はてなキーワード: 普通電車とは
東京に行くとさ、
なんか知らない人ばかりだらけじゃない、
みんながみんな洗練されているお洒落な人に見えるのよね。
この謎の現象。
テスト受けに行って周りは全員賢く見える現象のそれに似ているわ。
でね、
そういった人がたくさんいるってことは、
いやだなぁ、私バカな風に見られてたら嫌だなぁ。とか。
最終間際なのになんでこんなにギュウギュウ超満員なの?
モー半端ないわ。
え!?普通電車だけど、その速さで入ってきてホーム止まれるの?
道ぜんぜん歩いてる人がいないのよ。
ファーストフード店に行ったら
だよねーとか言ってるのよ。
完全お上りさんだわ。
など、とか。
それはさておき、
パッと立ってスタンディングオベーションよ。
そこら辺お客さん洗練されてるのよねー。
なんかそのお洒落なのに慣れてるというか。
ぼんやりしてると
いやだわ、こういうこと言ってるから
バカに見られるのよっ!
富士そばは、
ラッキー。
そんな冷や盛りのお蕎麦を
あ!流れ星!
東京の夜でもお星様が見えるのね。
しばらくは質素に暮らすわ。
安牌と変化球ね。
よく分からないけど。
スイカやっぱりこの時期はそのまま食べた方が美味しいわよね。
そのことは内緒ね。
カッツスイカ買ってきたので、
作り方は割愛。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
三月の機械室は寒い。ビル全体に快適な空調を提供するための機械が詰め込まれ、常に忙しく稼働しているが、地下三階のこの部屋自体は空調の対象外だ。本来人間のいる部屋ではないから当然である。
束の間静かになったかと思うと、あちらの機器が動き、こちらの機器が唸る。遥か上層まで温風を送るための、巨大な機械の稼働音。出入口の重たい鉄の扉には、騒音の漏れ出しを防ぐためだろう、「開放厳禁」のプレートが貼られている。
その扉の横には、在室者表示パネルがあるのだが、あまり意味はないのかも知れない。人がいると表示されているにも関わらず、全ての照明をオフにして出てゆく人が時々いる。後に残るのは機械が動く音と、非常誘導灯の光だけ。
私はその、地下三階の機械室で働いていた。申し訳程度に置かれたストーブは、部屋の寒さと広さに対してあまりに貧弱で、温かいと感じたことはなかった。仕事中もコートは脱がず、ヒートテックの腰と肩と下腹部に、貼るタイプのカイロを仕込む。電気ポットも電子レンジももちろんないので、温かい飲み物を一日に二本は買いに行く。それだけやっても、夕方には体が氷のように冷たくなる。大きな音をずっと聞いているためか、外に出ると全ての音が遠く小さく聞こえた。
ここまでの文章を読めば、そういう場で働く職業の人か、と思われるだろう。だが、実際はタイトルの通りである。Excelや専用ソフトを用いた書類作成が主な仕事であり、その他コピー取りや備品の注文といった雑務も行う、私はただの「派遣の事務の女性」だ。機械室の奥の、気休めのようにパーテーションで区切られた広場という就業場所以外は。
そこに常駐しているのは私一人だった。他の人は打ち合わせで外に出たり、営業所に出向いたり、同じ建物内の別の事務所で仕事をしていた。
ただの事務のくせに、スマートフォンは常に手元に置いていた。心証が悪いのは分かっていた。それでも手放せなかった。一人きりで機械室に置かれた心細さも多分にあったが、在室表示を見落とした誰かに照明を落とされてしまったら、光源は非常灯とパソコンのモニターだけになる。そうなると私はスマートフォンのLEDライトを点けて、機器の間の通路を通り抜け、自分で照明スイッチの所まで行かなくてはならない。そういう事態が、一日に三度は発生する。昔、自分で懐中電灯を持って歩くお化け屋敷に入ったことがあるが、今は何故あんなものにお金を出していたのかと不思議に思う。機械室に、脅かしに来るお化けはいない。誰も居ない。こちらの方がずっと怖い。
そんな環境で三日ほど働いた。たったの三日。その三日間で、私の心は駄目になった。四日目の朝、起き上がれなくなった。
目は覚めているのに体が動かない。スマートフォンの目覚ましアラームが鳴っている、うるさい、止めなければ。頭では分かっているのに、全身が鉛のように重く、手を伸ばすのも一苦労だった。起き上がることはもちろん出来なかった。
毛布にくるまったまま、体調が悪いので休みます、と派遣元と派遣先にそれぞれ電話を入れた。そのまましばらくぼんやりしていた。食事を摂るべきだと思い至って、ベッドの上を這い、落ちるようにして床に降りた。その姿勢のまま、壁を見つめて泣いた。
