自分も同じ傾向がある。
その程度のことに気付かない自分を責めているように受け取ってしまい、相手と自分に腹が立つ。
自己評価の低さに由来する問題と思うので、自己評価をあげるのと、言われそうなシチュエーションを予測して事前に避けるようにして対処している。
そもそも、カードって衝動買いできる仕組みを提供してやるから、店舗の手数料くれというビジネスモデルじゃなかったっけ?
無駄遣いしたくないのでカードを使いませんは合理的な回答に見えるんだけれど。
まあ、お偉いさんは回答ありきで質問をして、増田たちの回答をガン無視して自分の回答を押しつけただけだろうけどな。
でも、増田が思ったところを追求しないと増田と同じ思いの人にカードは普及しないってことだ。
硬貨や紙幣でないといけない理由は何かというのはどの辺なんだろうね。
b. 目で見て数えられなくてはいけない?
c. 使ったら目に見えて減らないといけない?
d. 財布に入る量に限りがないといけない?
とか思いつくけれど。
物理的な物体という必然性に対応する方法は思いつかないけれど、他のはそういうアプリ("おさいふアプリ"とか名付けてみる)でなんとかならんのとは思う。
お金投入ボタンを押すと、アプリ上の見かけとしてお金が入っていることにされる。(dを達成)
ビューを変更して、硬貨や紙幣の数で残りを見せるモードも提供。(bを達成)
実際にカード会社が請求する金額は本当に使った金額だが、カード会社製の"おさいふアプリ"はあたかも普通の財布のようにお金投入ボタンを押さないとお金は足されないし、"おさいふアプリ"の残高が支払額を超えていると、お金を投入するボタンを押すまでお金を払えない。
とかすると、増田たちの懸念点は払拭できそうな気がするんだけれど。まあ、アプリ作るのが面倒くさいよね。口座も実際の支払いの口座と、"おさいふアプリ"表示のための口座と2種類用意しないといけないし。
女として生まれたからには一生に一度は憧れるセリフを財務省の事務次官様にいってもらったわけだ
これがセクハラ? とろけるほど甘いわ。
世の中には一生おっぱい触らせてと冗談でも言ってもらえない女性もいることを考えてくれ
フェミニストとか
metooってのはあくまで今までいろんな圧力やしがらみで公表できなかったセクハラ案件をうったえるための運動なのに、それを個人の人格に絡めて「私いままでこんなひどいことされてたのに相手が上司だったから何も言えなかったの!みんな私のために戦って!共感&同情して!!」って声に落とし込んじゃうから、それがブーメランになって帰ってきたときに「わたしがしたパワハラは綺麗なパワハラだから問題ない」みたいな馬鹿な返答をして自爆してる。
そもそもネットでmetoo案件で声を上げて注目される人物ってのはこれまでもそれなりに業界で活躍してきた実力者であった場合が大半。名も知れない底辺のセクハラ案件を実名で公表されても誰も見向きもしない。そして人間ってのは多かれ少なかれ欠点もあるもんだから、それなりの地位に就いた人物は男女どうであれ過去に部下や友人に無意識にパワハラやらセクハラとしか受け取られない事案をやってきたケースが大半。でもそれは責めないよ、人間誰しも自分がされたことはよく覚えてるけど、自分が無意識にしたパワハラ・セクハラなんて本当に無自覚だから覚えてない。
だから大事なのには、自分はmetoo運動で「こんな酷いセクハラされた!」って訴えたあとに、ネットで匿名の誰かに「お前だって以前部下をパワハラで退職に追い込んだだろ」とか「さんざん嫌がれてるのに童貞男性をいじって金にしてただろ」とか「出産して時短になった同僚を仕事ができないからって退職に追い込んだだろ」とかブーメランされたときに、ちゃんと「ごめんなさい」が言えることなんだよ。metoo運動ってのはお前個人の救済のためだけにやってんじゃないんだから。
なのにこんな当たり前のことがわからずに自分がした行為を自己正当化するmetoo馬鹿が多くて本当にうんざりする。別にmetooで訴えるのと同時に自分の過去の過ちを謝罪するのは全然おかしくないんだよ。こういう馬鹿ばっかがのさばっているので「metooで訴え居る連中って、結局セクハラされても仕方ないようなクズばっかだね」みたいな結論にいたるケース続発。
はてなやらで持ち上げられてるある人が推奨してるサウナからの水風呂いくやつ。
交互浴とかいってなんか効果あるような書き方してるけど、サウナで温めた体を急に冷やすとか血圧が急にあがるやらして血管や心臓に負荷がかかりすぎてデメリットの方が多いだろ。
高齢化社会になって自分でも気づかない何かしらの疾患を抱えてる人だっているこの世の中であんな入浴方法がもてはやされる意味がわからない。
デビットカードを使えって話?
