「鎌倉」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 鎌倉とは

2022-09-27

過去に栄えた土地観光する地

京都・・・中心街はごちゃごちゃしてるけど何度でも行きたくなる

奈良・・・雄大なところもあり何度でも行きたくなる

金沢・・・武家屋敷兼六園しかないけど美味い物がある

鎌倉・・・二、三度行けば十分

小田原・・・一回行けば十分(城しかない)

anond:20220926205322

anond:20220926205322

鎌倉は文筆家とかがじっくり腰を据えるため住むとこ

冬寒く夏熱い京都観光するとこ

anond:20220926205322

それがまさしく、鎌倉世界遺産になれなかった理由なのよ。当時の建築物ほとんど残ってない。鎌倉大仏だけ。

関東1923年関東震災で倒壊や火災が起きて、多くの歴史的建造物が倒壊して残らなかった。1995年阪神淡路大震災では京都震源から離れていたが、関東震災震源相模湾沖なので、実は震源に近い神奈川県の方が東京より揺れが大きく、倒壊で多くの建物が失われた。

震災被害横浜も極端で、実は横浜には開港当時の洋館は一件も残っていない。すべて関東震災ときに壊滅した。皆がありがたがって行く山手洋館は、関東震災後に逃げてしまった外国人を連れ戻すために建てられた洋館居留地時代洋館が見たければ、神戸旧居留地五番館まで行かないといけない。

横浜に行ったついでなら、山下公園とか場所ぐらいわかるでしょ。山下公園関東震災復興祈念公園で、当時の震災瓦礫で埋め立てして作られた公園横浜関内地区沿岸部関東震災で一回地盤沈下してて、昔の洋館とかは倒壊後、海に沈んでしまった。横浜関内地区は一帯が住居表示実施区域から地番明治から大きく変わってないが、沿岸部関東震災後に復興で引き直してるから、昔の地割がどうだったのかすら正確には不明

横浜役所桜木町に移すときに、発掘調査が行われて、今では遺構の一部が公開されてる。あれが関内で一番古いものだな…昔は、横浜公園庭園石灯籠が一番古いって言われてたのよ。横浜公園一体は、幕府オランダ共謀して作った人集めのための遊郭後なんだよね。そこの岩亀楼っていう遊郭石灯籠軍事的東京から切り離しやすい今の横浜関内一体に外国人を集め、唯一の開港場としてアメリカに認めさせるためにはどうしたらいいかって、江戸幕府オランダ相談して、オランダ提案したのが遊郭作ることだったのよ。

鎌倉の話なのに、横浜の話が多くてごめんね、横浜まれなので横浜のほうが詳しいのよ。

anond:20220926233916

かにサイズ感が全く違うわなあ

鎌倉と比べるなら宇治市とかかね。平等院鳳凰堂源氏物語宇治茶なら大仏長谷寺江ノ電で互角だろう。

anond:20220926205322

なんか鎌倉って定期的にディスられてるよな

anond:20220926205322

覚園寺十二神将はよかった。

あと自分は歩いて鎌倉に行くことが多いので、各地の切通しを通過する時は感慨深い。

岩をくり抜いた道が未だに使われてたりして、城塞都市だったんだなぁという実感があるね。

2022-09-26

anond:20220926205322

鎌倉歴史の長い一種コミュニティなので、テーマパークとしては別に何てことないよ。俺にとっては東慶寺を守る一円の美しい家並みだし、友達にとっては雪ノ下と八幡宮けが鎌倉だし。ジャパニーズエッセンスたる京都鎌倉を気にしないで大丈夫長谷寺がクソなのは完全に同意する。昔から寺というのはああやってギンギラの伽藍で金を稼いだという乱暴意見もあるが、だからといって侘び寂びの浸透した現代にそんなもの踏襲してどうするんだという感じ。