休むつもりなんかなかった。少なくとも昨日の終業の時点では。テキスト形式のToDoリストに、明日の作業に使うはずのファイルのパスを貼り付け、紙の資料は机の上に出しておいた。温かい飲み物を毎回買うのはお金がかかり過ぎると思い、買い物リストに魔法瓶と書き込んだ。小腹が空いた時のための飴のストックも、どの職場にも持ってゆく自作のマニュアルも、引き出しの中に入っていた。明日もここで仕事をするのだと信じて疑わなかった。
最後の一藁が積まれたのは、おそらく退勤後、帰りの電車に乗った時だ。運よく空いた座席に座ることが出来た私は、鞄から文庫本を取り出したものの、読む気になれず膝の上に置いてしまった。凍え切っていた体が、車内の暖房に温められて緩むのを感じた。それを自覚した時、ああ、今の私はホームレスの人みたいだ、と思った。
ローカルな現象かも知れないので補足しておくと、私が利用している普通電車には、時々ホームレスが乗ってくる。全財産であろう荷物を抱え、申し訳なさそうに体を縮めている。彼らが乗ってくるのは、決まって冷え込みの厳しい早朝や深夜だ。深夜営業のマクドナルドも、地下街もない田舎だから、初乗り料金の切符を買って電車の中で暖を取るのである。
彼らのほとんどは、きっと悪いことをしたわけではないのだろう。好き好んでそうしているわけでもないのだろう。私も同じだ。それなりに一生懸命やってきたつもりだった。そうして勝ち取ったものが、この労働環境と、冷え切った体だった。
心の背骨が、音を立てて折れた。
たった三日で、と書いたが、実際はそうではない。実は夏から、私は似たような環境で働いていた。
そこはとあるビルの、やはり本来は機械室で、冷房機器がなかった。もちろん窓もなく、日差しに焼き殺されることこそなかったが、這い上がってくる湿気に蒸し焼きにされるような、座っているだけで体力を削り取られるような環境だった。
体調を崩して病院に行くと、熱中症と診断された。冷房を付けないと体に毒ですよと医師に言われ、冷房機器自体が職場にないと伝えると絶句された。月の医療費は一万円近くに上り、休んだ分の給与はもちろん出ず、家計は逼迫した。冷房なしでも平気な鋼の肉体ではない私が悪いのか、と理不尽に感じた。
それでも働き続けたのは、頑張れば良くなると信じていたからだ。冷房は今手配してるから、という雇用主の言葉を信じていた。臨時の事務所と言えどここまでひどいことはそうそうない、とも聞かされていた。認められれば営業所への配属も叶うと思っていた。結局、夏も終わる頃になって馬力不足のエアコンが付いた。そんなものが要らない秋が来て、防寒着とカイロとヒートテックで武装するしかない冬が来た。
なんとかそこでの仕事を二月いっぱいまで勤め上げ、三月からの配属先も機械室の臨時事務所だと聞かされた。今度はきちんとした事務所でしょうね、と私は確認した。ちゃんとした事務所の体裁になっている、という言葉を信じて、契約更新の書類に判を押した。
ちゃんとした事務所。
机とパソコンが置かれ、電話と通信環境さえあれば、それは「ちゃんとした事務所」ということになるのだろうか。パーテーションを暴力的に乗り越えてくる冷気と騒音は、ないものと見做すのが一般的なのだろうか。私には分からない。
ただ、体を壊し、薄給にも耐えて、それでも次は良くなると信じて頑張った結果がこれか、と絶望を噛み締めるには十分だった。新しい事務所の環境も、三日間という時間も。
仕事に行こうとして起き上がれなかったあの日から一週間、ずっと泣いて過ごしている。正確に言うと、何をしても涙が出て止まらないのだ。あの機械室で過ごした時間よりも、自室の壁を見つめて泣いている時間の方が長いというのはどういうことか、自分でもおかしいと思う。
年甲斐もなく泣きじゃくりながら関係者に電話をして(泣き止んでいる時間がほとんどないのだからやむを得まい)、とりあえず休職することが決まった。仕事が休みになったらやりたいと思っていたことは沢山あったはずなのに、旅行はおろか、買ったままになっていた本を開く気力もまだ湧かない。せめて気持ちを整理しようと、布団に潜り込んだままタブレットを使ってこの文章を書いている。
まだ耐えられる、という考え方は危ない。自分の限界と、改善の時期を正確に見極められるのならその限りではないが、少なくとも私には無理だった。まだ働けると思っていた。自分の限界は、思っていたよりも小さかった。
