はてなキーワード: ネット芸人とは
ブログでもフミコフミオさんとか勝間和代さんとかやしおさんとか割合クリックしたら最後まで読んでしまいます。
logmiとかQiita掲載内容なんかも結構最後まで読みますね。
アート文化関係はサブカル以外のちゃんとした話がもっと上がってこないかなと思いますがはてブだと無理っぽいですね。
サイエンス関係はあんまり読まないですけど、ナゾロジー頑張ってるな、と思います。
DPZは神職の人とかソムリエの人とかちゃんとした素養のある人のちゃんと取材構成された記事は面白いなと思います。ちょっと最近新味に乏しい感もあります。「ネット芸人」的な立ち位置の人たちはみんなYOUTUBEに行ってしまったのでしょうか。
炎上系のネット芸人、例えばイケダハヤトやジョーブログ、最近ではプペル西野などが
アンチは養分、アンチになるということはそれだけ俺に注目してるということ
アンチが騒ぐほど注目集まり金になる。従ってアンチは無視して好きに騒がせておくのが一番。
ということをテンプレのように言っている
この発言は正しいのだろうか?
確かに、アンチが騒ぐことで一時的に注目を稼ぐことは事実だが、
アンチは養分、炎上は宣伝と騒いでいたネット芸人たちは、しばらくすると活動が下火になり袋小路に陥っているのが事実だ
有名人になり注目を集めればアンチが発生することは付き物なので、無視せざるを得ない部分もあるだろうが、
アンチが騒いでいる姿がファンよりも目立つような状態は明らかに失敗であろう
アンチと言えども多種多様な人間が存在し、アンチをやっている理由も様々、叩く理由も様々なので、
中には的を射た批判、傾聴すべき改善点を指摘している人間もいると思われる
アンチは養分と騒いで、アンチを無視しようとする人間は、傍目には太々しいメンタル強者を演じているが、
実際には批判に対して一切向き合うことができない心根の弱い人間が多いのではないだろうか
そして批判から目を逸らし、自分の欠点と向き合わず、自分の全てを生温かく肯定してくれる信者だけの世界に逃げ込んだとき活動の停滞が始まるのだと思う
自分はかつて作家になることを志して夢破れた(そこそこ夢が叶いそうなところまでは行った)自分が、一昨日あたりに出版業界の増田たちが書いた文章を読んで思ったことを書く。
以下長々と書いたが、一言でまとめると、「あー、やめといてよかった」
https://anond.hatelabo.jp/20200716012131
まずライターをやってる増田の文章。これを読んで思ったのは、作家というのは自分が思っていた何百倍もくだらない仕事だったのだなということ。
作家を目指していた頃、自分でも「甘いよなあ」とは思いながら夢見ていたのは、筆一本で身を立てる職人的生活だ。しかし、今時はオンラインサロンやYouTubeをやらざるを得ないくらいに、儲からない仕事になっているらしい。
もちろん、当時から出版不況だとは言われていたし、作家になれば世情に媚びた文章を書いたり、執筆以外の仕事もやらざるを得ないことは分かっていた。しかし、オンライサロンだのYouTubeだの、ここまでくると、もはや作家というより「売文ネット芸人」だろう。
これからますます、作家は顔も私生活も晒して、芸人じみた生き方をしていかざるを得なくなるのだろう(専業でやる場合だが)。そこまでして数百数千の読者を抱えても、生活は並の会社員にも及ばない。ようやく文章を世に出せたと思ったら、Twitterだのブコメだので頭の足らない連中にゴミみたいな感想を書き散らされる。想像するだに身の毛がよだつ。
作家たるもの、自分の書いたもので少しでも世を変えたい、そしてあわよくば、歴史にわずかでも爪痕を残したい、という夢想をするものだと思う。程度は人それぞれだろうが、少しは作品を後世に残したいという思いは持つだろう。だが、今では作家の書く文章など、無数の娯楽の中の一つに過ぎず、ただただ消費されるだけのものだ。それも、一部の物好きが消費するだけで、ろくに金も産まない。断言するが、かつての大作家たちのように何十年何百年と読まれるものなど、現代の作家から生まれることはない。残ってせいぜい五年か十年か。
無数の駄文がネット上に書き捨てられ、毎日のように駄本が出版される現代。作家の書いたものが世を変えたり、歴史に残ったりすることはあり得ない。現代に書かれたもので、後世振り返られるものと言えば、おそらくドナルド・トランプのツイートくらいだろう。「作家の書くものには言葉の力がある」などと言われる。だとするなら、「言葉の力」で世界を一喜一憂させ、株価を動かし、世界情勢すら変えかねない、トランプこそ現代最高の作家だろう。業としての作家には、何の影響力もない。歴史にも残らない。何ならアルファツイッタラーの方が遥かに影響力がある。これが現実だ。
つまり、自分が夢見ていた作家像は、徳川埋蔵金と同じくらいの馬鹿げたものだったのだ。仮にこんな馬鹿げた夢を持ったまま業界に入っていたらと思うと背筋が寒くなる。絶望して生きていけなかっただろうな。
https://anond.hatelabo.jp/20200716203604
さて、次にこの編集者氏の文章だが、「いい本を多くの人に読んでもらう、それが編集者の仕事だ」という矜持が僅かでもあれば、意地でも言わないようなことを言っている時点で終わっている。
もしも、作家になれていたとして、こんな人に偉そうなことを言われるのだと思ったら…こんな業界に身を置かなかった自分を賢明だと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20200717110714
