はてなキーワード: プリウスとは
男女の賃金格差は労働時間や職種の違いが影響してるけど、長時間労働は避けるし仕事より家庭優先なのとか
オスメスで関心を持つもののは霊長類レベルで違うし、男女平等になるほど女性はSTEMを学ばないとか
究極的に言えば社会が全部悪いので、なんでも意識啓発すれば都合が悪い部分はすべて解決する!みたいな妄想の話だぞ。
フェミニストはたまに部分的には認めることはあっても、範囲はものすごく小さいものだと考えようとしがち。
レイプは支配欲云々説とかなんでアメリカで散々叩かれたのを輸入してくるのか意味わからんし
ボロい軽自動車に後方用ドライブレコーダーを付けたら街中での幅寄せや後方ピッタリはされなくなったけど、街から離れたバイパスの後ろのほうでパッシングされたりクラクションならされるようになった。煽り運転する人間は今のドライブレコーダーが全録画当たり前なのを知らないのだろう。平日昼間走る人間は1割くらいが煽り運転する危ない人間なんだと感じる。路上に出ている反社や反グレは体感以上に多い。社用車やママさん軽自動車や老人プリウスなど役割がわかりやすい車だと煽られないが、ボロい軽や場違いな軽トラに乗っているとよくわかる。普段は大人しくしてる車が獲物をみつけるとキチガイゾロ目ナンバーや薬物やってそうなミニバンに変身するんだ。それがドラブレコーダーが当たり前になって変化した今の煽り運転。最初から煽り運転しますって顔をしてないんだ。
あ。どうも。Y染色体です。
こうしてお会いするのは初めてですね。いつもは男性がお世話になっております。
端的に下着をみて楽しくなるということについてなのですが、楽しいという感情は探求をする対象について行動喚起のための感情です。
自分が継続的かつ集中的に関与したいとする対象についてその占有時間を長く、関係性を深くしようとする私たち遺伝子がそういうデザインにしています。
石や鉄で街に彫像や看板をつくることで土地、空間、利用者、閲覧者の関係性ができるように私たち染色体も蛋白質やアミノ酸を使って構造デザインをしています。
楽しい感情が優先的に発生する対象を大きく性別で分けていて、男性はよくわからないものをわかろうとしたりまだ使われていない事をつかおうとするようにしています。
女性はわかっている事を確認し保持することを楽しいとして、共有を楽しみとするようにしています。保持というのは溜めて所有し干渉しないことではなく、同じ結果が連続するように干渉しつづけることです。
化粧をするというのは化粧をするという行動で変化するわけではなく、いつも同じ状況になるためにするもので探求ではないということです。
また男性は独占を好むように設定されていますが、これは配合が両極まであり男性が女性だったらどうかというところまで振り分けがあるので、逆転的に女性だから男性だからその特徴が発露するというものでもないです。
発露したものが女性であり男性であり、という形状に多く見られるというだけで赤いボトルに入っているのが必ずワインであるとは限らず、青いボトルの中身は炭酸水だと決めつけて飲むと醤油である可能性もあります。
あなたのプリウスが殺人ロケットとして警察の御用にならないのは、歩道に乗り上げて虐殺をしたプリウスとあなたのプリウスが違うからです。
所詮男だろ、結局女だろ、というのでしたら「おまえプリウスのってるから殺人犯だな」ということになるわけです。そんなことはないですよね。
そこで下着をみて喜ぶということなのですが、これは「下着をみて喜ぶ状態に教育さえてしまったY染色体」の行動なんです。すいませんね。
ちょっとした誤動作といいますか、実際のところちらっとみえる、隠れている、気が付く、発明するが好きだという動作の余波なんです。
みんなそうならないというのは環境による学習がありまして、見えるもの見えないものなんでも興味が最初はあるんです。
一定以上知能がついてくると構造を理解して、構造を理解することと利用することが別であることに気が付いてどちらかに興味の中心点がうつります。
理解しようとすることに興味があると逆算して作成をすることが好きになります。利用することに興味がわくと異なる状況で同じ状態を作成したくなります。
この直前において、基軸となる価値観を自分なりに形成します。かっこいいとかきれいとかそういった底辺の感情を確保してそこに情報をのせていきます。
牛がかっこいいとかナイフがかっこいいとか、貝殻がきれいとか炭酸水の泡がすてきとか、それはその対象が特別な環境においてそうみえる状態を基軸とするのです。
これは若干の判断基準から絶対のこだわりまでなんでも基軸をつくります。ゼロの地点をつくるのです。これがないものは「興味がないもの」です。
下着が見えてうれしいだけの場合は、この基軸を形成するものとしてチラ見えする部分が特別なものであると判断したことがある経験です。
ふつうの服装をしているけれども、よく変化を起こす珍しい服、その中に花柄だったりレースだったり、ほかの衣類と異なる形状や素材のものがあった場合、隠れたところにお花畑があるという感覚になります。
そうすると、お花畑とはなにか、そこにたどり着くためにはどういう経路があるか、と探求をしたりそのお花畑を別のところで再現したりしたくなるのです。
プラモデルの関節の空洞や空き箱の中とか興味をもって覗くのでそこでその状況に合致しているかどうかの判断がつかない珍しいものをみつけてしまうとそれを一時的に探究してしまうのです。
服の延長である布切れだとか、服から飛び出てる手足とかわらないと判断されると興味はわかないのですが、小さなお子さんがいる状態で衣服の楽しみを追及されている時、お子さんには影響が少なからずでるのです。
華やかな下着で生活を楽しんでいるだけの主婦の方には申し訳ないのですが、子供からしてみればいつもきれいな花柄を宝探ししてくれてるお母さんと認識されてしまうと、そういうことで楽しくなってしまうのです。
成長するに伴い母親という情報がそれとは結び付けられない他の探究や基軸ができてしまうと下着と母親は合致しなくなってはいきますが、それら個別には同じ情報源として残ります。
その基軸が完成してしまうと、履いていない下着ですらちらりとみたくなります。むしろちらりも必要でなくなる可能性があります。また隠されていたという状況を想定するだけで模様をなんらかの感情に結び付けることがあります。
成長の仕方にもよるので成長結果を見越した教育方法があるわけではないので、各種取り組みはあったり想像できたりすると思いますがどれも望まれた結果にたどり着くとは限りません。
天才を育て上げる手腕は、天才の成長についていけた教育方法だったというだけで、成長のさせ方で天才が育つわけではないのです。
これは男性だから女性だからと同じですね。そういうところは男性だな、そこは女性みたいだな、という配分と興味をもつ対象とその取り込み方に合わせて供給ができれば効率のよい運動が発生するだけなのです。
単純な希望のための行動としては、地味な下着で肌は部位によって特別な意味をもたないといった日常行動をとることで下着を見て喜ぶ可能性は低くなります。
変化する瞬間や変化の前後を感知されなければ、興味を持ちにくいですしそれを伸ばす性質を別の現象に差し向けることで育ち方を変えることはできるでしょう。
でも、好きになったものはしょうがないとおもいますよ。もう今更もとには戻せませんし。
エロ絵師かAV監督か下着デザイナーか下着泥棒ニートになるか、素質を観察しながら成長に沿ってあげてくださるのが一番ではないか、と思います。
なんで嬉しいか、という事については多方面多岐にその嗜好はあるかと思いますが、個人などの特定の環境によい方向性を見出すための理解への一助となれば幸いです。
ミサイルなどと揶揄されている話題の車を、短時間だが初めてころがす機会があったので、思ったことをつらつらと。
総じて、とてもいい車だった。