現在、俺は29歳なのだが、結婚できる兆しが全くと言っていいほど見えてこない。
学生時代、実験の班分けが同じなった女と付き合っていたのだが、その女と疎遠になって以来、異性との交際経験が全くない。
タイトルと全く違う話をしているように聞こえるかもしれないが、俺にとっての彼女や嫁という存在は「桃」に近い存在だと最近気がつき、この感覚を共有したく、日記を書いている。
桃の味や触感は何なら好きだし、偶然にも冷蔵庫に入っていたり、贈答されようものなら喜んで食べる。
しかし、自ら青果売り場に赴く気力が湧かないし、いつ頃店頭に並ぶのかも知らない人は多いんじゃないだろうか。
仮に「今日からあなたは一生、桃を食べられません」と告げられても「はぁ、そうですか」と特に抵抗なく受け入れ、今際の際でそのことを思い出すくらいだと思う。
時間も金も十分にあるのに、ずっと持て余している。女どころか仕事仲間や親族と言葉を交わすことさえ億劫になっている。
このままだと、桃はおろか苺や八朔も食べることなく生涯を終えてしまうんじゃないかと恐怖を覚える。そして、その恐怖に当事者意識が持てない自分の幼い心が恥ずかしくて仕方がない。
俺は、どうしたら桃を買いに行けるんだ。
そのうち周りの人間が全員一斉に桃を食い始めて事あるごとに桃の話を挟んでくるようになる
果物ってスーパーの入り口の一番目立つところに陳列されてるから「わざわざ果物売り場に買いに行く」って感じでもないが。
フルーツというのは人に食べさせようという動機で買うことが多い 自分一人で食うには手間がかかる割に量が少ない 通常は入院した人やお世話になってる人にあげるために買う 嫁や子...
「不幸があったときや病人のためのときにも贈れるものは花とフルーツだけだ」 「果実(フルーツ)とは特別だ」