もしも自分が作家になって、それなりに自由にものを言える立場だったになれていたとしたら(無理に決まっているが)、こういう低い立場に置かれた人たちのことなど知りもせず、「搾取はいかん!」的なことを書いていただろう。自分も搾取構造の一部になっていることなど気づきもせず。
自分を顧みもせず、綺麗事を言う作家どもが如何に醜悪かは、皆さんよく知っていることと思う。Twitterを見れば、「よくもまあ、そんな偉そうなこと言えるよなあ」という腐れ作家どもが山ほど見れる。そんな人間にならなくてよかったと、心から思う。
いやあ、本当に、作家になることなど諦めてよかった。作家目指してあれこれ努力していた頃、「馬鹿言ってないで就職しろ」と言ってくれた両親に感謝したい。下手にチャンスが近づいていたため、当時は親を恨みもしたが、今では感謝の念しかない。
現在は、小さな会社のしがない社員だが、それなりに楽しくやっている。幸いコロナの影響も少なく、将来の不安は小さい。ステイホーム中は嫁と楽しく過ごすことができた。作家業なんてしていたら、この安心感は得られなかったろう。金もなければ、結婚もできていなかっただろうな。
「こんな文章書いて未練たらたらだな」と思われるかもしれない。確かに、未練が全くないとは言わない。一度は目指した夢だったのだから。だが、「やめといてよかった」もまた本音なのだ。
夢を追って叶えていたら、もちろん得るものも大きかっただろうが、失うものはそれよりも大きかっただろう。そこそこ安定した生活、家族のいる安心感、これらがないまま今の年齢になっていたら…。死んでただろうな、間違いなく。
腐すような書き方をしたが、作家諸氏には本当に頑張ってほしい。大変な時代と思うが、工夫して乗り切っていただきたい。乗り越えた先には、明るい時代が待っているだろう。知らんけど。
SARS、MERSなどに対応し、今回も武漢に招かれて早々に現地入りした
コロンビア大学感染症免疫センター所長でジョン・スノー疫学教授で神経学と病理学の教授のW・イアン・リプキン(Walter Ian Lipkin)は
中国も海外に輸出した方が今の時期はイイに決まっているのにフツーに有用だって国内でするよう指示してるし、
https://news.goo.ne.jp/article/natgeo/world/natgeo-00009taf.html?page=1
https://www.afpbb.com/articles/-/3009301?cx_amp=all&act=all
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9272/?ST=m_news
手袋は有用ではある anond:20200401132421
はてなブックマーク - 【速報】水分を取らずに30時間我慢してから飲む水が最高に美味かった件 [PR]
一部スポンサー付きが焦点になってるっぽいけど自分的にはこれと似てるなと。
はてなブックマーク - トランペット奏者が指摘する三ツ矢サイダーCMの問題点「とても危険なので絶対マネしないで」 - Togetterまとめ
第一印象が別にいいじゃん、その後コメント等の丁寧な指摘によって危険な行動であることがわかり、じゃあ駄目じゃんってなるのも同じ。
異なる点も後付でいろいろ。
など。まだキリがないくらいあると思う。
自分もこれはアウトだろと思ったが、「見る人が真似をすると危険である」という理由だと、スキージャンプだって同じことが言えるわけだし、テレビでもっとやばいやつあるやろ。真似のしやすさ? うーん。なんだろ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/travel.spot-app.jp/toyama_i-lohas_yoppy/
スキージャンプはK点越えをプロスキーヤーがやってるのであって「熟練者だからこそこういう芸当ができるんだろう、我々素人はマネできない」といった感じで文句も出にくいと。だから、脱水記事は素人ではなく脱水のプロ(ボクサー?)にやらせればよかったのでは。
医者も医者で「医者の友達がやばくなったらやめろって言ってた(意訳)」とかのんきなのじゃなくて、医者を隣に付き添わせた上で聴診器画像載せまくりでおちょこで水をやりつつコンダケカーッとか文句言わせる記事にしてたら脱水の危険性アピールにも繋がってクレームも少なかったのでは。そんな適当でも最後の水うまいだろうし。
また逆に、トランペットタックルCMも「この行為は危険です、歯が欠ける恐れがあります」などと警告を入れつつ逆再生→肩をトントン(一昔前に流行った過去をやり直す系演出)などと変更を加えれば大丈夫だったのでは、とも。
見てて思ったことで、これらの出来事の良し悪しを言う気はないです。
3分でわかる山本一郎(やまもといちろう)氏の現在 (http://masterlow.net/?p=2939)
という記事が旬だったこともあり、いい機会なので
中身すっからかんなんだけど口先だけは回ってその結果、立派な肩書を手に入れ、のうのうと暮らしている人について書くことにする。
ぶっちゃけ、やまもといちろうについてはネット芸人なのでどうでもいい。
自分の周りにいた人について書くことにする。
まず上場企業の役員や主要ポストに就く人間、この中に本当に実績があって、そのポジションを手に入れた人がどれだけいようか?