anond:20220926205322

古いものが好きで横浜出張の帰りに鎌倉に行くの、観光プランセンスが無さ過ぎでは。

というか古いものが好きなのではなく京都が好きなだけかな

鎌倉に限らず

塩害が起こる地域に住みたい意味がわからない。

から5kmは離れておきたい。

anond:20220926205322

要約:鎌倉は進んでるとおもてましたわw

anond:20220926205322

鎌倉って「お金持ちや文化人が静かに暮らす海沿いの街に、古くから史跡も残っている…」みたいなマイナー観光地として考えるとすごく良い所だと思うよ。

そもそも、そんな大挙していくような観光地じゃないのに東京から近すぎて有名になりすぎたのがすべての敗因。

地元民もみんな静かに暮らしたい、観光客に来てほしくないって思ってるし。みんな不幸になってる。

anond:20220926205322

鎌倉庭園が減ったのは理由があるわけで。

建築レベルが低いというが、ちゃんと巡ってないんだろうなって。

2022-09-16

生の魚の増田臭さよ差作出す間の中佐真魚回文

おはようございます

鮭のいいアラが手に入ったので早速お粥よ!

ちょうど昨日生鮭ぶっこみたい!って言っていた矢先、

みかん花咲く丘公園前の商店街のお魚屋さんで

本当に偶然ちょうど良くおあつらえ向きに鮭のアラがあったのよ!

しかも100円!

安っす!

いいでしょー!

まあアラなので魚をさばいた後

魚の身を切り出したあとに残る部分なのね。

あんまり食べるところがほとんど無いけど、

アラの当たり具合によっては

良いアラに当たることがあるのよね。

今回の鮭のアラはいいともうわ!

そんで早速鮭粥に挑戦!

生の鮭なので、

霜降りにして明星になったこ粗品でもらったキッチンペーパーでちゃんと水拭いて、

わかるかなー?

わかんないだろうなー?

生臭さを処理したつもりだけど、

いざ鎌倉!ばりに

お粥にしたら鮭のというかー魚の生臭さが際立ってたわ。

まあ食べられないってワケではないけど、

ちゃんともうひと手間

霜降りにして明星する前に、

塩振っておけばよかったわ。

そして粗品でもらったキッチンペーパーで出てきた水分をおさえてって手間。

わかるかなー?

わかんないだろうなー?

その手間を怠ったがゆえの結果として

ちょっと臭い鮭粥ができたとさ!

うまんが日本昔話ばりに話を終わらせたいところだけど、

生の魚を使うとき特に粥にするとき

ちゃんと下処理しないと生臭くて笑うわ。

まあ当たり前の魚なので魚臭いのはご愛嬌だけど、

下処理怠らないようにしなくっちゃって思ったわ。

アラなので結構いい出汁出ててそれこそ匂いはともかく

味はまずまず美味しかったし、

面倒くさいけど骨もある程度取り除いて鍋に突っ込むべきべきだったわ。

あんまり骨気にならないんだけど、

お粥の柔らかさに対比して骨の硬さが余計に目立つのよ口の中で。

一回試してみて鮭感を感じたかったので、

次回はちゃんと下処理するか、

だいぶ高いけど切り身の鮭で本格鮭粥を試してみるかだわね。

鮭粥もなかなかパンチあって私は好きよ。

パンチの中にも優しさがある感じがして、

もちろん冷凍餃子お粥の中にも優しさがあることを私は忘れていないから!

手軽さと簡単さと食べ応え強さと

の私のお粥テーマで言えば

圧倒的に手軽さと簡単さで分がある冷凍餃子圧勝よね。

人類はまだ生の魚を取り扱いには早すぎるのよ。

うそう!

今度はって思い付いたんだけど、

鯖缶粥試してみようかしら!

