はてなキーワード: しんのすけとは
あー、こんど團十郎て名乗ることになったヒトの息子のかんげんくんのことね。
新之助になるのって、本人が望んで積極的になりたいっていってるのかなー?て話
なんか業界的な慣習だか伝統だかってことで、本人そんなに気乗りしてないのに「しんのすけ」にされちゃって、クラスのみんなに「しんちゃん」と呼ばれ、「おらぁ」という一人称を使って、ケツだけ星人のモノマネとかせざるを得ない宿命を背負わされるってことだとしたら、これ近頃話題の「宗教2世」と似たようなある種の児童虐待なんじゃねーの?
仮に、本人が実際「新之助になりたい」て言ってるんだとしても、それは歌舞伎役者の家系に生まれて、何もわからない新生児の段階からずっとそうなるように刷り込まれ洗脳されてきたせいではないの?単なる普通の一般家庭に生まれたら、しんのすけになろうなんて誰も思わないじゃんw
しんのすけが5歳だからクレしんの原作は5歳児向けって思ってる人が多いけど原作は大人向けの雑誌連載なので古い洋画のパロディや人が死亡する話やセックス描写もある
コナンは7歳だから7歳向けと思っている人も多いけど作者やアニメスタッフはそんなつもりで作っていないので第一話では人の生首がワイヤーで切断され吹き飛び血がほとばしり周囲の人々に降り注ぐ(そもそもコナンは7歳ではない)
冴羽獠は30歳くらいだからシティーハンターは30歳向けかというとそうではなくて少年ジャンプ連載だし少年が読んでも楽しめる
なんというかこの辺のことを分かってもらうにはどうしたらよいのだろうか
無理か?そうか……
プリキュアについては置いておくとして以下ではクレヨンしんちゃんについて述べようと思う。
どうもクレヨンしんちゃんを含む有名作品のキャラクターがオリンピックの広告に利用された事で話題になっているようだが
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210706120130
こんなコメントが上位に来る辺り (上手い事言ったなんて思ってる奴がスターを付けてるのかもしれんが)
しんのすけがオトナの都合に振り回されたコメントをするのを新鮮に感じた人が案外多いのかもしれん。
しかしクレヨンしんちゃんがこの手の外部のメッセージに使われるのは勿論これが初めてという訳でもなく、
https://togetter.com/li/1395865
しんのすけがスポーツの世界大会等で日本を応援した事は原作でもあるくらいだが、
「かあちゃんの夏休みはいつなんだろう」みたいなセリフを言うようなシチュエーションは決して無い。
はてブを利用する人達の殆どは糞ダブスタ人間では無いだろうからこの手のオトナの都合たっぷりのセリフを知ればおかしいと思うだろうが、
どうもブコメやスターの付き方を見る限りはOisixの広告などを知っている人はいないようだ。
これでは過去に散々しんのすけ含むクレしんのキャラを利用してきた企業の人達も浮かばれまい。
はてブのリテラシー高い人達は炎上による負の祭りに安易に参加するような人間では無いが、世間は違って炎上だろうと十分広告になる。
作品読んでなくて顔しか知らないのに見るとイラつくキャラクターとかいないだろうか
「なんでロクに知らないのにこいつらの事嫌いなんだろう」って考えたら顔が苦手なのかもしれないと気付いた。
① 口がでかいキャラが苦手。あとギャグシーンでもないのに口の動きが0とか▽とかコロコロ変わるのが苦手。
しんのすけの笑顔みたいな(正面見えないけど)へにゃへにゃでかく口が広がったりが特に苦手。
② 三白眼、というより黒目が極端に小さくすぎる目が苦手(女キャラだけど「だがしかし」のサヤ師みたいなの)
③ 眉毛の主張が強い。太眉じゃなくても極端に \ / こんな感じになるタイプ
④ 童顔ぽい顔立ち。
俺はどうやらこれが多くあてはまるキャラデザが苦手らしい
だいぶぬるげーになった。
体力使い果たして倒れても、翌日体力満タンAM6時起床とか、どんなぬるげー?