大企業から来ました、とか政治力だけでそのポジションを手に入れた人が圧倒的に多い。
そもそも日本人は肩書が大好きだ。立派な肩書を持っている人間ほどFacebookなんかでわざわざその肩書まで記している。
そしてそういった自己顕示欲の高い人間ほど中身がなかったりする。
先日知っている人が転職して地方の企業のCTOになったそうだ。
そいつの技術力の無さをどう説明しようか、まず論理性に欠ける、悪手と言われる手法を平気で用いて何が間違っているのか理解できない。
まあ一言で言えば頭が悪いのだが、元々都内の大企業でラッキーにも技術最高責任者的なポジションを手に入れていた。理由は簡単、社内のエンジニアは外注依存の技術すっからかん社内SE集団だからだ。
まあそんな口先人間を採用している会社も同じようなレベル感で仕事をしているだろうし、そういった意味ではバランスがいいのかもしれない。
他にも、複数社の新規事業開発的なコンサルをやっている奴がいる。
彼は小さな会社をやっていて1年ほどで何の成果も挙げられずに倒産した。
その後、実績も経験も能力も何もないのに、それなりに有名なIT企業の主要ポストを手に入れていた。どう吹聴したらそんなポジションがとれるんだ?
さらにその肩書を利用して、今では複数社の顧問をやっているとそれなりにまともなネットメディアで取り上げられていた。
元々ペテン師だと思っていたが、その力がより強くなっていた。。。
無益なヒエラルキーしかり、もう少し論理的な社会になってほしいと切に願います。
皆さんの周りにもいませんか?こういう肩書が服を着ているような人が。
ネットの膨大な情報の海から、圧倒的な支持を集める無名の書き手が浮上する。
そんなプロ顔負けの評者は「カリスマブロガー」とあがめられる。
個人投資家で情報系企業への辛口の経営批評が人気で、一日八万件の閲覧を誇った。
ところが昨春、経歴詐称などと疑いをかけられ一転、攻撃を受けた。
山本がブログに書くたびに批判が数百件書き込まれ、閲覧数は三割も減った。
ネットは不特定多数で匿名性を持つ世界。群集心理は熱しやすく冷めやすい。
堀江貴文(Takafumi Horie) @takapon_jp 2011年6月9日 14:22
まあ彼も誇大広告吹聴ネット芸人系ですからねw 本人も自己認識してるのでは?
@TeddyEddy663 二ッポン放送事件のころ、切込隊長さんが、
「両社の息詰まる攻防のまっただ中にいた自らがついに、両社の仲介に動いているのだが…」
■切込隊長の凄まじい経歴
http://anond.hatelabo.jp/20100205133048
http://anond.hatelabo.jp/20150713221159
むしろ女性に無条件の承認と庇護を求めて、得られなかった男性の方がミソジニストに近くない?
