そういうことが書いてある専門書はないの?
が、山中研究室の不正問題で議論が起こっているのをみていると、途轍もなく言いたいことが湧き上がってしまいます。
日本の優秀な研究者は海外に行って研究すればいいのではないか?
マーケティング的に考えて。
先輩にも友人にも、大学院で研究をしている方が数多くいますし、私はその方々を本当に尊敬しています。
し、研究者はもっと研究に専念できる環境で研究すべきだと本気で思っています。
その前提でお読みいただけると幸いです。
また、以下の文章は全て、「日本ローカルでないと研究できない領域の研究者」は対象外です。
史学や考古学、人文科学などの領域で対象が日本列島のいずれかと密接に関わるやつ。
雑に行ってしまえば、「設備とか環境さえ整ってればぶっちゃけどこでも研究できるやつ」についての話だと思ってください。
山中研究室を取り巻く諸問題に関する議論を見ていてとても悲しく思うのは、
バカなマスコミとその先にいるとにかく不正を叩きたいバカな日本人、そして学問研究の価値を理解しない日本政府
VS
学問研究は人類・ひいては日本のために絶対必要かつ有益、なのに理解されない、だから日本では優秀な研究者が育たないんだ系研究クラスタ
になってしまっているように見えること。
実際 http://blogos.com/article/273575/ こう言う記事とか https://togetter.com/li/1193209 こう言うまとめとかバンバン出てます。
ただ、上の対立構造になっている以上、議論は平行線を辿る一方だと思うんです。
だって、日本で研究者が資金面・設備面・雇用環境の面で生きづらいのって、
マーケティング的に考えると、「日本人がバカだから」じゃなくて、
じゃあ「日本での学問研究の価値が相対的に低い」原因って「日本人がバカだから」なんでしょうか?
http://www.tsukuba.ac.jp/students/campus/184/1.html
ものすごくざっくり言うと「国立大学の予算の削減が著しい。このままだと高等教育の質が担保できない。」と言う内容です。
大学の社会的な機能は、おおざっぱに分けると「研究」と「教育」の2つ。
つまり予算が削減されると、大学運営上はどちらも厳しくなります。
ただ、国立大学の収支を考えると、国からの予算だけで運営されているわけではありません。
例えば「研究」だったら科研費とか、「教育」だったら授業料とか、収入を得る方法はありますよね。
ただ、筑波大学によれば、予算が厳しいからと言って授業料を上げるとなると、「どんな地域のどんな人にも均等に教育の機会を与えるためにある」と言う国立大学の存在意義の一つを失いかねない、と言うのです。
ここで、「日本に必要なのは質の高い高等教育なのか?」という命題について考えて見ましょう。
ご存知の通り日本では急速な勢いで少子高齢化が進んでいますね。
現在と同一水準の質を担保しようとすれば、福祉や社会保障にかかるお金は今後増していくことでしょう。
また、中国や新興国の急速な台頭によって日本の産業構造も大きく変わっています。
日本の貿易が今どう言った状況にあるのか詳しくはわかりませんが、普通に考えたら競合が増えてますので、貿易の利益(とそれからくる法人税)は減る一方でしょうね。
尖閣諸島への積極的なアプローチを見ていると、防衛費が過去最高額を更新し続けるのもうなずける一面はあります。
ざっとこれだけ考えても、日本という国の先行きは非常に厳しい。
果たしてこの状況で「日本に必要なのは質の高い高等教育なのか?」
「高齢者の社会保障を犠牲にして頭のいい学生のためだけの学びの場を提供すべきなのか?」
日本政府の意思決定は果たして論理的に破綻している「バカな」ものなのでしょうか?
■”質の高い高等教育”は他の教育を犠牲にしてまで優先されるべきものなのか?
「教育にかけられる予算が限られているのであれば、他の教育にかかる予算を削減してでも高等教育や研究に予算を割り振るべきだ。」
と言う意見もあることでしょう。
文部科学省のデータを超ざっくり見ると、私学助成金と国公立助成金の配分はおよそ1:3。(ソースは以下のP.31から。超ざっくりです。)
この配分を変えるべき!と言う意見もあるかもしれません。
実は日本の大学進学率は51%らしいです。OECD加盟国で見ると低いらしいです。(ソースは以下のP.24から。)
(http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/002/002b/19/082.pdf)
全大学生のうち、大学院に進学する/しないで比率をとったら圧倒的にしない人の方が多いでしょう。
純粋に「最大多数の最大幸福」の原理に立つならば、「私立大学の教育費を削って、国公立の教育費や研究費を捻出しよう」などと言う考えがいかに暴論か。
日本人の豊かさって、「普通にしてれば大学を出れるし、仕事もある」ことに集約されてると思うんです。
飛び抜けて優秀な人が幸せって方向に振らなかったからこそみんな幸せ的な日本があると思うんです。
ここまで考えると、「日本において高等教育・学問研究の価値が相対的に低いのは日本人がバカだから」って思えないんですよね。
残念ながら、日本が研究者にとっていい環境でないことは、しょうがないんじゃないかと思うんです。
頭のいい人間に投資しろなんて、この分断の時代にあってはとても危険な思想と受け取られかねないじゃないですか?
■日本の優秀な研究者は海外に行って研究すればいいのではないか?
ここまで来てようやく本題です。
日本の優秀な研究者は海外に行って研究すればいいのではないか?