これなら冷凍餃子匹敵する手軽さと簡単さでは負けないと思うし、

ニュートンさんが木からリンゴが落ちてきてアイデアが閃いてリンゴ粥を作ったように

私もそれと同じ要領で

鯖缶が頭の上に落ちてきたような閃きをアイデア

ちょうど鯖缶の縁の角の部分がクリンヒットして私の頭に当たったような衝撃よ。

実際棚から鯖缶落ちてきてってリアルな話しよ。

私の頭の上で

ツーバウンドならぬスリバウンドぐらいしたかもしれないわ。

でも顔面を含む頭もセーフよね。

幸い血は出なかったので良かったけど、

鯖缶が空から振ってくることもたまにはあるのよ。

大谷翔平選手鯖缶ツーシームで投げて

4回転のフォーシームより遅い2回転なので、

その分なんとか遅い回転中に鯖缶賞味期限を見極められるような芸当を身に付けるぐらい、

その大谷翔平選手が投げた鯖缶も頭に当たったら危ないから気を付けた方がいいわ。

あなたも気を付けてね。

うふふ。


今日朝ご飯

例のその鮭粥よ。

うそう思い出したけど、

お米切らしていたのでサトウのごはん的なサトウのごはん

ちなみに小盛りのやつで

こしらえたんだけど、

あれも常備しておけば急に思い立ったときに便利極まりないわ。

世の中便利なものがあるのね。

覚えておくわ。

デトックスウォーター

桃缶買ってきたわよ。

たまに食べたくなる甘んまい桃缶よ。

それを1つ桃缶ウォーラーにしてみました。

プレーン炭酸での桃缶の桃で桃も炭酸ウォーラーでもいいわね。

炭酸桃も桃よ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2022-09-02

先生

僕がまだ大学生だった頃に先生出会った。先生と言っても大学学校教師ではない。私がそう呼んでるだけだ。ど田舎の裕福な家に生まれた僕は故郷の親や教師同級生たちの俗物さに呆れ、期待を抱いて大学に進んだ。父は「息子が大学に進んだ」という誇らしさと「学問やらせると小難しくなってろくなことがない」という相反する思いを抱えていたようだ。期待して進んだ大学でもまた学生教師たちの俗物さに呆れていた。夏休み、やることもなくて鎌倉でぶらぶらしていた時に先生出会い、そこから交流が始まった。

先生は私と同じ大学卒業生だった。生まれ資産家の家らしく、30代前半だったが仕事はせずに洋書論文を読んでブラブラしていた。先生の家には奥さんお手伝いさんがいた。奥さん先生よりもかなり年下で、裕福ではないものの、しっかりと躾られてきたお嬢様だった。2人に子供はいなかった。先生学問に造詣が深く、俗っぽさもなく、僕は先生と共に人生最後モラトリアムを過ごした。

大学卒業が決まる頃に先生が若くして亡くなり、故郷の父も病気で亡くなった。

僕は父の財産と、遺言により先生財産相続した。大学教授と友人の伝手で官吏の職に就き、若くして未亡人となった先生奥さん結婚俗物役人として暮らしている。

2022-08-29

歴史教科書地元地名が出てくるってどんな感じ?

夏休み高松に行ってきた。

ちょっと時間が余ったので、屋島にも行ったのだけれど、行った後に「これが屋島の戦いの屋島か!」ってすごいテンション上がった。

勝手瀬戸内海のどこかの島かと思っていたり、こんな急峻な山で山の上にいる方が圧倒的に有利そうだけど義経はよく攻めたなと現地に行って初めて気づいたことがいくつもあった。

ふと、高松学校では、「この屋島の戦いのあった場所はあの山です」とか教えられたりするんだろうなと思うと急にうらやましくなった。

(私は歴史教科書には決してでてこないような地方出身で、そういう経験はなかったので)

京都とか奈良とか鎌倉とかその他歴史教科書地元地名がでてくることがあった経験のある人はどんな感じだったか是非教えてほしい。

あのパチンコ屋があった場所に昔xxxがありました、とかそういう親近感あふれる説明がされたりするんだろうか。

2022-08-18

鎌倉武士モンゴル兵の集団戦術に苦戦したって教わったけど

あん日本史上でも一番キチガイじみてる蛮人集団が本当に戦場では一騎打ちなんか挑んでたの?

2022-08-14

鎌倉ヤバい

生存率低すぎ

二代目になってからは更に悪化した

今日幹部が殺しあってた

誰か助けて

2022-08-08

オッレ「那須与一時代っていつ頃?鎌倉?」

知人「鎌倉になる前の時代ですねぇ。平家と戦ってた時代ですね」

オッレ「ああ、そのへんか」

知人「なんで急に?ドリフターズ?」

オッレ「いや那須与一Ghost of Tsushimaと比べてどの辺かなーと思って」

知人「ふむ、まあ平家の扇を射落としたわけですね」

オッレ「なるほろつまり平安末期!」

知人「そういうことだな」

オッレ「源平合戦Ghost of Tsushima出してほしい」

2022-08-05

夏は昔の恋を思い出す

誰にも明かしたことはないけれど、恋多き人生を送ってきた。10代の頃はそれはそれは惚れっぽく、けれどお付き合いの具体的なイメージが沸かないから、すべての恋を胸に埋めて大人になった。大人になると途端に恋は人間関係と結びつき、恋人になるなり、失恋するなり、別れたり復縁したりと暮らしに影響を及ぼすようになった。

