新人教育をしていて、去年の4月入社の15人中4人がデブだったんだけどさ。
その4人ともが社内テストに落ちまくって、使えないにも程が有る。
英語、北京語の話者だが、最近ついに英語使うのやめて、日本語か北京語にすることにした。
20年前はこんなことなかったと思うのだが、もう英語使ってもフィリピン以外は現地人も下手くそなので、あまり意味ないなーと思い日本に変えた。
昔はそれはカッコ悪い事だと思っていたのだけど、実際問題、楽すぎて、もう日本語でいいや、母語だし。
後は、北京語の通用度合いも年々上がってきているのも、なかなか興味深い。
自分の中では、『無理ゲーソリッドシチュエーション』って名づけた
①神様とオセロ、まけたら親死ぬ、時間無制限道具何使ってもOK
いきなり、神様に呼ばれる。
神とオセロ勝負をしろといわれる。何をつかってもOK寿命も無限。
この条件でやる。
はたして主人公はオセロを研究するのか?それとも永遠の命にうつつを抜かすのか?
親のために、『決断できない状況での努力』を永遠に続けるとどうなるんだろう。精神崩壊するのか。
②落ち続ける
ひたすら落ち続けてる男。10年以上落ち続けている。真っ暗な空間を。
物理法則や、周りの空気、重力の存在、なぜ飯も食わずに行き続けてられるかなど延々考え続ける。
③真っ暗な中での巨大空中ブランコ。
ブランコをこいだら壁に触れられるのか?このブランコはどこから宙釣りになってるのか?
ブランコのヒモを登っていけばいいのか、ブランコをこげばいいのか、それとも落ちればいいのか。
そのあたり不安感や思考メイン。どのくらいのヒモの長さなのかの考察あたりから始まる。
④水深500メートル当たりにガラスの部屋の中に閉じ込められる
イキナリ拉致される。プールのソコにある大きなガラス張りの部屋に入れられる。
プールに水がためられる。
アジア系アイドルにハマってそれを周囲に鬱陶しいくらいに押してさ
私は興味ないし今後興味が出ることも一切ないから!ってきっぱり言い切ったんだけどさ
それでもラインだったりショートメールだったりでアイドル話してくるんだよ、ずっとずっと
それでも相変わらずアイドルの話をしてくる、微塵も懲りたりせずに
幼なじみには縁切られたらしい、そりゃあこのしつこさじゃあね、空気読めないにもほどがあるよねと思いつつ
ふと気づくと私の周囲にはそういうタイプが多いことに気づく
いないとやっぱなんかつまんないよ!つまんなかったよ!
はあちゅうはブスどもにこう語りかけることで金を稼ぐ。
「ねえブスのみんな〜!ちゅうもーく!、
こんなにブスな私でも、、、〇〇〇をすることで、、、
こんなに、、、
こんなに、、、、
みんな私をマネして!
という感じが透けて見えるので好きくない。
すかして溜まったガスを放出しようと、念の為に一回後ろを確認し、老人しか居ないことを確認して(何しろ後ろに美人が歩いていたら嫌だからね)数発と思っていたら、エノラ・ゲイ級の爆音が放出されてしまった。
入口に精算機があり、エアシューターの横に「清算は入り口の機械で!!」と書いた札があったので無用の長物なんだろう。
エアシューターなんて、昔叔父の家で隠れて読んだエロ小説の中でしか存在を確認したことがなかったので、すごく興味はあった。
何かを入れて送ってみたい、という欲望はあるものの、何か迷惑をかけてもいけないので「送付」ボタンは押せなかった。
動いたのかな、あれ。
名付けについて、もう何度目かっていう議論が巻き起こっている。
いわゆる諱だったら大抵二文字で、家ごとに通字がある。源氏のある種の家系や松浦党は諱一文字で特例だ。通字は一種類のこともあれば、たまに二種類のこともある。三条家とかは二種類通字がある。諱が二文字になる以前の古代の話は省略するぞ。すまんな佐伯今毛人。
通名もある程度ルールが決まっている。江戸時代の百官名や東百官など。東百官って実はルールの逸脱なんだけど、それがルール化してしまっている。
要するに昔は名前の付き方にかなり厳格なルールがあったということ。
言い方は悪いが、キラキラネームを付ける人は教養がない人が多い(書いてて思うが、こんなこと増田じゃねーと書けないな)。
江戸時代の農民はまぁ教養はそんなにないだろう。キラキラネーム付けちゃうことはなかったのだろうか。
個人的には農民であってもある程度名前にルールがあったように思う。すなわちキラキラネームは付かない。なぜか。
彼らはほとんど名前について考える知識も素養も機会もなかったから、そこらにある名前をあまり考えずに適宜つけていたか、教養のあるお坊さんなんかに頼んだのではなかろうか。
明治時代になっても、何らかのルールはあったはずだ。次第に通名と諱の区別が無くなる。私の曽祖父の祖父は明治期茂三郎と名乗っており子孫も茂三郎じいさんと呼んでいたようだが、天保期の文書には茂三郎直俊とある。明治時代に諱を使用しなくなった世代なのだろう。あるいはこの世代の中には諱の方を名乗りに採用した人もあるだろう。とにかく、何となくルールは存続する。「~子」という、伝統的に見えてその歴史が結構浅い女子への名付けも、元は公家社会の女子名にルーツがある。要するにルールがある。
さていよいよ戦後だ。戦後の民主化。これが実はキラキラネームの直接的な引き金になっている。またその基礎部分には西洋文化の流入がある。この流入は明治維新前後から連続しているが、本格的に高度経済成長を迎えるところに画期があるように思う。服装に和服が消えるころ。このころに、名付けというか、名付け方への変化が起こる。
要するに民主化なのだ。個人個人が投票権を持つようになったのと同様に、個人個人が考えて名前を付けるようになったのだ。だからキラキラネームが続出する。とくにルールが意識されていた世代が亡くなったのち。江戸時代の農民と今のキラキラネームを付ける層(雑駁な分類だとはわかっているがあえてこうするぞ)。両者の違いは何か? それは「自分で考え行動する度合い」だ。選挙が本当にわかりやすい。江戸時代の人間は為政者を決めることはできないし決める必要もない。個人に人権が与えられ個人の権利がなんと国の根本法典にまで認められた現代では、個々人が自由に選択し思考することを全く妨げない。ここに両者の違いがある。知識のない人が自由に考えた結果どうなるか? 光宙が生まれるのだ。
これは必ずしも悪いものではない。知識や故実に詳しい人、少しでも馴染んでいる人はキラキラネームに顔をしかめることもあるだろう。しかしルールなき名付けこそが民主化の成熟とも言いうるのだ。だがここに民主化の問題点も浮き彫りになる。教養がなくてもやっていけるのだ。教養批判なんてそこらへんで見かける。確かに教養ってのは鼻につく存在で、自分がそれを知らないとバカにされたような気になって教養批判に走りがちだ。しかし、なんと、これが現代では許される。何故か。自由が憲法で保障されているから。江戸時代じゃ無理。武家社会でやってけない。今なら別に教養無くてもいい。あってもいいけど。ということで名づけのルールの消失は現代社会を占う一つの要素だ。私としてはこういう自分で考えなければならない時代だからこそ個人で努力し、考える力をこそもっとも重視して培わなければと思う。
『What would you do?(あなたならどうする?)』というアメリカの番組がある。
これは差別の現場や困っている人を役者に演じさせ、それに出くわした一般市民が
例えば、高級ブティックで白人の店員(役者)が黒人の客(役者)に対して、
過剰に万引き客の可能性を警戒し、身体検査をしたり差別的な暴言を浴びせたりする。
それに対して、一般市民の客が抗議の声をあげるかどうかを隠しカメラで撮影するのだ。
抗議の声をあげた勇敢な客は、種明かしされるとともに、番組のMCから褒めたたえられる。
この番組を見て思い出したのは、乙武君のイタリアンレストランの件だ。
あのレストランの店主は明らかに障害者差別を行っており、乙武君は被害者の側だ。
それにも関わらず、私が見た限りでは、ネットでは乙武君を批判する声が多数派だった。
障害者差別をしてはならないという社会規範が、日本国民には共有されていないのだ。
買ったのはトルコリラ。
当時4万5千円の元手で、1年後にはおよそ4万の利息が入る利率だった。
45万円分買った瞬間に暴騰し、評価損益はプラス60万になった。
でも売らなかった。一か月後に気付くとプラスはたった10万になった。
激しく後悔した。その後多少戻してプラス12万ぐらいで決済。
次は安全に見えたドルで含み損を抱えた時もあったが、最終的に10万ぐらいの利益を上げた。
浮き沈みはあるが、含み損に耐えれば、プラスになるような考えに支配された。
買うと下がった。下がったから買う。また下がるの繰り返しで、気が付くと
