はてなキーワード: HDDとは
いやね。ほら、なんか胡散臭いWHO上級顧問に意見聞いちゃう馬鹿居るじゃん。他にもドリルでHDDに穴開けちゃったり、不倫したけど何故か再選したり
あういうニュース聞くと「選挙区民馬鹿なの?」とか思うでしょ?馬鹿じゃないの。考える頭もないの
自分は意見聞いちゃう馬鹿の選挙区の党員。選挙じゃ色々がんばります。まさに舎弟。でもね、実は大変じゃないの
確かにスケジュールはギッチギチ。でも焦りはない。なぜならこの田舎の住民は選挙になったら同じ名前と同じ政党名を書くようにインプットされているから。パブロフの犬
演説や街宣は埋もれた記憶を呼び覚ましているだけ。たぶんとてつもない候補でも来ないと負けることはない
とにかく地盤のある候補の対抗馬ってこの風習レベルを一気に忘れさせないと駄目なんだよ。そんなの数週間じゃ無理。じゃあ選挙以外で活動ってもカネがない。相手も地元に帰ってくる。そして年寄は考えを変えない
これは原則 会社で使うものは会社で支給せねばならないためつらい。
個人持ちのものを使う場合、同じだけの代金を付与するか、商品を貸与せねばならず
その場合、個人のPCが会社の所有物となってしまうためにつらい。
そうすると
会社に対して個人が所有PCをリースする契約が必要になり、結果辛いので支給してしまったほうがいい。
その場合原則一番安いPCを所有して、5万なら5万 10万なら10万を赴任時に支給するケースが有る。それで好きなものを買えというパターン。この場合勤務が1年未満だった場合労働者都合なら10万返せなどさまざま
離職時にHDDやSSDだけ、会社がもらうが、それ以外は貰える場合がある。
ノートPCそのものは年次予算で買うので会社としてはいらないが、メディアはこまるので回収。場合によっては新品のメディアでリカバリーして返却などもある。データはいっさい持ち帰らせない。
今、知り合いのつてでテレビ局の制作下請け業務のADやらないかって話があってそれを引き受けるかどうか迷ってる。
大学在学時に精神病んだり多重債務が膨らんだことで卒業してすぐ実家に戻って2年くらいニートしてた。
ニートって言ってもぼちぼち家業の手伝いして、とりあえず利息をなんとかするために日雇い派遣に行って、
グループセラピーに顔出したり、町おこしやってる地元NPOでボランティアしたりなんやかんやしてたけどどこにも属してなかったからニートはニートだ。
同じ面子と毎日顔を合わせていると不安でたまらなくなるから月に二日が限界だった派遣も、2年経つごろには週4~5で3つぐらいの現場をローテーションできるくらいには回復した。
そのころになってようやくとりあえずどこでもいいから腰を据えようと考えられるようになって週3のコンビニバイトと週2のホテル清掃を掛け持ちを始めた。
1年前にコンビニの時給が上がってからは週4にシフトを増やしてもらってそっち一本に専念して今もやってる。もうかれこれ4年になる。
当時はやっていたテキストサイトなりに影響を受けてhtmlを自分で書いてみたのが最初で、
それからお遊びで自分のサイトをCSSで装飾をしたりCGIプログラムを書いてみたりしてた。それも高校生になるころにはやらなくなったけど。
それでもずっとWeb周りの情報は集めていて、はてなも情報収集のためにブックマークを使い始めたのがきっかけだった。
2年のニート期間中に、ようやく落ち着いて勉強をできるようになったので、
ドットインストールでJavascript、PHP、Python、Rubyの基本的な書き方をさらったのち、ちょくちょく自主制作をやるようになった。
いってもPHPとPythonはWordPressとC4DのXpressoくらいでしか使ってない。Rubyは一回TwitterBOTとミニゲーム作ったあとなんか好きになれなくて弄らなくなった。
でももともとWebに憧れがあったからかサイト制作でJavascriptを使うということは結構長く続けられた。
通ってた大学はメディア関係の学部でイラレフォトショもそれなりに使ってたからそんなつまずくこともなく、ちまちまポートフォリオに制作したサイト溜めてた。
あと関係ないけど図書館でJavaの参考書借りてきて写経したり、XCodeでSwiftに挑戦したりしたけどアプリにあんま興味なくていつの間にかやらなくなった。
それもサーバー代が払えなくなったりHDDがおしゃかになって全部なくなったんだけどね。ここ最近はPCも持ってなかったし。
なんとか最近になって惨めな田舎生活から飛び出すだけのお金が貯まって、定職につくことまでようやく考えられるようになって
「ちょっと遅くなったけどだめもとでまた一から頑張ろう、まずはポートフォリオまとめていこう」と思ってた矢先にコロナショックで世の中おかしくなりだした。
自分も不安でたまらなくて、コンビニバイトをしていることから小売業の求人に応募しつつ、Web制作や、大学時代の経験から映像制作の募集に片っ端から応募した。
ADの誘いを受けたのはこの流れで、受けた企業の採用担当でない社員の方から別の企業を紹介されてそういう話になった。
履歴書も見たしもう一度会ったらもう内定を出すと言われている。
あからさまに怪しいと自分も思う。放送業界のハードさは周知の通りである。しかし自分にはトラウマがある。
大学卒業直後に第二新卒での就職を目指して3か月だけ就活をしていた時期がある。
そのときに「テレビの制作やってる部署に中途採用してあげるから一か月後に荷物まとめて東京に出てきて」と言われ結局自分はそれを蹴った。
当時はほぼ無収入なのに借金の返済に月6万かける生活で不安が大きかったのと、
クライアントや代理店から依頼された案件で企画から制作までじっくり取り組んでいきたかったので放送業界はやや不本意だったからである。
でも今になればあのとき飛び込んでいれば違った未来があっただろうと後悔する気持ちがある。
少なくとも今のようにぼんくらとして馬鹿にされ近所から白眼視されながら惨めに孤独に片田舎で生活するようなことはなかったのではないだろうか。
今の自分は映画「悪人」の妻夫木の役どころや「レズ風俗」の永田カビみたいなもんである。
今現在はその企業以外に2社映像制作会社(放送関係ではない)の面接選考が進んでいてそれも自分を迷わせる原因だったりする。
最近のはてブの話題からいろいろ考えてしまうんだけど、現実逃避するように誰に見せるわけでもないポートフォリオサイトを休日に作り続けてる。