雇用主の人は、どうか労働環境に気を使って欲しい。口では耐えられると言いながら、無自覚のダメージでボロボロになっている、私のような人もいるかも知れない。同じ環境に置かれても、年に八百万円貰っている管理職と、四百万円貰っている社員と、二百万円貰っている派遣社員と、仕事が大好きで報酬なんか気にならないという人では、耐えられる限界がそれぞれ違う。
もし望まずに似たような環境に置かれている人がいたら、出来れば逃げて欲しい。次の仕事も見付けられていない私が、逃げても大丈夫だよ、とは到底言えないから、「出来れば」としか言えないのだけれど。朝から晩まで涙が止まらず、食べ物を買いに出れば道行く人や店員にぎょっとされ、転職活動をしようにも履歴書に貼る写真が撮れない、自分の好きなことも楽しめない、友人からの電話を受けてもロクに話せない──こんな状態になるくらいなら、もっと早く逃げておくべきだったのだと思う。
涙が止まったら、仕事を探しに行くつもりだ。最低限の空調機器の備わった居室で働かせてくれる転職先が、見つかるといいのだが。
【同月16日23時 追記】
勢いのまま書いて投稿したものに、多少の加筆修正を行った。面白くもない話題の長文なのに、予想よりもブクマ数が多くて驚いている。目を通してくださった方、ありがとう。その程度で休むのか、とのお叱りも覚悟してコメント欄を開いたはずが、今は世界の優しさを痛感している。
子供の頃の夢は作家だったので、文章力を褒められたり、覆面作家じゃないかと疑われるのは面映ゆい。私が本当に作家だったら、有名なジョークよろしく「良かった、可哀想な派遣社員はいないんだ……!」となって、それはそれで良かった気もする。
現実の私は、ボイラー技士の資格は持っていないが、その類の業界の専用ソフトの扱いに慣れている。派遣会社は業界経験者優先で仕事を紹介するし、少人数の臨時事務所は特に教育不要の経験者を欲しがるわけで、私が同じ業界の似たような職場に続けて派遣されたのはさほど不思議なことではない。
この労働環境が法に触れるものであることは、私も承知している。ただ、同じ事務所に出入りする他の社員たちは、不満は言っても我慢は出来るという様子だった。性別も給与も、滞在時間も違うのだから仕方がない。
私が一人で告発したとして、正社員ならふてぶてしく居座ることも出来るだろうが、派遣社員の場合はそれが原因で(表向きは「経営上のやむを得ない事情」で)即座に切られる可能性がある。自分の就業中にはとても出来なかった。逆に今の私は失うもののない身なので、後任が同じ目に遭う前に一言言っておきたいとは思っている。
本文中にも書いた通り、もしこれを読んでいる中に環境を作る側の人がいらしたら、少しの配慮をお願いしたい。この記事へのブクマコメントだけでも、「私より辛かったんじゃ……?」と思うような書き込みが複数あった。それらは全て、改善されるべきものだ。改善出来ない立場の人は、どうか自分の身と心を守って欲しいと願う。
幸いだったのは、今回の派遣先が短期契約で、私も近々次の仕事を探す心積もりであったこと。転職情報を集めたり、職務経歴書を作り始めた矢先だった。自分の心が折れたのは計算外だったものの、少し休んで五月くらいに次の仕事を見付けられれば大体予定通りだな、と結構気楽に構えている。
収入が絶えることだけが不安だったので、傷病手当金を貰える可能性があると教えて頂けたのは助かった。貰えないとしても、自分のメンタルケアのためにも明日は病院に行くつもりだ。
名も顔も知らぬ私の文章を読んで、心配してくれる人がいる。それだけで心が軽くなった。本当にありがとう。
ストレス要因はなくなったので、たっぷり寝て美味しいもの食べて、あとはジョギングしてプール行って本読んで映画観てカラオケに八時間くらい篭もれば回復すると思う。今はまだ泣いてるけど。私の今後のことは、どうかご心配なく。
快速電車がすぐ脇を猛スピードで突き抜けていくのを横目に黄色い点字上を歩くこともしばしばだ。
昨日から風邪を引いている。別に線路や電車までの距離が近づいた気はしないが、普段考えないようなことも考えたりするようになる。
最近たまに、思いがけないことが我が身に起きる。何度も確認した予定表から大事な予定を見落としていたり、大事なプレゼンに行くのにそのプレゼン資料を忘れて新幹線に乗り込んだり、うんこを漏らしたり、だ。まさに、夢であってくれればと願うのに覚めない悪夢ばかりだ。
うんこを漏らせば、増田に書き込めばいい。他人もうんこを漏らしている。どうってことはない。(あるが)
だけど、もし、体調が優れない時には極低確率でホームから線路に落ちるとしたらどうか?