アドラー心理学的に考えたら、後ろから人が来ているのをあっさり伝えるのはいいけれど、それを知ってからどうするかは君が決めること。君が決めることに踏み込んできて、急かしてくるからイラッとするんじゃないか?
正確に言うと現金を持たないでだな。
決済はオートチャージを設定(2000円を切ると4000円チャージ)したSuicaとエポスカード(限度額90万)のみでやった。
結論を言うと全く困らなかった。
コンビニやらは全部Suicaで決済してそれ以外はエポスカードで決済してた。
明細もきちんと出るしポイントつくし不正や紛失にも対応出来るし余程現金より便利だろ。
なんでみんなカード使わないの?
1割本物かな?って匂わせることでリアリテイが発生するんだよ
初投稿です。
それから10年、今のご時世はTwitterでも身バレするので、発言はかなり社交的になったものです。
あらためて匿名で発言できる環境に戻ってみると、「何でも言える」雰囲気が、
逆にちょっと怖いですね。キーボードを前にして、いつものように打てません。
なぜか?それは、「相手ありき」というのをネットを通じて学んだから。
「中傷はしない、されたらその発言に近づかない(反論しない)」という態度です。
これからのエントリーも、自分の考えが発信・共有できる場。自分の身の回り(家族・仕事先)に影響が出ない
無駄といった人じゃないが、普通に考えて、個々に書いてあることを見ても便所の落書き程度の意味しかないと思う。
自分、一応該当するかな。
子供を作る覚悟がないので生涯独身のつもりだったけど、もしも同じ様な考えの女性がいれば生涯のパートナーがいるのもアリかなぁと思い始めてきた今日この頃。
やっぱりツーマンセルで動いた方が、何かとシナジーがあるなーと思うようになってきた。
特に物事をアレコレ考えるとき、独りだけで、頭の中で理屈をこねくり回しているよりも、運命共同体で同じ結果にコミットしていく相方と議論を重ねた方が、飛躍的に思考の幅が広がることを(仕事の中で)最近とみに実感しているので。
仕事の議論は仕事のパートナーとすればいいけれど、人生設計の議論にも同じようにパートナーがいるとお互いにいいのかもなーと思った次第。
でも、自分は今のところ生まれてくる子供に対して「産んだ理由」を説明できるだけの人生の意味に対する確信が無いので、子供を作ることはしたくないと考えている。
将来、産んだ意味を説明できる自信がつけば、子供をつくるのもやぶさかではないと思うが、年齢的なタイムリミットを考えるとそれは望み薄だと思われる。(いっそ、子供に「お前を産んだのはオレのエゴだから」と開き直れればそれもありなんだろうけど、その覚悟も持てそうにないので)
すでに生まれて「しまった」子供を養育することに関しては迷いも躊躇いも無いので、パートナーが連れ子や養子を望むのであれば、状況次第で受け入れられる可能性はあると思うけど。
でもまあ、こんな変わったポリシーの男がそうそう同じ志向(思考?嗜好?)の女性と巡り会うこともないだろうし、結局は独身のままだろうと諦観しているというのが本当のところだけどね。
増田がなぜ子供を希望しない男性の市場可能性を調査しているのかは知らないけれど、一事案として自分の話が参考になれば幸いです。
俺も学生時代そこまでPR出来る事は無かったんだけど、逆求人系のイベントに参加した時にひたすら普通の人とは違うって言いまくったらソニーの最終面接は行けた。
最終面接が緊張しすぎて何も喋れなかったのと、大学の成績が糞だったので駄目だったけど。
普通の人とは違うって言うのも、IT関係ではあるけど実務では全然使えない様な事(匿名だから具体的には話せないけど、イメージで言うとスマホを何台も分解した事あるとかそんな感じ)。当時何でそんな訳の分からない事にハマったのかとかをエピソード添えつつ話した。