藤沢は対談でも「女性を傷つけようとすることに意味は無い」といった内容の発言をしている。
藤沢は女性を憎んでるんじゃなく、女性の内面と女性とのセックスの内容に関心が無いんだよ。
二村はそこに強い関心があるし、その結果、女性を憎む瞬間についても自分で語っている。
最も女性を憎んでいるのは「二村ほど女性の欲望に寄り添うのが上手くないが、二村と同種の欲求を持っている、劣化二村」みたいな男性だろう。
okemos なんというのかよく分からんが、とにかく藤沢さんがセックスについてはてな民大好きな承認欲求と絡めないという事自体は、健全な気がするな。この人は食道楽と同じようにヤリ道楽なんでしょ。
「この店で一番高いもの食わせてください」が食い道楽なら、藤沢のアレもヤリ道楽かもしれない。
でも藤沢の場合、セックスの内容に関心が無いんだから道楽と言われると引っかかるものがある。
「承認欲求と絡めないという事自体は、健全」という認識については完全同意する。
性欲を承認欲求でコーティングしだすと、男でも余裕で「面倒くさいメンヘラビッチ」になる。
fuyu77 "藤沢は変態の真逆なのではないか。セックスの内容に微塵も興味が無いのではないか。 『ぼく愛』をパラ見したが、セックスシーンは朝チュンだった"←この辺は私もブログに書いた。http://fuyu.hatenablog.com/entry/2015/07/01/004952
スマホやハサミや靴なんかを心から憎んでいる人間など早々居ない。
憎悪の対象になるのは大抵、人間だ。人間と思ってなければ憎むことも無い。
藤沢にとって、同僚や友人など対等なランクにある男性は人間だ。
セックスの内容への関心が薄い藤沢は、「こんな女を抱けば仲間の関心が引ける」という観点で女を選んでいるのかもしれない。
ブランドバッグを欲しがる女に似ている。彼女たちが意識しているのは徹底して同性の目線だ。
nananashi 藤沢氏はタイガー・ウッズやジョーダン・ベルフォートの文脈で読むべき人物ですし、堀江氏と同様にもはやビジネス界で立ちまわることが出来ない元ハイスペックネット芸人ですね。
一生、ビジネスの現場で活躍し続けられる人間がどれだけ居るのだろうか?
大半の人間は、年功序列の給与システムに守られ、自分の価値が上がっているかのように勘違いさせてもらっているだけで、
昔から加齢によってビジネス的なパフォーマンスは落ち、実態は職場のお荷物と化しているものなのでは。
老いると現場に居られなくなる。そして良い言い方をすれば「メンター」、
胡散臭く言えば「オセロ中島の占い師」のような形で、「現場」の空気にすがりつくようになる。
lcwin 藤沢さんのは幸福かも知れないけど無間地獄にもなりそうな怖さがある。それよかなんでそんなに世の中にフリーの独身女性を見つけられるんだろうか不思議
彼氏の目を盗んでつまんでるんだよ。
恋愛工学クラスタは「寝取れなかった身持ちのかたい女」の記憶をさっさと忘れ、
結果、経験人数の多くが寝取り体験になる。
つーか、「スペック」と「数」を狙い続けられるスペックじゃなくなるんだよね、自分自身が。
『ぼく愛』の主人公のスタート地点は、彼女持ちの26歳弁理士。
そこから始まれば「ハイスペックな女をたくさん食う」という場所も目指せる。
加齢するとスペックが落ちる。狙える女の質が下がっていく。
多くの男は「右肩下がりの自分」を受け入れられなくて病んでいく。
固定の女を作り、その女とのセックスの質を高める方向にシフトした方が、
自尊心を守れるし、安寧を得られるんだよな。
この記事にはやや異論があって、二村さんの恋愛論もやはりある種のスペック(藤沢さんとは根本的に異なる種類の)を要求していると思う
まず発達障害が無いことであったり、共感性が高いことが必要だよな。
この辺りは「人間性」だの「やさしさ」「思いやり」の文脈で語られがちだが、
生まれつきの脳の器質的な問題で、その「スキル」を身につけられない人間も居て、
そういう人間には二村の主張する理想的なセックスは得られない。
「やさしくない」とかじゃなく、 能 力 的 に 。
この藤沢氏によく似てる知人がいて、超いい男で魔法のようにモテてお持ち帰りしまくるんだけど、常に正常位で挿入だけして射精したら帰っていいよってなるという話聞いて以来、ヘテロノーマティヴィティも極まると「アブノーマル」になるんだなって。
そうなんだよなあ。
好みだのフェチだのが一切無いと、ファッションで言う「ノームコア」的なイカれた空気が出てくる。
過激なクリスチャンの行う、「政治的に正しいセックス」にも近いな。
噛み合ってないというか、議論としては噛み合ったからこそ、お互いの相違がクリアになったのだ!。 私はこの二人の思想的対立でいうと、7:3くらいで二村さんよりだと自己認識。