昔、友人から、上司が飲み会の帰りに人身事故で死亡したという話を聞いた。自殺する理由は全くなく、本当に事故だったのだろうと友人は語っていた。
その後、何かで読んだが、泥酔してホームから転落する人達の多くは、よく啓発ポスターであるように、千鳥足でホームの端を歩き足を踏み外して落ちるわけではない、むしろ多いのは、ベンチなどからいきなり立ち上がり、真っ直ぐホームの端を目指して歩いていく、ということだ。だからベンチの向きはホームの端を向けないことが有効な対策なのではないかと結ばれていた。
最近、利用駅のベンチが軒並み新しいベンチに替えられた。いずれも、座るとホームの進行方向ないし逆側を向くベンチばかりだ。
タミフルを摂取すると異常行動が出ると一時期話題になったが、あれは確かタミフルが原因ではなく、インフルエンザでの高熱時には低頻度で異常行動が出る、それが原因ではないかということでほぼ決着がついたように記憶している。
もし、人は体調不良の際に低確率でホームから転落する行動をとってしまうのだとしたら。
これまで、過労を苦にして自殺したとされてきた人達の何割かは、本当に、一瞬たりとも自殺など考えぬまま自殺行為をしてしまっていたり、するのだろうか。
もしそうであるならば、風邪を引いただけの、今日の自分もまた、幸いにして自殺とは縁遠い人生を歩んで来られた自分もまた、極低確率とは言え自殺者に名を連ねる可能性があるということではないか。
体調不良人身事故死者達は、最期に何を見ていたのだろうか。彼らをホームの先に駆り立てたものは、何だったのか。何らかの法則はあるのか。
うんこを漏らしても、増田に書けば事実は共有できる。その結果、有能なサラリーマンはうんこを漏らすという気づきが得られる。
しかし、人身事故で死んでしまったら書けない。書けないから残らない。仮に生き延びて書けたら、それには生存バイアスが付きまとうのかも知れない。
数年前の話。
あの花の影響で、明らかに地元民じゃない若者(=聖地巡礼者)がやたらいっぱいいたことより、秩父鉄道とつながっていたことより、東急の車両が走っていることより、都内が高架複々線化されていたことよりも何よりも、飯能まで複線になっていたことが凄まじい驚きだった。
「もうすぐ飯能かあ…直前の信号所から単線になって、いよいよ都会を離れてしまった感が出てくるんだよな…って、あれ?複線のまま右手から単線が…え、飯能?え?複線化されてた!?マジ?うそでしょ!?」
文章化すると実に頭の悪い感想で恐縮だが、一人でパニクって言葉を失った。
実に30年ぶりに乗るまで、自分にとっての西武線は小学校上がる前の記憶で止まっていたので、そりゃもう心底驚愕した。
一応あの花・秩父鉄道・東急・高架複々線の話は情報として知っていたので、そんな大きな驚きはなかったけど、それ以上新しい情報なんて無いと思っていたのが間違いだった。
そんな筆者の幼少の記憶に必ず出てくるのは、5000系レッドアローである。でも何故か行きしか使わなくて、帰りは黄色い普通電車だった。
まさに行きはよいよい帰りは…を地で行く行旅で、帰りは山間の単線で延々揺られるのが超退屈で嫌だった。
でも飯能からちょっと行って複線になると、ようやく都会に戻ってきた→家が近い!と少しだけホッとした。
だから単線→複線という儀式(?)は、忘れたくても忘れられない記憶になってしまった。
ちなみに30年前を最後に秩父行きで西武線を使わなくなったのは、熊谷から荒川沿いのアプローチで秩父に行くようになったから。
更に、今世紀に入ってからは秩父行きそのものがご無沙汰になっていたと。
いや、幼心にすごく不思議だったんだよね。
飯能から池袋方面に出発する時は単線なのに、隣の元加治に着いた時は複線。なんで???という感じ。
それで一回、子供だったら必ずやる、かぶりつき前面展望をやってみて謎が解けた。
駅も何もない所にポイントが有って、そこで複線になるんだ!!
信号所などという存在を知らない当時の自分にとって、これまた「いつの間にか複線」を上回る衝撃だった。
この時点で一生忘れられない記憶として確定したと言っていい。
それなのに、飯能まで複線になっていた。
都会が更に伸びた!くらいのインパクトだった(飯能市の人ごめんなさい)。
それで帰宅して早速調べてみたら、こういうことだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E7%B8%AB%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E6%89%80
なんと、敵は八高線だったのだ!
昔絵本で、単線非電化ローカル線のガーターの下を黄色い西武電車がくぐる絵があったけど、それか!!
あの本、なんて本だったか全く覚えてないけど、wikipedia読んだらその絵だけ記憶から蘇ってきたとか、一体どうなってんだ。
余談その1
初代5000系の美化された記憶込みだけど、あんまり魅力的には思えなかった。
まあ、新幹線で東京から近くなったことだし、なるべく早く富山まで乗りに行こうと思っている。
余談その2
秩父は第二の故郷だけど、上に書いた経緯から、飯能にもお世話になっている。
なのでお礼に天覧山には登るつもり。
余談その3
某所で
小説には、単行本と文庫本という形態があります。この2種類について、読者さんから多いご質問は、「どうして最初から文庫で出してくれないんですか?」
というお題に
例えば電車。鈍行は安い。しかし、時間がかかる。移動に時間をかけたくない人は、特急を使う。つまり、時間をお金で買っている。「早さ」というサービスを受けようとすると、その分お金がかかるのである。本も同じだ。単行本は高いが、発売と同時にすぐ手に入る。文庫は廉価だが、手に入れるのは数年先になる。
この読者からの質問の主旨は「本の値段って高くないですかもっと安くなりませんか」ですよね。
作家は、安くならないよ、だって特急だから。って言うんですけど、かつて「本を読む行為」って、たしかに読者を新宿から小田原まで連れて行ってくれるようなものだった。と思うんです。だから「特急で行くなら普通で行くより高い料金払ってもいい」と思えた。
それが、最近では-作品の内容云々ではなく、「本を読むという行為」そのものの地位が、相対的に下がって-新宿から、せいぜい下北沢にしか行けない。ような体験になってしまっている。
だとしたらなるほど特急に乗る必要なんかないんで、普通料金でいいんで。って利用者が言いたくなるのも、わかる。
鉄道会社もとい出版社が大事に抱いている自分たちのビジネスのイメージと、いまの利用者が持つイメージが、オダワラとシモキタぐらいに乖離していて、それに気付かないまま、昔の論理で特急料金払ってね、って言う姿勢が出版不況を生んでるんじゃないのか。
埼玉生まれ、埼玉育ち。大学と就職は東京。で、転勤で大阪に住んだ。
住んでみて、よかったところ、悪かったところ、イメージが変わったところ、ああ、大阪だと思ったところなど多々あったんで、つらつら書いておく。
なんだか、ごちゃごちゃしたところや派手派手なところばかりだと思っていた。
関東のテレビで映る道頓堀とか、「ヒョウ柄をきたおばちゃんが自転車で爆走する商店街」のイメージが刷り込まれていたせいかもしれない。
だが、淀屋橋から御堂筋あたりをぶらつくと、ずいぶんきれいな街だとおもった。御堂筋ほどきれいなオフィス街は日本にはそうそうないんじゃないだろうか?
中之島公園のあたりもいいし、靭公園あたりなんか、暮らしたら結構おしゃれそうだ。
あと、やっぱり大阪城はいい。高層ビル街の前に立派な天守閣が見えるのは、すごい日本的で、自分が外国人観光客だったら大喜びだ。
たぶん、金さえあれば、おいしいもの珍しいもの、いくらでも食べられるのが東京なのだろうが、安サラリーマンにはあまり関係ない。
東京だと場所と雰囲気にお金を払っているような店がたまにあるが、そういうのはあんまりなさそうだった。
この辺は、いわゆる〝大阪的”ということだろうか?
で、ちゃんと通りごとに住居表示が変わっているのにちょっと感動した。
「淀橋」を「西新宿」にしてしまった東京なんかよりずっといい。
谷崎潤一郎が好きなオイラは、鵙屋春琴の実家の薬種商がある「道修町」が、いまでも道修町で、製薬会社があったりすることに、ちょっとあがった。
梅田から心斎橋まで自転車で移動しても苦にならん。丸の内から渋谷へ自転車で移動する奴は、あまりいないだろうが。
昼間、スーツで自転車移動しているリーマンも東京都は比べ物にならないくらい多い。
なんとなく、京都とか神戸って、もっと遠いのかと思っていた。なんだろう、東京から宇都宮とか高崎へ行くイメージ?
埼玉の南部なんて東京ありきでなりたっているが、大阪、神戸、京都はあの近さでそれぞれ独立して成立している感じがすごい。
ま、実際は相互に通勤しているような人もそれなりにいるんだろうが。
来た当初は、京都が近いことに感動して、二週に一遍くらい、週末は京都に遊びに行ってた。
関東人は、「そうだ、京都、行こう!」って決心して旅行に出かけるところなのに、ちょっくら電車で行けるってのはよい。
なぜ、阪急の梅田駅はあんなに立派なのだ。南海の難波もそうだが、デパートの建物に味があることもあって、ああ、やっぱ関西私鉄って存在感あるんだなあと感じた。
それでも、国鉄時代を知っている年配の人に聞くと、ずいぶんJRになって変わったらしいが。
事前のイメージと寸分たがわず、むしろそれを強化しているのはテレビだ。
関西ローカル番組は、関東人の思い描く大阪を増幅させている感じがある。阪神そんなに好きか?
思うのだが、メディアは大阪を自ら作り出したイメージの枠にはめすぎなんだとおもう。
コテコテで下品で金勘定ばっかりしているのが大阪ってわけでもないし、文化だって東京(江戸)より歴史がある。
もともとは、近松門左衛門をうんだ町なわけだし、「細雪」に出てくる大阪なんて随分お上品だし、コナもんだの吉本芸人だののイメージは、戦後のある時期からメディアが刷り込んできたもんじゃないのかなあ?
なお、個人的には、そういう単純な「コテコテ」でない、「お上品」と「抜け目なさ」が入り混じった「大阪」を体現しているのは、料理研究家の土井善晴センセみたいな感じじゃないかと、最近思っている。
http://anond.hatelabo.jp/20150709224843 の釣り認定について、野暮は承知で、思ったことをいくつか記しておく。
書いているうちに、もっと別のこと書きたくなって、こんなんもエントリしてしまった。
http://anond.hatelabo.jp/20150710214628
つくづく野暮である。
http://www.ekikara.jp/newdata/ekijikoku/1101011/up1_11206041.htm
18日午後4時25分頃、埼玉県行田市桜町の秩父鉄道の踏切で、自転車に乗っていた同市小見、小学5年の中島翼君(11)が、影森発羽生行き上り普通電車(3両編成)にはねられ、全身を強く打ち死亡した。
秩父鉄道って、どれくらいの間隔かっていうと、↓を見れば分かる通り、ラッシュ時ですら1時間に4本。平日昼間なら1時間に2本の閑散路線。
http://www.ekikara.jp/newdata/ekijikoku/1101011/up1_11206041.htm
2両目右側に、自転車と接触した跡とみられる傷があった
http://anond.hatelabo.jp/20100422132252
遅れるなんてこと。めったにないよ。大雪や台風のときも、最後まで動いてるのが西武線。最近は地下鉄乗り入れたんで、ちょっとごたつくこともあるけど、日常的に5分から10分遅れるなんてあり得ないよ。
乗降客の多い区間は高架線にして、普通電車と急行電車が走る線路を分けてあるから、ものすごいたくさんの本数の電車が、ごくごく当たり前に時間を守って動いてるよ。
西武球場で何かイベントがあるときは、臨時でいろいろダイヤを動かしてるけど、スムーズにいくよ。きっと、ダイヤを作る神みたいな職員がたくさん居るんだろうなあと、想像しちゃうくらいだよ。