1日目からガッツリ進めたいのに、クワ無くてめちゃくちゃ困ったし、
旦那に聞いたら「チュートリアルをきちんと進めないからだ」と言われたけど
何の役に立っているのかサッパリ
女性キャラで良い声が無くてびっくりした。声選択時に確認方法が無くて困った。
声が気に入らず、キャラクリやり直しを3回もやった。だるかった。
声要らない。後から声の変更も出来なかったし、最終的に「しんのすけ」みたいな声を選択した。
下から2番目のやつ。
最後までやったら「これで良いですか?」って一覧表示しろよって憤慨したわ。
ペットのおもちゃを買ったのに、家の中では遊べず連日雨で困った
夢の話みたいに無かったことになった。気づいたら町にポツンと立ってた、みたいな。
季節ごとのイベントもそうだけれど、全体的にイベントが雑すぎる
ペットに餌をあげたりした後にイベントに行ったらエラーになったらしい(旦那談
エラーのせいで3日前に戻されたとか。
翌日家で体力満タンになったりしてる
ログハウスから上になったらテレビ出来るの?チャンネル変更できるの?
いつになったら返してくれんだよ…。春終わったぞ…。
せめて修理の進捗教えろや…。
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」という映画をご存知でしょうか。20年以上続くシリーズの中でも傑作と名高い作品です。20世紀も終わり2001年、「20世紀博」というテーマパークにはまる大人達。ある日しんのすけ達子どもを置き去りに失踪してしまう。残されたしんのすけ達は大人を救うため20世紀博へ向かう…という映画です。
若干ネタバレですが大人達は結社イエスタディ・ワンスモア(敵)が発明した"なつかしいニオイ"に影響され幼児退行し文字通り「子ども」に戻っていきます。
立ち位置的にイエスタディ・ワンスモア=P、「大人」=ノクチルに近いのでは無いかと思います。(あくまで立ち位置的な話)
Pは透の中に過去の思い出を回想し、「輝き」としてノクチルの大人として見た時決して褒められた物ではない行為に拍手し、またノクチルもPの中に昔の憧れ(ジャングルジム?)を見た透とその後ろ姿から懐かしさを求め、挙げ句子どもじみた反抗をする姿に近しさを感じます。
オトナ帝国では敵とされた「過去に立ち戻らせようとする大人」が主役となっている訳です。
要するにノクチルの「青春」というのはPという大人の望むその掌の上の出来事で、反抗的なある種幼稚な行動もPの期待する所な訳です。そしてPは彼女達を罰を与えず始末書を書かせる程度で済ませてしまいます。敢えて大人として振舞わない事で子どもを自身の願望の自己投影の手段とする作中のP引いてはライターのエゴを強く感じました。
イエスタディ・ワンスモアのボスであるケンの台詞「夕焼けは人を振り返らせる。だからここはいつも夕方だ。」
子どもとして大人への反抗を遂げたノクチルを夕焼けが照らし出します。遠い過去や子ども時代への回帰の象徴としての輝きなのでしょう。日暮れへの感傷は万人共通のものなのだと思います。
最後は野原一家対イエスタディ・ワンスモアの戦いになります。過去に拘泥し時間を巻き戻し過去という殻に閉じ籠ろうとする敵と未来に向かってひたすら走り続け未来を手に入れようとする一家の戦いです。
先程も述べましたがノクチルに対するPは大人の責務を放棄し、彼女たちの良く言えば純粋な、悪く言えば子ども染みた行為を称賛します。
こういった構図は特に青春モノなどではありふれたものとも言えます。ただ私が気になったのはそれが「大人の主観」でありそれを美化し正当化するような筋書きであることです。
系統として古典で言えば「ぼくらの7日間戦争」のような純粋で爽やかな青春と大人への反逆を描こうとしたのだと思います。ですがPという大人の恣意が前提にあることで純粋さは薄れ「俺たちの7日間戦争」とでも言うべきものになってしまっています。一言で言えば"理想的なクソガキ"でしょうか。青春の1ページという描写も陳腐な物に成り下がります。
今の所のノクチルにおけるPというのは彼女達の成長を阻む存在であり、必ずそこと向き合うべきであると思います。
そこに向き合えない限り"売り物"と"売る者"のエゴ、ノクチルというアイドルがPの自己満足と大人としての子どもへの傲慢の上に成り立つ存在でしか無いからです。
割と悪く書いてる気がしますがまだ1ページ目、最初のコミュまでの感想でしかありません。またそう言った関係性や意識の変化も描かれていくものと思います。
個人的に驚いたのは天塵のコミュを徹頭徹尾称賛する人が割りといた事でしょうか。オレの人生はつまらなくなんかない!(ryと言えるような大人は意外と少ないのかもしれません。
現状の彼女達というのはPに泳がされているだけの存在であると思います。そこに自身から向き合い、殻を破り、誰の定義でも無い私へと変化していく方が健全だとは思いますね。