職場にある倉庫の壁はコンクリート打ちっぱなしになっており、コンクリのきめが細かくて気泡が全く見当たらないいい壁になっている。爪を研ぐには最高だ。自宅に爪やすりはあるが、手持ちサイズのちっぽけなやすりでチマチマ研ぐよりも壁に向けて腕全体を振ってダイナミックに研ぐほうが楽ちんで爽快だ。
今日の昼休み、倉庫の壁で爪とぎしている時に別部署のひとが入ってきた。とっさに手を引っ込めて「あァっお疲れさんすぅ」と言って顔を伏せてごまかした。その人は倉庫内の物を手に取るとすぐに出て行ったので話をする暇はなかった。幸いにも爪を研いでいる瞬間は見られなかったが、もしかしたら昼休みに一人倉庫の壁を見つめてるおかしな人と思われたのかもしれない。
猫が樹木やコンクリート塀で爪を研ぐように、人間も身近なもので爪を研ぐ習慣を持てばいいのに。街に鏡があればそれを見て身だしなみを整える人がいるのと同じように、街に爪とぎボードを設置して通りすがりに爪とぎできるようになればいいのに。そうなれば、壁で爪とぎしてるところを見られても、「あぁ、どうも。この壁は爪とぎに最高なんですよ」と気軽に話すことができるのに。
油(大さじ)とシャンタン(小さじ)と醤油(小さじ)を混ぜた(お好みで酢とかスパイスとかフレーバー入れてもOK)やつに茹でたうどんを入れるだけの食い物
3玉100円の生麺買ってきて全部それに浸して食った。野菜とかは無い
ハンバーガーだのケーキだのを取り上げて「罪悪感のある食べ物」とかいってるスカした表現しゃらくせーと思ってたけどさ、これはやべぇもの食ってる感がビンビンだぜぇ!
開演のベルでおやすみ、アクタージュ、めだかボックス、絢爛たるグランドセーヌが自分とかぶるな。(なお、追記は、元の日記を編集して文章足すパターンが多いと思うよ)
「30%も税金にとられてるよー」と友人が愚痴を言った。日本の大企業に勤めてる友人。年収もそれなりにありそうだしダブルインカムだしで、体感値的には一番税負担が重いんだと思う。
当然「だからこそ税金の使い道もっと考えて欲しいよねー」という展開になるんだと思ってた。今はコロナ下で未だかつてないくらいみんな政治に注目してるし、アベノマスク第二弾やら旅行業界利権やらで話題だし。医療従事者や福祉系労働者への報奨とかさ。
まさか「だから弱者は切り捨てるしかないよねー」って言ってくるとは思わなかった。え、そっちの展開!?!?びっくりだよ。いつ自分や家族が弱者ポジションになるかわからない世の中なのにね。災害・事故・障害・エトセトラ。
切り捨てる側にいると自分では思ってるんだろうけど、今そのポジションにいれるのは幸運の積み重ねだってことを理解してないんだろうなぁ。(このへんは上野千鶴子先生の東大入学式祝辞にあった問題提起と近い)
持てる者が声をあげたり支える社会の方が健全だと思わないのかなぁ。なんで日本はこんなに持てる者と持たざる者が対立するのよ。
こういう考え方の人が世の中にいっぱいいると思うと怖いよ。
人を神にするの止めてもらえませんか?
