無料のカウンセリングに通っていた事がある。ある年齢からもう問題はないと通わなくなったが、発達障害や自閉症とは疑われなかった。
家族からは怠け癖のある子供だと思われていた。自分でもそう思っていた。ADHDでも自閉スペクトラムでも努力して社会に溶け込もうとしている・実際に溶け込んでいる人も居るのでそれは正しい。
発達障害の疑いがある、と去年心療内科の診断に行った。高校を卒業して10年経っていた。その10年間で働いた日数は半月にも満たない。3650日も時間があったのに、15日も働かなかった。怠けていた。遊んでいた。
ADHDと自閉スペクトラムの傾向があると診断された。初回ではコンサータが処方された。効果が強力だった。次はストラテラを出された。効いているのか分からなかった。その次はインチュニブだった。効き目が分からず飲むのを止めた。
世の中には発達障害や自閉症と診断されても、強い意志を持って努力している人が居る。苦しい思いをして辛いと思っても、自分は周囲に馴染めないと思っても、それでも頑張っている人達は沢山居る。
自分は何も頑張らなかった。ただ怠けていた。周りから変わっているとよく言われた。「君は返事だけは良いね」と先生に言われた。それでも何もしなかった。それも含めて自分らしさだ、その内何とかなるさと思っていた。
何ともならなかった。自分は発達障害だと分かっていて治療のために通院せず薬も飲んでいない。ただただダラダラと怠けている。アルバイトの求人誌も持ち返りはするだけで一切読まない。働くのが嫌だから読む気なんて初めから無い。
昨年一家の大黒柱だった父親が死んだ。我が家にはもう収入がない。預金が幾らあるのかは知らないが、凄まじいペースでお金が無くなっている事は分かる。働かなくてはいけない。それでもまだ働いていない。
自分のような何も出来ない人間に出来る仕事なんて単純作業しかない。それも一週間で辞めた。労働がしんどかった。先輩からの指摘がしんどかった。こんなに動き回って1時間で1000円も貰えないという事に耐えられなかった。
重い物を運んで体を傷めたので5日のバイト代約3万円はそれで消えた。今はもう働く気が起きない。毎日家の中で遊んでとても楽な気分で居る。幾ら遊んでも時間が足りない。もっと時間が欲しいとさえ思っている。
それでもやがて貯金は尽きる。母親もいつか死ぬ。家庭を築き社会人としても頑張っている兄弟にも嫌われている。生まれ付きのハンデがあっても頑張っている人の話を聞く度に、「自分は」失敗作なんだと嫌でも思い知らされる。
5月中旬から始まった学校は、分散登校という慣らし運転期間を経て6月から本格的に始動した。
運動系の部活に入った事もあって、朝練・授業・部活・宿題・塾 と中々ハードな日々を送っていた。
7月に入ると宿題を朝慌ててやっていたり、起きれなくて朝練をサボったりする日がぽつぽつ出てきた。
宿題も「毎日提出するもの」と「2週間後の期日までに提出するもの」が出されていて、毎日提出のものをギリギリこなしているという状態だった。
そして今週の水曜日、その「2週間後提出期限」の宿題の提出日の朝、息子は学校に行くことをやめた。
机には全く手つかずの宿題。
学校に行かなくなってのこの3日間は一日中ネットを見たりゲームをしたりしている。
ただ、友達への負い目があるのかラインやSNS、フォートナイトのような人と繋がるゲームはやっていない。
親として7月に入ってからした事は
・宿題の量が多いのでスケジュールを細かく切って取り組む計画を一緒に立てた。
・塾を辞めてもいいと子供に話をした。(子供は辞めたくないと言った)
・塾の宿題にまで手が回らなそうだったので、塾の先生に相談して「出来るところまででいいですよ」と承諾をもらった。
2日目からは登校に間に合う時間に起こし、朝食をとらせ、あとは本人に任せている。
一向に宿題に取り組む様子は無いけれど。
現在は薬で症状は抑えられているが、小学生の頃は朝の着替えも、時間割通りに教科書を揃える事も一人では難しかった。
勉強は嫌いだった。
読書は好きで、教科書や参考書の内容の理解は早かったので成績は良かったのだが、
ドリルのような「問題を何度も解く」という行為をとにかく嫌った。
本人にとって分かり切った事を何度も繰り返しさせられる「作業」は苦痛でしかないという様子だった。
息子にとって学校に行き続けるという事は、毎日そういう苦痛の山と向き合い続けるという事なのかもしれない。
この先どうしたらいいのか、出口が全く見えない。