最初の元手もかなり割り込んでいた。
サブプライム危機のような暴落が起きると、取り返しのつかない状態になる。
思い切って損切りして、気分は晴れやかになった。
その後もトルコリラは下がり続け、FXアプリを見ては損切りが正しかったと思った。
でも数日後、なんで売りのポジションを持たなかったのかと後悔した。
寝かしつけ成功直前にガチャッ!バタン!ていう鍵およびドアの音で覚醒されちゃって母子共々泣き崩れることがちょくちょくあった。
でも今日は鍵ドアの音がものすごく静かだった。上の階の人帰ってきたんだなーなんて思ったくらい。
つつがなく寝かしつけを終えた後に廊下の先でベビーゲートの閉まる音がして、違うこれうちの音だって気付いた。
もうむっちゃ感謝の意交えまくりつつほめちぎった。ありがてえ、ありがてえ。
でもその後あれってなった。今までドアの構造の問題であんなでかい音が出てるんだと思って諦めてたけど、静かに開け閉めようと思ったら即実行できるもんだったの…?この二年半控えようと思ったら控えられるところあえてでかい音を出し続けてたの…!?とかそういう。
赤ちゃん起こさないよう静かにドアの開け閉めするって、なんかこう言われてやることでも考えに考えた末に試すことでもなく、なんとなーく自然に、とんがりコーンあったら指に装着するみたいに、できるとかじゃなくてするもんだとぼんやり思ってた。ってことに気付いた。
つまりそれは自分がたまたまそうだったけど他人には適用させてはいけないシングスで、乳児の頃あたりにこちらから「夜のドアは静かにね❤」ってお願いすべき事項だったってことなんだけど、頭では分かってるんだけど、腹では据ねかえちゃう、だってアホの子だもん。ていう状態になったので、こんばんは増田。
ありがとう、愛してる、けどそれはそれとして、今までの涙に沈んだ寝かしつけ時間よカムバーーーーーック!!
ここで蒸散させてスチーム出しきって明日もまた感謝だけ伝えまくるよー!いや書いといてなんだけど蒸散じゃないよね。雲散?霧散?悪霊退散?発散?それそれ、ハッサン!とれとれぴちぴちファルシオン!
発散で昔母が歌ってくれた替え歌思い出したからそれも記しとくね。
すいすいすいようびのやつが元の歌。
戸締まり用心火の用心 戸締まり用心火の用心 一日一度悪いこと ストレス発散いい気持ち
追記:
livesuzume 元の歌自体がすでに替え歌になっている気が。元ネタはこっちでは https://www.youtube.com/watch?v=LpxGmpI_3cc
ブクマがついたぞ、どれどれブコメ楽しみだな・・・と見に行って非公開ブクマだったときの悲しさ。
書いた増田自身が非公開ブクマするのは分かる。3つ付いて新着入りさせたいのだろう。自分もたまにやる。
ニュース系やブログの非公開ブクマも分かる。後で読んだりヲチりたいのだろう。
でもなんで増田でやるの。無言でいいじゃない。
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2015/09/14/025019
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/20130819/p5
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2015/12/09/075412
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/20130822/p6
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2015/01/05/105948
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/20090608/p1
あとみつけられなかったけど、妊婦をスーパーに呼出して店内放送で「山田シャチさま、山田シャチさま、お連れ様がお待ちです、一階カウンターまでおこしください」をやってもらったら周りのお客があっけにとられたあともれなく噴いたのであっという間になおったという話もhagexだったよ。
追記:ツイッターでは医療関係者が https://twitter.com/nidomimi/status/678441732967563264