そんな安くないんだわ。市販の風邪薬みたいにポンポン買えるものではないんだわ。あと薬の相性によっては飲んだ後めっちゃ気持ち悪くなる、胃腸炎か?ぐらいつらい。それでも悪用する馬鹿のこと考えるて反対するのか?特に男、おまえの身体には全く影響ないのにな。せめて反対するなら女のことばっかり論うんじゃなくておまえら男の問題も提起して反対してくれ。何故なら薬が市販化されようがされまいが、女性の問題ばかり論うんであれば薬を飲まないお前らには関係ないからだよ。
あと病院とかオンライン診療でいいじゃんとか言ってるやついるけどそれだと必要な人間に行き届いてないから市販化の話でてるんだろ。なんで市販化が必要だと思っている人がいるのかちょっとは調べて考えてくれ。ネットで落ちてる情報だけでもちょっとはわかるだろ。それぐらいの情報調べる労力ないなら無視してくれ。おまえたちには必要じゃないから好きなこと言えるんだろうけど必要としている人間がこの世にはいるんだ。おまえらが想像するよりたくさん。
セブンイレブンの『THEセブンビーフカレー アンガス種牛肉使用』は俺の週1の贅沢。
ワンコインでこの旨さはヤバイよね。(実際の支払いはペイペイだからコインでもなんでもないけど)
今週も半分過ぎたけど、パワーが欲しいときに食べるよ。
楽しみ。
正直に最初の印象を答えると、これまたキャッチーな今どきツーピースがでてきましたねだった。
その時探していた曲は別のガールズバンドで、どちらかというとロックテイストがつよいグループだった。
そんな検索結果にレコメンドされてでてきたのがヨルシカの「言って。」「ヒッチコック」「ただ君に晴れ」だった。
作業用BGMを探していただけだったので、とりあえず耳障りでなければそれでよいくらいの気持ちでそのままのレコメンドを受け入れてみた。
仕事のことを考えながら、頭の片隅で、あぁ、キャッチーで記憶に残りやすそうだけど、味の素みたいな面白みのない曲だなというのが本当に、本当に正直な感想だった。
その後はとくにヨルシカを聞くこともなく、ただレコメンドに促されるままいろいろな曲を聞く日々を過ごした。
とくに琴線を響かせる音楽に出会うことができず、ただただ新しいっぽい音楽を面白みなく口の中で咀嚼するような毎日を過ごしていた。
流行りものを狙ってくる戦略も嫌いだし、世の中に流行っているというと言われるだけで嫌気が差した。
ワニの寿命が100日なんて言われればその時点でどう頑張っても拒絶反応がでるようなタイプだ。
日常が当たり前に続くことに裏貼りされたくらいでいちいち心がうごかされるようなピュアさはとうの昔に剥ぎ取られてしまった。
ひとまずは自分という人間がどれくらい迎合という概念を忌み嫌っているかを知ってほしかっただけだ。
そんな毎日を過ごしていたのだが、ある日、ふとまたヨルシカを聞きたくなった。
耳の奥の深くに、ヴォーカルの声が消えないでいたのだ。
迎合したくないという意思に阻まれながら、ちゃんと聞いてみないとわからないだろうという自分の説得に負けて、それならアルバム1枚聞いて、面白みがまったく感じられなければそれまでだろうと自分を言い聞かせることにしてみた。
前提を忘れていたが、流行りは嫌いながら、音楽そのものが好きだという理由で、とあるサブスクに登録している。
だからこういうときに、新しい音楽を試すことにコストも抵抗感も低いままチャレンジができる。
ジャケ買いで失敗しても強がって聞いていた時代とはこうまでも変わってしまったのだ。
かくしてヨルシカの「負け犬にアンコールはいらない」を聞くことにしてみた。
ただ君に晴れのメロディと声がずっと引っかかっていたような気がしたので、その曲が収録されているアルバムを聞いてみたのだ。
とにかくよくわからなかったのだ。しょうがない。それ以上の言葉を持ち得なかった。
これまで好きになる音楽にも嫌いになる音楽にも明確な理由があった。
別のアルバムを聞いてみればこの気持が説明できるかもしれない。
そうおもって、彼らのファーストアルバムである「だから僕は音楽を辞めた」を聞いた。
でも、それだけじゃない強がりの裏返しのような言葉に心がざわついた。
これだけでは心が粒立つばかりではないかと、とにかく納得できるまで聞いてみようと思い、サブスクでDLできる曲はすべてプレイリストに突っ込んでヘビロテする日々が始まった。
とにかく掴み所がない、自分の気持ちを確定できない歯がゆさと、それでも聞いていないと落ち着かないような気持ちで、振り返ってみれば結局は400時間近くヨルシカだけを聞き続ける日々を過ごした。