日本では研究や高等教育は価値になりにくいみたいです。さてどうしよう。
日本の優秀な研究者に残された道は2つです。日本で研究するか、海外で研究するか。
「1.学問研究の価値自体を底上げする」か「2.自分の研究を価値化する」か「3.ひもじいのを我慢して努力する」か。
1. ってこれまでずっと研究者が言って来たことだと思うんです。
学問研究は将来の豊かさにつながる的な。実際本当にそうだと思うんです。
ただ、です。それが日本人全体の価値になるのか?は確かなのか?
極論を言えば、10年後の豊かさための研究は明日死ぬ人にとって何の意味もない。
日本人全体の価値になるかどうか?の確からしさってどうなんでしょう?
少なくとも日本では半分以上の人は確からしさを感じていないのでは?
そうなったらそれって所詮は思想であって、「正義」ですよね。日本人のために!ってやつ。
それって、「不正はいけない!」って言う「正義」と何が違うんでしょう?
少なくとも「正義」の強さ(≒正しさ)が民主主義的な数の暴力的プロセスで承認(≠証明)されるのであれば、「不正はいけない!」って言う正義の方が強そう。
弱い「正義」は残念ながら資本主義社会では利益を生みにくいんです。
「正義」対「正義」はどちらかが屈服するまで終わることはありません。
少なくともこの対立構造の中で議論することに、研究者のメリットは全くない。
となれば2.でしょうね。実際このタイプの方は成功を収めているパターンが多いと思います。
今話題の落合陽一准教授とか。本当にすごいと思います。後は尾木ママとかね。
3.は本当にないと思います。
研究が目的とするのに、研究環境を悪くするって何なんでしょう?
研究環境がプアなら、秀逸な成果に辿り着く可能性もプアになるでしょうね。
そんな頑張りに意味があるのか?
そう考えると、本当に研究がしたい研究者にとって残された道って、
「日本で自分の研究を価値化する」か「海外に行って研究をするか」しかないと思うんです。
どっちの方がハードル低いですかね?
「研究を価値化する」ために、「価値になりにくい環境で価値を探す」のと「価値になる環境に行く」の。
それはとても弱い「正義」です。
後進のために少しでも良い環境を!という思いを抱いて頑張ってらっしゃる方もいるでしょう。
と言うか、海外で「日本の研究者は優秀だ!」って言う評判を作ってくれた方がよっぽど後進のためだと思います。
これってマーケティングだと思うんです。
世界が資本主義を中心として動いている以上、一番強い「正義」は多分資本主義です。
資本主義の中で強そうな武器(方法論)として採用されているのはマーケティングです。
強いところで戦いましょうよ。
優秀な研究者であればこそ。
生後8ヶ月の息子と嫁が立て続けにインフルエンザになってしまった
職場でぼやいたら、上司からそういう時こそそばにいてやるのが今どきの父親だろと言われた
それもそうだと、半休取って帰ってきて息子の看病をしてるのだが、嫁はとても機嫌が悪い
補足すると、嫁がママ友と遊びに出かけた先で息子がインフルエンザになった
今めちゃくちゃ流行っているのに、母親としての管理が甘いと叱った後だから拗ねてるんだろう
そこんとこ中途半端にめんどくさい議論展開する増田はどう思っているんだろう。 大学でくじけたから anond でマウントとろうみたいな感じなんだろうか。
上から目線で現状のAI、機械学習の研究を批評し、自らは思想を垂れ流すのみ。
AIは人類を超える派と超えない派がいる。特に鬱陶しく感じるのは超えない派である。
こちらの派閥は、人間の知能を(なぜかわからないが)機械に超えられないということを前提に話をしている。超えることはできないのだから、今のAIブームはそのうち止むと唱えるし、自分たちは深く知ろうとしない。
勉強さえ頑張れば一番簡単かつ確実に上流階級入りできる方法なんだから昨今の医学部人気も当然ではある
でも、AIが進歩したら病理判断なんか全部AIに任せればよくなるだろうから、余程の技術を持った外科医以外お役ごめんになりそう
膨れ上がる一方の社会保障費を考えれば喜ばしいことなんだろうけど
でも頑張って医者になっても雇ってすらもらえず確実に金持ちになれない時代になると、誰も医者なんて目指さなくなるのではないか
実際、司法制度改革で弁護士が増えすぎた結果、弁護士の年収の中央値は1000万から400万に下がったとかで(なにかで見ただけなので正確な数字かは知らない)、法曹志願者も年5万人近く(16年度の旧司法試験の出願者数)から2万人近く(28年度の予備試験出願者数+法科大学院出願者数)まで激減してる
耳が聞こえなくても増田はできるじゃん
https://www.youtube.com/watch?v=NHLEngU-fbg
夫婦であれば宝くじを買った側が全て貰えるらしいが、CMのように結婚前のカップルが贈りあったら?
絶対ろくなことにならないだろう
ヤフーニュースで、老人施設における気苦労に関する記事を読みました。
早い話、老人ホームでもマウンティングがあって疲れるなーって内容です。
セーラームーンのハンカチいいでしょう、とか、うちのお父さん社長なの、とか、夕べはステーキを食べたとか。
なぜこのような行動をとると思われますか?
言うほど安くはならないとおもうけどね
手元に残ってる量の確認なんかもタッチ数増えるだけでスルーされるだろうしな
医薬分業の趣旨に反する
それじゃあ、なんのために病院内で薬出せなくしたのかわからんやん