はてなキーワード: 忘年会とは
あまり知られていないことだとは思うが、明日、11月20日の「トランスジェンダー追悼の日」に、新宿でトランスジェンダーの認知向上や被差別の是正を訴えるトランスマーチというパレード、というかデモ行進が行われる。
きっとバズやハフポといった感度の高いメディアは取材に来るだろう。
それと共に私が心配しているのは、公共放送のNHKが「我々はマイノリティーに寄り添った情報を発信します」といったツラを下げて来てしまうのではないかということだ。
っていうか、LGBT関連のイベントに顔を出すとけっこうな確率でNHKの取材や福祉系コンテンツの収録が行われているのだが、私はNHKの人に出くわすたびに、NHKだと名乗られるたびに息苦しく胸が焼けるような苦しさを味わっているのだ。
私がNHKの下請けで働いていた4年前、あなたたちのデジタルコンテンツチームが主催し、関連会社を集めて行われた忘年会で、あなたたちは余興として、トランスジェンダー女性を揶揄して笑いを取る寸劇を披露しましたよね?
トランス女性とシス男性との恋愛を小馬鹿にするネタでみなさん、大笑いしていましたよね?
忘年会の企画・主催者であり寸劇の出演者はチームの役職者ばかりでしたね?
その役職者のみなさんに勇気を出してクレームを入れたら、「脚本のレビューはしていた。放送ではNGだが内輪の忘年会で披露するならOKだと判断し実施した」という回答をいただきました。
「こういうクレームが来てしまうのは面倒なので、今後はしません。申し訳なかった」という意味不明な謝罪をされたのも覚えています。
(渋谷の放送センター1階の食堂で話しました。コーヒーごちそうさまでした)
で、私がクレームを入れたことをあなたたちは、私の雇い主に告げ口したでしょう?
どういうつもりで漏らしたのかは知らんけど、その件で私は、六本木のカフェに呼び出され、公共の場で社長と先輩から罵倒されるというハラスメントを受けたのですよ。「NHKの職員を困惑させるとはなにごとだ」という意味不明の理由で怒られ、結果としてチームを干されました。
っていうか、コンテンツとしてLGBTを扱う前に、あなたたち職員の中にも、それはそれはたくさんのLGBTの当事者がいることを意識しなさいよ。異性愛カップルへの福利厚生がやたら手厚いくせに、同性カップルはほったらかしじゃないか。
つまりなにが言いたいかというと、今日、幕張メッセにInter Beeを見に来たらNHKも出展していたので、4年前のことを思い出して増田に書きたくなった。
「1日だけあの頃みたいに遊びたい」そういう連絡だった。
僕と彼女が二人で遊んでいたのはもう10年以上前の話で、正直に言えばあの頃のことはよく覚えていない。月に1回か2回か、馬鹿な話をしながら酒を飲んでベロベロに酔っ払って、たまに終電を逃して、セックスしたりしなかったり、そんなことをしていたと思う。付き合っていたわけじゃない。遊びに行く時以外で頻繁に連絡を取り合うこともなかったし、お互いに恋人が居るタイミングもあったと思うから、近づいたり離れたりしながら(それでいながらぴったりくっつくこともなく)文字通り遊んでいただけだった。
あの頃と違って彼女も僕も結婚しているし、最後に会ったのは3年ぐらい前の共通の友達との忘年会だったから、彼女の連絡はとても唐突なものだった。でも僕はすぐにその誘いに乗って、その「1日」をいつ過ごすか話し合った。
当日、僕たちはあの頃過ごした街の小さな映画館に休日の昼下がりに待ち合わせた。奇妙な話だが、あの頃に戻るために会ったのに、僕たちは休日に待ち合わせたこともなければ一緒に映画を見たことすらなかった。でもこれは僕たちにとって必要な準備運動だった。10年という歳月を経て急にあの頃にいきなり戻れるほど僕と彼女は親しくなかったからだ。僕たちは映画館でポップコーンをつまみに気の抜けたビールをちまちまと飲みながら、いつのものかもわからないリバイバル映画を見た。手を握ることもなかったし、目を合わせることもなかった。実際のところ僕も彼女も映画を見てはいなかったと思う。ただスクリーンを眺めながら、あの頃何をしていただろうなとぼんやりと思い出していただけだ。
映画を見た後、どこにでもあるチェーンの居酒屋に入って酒を飲んだ。昔みたいに大してつまみも頼まずに酒を飲み続けたが、話題は近況報告だったり家庭のことだったりとあの頃とはすっかり変わっていた。店を出るころには日も暮れてきていたし、お互いだいぶ酔ってはいたがあの頃みたいにベロベロというわけではなかった。僕は彼女の腰を抱き寄せてもいなかったし、彼女も僕の腕を抱いてもいなかったからだ。ここで帰るのもいいかもしれない、僕はその時本当にそう思っていた。でも僕の口から出た言葉は「飲み足りないな」だったし、彼女の返事は「まだ何時だと思ってんだ」だった。
繁華街の奥へ奥へとぶらつきながら、結局またさっきの店と同じようなメニューを出す店に入って飲み直した。もう酔っていたから対して酒が進むわけではないし、つまみもほとんど頼まないから迷惑な客だったと思う。それでも僕たちはいつの間にかあの頃みたいに中身のない話をして馬鹿みたいに笑って、ベロベロに酔っ払っていた。もうこれ以上は飲めないというところ(それは本当にすぐ近くにあった)まで飲んで店を出た時、僕たちはこの後どうするという話もせずホテルへ向かってセックスをした。特に素晴らしい体験だったという感じはしない。あの頃と同じただのセックスだった。愛もないし過剰な興奮もない。行き過ぎた友達同士のコミュニケーションのようなセックスだった。
事が終わった後、僕たちは辞めたはずの煙草を吸いながらぼんやりと中身のない話をしていたが、彼女は急に黙った後、東京から離れることになったと話し始めた。
理由はよく覚えていない。酔っていたということも勿論あるが、数年間平気で連絡を取っていなかった相手がちょっと遠くに行くという話を聞いただけで僕はひどく動揺していた。なんとなく僕と彼女はずっとこの東京に居るんだって思っていた。覚えていたのはどこかの小さな地方都市で旦那の実家の近くに家を建ててそこで暮らすということだけだ。でも彼女がその後に言ったことはよく覚えている。
「つまり私の人生はここで一区切りってわけ。あそこに行ったら私は奥さんでお母さんで、これまで生きてきた私という人格はどこかに消えちゃう。もう東京でこうして酒を飲んでベロベロに酔っ払うこともないし、もしかしたら東京に来ることも二度とないかもしれない。君と会うのも最後になるかもね。でもそれも悪くないのかなって思ってる。私の選んだことだから」
僕がそれになんと返したかは覚えていないけれど、彼女を抱き寄せてもう一度セックスをした。あの頃は2回戦なんてしないで寝ていたけれど、今の僕たちには帰るところがあって、寝るわけには行かなかったから。
ホテルを出て終電で帰って以来、僕たちは一言も連絡を取っていない。僕とは違う路線に乗る彼女を改札前で見送って、あの頃と同じように「じゃあね」と言ったきりだ。彼女が今どこいにるのかも知らない。でもきっと彼女は彼女の人生を生きているんだと思う。僕はあれから、寒くなってくると彼女のことを思い出すようになった。
コロナということでそれなりに自粛をしていた。外食はほぼゼロ、酒は好きなのに外では一切飲まない、在宅勤務なのもあり、車を買って電車にすら一年半くらい乗ってない。人にもどうしても必要な時以外まず会わない。すべてオンライン。
東京住みだが、ここ数週間はコロナがだいぶ落ち着いた感がある。去年はオンラインにした、恒例の小学生からの仲間との忘年会が今日、ある。
俺は半ドンして今、先のりして立ち飲み屋で一杯ひっかけてる。最高だ。
適度に騒がしい店内。うまいビール。特筆してうまくはないが、まあ及第点のつまみ。まだ仕事してるサラリーマンやらしょうもないであろう話に花を咲かせるおばちゃん二人組。献身的に働く店のスタッフ。街に溢れる人、人、人。騒がしい。
べつに、それほど恋焦がれた生活というわけではなかった。自粛は自粛で、妻子と共にそれなりにご機嫌に過ごしてきたつもりだ。
だが今店内で一人しょぼいビールを飲みつつ、とても幸せを感じている。ああ、いいな、ってね。とても心が満たされる感覚がある。俺はこれほどに、この以前なら何の感慨もなかったであろう生活を渇望してたんだなと気づいた。
愚痴書き捨て
ワクチン打って無敵になったと勘違いしてる社長が迷惑極まりない
今はわざわざマスク外してから話しかけて来るし新聞や印刷した紙渡される度に指ベロベロ舐めてから捲ってる
誰かがそれとなーく注意すると一応マスクは付け直すけど
自分に自信がない人だから尊重してもらえなかった出来事はずっと根に持つし
社長が部屋に入ってくると外回り組は慌てて用意してサーッと出掛けるし、社内に残る人間は一斉にドアと窓を開け放つ
社長が触った紙はヤバいので確認の時はダミーを用意し、目を盗んで速攻シュレッダー行き
来客の前でもそんな感じのことした挙句「私はもうワクチン打ったし君もマスク外していいよ?」とか言うから
社長がいなくなってからお客様にコソコソっと事情を説明して謝ってバカバカしい
でもアルコールには敗北した。
俺はそれがなにより悲しい。
そのせいで結果的に薬物から離れるという選択肢が不要になった。
俺の職場にたくさんいる「ワクチン打ったからこっそり飲み行ったよ」「4人以下だからセーフwww」「今年は忘年会出来るといいなー」という声がとても悲しい。
薬物の呪縛から解き放たれる事ができないままきっと21世紀も終わってしまうし22世紀、23世紀も同じかも知れない。
泣きそうだ。
アルコールのせいだと言い訳してハラスメントをし、強姦をし、酩酊し、殺人を犯し、責任をなかったものとする大人たちで溢れた社会がまだ数百年続くのだろうか。
俺は恥ずかしい。
霊長を名乗る種族としてこんな恥があるか?