それでわかったことは、ヨルシカの魅力を未だにまったく理解できていないけど、とにかく、とにかく好きだという気持ちだけだった。
ヨルシカの惹かれてやまないところは2つ。
歌詞の言葉選びと、それに対して完璧なまでに順応するヴォーカルsuisの変化に飛んだ歌声だ。
ある意味では文学の教科書的な言葉選びとも言える歌詞だが、その単語ひとつひとつの登場のタイミングは優れた文学に引けを取らないバランス感覚がある。
それに対し、suisの声色のバリエーションがとにかくものすごい。ここにきてボキャブラリーを失うほどにすごい。
流行りのツーピースと決めつけていたのは、キャッチーな部分での声色を聞いただけの判断だった。
しかし、同じ曲でも、たしかに同じ人・同じ声なのに、まったくもってテイストが違う部分だらけであることに、あとになって気がついた。
意識していなければ聞き流してしまうような、ものすごく小さい心の機微をものすごく大胆に表現しているのだ。
その部分に気がついてしまったら最後、ランダムに餌が出てくるボタンを押し続ける鳩のごとく、ヨルシカの曲を聴き漁る日々が始まった。
フラットな気持ちで聞いているつもりなのに、突然の声色の変化に突然心臓を鷲掴みにされるようなスリルを楽しんでいる自分がいることに気がついたのだ。
これまで、実力派と言われる歌い手を国内外問わず聞いてきたつもりの自分だったが、これほどまでに繊細で、かつ意識していなければまったくもって聞き流してしまうような瞬間に大胆な表現をするようなヴォーカルには出会ったことがなかった。
何が不思議なのかといえば、1度目に聞いてそれほど好きではないと思っていた曲だったのに、聞き流しているうちに気がつけばその曲を欲するようにまで変わってしまうくらい聞くたびに曲の印象が変わっていくのだ。
1度聞いたくらいでは拾いきれない言葉選びのセンスと、それに呼応するように変化するsuisのヴォーカルだからこそなせる業なのだと言える。
何度聞いても、この曲の本質を理解することができないような不安と、それでいて、それでも気持ちが良ければいいではないかと疑わずに思えるほど懐の深い世界がそこにあるのだ。
とにかくヨルシカの曲をかたっぱしからプレイリストに突っ込んで聞き続ける日々を送っている。
自分でも不思議で仕方ないのだが、この曲は好きではないかもしれないと飛ばしていた曲を、今日はヘビロテしているのだ。
これからヨルシカを聞いてみたという人に何を勧めていいかが全くわからないが、どの曲でもいいが、1度聞いて好き嫌いを評価した自分をとにかく疑ってみてほしい。
好きだと思っても、本当にそうなのか疑ってほしいし、苦手だと思っても、同じように本当にそうなのかを疑ってみてほしい。
どの曲でスタートしてもヨルシカに対して先入観が作らてしまうことは仕方ないが、その後、どの曲を聞いてもその先入観はいい意味で裏切られ続ける。
そうして気がつけば、その裏切られる瞬間の気持ちよさを求めて、再び同じ曲を聞いてしまうのだ。
もちろんそんな難しいことを考えないでBGMに使ったっていい。
どの曲も一昔前のロックンロールを意識しているかのように見せかけて、まるで3つのジムノペティのように必要以上に意識を刺激されることがないのだ。
聞いていたいと思うのに、気がつくと意識の外にあるようなそんな不思議な魅力にあふれているのがヨルシカという存在なのだ。
とにかくすべてのアルバムを聴き倒して、今、それでもどうしても選ばなきゃいけないと言われるなら、選ぶのはこの3曲だ。
IMHO( in my humble opinion)のほうがよくみるきがする
そんなのは当たり前のこと
昨日バラエティ番組にフワちゃんが出ていた。老け顔で悩んでる女性が『父親にスッピンを世の中にさらすな』というようなことを言われた話をしていたら、『親子といえどもグーパンだよね』ってサラッと言っていたことが印象に残った。辛さに同調するわけでもなく、自虐エピソードを笑うわけでもなく、そういう返し方ができるタレントは"強い"と思う。
フワちゃんを最初に見たときは見た目の派手さと言動の自由さに強烈な人が出てきたと思ったが、テレビで見る回数が増えるうちに、一昔前のふなっしーに似ていると思うようになった。テレビがホームグラウンドではない強みからか、周りに合わせつつもテレビの意向に流されすぎないところが似ている。どちらも当初破天荒さがウリだったが、それだけではなく内面の豊かさで人を惹きつけているところも似ている。
いつか対談してほしい。