けれど、ただ胸の中にアルバムをこしらえて、目が奪われ体に火がついたような一瞬を大切にスクラップし、眠れない夜や開放的な歌を耳にしたときついページをめくってしまうような、眩しく淡い恋はあの頃で終わっている。そして夏が私にそれを思い出させる。

入学したときぽっちゃりした坊ちゃんみたいだった佐野くん。実はピアノが上手くてプログラミングにも長けていて、卒業する頃には背まで伸びて花より男子に出てきそうだったのに、おっとりと優しく人を立てる性格がずっと変わらなかった。

クラス替え自己紹介で将来の夢を聞かれて、低い声でぶっきらぼうに「DJ」って答えた佐伯くん。全く意味がわからなくて、大人っぽすぎてドキドキした。家に帰って辞書で調べて、ラジオディスクジョッキーのことと理解して、その夜はラジオから佐伯くんの声が流れ出るのを想像した。

ずっと一匹狼だった小山くん。いじめスレスレのいじりが起こるとすっと話題を変えていた。先生含め全方位につれない対応だったのに、裏表のない態度が一目置かれる存在だった。同じ小学校から進学してきたユカちゃんと話すとき笑顔けが特別だった。

ロッカーが隣で、ふっと中を覗かせてもらったら、ぴしっと教科書が整列していた坂上くん。ゲラゲラ笑う大胆な人なのに几帳面なんだ!と驚いて、自分ロッカーを見られないようにあわてて閉めたら目があってニヤッとされた。扉の裏にコピーした時間割がまっすぐ留めてあった。

くるくる天然パーマキュートだった加藤くん。ずっと冴ちゃん片思いしていて、冴ちゃんが誰と付き合ってても視線の熱が変わらなかった。一度男女混ぜこぜで鎌倉花火大会に行ったとき、一番はしゃいで盛り上げてくれたことを思い出す。あのときちゃん彼氏の呼び出しで早く帰ってしまい、それでも続く明るいトークには抱きしめたくなるほど痺れた。

その花火大会の日に家に寄せてくれた吉住くん。浮いた噂一つない柔和なカタブツで、誰にも平等に接するフェアなところを尊敬してた。ご両親とのやりとりも穏やかでユーモラスで、その後何度もみんなで家に通わせてもらった。高校柔道部に入ってあれよあれよと体が分厚くなり、人懐っこい熊のようだった。

眉毛一生懸命整えていた竹内くん。今思えばきっとノンバイナリーな人だった。男子グループに上手く馴染めていなかったけど、料理部に入って人は人自分自分って感じに対処していた。ミステリアスで目が奪われた。

バスケ部永田くん。学校ではまるで話したことなんてなかったけど、偶然電車で会ったとき、家のことや好きな本の話など、横浜藤沢まで楽しくおしゃべりできた。クラスメイトの陰口など一切言わなかった。鞄の角がすり切れていて、でも持ち手はきれいにしてあって、ものを大切に使うんだなと感心した。

テニス部藤本くん。華やかな容姿で人目を引いたのに、結局誰とも付き合わず、いつも友達とふざけているか本を読んでいた。一度バスの中で何を読んでいるか聞いたら水滸伝だった。読書するとお小遣いもらえるんだよねと言っていたけど、きっと本当に本が好きだったんだな。

藤本くんの親友で、ある日突然私に現国を教えてと持ちかけて水木くん。勉強なんてしてこなかったけれど、医学部に行くって決めたからと言っていた。弟の病気を直せる医者になりたいってそんな漫画みたいな‥と思ったけど、全力で学ぼうとする姿勢にはむしろ教わることばかりだった。卒業生総代になって、答辞添削を任せてもらえたときは胸が詰まった。

サッカー部で副キャプテンをしていたのに、引退試合の直前で怪我をしてしまい、試合には出れずコートから大声で指示を出していた榎木くん。試合終了が近づくともう何も声を出すことなく、ただ制服の白シャツがはためいていた。

回転ドアの向こうに、自転車の後ろ姿に、夏の朝夕、暑さが残る淡く眩しい光のなかに男子学生を見かけると思い出す。みんな素敵だった。私恋ばかりしていたけど、それは当たり前だった。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん