はてなキーワード: ユートピアとは
圧倒的大多数の人間は、生まれてこの方十数年だか数十年だか日本に生きていれば、とりあえず何となく日本に愛着はあると思うんですよ
ただ、当然ながらそれは自国の現政権を熱烈に支持するとか、古来の日本人は聖人君子しかいないと信じるとかいう意味でなく、単に食べ慣れてるから米と味噌汁大好き、とか、そういうレベル
自分は日本に一定の愛着はありますが、それはあくまで自分が生まれ育って以降の平和で豊かな日本であって、戦前が理想のユートピアだったかなんて知らない
(少なくとも今よりずっと筋肉労働中心の体育会系価値観だったのは間違いないから、それはイヤだ)
ところが
昨今の自称「普通の日本人」の皆さんは、自国の現政権にいっさい疑問を持たず服従しないと愛国心がないと見なしたり、過去の日本人は一切残酷なことをしなかったと考えないと「愛国心がない」ことになってる
(長屋王の末路やら織田信長の焼き討ちやら、欧米や中国と同じように、日本にも歴史上いくらでも残酷な話はあるんだけどなあ)
とはいえ、この手の主張ばかり言い立ててる連中は、先に触れたような「空気のような愛国心」なら持ってる大多数の人にとっても、ウザいんじゃないんですか
びっくりするほどユートピアか?
作品が嫌で嫌で仕方ないのに、何の生産性もない誹謗や中傷を粘着質に続けるやつは、
さっさと病院にいけばいい。
一方で、私はこの言葉が膾炙したことで生じる・または生じるであろう弊害が、
恐ろしくも憎い。
弊害とは何か。
正当な道理のある意見や批判を封殺するための手段に、この警句を用いる輩の発生である。
輩はつまり信者と揶揄されるもので、作家や作品を退廃させ、堕落させ、
ある作品を語る際、人は往々にして下のいずれかのカテゴリーに柔らかく属する。
感想・・・作品の好き嫌いを根拠の有無に関わらず語り、主観的な評価を定める
批判・・・作品の改善点や嫌いな点を根拠を示して説明し、作品あるいは作者に諫言・あるいは低い評価を提示する
誹謗・・・作品あるいは作者を根拠を示さず、あるいは根拠すら捏造して貶める
批評は作品の良さも悪さも根拠のもの論理で説明される高度な作品への知性的愛情だ。
感想も良い。好き嫌いを自由に語ること。それは大いに大事にされるべき一人ひとりの感性だ。
批判。さて批判はどうか。私は批判が誹謗に巻き込まれ大いに疎外されている事象をあまりに多く見すぎた。
私はこれが許せない。批判とは作品という刃に打ち込まれる鍛冶師の槌であり、
時に作品の強度を高め、時に実用に耐えない刃を折る、厳しくも愛ある鍛刀技術だ。
なぜ愛があるか分かるか?それはそうだ、根拠を以て作品の未熟さや改善点を提示するなんて、
愛がないとできる訳がない。
さて、そのような批判に対して、実に多くの人はこの言葉を投げかける。
"嫌なら見るな・読むな"と。
批判と誹りの区別もつかない敬虔なる信者が、ただ良い評価だけを貰えれば良いというクリエイターの堕落した願望が、
批判が作品を育て、作り手は更に良い作品を作る、という厳しく果てしなく尊い循環の連鎖を阻み、
その結果、ただ賞賛だけが望まれるユートピアのようなディストピアが生まれ、
生活保護の引き下げには反対だが、嘘を言うような政治活動はかえって逆の結果を促進することになるからやめたほうがいい
もし、生活保護を引き下げてその人たちが生きていけないなら、それ以下で生活してる低賃金労働者はどうなるのか
みんな死んでないとおかしい
その労働者たちは精神的肉体的にも負担が大きい労働をしてさらに金銭的に恵まれない生活をしてるのに生きてる
だから、重要なのは低賃金労働者を普通の生活に引き上げるような社会制度にする必要がある
これが確実だ
所得税を上げて給料を均質化に向けるというのが一番公平性が高いだろう
なぜかはてなでは増税反対派が多いのが解せないが、自分が得したいだけって訳でないなら増税は当然だと受け入れなきゃいけない
あとは、モノやサービスに安さを求めるのをやめることだ
これは全くもって人が人を信頼するというユートピアな世界じゃないと成立しないが、低賃金労働者が生み出すサービスについてみんなが大盤振る舞いすればいい
例えば、介護などのサービスが倍の値段になっても利用し続けるということだ
間違いなく払う側の生活の質は下がるが、そうすれば低賃金労働者は救われる
生活保護以下で生活をしている人たちに寄り添い自分たちも犠牲を払う人権意識の高い人たちなら絶対できるはずだ
それをできるのかどうか。それが試されていると言っていいだろう
いやさ、イキイキママってフェミの求めてきたものだと思うのよ。仕事も育児も頑張るワタシ。で、上場企業にもそれを支援する仕組みを用意させる。
それが成功したホワイト企業って喜ばしいことなんじゃない? あとそれを支える(管理する?)女性もいる。マジでフェミのユートピアじゃん。
ただそれでも、イキイキママを支える働く女性にこういった苦悩がある、というのは... それもう理想がダメだったんじゃね。これさ、昔の男性も思ってたと思うのよ。それこそ20年前なんか『寿退社したーい』なんて女性はいた訳じゃん。
男性観点だと「一定数、こういった女性はいるんだが...男性同様に働くようになるのか」みたいな疑問は当時でも生まれるんじゃねーかな、と。
子どもが欲しくない女性もいるし、そういった女性の人生も成立すべきだとは思うが、働きたくない女性も同列に扱うのはまずいじゃねーかね。
まずは、外の世界から隔離した場所を造り、そこへ人間達を住まわせます。
飲むだけで空腹が満たされ、若さを保ち、健康でいられる”湖”をつくりました。
その水は、人間だけでなく、植物を潤し、空気もきれいにします。
身体にかけるだけで、汚れが取れ、傷が治り、とても良い香りに包まれます。
しかし、何ヶ月か過ぎると、人間達は不満を持つようになりました。
神様は、人間から男女の種別を無くし、その原因を取り除きます。
そして子孫を残せない代わりに、永遠の命を与えました。
調べてみると、綺麗な者が醜い者を虐げていました。
https://anond.hatelabo.jp/20171022210553
少し追記する
人間の英知とは、自身で出来ることの増加ではなく、環境を変えることへの志向から生まれた
例はいくらでもある
利便性と効率の追求によって、職人は消え、仕事は消え、人は人と仕事をしなくなる
人は欲求阻止体験を抱え込むことから解放されつつある。しかし苦悩場面を体験しないで済むということは当然その時発動される自我の防衛・工夫などの鍛錬をしないことに通じる。
人は言葉を使って考えることで世界を内的に再構成すると言われるが、欲求満足や快感が保証される社会では、個人はそうした作業負担を免れる。人格はその構成を拡散させたままでも生存できる方向に向かっており、人は欲求とその満足というパターンを得ているうちは良いが、そうでない時には著しく脆弱な反応を見せる、「考えない」存在になっていくことが懸念されるのである。
事実、対人関係だけはこうした欲求一満足という即物性を欠いている(人をモノ化した際には成立するが)。
現代人に残された難物がコフートの言うように周囲の人間との関係性に悩むことであるかもしれず、またそれも情報機器の助けによって容易に自己完結的な引きこもりへの道が用意されていると言えよう。
この「人をモノ化した際には成立する」というのが、今の日本で行われつつあるのではないだろうか
「現代のオタクは少女をどこまで「破壊」すれば安心するのだろうか」で書いたように
キャラクターとはそもそも、人間性を破壊しモノ化した対象を指す
また、現代における現実の人間関係がそもそも、葛藤回避的である印象もある
お互いに不快な思いをさせないよう、生ぬるい表面的な関係とやり取りに終始する傾向にあるのではないだろうか
その反動としての「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」や「とらドラ!」の存在が持て囃される一方で
彼らの世界には葛藤はなく、それを表現した作品への希求はなく、ただただ苦痛な体験をアニメ媒体を通して追体験させられているように感じられるのではないだろうか
そこにきて「Re:ゼロから始める異世界生活」において主人公が陥るような自己肥大と自己嫌悪といった葛藤に直面化させられると
「主人公が気持ち悪い」「かっこ悪い、見てて苦痛」という感想しか持ちにくく、自分と相対化してみることができなくなる
ネットにおいて「自分がその段階を通過していないから、スバルに対して"ああ、自分もこういう時期あったな"とみることができない」という指摘がしばしばみられるが