A新聞に記者として働く学生時代の先輩がいる。彼女は今、アメリカに留学中で、昨今のセクハラ騒ぎを一昨日、知ったという。
同業他社の女性記者が受けたセクハラ被害に対し、思う事をFBに書き綴っていた。
先輩もまた、女性記者として今まで受けたセクハラを受けていた。
しかし、私は正直な所、彼女が受けたセクハラ被害を読んで、「この程度の事がセクハラになるなら、私なんてもっと最悪なケースではないか。」と思う事ばかりであった。
私は、FBに「イイネ」や「酷いね」などのリアクションも出来ず、コメントも残せなかった。角の立たないコメントを書けなかったし、励ましたり同情する言葉が浮かばなかった。「女性の敵は女性」になっている自分が、嫌だった。
そうこうしているうちに、彼女のFBに書き綴った内容の記事は大反響を呼び、改めて感謝の意や今後の抱負・反省などで、彼女はこの話題を締めくくっていた。
私はその締めくくりの記事を読み、虐められていた時の自分と重なった。虐められていた理由は、
・偉そう
・高みの見物
・人を何だと思っているのか
・「ごめんなさい」と言えば許してもらえると思っている。
・馬鹿にしているのが解る。
という理由だ。私は虐めを受けている当時は、全くわからなかった。謙虚に低姿勢に、世間様と接しているのに、なぜ、その彼らにこの様な酷い罵声を浴びなければならないのだろう。
鼻につくという理由で、なぜ。
けれども、先輩の締めくくりの記事には、まるで当時の私そのものの様子が、書き綴られていた。それを読み私は思わず、
「これじゃあ、風当たりが強いのも、無理はないな。」と思った。
反省している事、優等生の様な考え方、選民思想、そんな自分が理不尽なことを耐えて「あげた」だけでも偉いのに何故。
その様な事が見え隠れするような、表向きの締めくくりの美しい文章に思わず「勘違いした人間の間違った謙虚は、痛々しい」と感じてしまった。
ここで、先輩の文章を添付したりコピペする事は出来ないけれど、なぜ自分が虐めを受けてきたか、痛いほどよく解った。
虐めは悪い事だけれども、虐められる方も悪い。その理屈は近からず遠からずだと思った。少なくとも今の私だから、自分の痛々しい優等生っぷりが公害であったと理解できる。これでは社会が受け入れてくれるはずがない(社会に馴染めるはずがない)し、邪険にされるのも良く解る。
具体的な話を書けず、抽象的な内容でゴメン。私が言いたかったことは、昔の私を引っ叩いて自分の勘違い・自惚れ・思い上がりを先輩の記事を読ませて、不快感を通じて自分を客観視させたいという事だ。
みんながめちゃんこ褒めるから遅ればせながらswitch買ってやり始めたんですよ。
かなりシックなテイストでプロモーションされてたから世界観などなど期待していたんだけど、ワンダと巨像の方が説明過剰でなく美しいと思ってしまった。
敵の造形も妙に可愛らしいので問答無用に殴っていくこの主人公の方が悪者では?とundertaleみたいなことを考えてしまう。
無論RPGのお約束とはいえ、skyrimやfalloutのように生きねば!という極限感もないのでただの暴漢のように見えてしまう。
世界を探索してみたい!という気持ちもだだっ広い草原よりbloodboneのような建造物のほうが興味をそそられる。
細かいところだけど本編に使われているフォントがまるでPSOみたいで世界観に合ってない。
全体的に子供用ソフトにそこまで求めるなと言う話かもしれないが、minecraftとか簡素なグラフィックだけど音と合わせてかなり雰囲気があると思うんだよね。日の出にしっかり綺麗だなと思える。