はてなキーワード: いいんじゃないとは
surfaceはデザインはいいけど買ってはいけない。海外じゃ訴訟起こされたくらいだしデザイン尖り過ぎててすぐ壊れて良い印象ない
そもそもAMDのCPU使ってるくせに過去にはカーネル周りのトラブル起こしたり仮想周りでーみたいなこともあったりデザイン以外良い印象ない
iPadがおすすめだけど、脳死で使えるように規制が多いので、嫌ならAndroidタブレット使えばいいんじゃないかな
タブレットじゃなくて~なら、ワイはレッツノート信者なのでタブレットモードになるレッツノート推したい
https://panasonic.jp/cns/pc/products/qr4c/
レッツノートがクソみてーに高いのは日本の工場で作ってる(日本の雇用を守ってる)&丈夫(ADHDのワイくんが落としまくっても壊れない)だから
まじサステナブル
iPad Pro はめっちゃ高額化する予定みたいだから、今後は、iPad Air のデカいのとレッツのタブレットモードになるやつ買う予定
こういうのってだいたい他人のこと書いている体で自分のだと思うので書いとくと、『在宅勤務をする』で終わりやで
あと社会性スキルよりも職業スキルよりも、他人に対する信頼感がないことの方が問題だと思う
今すぐに専門家に相談できないなら、『日本でいちばん大切にしたい会社』を読むといいんじゃないかな
どこの会社だったか忘れたが、一度雇った人は絶対に首にしないポリシーって会社があって、
会社来なかったり、来ても遅刻するような社員と向き合い続けて、
5〜10年だったかな(年数は忘れた)、何年も経ったらその社員は遅刻せず会社に来れるようになって、
あと、ワイの個人的な経験だと、あるコンビニにあからさまに病んだ表情かつハゲ散らかした異臭のする巨漢の店員さんがおったんよ。しかも巨漢なのに声も小さい
もしかしたらオーナーのお身内の人だったのかもだが、とても接客業で雇われるような人じゃなかったが、なぜか採用されて働いていた
数ヶ月後、その店員さんがどうなったかというと、異臭もしないし元気はつらつでめっちゃ明るい感じのいい店員さんになったよ(髪は坊主になった。巨漢はそのまま)
いや、アーティストが作品を買い取って貰っているだけなのだから通るも何もないと思う
嫌なら売らなきゃいいってなる
実態はアーティストがひとりで仕上げた作品を買い取るではなく、編集と暗黙の二人三脚って文化じゃん?
リテイクがあるし、指示を受けて制作をしているってことで、実態に合わせて準委託契約・委託契約にしたらいいんじゃないですかね?
それなら月5万円とかは通らないと思います
>そのような男性を受け入れることができるの?
言ってる意味わからないんだけど、なんで受け入れなきゃいけないの?
好きにしろよ
好きにするのが目的だろ
その人の素が素敵なら好きになる人はいるでしょ
女がよく「自分のために好きな化粧してる」「好きだからスカートはいてる」とかいうじゃん
あれと同じことしていいよって言ってるわけで
「スカートはかなくいいっていうけど、じゃあ女をおりてパンツスタイルの女を男性は受け入れられるの?」って挑戦的にこられても
え、きっしょ ってならない?
「いや好きにしたらいいんじゃないんですか」「パンツスタイルでも好きな人は全然いるでしょ、その人がまともで個性があって波長があえば」と。
自分の選択の結果を相手に押し付けるの?(実際押し付けなくても、発想だけで変だからね?)
呼吸するように他責なの?
熊代亨先生、先日梅田ラテラルにて行われた『「推し」で心はみたされる?』のトークイベントおつかれでした。せっかくなので感想というか、お手紙を書いてみたいと思います。
私はあの日の観客の一人です。子どもが3人いて最近ラグビー観戦にはまった者といえばわかっていただけるでしょうか。本来ならメールやDMの方が良いのでしょうが、あえてこちらにしました。迷惑だったら申し訳ありません。また、こういった文章に不馴れなので読みにくい点もあるかもしれませんがお許しください。
普段、私はトークイベント等にはほとんど行った事はないのですが、思いきって参加してよかったです。インターネットや著書で知っていても、実際に目の前にすると「遠くから眺めていた人がこんなにも近くにいるぞ」と妙に感慨深いかったです。2時間程度ではありましたが、同じ時間、同じ場所にいられて嬉しく思います。
トークイベントでは新刊のテーマである「推し」について先生や他の参加者の話を聞きながら考えていたのは「ヒトはどこまでいっても社会動物である事実から逃れられない」ということです。今回推しの話から時代ごとの世相の変化、承認欲求と所属欲求の比重の移り変わり、果ては社会福祉までと誰かが無理やり話題を変えた訳でなく自然と話が膨らんでいきました。推しという個人の感情を語ってもどうしても社会に接続されてしまうような、そんな気がしました。ヒトが解脱し娑婆から抜け出す日はまだまだ遠そうです。
私はいま35歳ですが、ラグビーというボールすら触ったことのないスポーツ観戦になぜはまったのかわからないとお話しました。その際先生は自分の心の鍵穴にうまく刺さったのではないかとおっしゃりました。鍵と鍵穴のたとえはいいですね。確かに観戦するという行為が自分の中にするりと入ってきた気がします。鍛え上げた選手達が荒々しくも規律を守って(ペナルティを出さないで)プレーしている姿に心躍らせますが、もしかしたら力のある者が正しく力を行使する様に憧れがあるのかもしれません。実際強いチームはペナルティが少なくスマートにプレーしていますし、それがまた格好良いのです。
一方で家族に対してはどこか一歩引いたような気持ちがあります。少なくとも周りのお父さん達と比べるとどう家族に思い入れが足りないのではと感じます。妻にもたまに文句を言われます。先生はむしろ子ども推しにのめり込みすぎるより全然いいんじゃないかと言ってくれました。思い悩んでいたわけではありませんが、ちょっとほっとするような、励まされた気持ちになりました。
どうして家族をうまく推せないのだろう考えると、私の両親も同じく「推し」がへただったからだと思うのです。
両親はとある同じ地方の出身で、父は貧乏農家の三男、母は貧乏大工の娘でした。地方出身の先生ならお分かりでしょうが、50年以上前の農家の三男ともなれば扱いはさんざんなものだったそうです。また幼くして母親(私からみた祖母)を失くしており、ずいぶん寂しい思いをしていたようです。母も自分の親がずいぶん厳しかったようで、成績が少しでも下がろうものならヒステリーと言えるくらいに叱られたと聞いています。
そのせいなのか両親はお互いにうまくリスペクトし合えてなかったし、子どもの立場から見てもナルシシズムを充たすには不十分でありました。社会に出てから子育てをしている人をみて、こんなにも子どもにかかわり合うんだととても驚いたのを覚えています。
無論、大人になった今では両親にとっての精一杯だったのは理解できます。彼らなりに「推し」ていたのだと。
ただ、私は4人きょうだいですが他の3人も親に対してどこか一歩引いているように見えます。もしかしたら私は家族、あるいは血縁という概念にいい感情がないのかもしれません。
実際、妹は結婚していますが、子どもは絶対に作らないと明言しています。自分の遺伝子は残してはならないと考えているようです。実は私もその意見には共感します。もしかしたら子持ちのくせにうっすらとした反出生主義者なのかもしれません。
それでも生まれた命がある以上ちゃんと育てて社会に送り出さなければなりません。幸い、知人や会社の同僚に子ども推しの参考になる人達とたくさん出会えました。なにより妻という心強いパートナーがいます。見よう見まねではありますが、たとえ擬態であっても良き親、良き「推し活」でありたいと思います。
今回のようなトークイベントをまた大阪でされるのかはわかりませんが、いつの日かお目にかかるのを楽しみにしています。短い時間ではありましたが、言葉を交わし合えた者として、ささやかながらこれからも先生を「推し」として応援しています。
アップロードだけを禁止に出来るはずだから、情シス部門(?)に文句いえばいいんじゃない?
生でやるときめちゃ早漏になる(5分も動かないうちに出る)んだがどうにかならないかなと考えている。向こうが満足してないんじゃないかなと思うけれど、ゴム付けようとすると「、、付けるの?」と聞かれるし付けなくていいんじゃないと言った雰囲気を感じる。ゴムをつければ10-15分ぐらいになるからつけた方が満足できるんじゃないかと思うが本音がわからん。
その準備してるうちに死にたくなくなるんだったらそれこそあったほうがいいんじゃないかな。
人として間違ってても楽して稼げるならそれでいいんじゃない?サボってても満額もらえるんでしょ?